遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

おもしろ古文書 『ゆめあはせ』(4)

2020年11月09日 | おもしろ古文書

面白古文書『ゆめあはせ』の4回目です。

 

7、8頁、夢占いが16種のっています。

右上から二つづつ、順に見ていきます。

 

ふくろとますを        袋と升を
得ると見れは         得ると見れば、
へんざいてんのふく      弁財天の福
をたまハるなり        を給わるなり。

うしのさりたる        牛の去りたる
とミれバかならず       と見れば、必ず
やまひ事ある         病事ある
べし             べし。

 

たかのすをはなる        鷹の巣を離る
るとミれバくらいを       ると見れば、位を
得る大きによし惣して      得る。大きに良し。惣じて
たかをミる事吉さう也      鷹を見る事吉相なり。

むまのいゑに入と        馬の家に入ると
見れバしよりやう        見れば、所領
を得る事有べし         を得る事有べし。
又ハ馬にのるとミるもよし    又は、馬に乗ると見るも良し。

 

うしをころすと         牛を殺すと
見れハ大きによろ        見れば、大きによろ
し思ふ事かなふ         し。思う事叶う
なり              なり。

からすをとると         カラスをとると
見れバ国のぬし         見れば、国の主
になるしよりやう             になる。所領
を得るなり                   を得るなり。

 

 

とりのすをとると              鳥の巣をとると
見れはふくを                 見れば、福を
まふくるしよりやう            もうくる。所領
をたまわる也                  をたまわるなり。

山ふしのくると         山伏の来ると
見ればかならず         見れば必ず
ぬす人事に           盗人事に
あふべし            あうべし。

 

 

しやうしのあしの        障子の脚の
おつると見れば         落つると見れば、
子につけていむ         子につけていむ
べし              べし。(意味?)

きんしやをたつ         錦紗を裁つ
と見れバふ           と見れば、富
つきにさかへて         貴に栄えて
よし              良し。

 

 

しろぬのをたつ       白布を裁つ 
と見れバあしき       と見れば、悪しき
事あるべしつゝ       事あるべし。慎
しむべし          しむべし。

あさのをゝくると      麻の緒を繰ると
見ればむつかし       見れば、難し
きことあるべし       き事あるべし。
よく〳〵いむべし      よくよく忌むべし。

 

 

いとを見だすと       糸を見出すと
見ればこゝろ        見れば、心
にかゝること有       にかかる事有
べし            べし。

ふすまのうへにいるとミ   襖の上にいると見
れバほう王のくらいに    れば、法王の位に
なり又女ハきさきのく    なり、又、女は妃の
らいにそなハる万によし   位にそなわる。万に良し。

 

 

にしきのうえへに      錦の上に
ゐると見れば        いると見れば、
ふつしんにあし       物心に悪し
きなし           きなし。

はしの上にゐると見     橋の上にいると見
れハ人にすくる事      れば、人に優る事
有○三夜をまちて      有〇。三夜を待ちて
せいしぼさつをおがむへし  勢至菩薩を拝むべし。

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おもしろ古文書 『ゆめあはせ』(3)

2020年11月07日 | おもしろ古文書

面白古文書 『ゆめあはせ』の3回目です。

 

5、6頁の絵・夢占いが16種のっています。

右上から二つづつ、順に見ていきます。

 

しらかミを得ると      白紙を得ると
見れバすへはん       見れば、末繁盛
しやうする心に       する。心に
かゝる事なし大よし     かかる事なし。大よし。

たてぶミをゑると      立文を得ると
ミればしよりやうを     見れば、所領を
あんどするなり       安堵するなり。
わたすと見るも同じ     渡すと見るも同じ。

 

 

 

ふミを人にをし       文を人に教
ゆるとミればちゑ      ゆると見れば、知恵
さいかく人にすぐるゝ也   才覚人に優るるなり。 
もんじゆをしんずべし    文殊を信ずべし。

ふミをよむと見       文を読むと見
れバもんじゆのり      れば、文殊の利
しやうあり又書       生あり。又、書
とミるも同事        と見るも同事。

 

たちを得ると見       太刀を得ると見 
ればしよりやうを      れば、所領を
得る又ハいゑをもつ     得る。又は、家を持つ
きつさうなり        吉相なり。

くしを得ると        櫛を得ると
見ればよき子        見れば、良き子
をもつ也おもふ       を持つなり。思う
ことかなふ也        事叶うなり。

 

まくらをえると       枕を得ると
みれバ大ふくあつ      見れば、大福集
まるでんぢはた       まる。田地畑
をまふくる也        をもうくるなり。

つばきの木を得       椿の木を得
るとミればいえふつ     ると見れば、家富
きするよききつ       貴する。良き吉
そうなり          相なり。

 

おけにひしやくを得る      桶に柄杓を得る
とミればよきけん        と見れば、良き眷属(妻子、従者) 
ぞくをまふくる也        をもうくるなり。
しんしやう仕合よし       身上仕合良し。

もちをミれば仏神        餅を見れば、仏神
のかご有べしおもハ       の加護有べし。思わ 
ざるふつきの家と        ざる富貴の家と
成べししん〲大事也       成べし。信心大事なり。

 

米をくうとミれば        米を喰うと見れば、
いのちながし又         命長し。又、
まめをくふとミ         豆を喰うと見
るもよろし           るもよろし。

米のふると見          米の降ると見
ればかならず          れば、必ず
大ふくちやうじや        大福長者
と成べし            と成べし。

 

米あつきをひろ         米小豆を拾
いくふと見れは         い喰うと見れば、
やまひ事有つゝ         病事有。慎
しむべし            しむべし。

むぎをくふとミれハ       麦を喰うと見れば、
むひやうそくさひに       無病息災に
していのちながし何       して命長し。何
事も万思ふ事叶ふ也            事も万思う事叶うなり。

 

 

はのおつると                 歯の落つると
見れバ何事も                 見れば、何事も
おもふことかなふ         思う事叶う
べし              べし。

かミひけなかくなる       髪髭長くなる
と見れバよろしき        と見れば、良ろしき
事なり又みぢかく        事なり。また、短く
なると思へバわろし       なると思えば悪し。

 

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おもしろ古文書 『ゆめあはせ』(2)

2020年11月05日 | おもしろ古文書

『ゆめあはせ』の2回目です。

 

今回は、この2頁です。

右上から2絵ずつ、順に示します。

 

こかねを得るとミ     黄金を得ると見
ればよき子を       れば、良き子を
まふくる也何事も     もうくるなり。何事も
心にかなふべし      心に叶うべし。

 

あかがねを得る      赤金(銅)を得る
と見れば大ふ       と見れば、大福
く来るべし        来るべし。 
よきゆめなり       良き夢なり。

 

せにをもふくると     銭をもうくると
ミればよきさいし     見れば、良き妻子
をもふくるたから     をもうくる。宝
をうくるなり       を受くるなり。

 

かたびらをきる      帷子を着る
と見ればなん       と見れば、男
によともに大       女ともに大
きによし         きによし。

 

はかまをきると       袴を着ると
見れば人にしやう      見れば、人に召
くハんせらるゝ也萬き    喚せらるるなり。萬着
るゐをきるとミるも同    類を着ると見るも同じ。

 

弓をひくとミれ       弓を引くと見れ
ばよろづあくまし      ば、よろず悪魔
やうげをはらふ又ハ     障礙を払う。又は
手がらをする也       手柄をするなり。

 

矢を得ると見        矢を得ると見
れば人につかわ       れば、人に使わ 
るゝさう也心ま       るる相なり。心ま
とふもつべし        とふもつべし(意味?)。

 

たちをとぐと        太刀を研ぐと
ミればけんぞくを      見れば、眷属(従者)を
まふくあくまを       もうく。悪魔を
はらふ也          払うなり。

 

ふえをふくと見       笛を吹くと見
れバかならずやまひ     れば、必ず病
事有べし神事        事有べし。神事
などをミるも同前      などを見るも同前。

 

いはをひくとミれ      岩を引くと見れ
ばむつかしき        ば、難しき
事ありただし人       事あり。ただし人
にはなるゝなり       に離るるなり。

 

 

 

しちりきをふく       篳篥を吹く
と見れば人の        と見れば、人の
かしらとなる也       頭となるなり。
大きによろし        大きによろし。

つづミをうつと       鼓を打つと
見ればぬす人        見れば、盗人
またハやまひ事       又は病事
あり            あり。

 

 

かんむりをうし       冠を失
なふと見れは        なうと見れば、
大事なりよく        大事なり。よく
/\つゝしむべし      よく慎むべし。

女かんむりをきると     女冠を着ると
ミればかならず国の     見れば、必ず国の
ぬしとて子をうむ也     主とて子を産むなり。
其身えいぐわ到べし     其身栄華到るべし。

 

 

あふぎを人に得る      扇を人に得る
とミればしよりやう     と見れば、所領
をもつ思ふ事叶ふ也      をもつ。思う事叶うなり。

あふぎをおとす       扇を落とす
と見ればおもふ       と見れば、思う
事かなハずたからを     事叶わず。宝を
うしなふなり        失うなり。

 

 

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おもしろ古文書 『ゆめあはせ』(1)

2020年11月03日 | おもしろ古文書

能楽の資料を整理しているうちに、探し物を見つけました。

10年ぶりです。

小冊子、『ゆめあはせ』です。

夢占いの瓦版があったはず、と探していました。

が、瓦版と思っていたのは私の勘違い、薄っぺらな冊子でした。

能楽関係の資料の間に埋まって行方不明になっていたのを、今回、発見したわけです(^^;

 

15.2 x 20.7 ㎝、京都 墨屋小兵衛、江戸後期、8丁。

本当に小さな本です。

瓦版のように薄い紙に、粗雑な版刷りが施されています。

 

夢の絵とその説明が載っています。

かすれて見難い文字も多いですが、わかる範囲で紹介します。

2頁分ずつ、順に、8回に分けて、見ていきたいと思います。

 

 

てんにのぼると          天に昇ると
見れバ国わうの          見れば、国王の
くらゐをゑてよし         位を得て良し。
よく/\いのるべし        よくよく祈るべし。


天はるるとミれば大じん    天晴るると見れば、大臣
のくらゐをかうむる      の位をこうむる。
ちゑさいかく人しらず     知恵才覚、人知るらず、
よく〳〵天とうをしんずべし  よくよく天道を信ずべし。

 

てんよりくたるとミ      天より下ると見     
れバやかてくらゐい      れば、やがて位
やしくなる身持を       卑しくなる。身持を
してもちさぐるなり      しても地下ぐるなり。

 

天にすむとミれば          天に住むと見れば、
きミのやうやくを        君の要役?を
かふむる女ハこくしゆ     こうむる。女は国主
のつまとなるべし       の妻となるべし

 

 

 

まつをとると      松をとると
見ればいのちな     見れば命
がしゑいぐわに     長し。栄華に
さかへ大きによし    栄え、大きに良し。

 

よろつのはなを     万の花を
手にとると見れば    手にとると見れば
万人にほめられ     万人にほめられ、
もちひらるゝとなり   用いらるるとなり。

 

はちすのはなを     蓮の花を
とると見れハ仏の    取ると見れば、仏の
めくミふかしと     恵み深しと
なり          なり。

 

ハちすの花のうへに   蓮の花の上に
のほると見れバおもふ  上ると見れば、思う
事かなふてぶつくわ   事叶うて仏花
をうるとなり      を得るとなり。   

 

 

 

山がくづるゝと見        山が崩るると見
れバ大きにおどろ        れば、大きに驚
きありよく/\         きあり。よくよく
つゝしむべし          慎むべし。

 

山よりくだると         山より下ると        
見ればやまひ          見れば病
ごとあり人に見         事あり。人に見
さげらるゝ也          下げらるるなり。

 

ふねをこぐと見れば       船を漕ぐと見れば、
さいふうしゆごする也      西風守護するなり。 
ほかけふねにのるとミるも    帆掛け舟に乗ると見るも、 
又こぎ行を見るも仕合よし    又、漕ぎ行くを見るも仕合よし。

 

ふねにのると見れバ       船に乗ると見れば、
かならすよき家まふ       必ず良き家もう
くること有べしたゞし      くること有べし。ただし
萬おもふ事かなふ也       萬思う事叶うなり。

 

 


うミに入と見れば           海に入ると見れば、
こころに何事も思ふ      心に何事も思う
事かなふ又ハほとけ          事叶う、又は仏
に申事もかなふべし        に申事も叶うべし。

 

たきの水をのむと      滝の水を飲むと
見れバくわんおんの     見れば、観音の
めくミふくとく有      恵み福徳有
なり無病にてよし      なり。無病にてよし。

 

つちにふすとミれば     土に伏すと見れば、
大ふつきになる又ハ     大富貴になる。又は
さけおほし又つゑをつ    酒多し。又、杖をつ
くとミればやまひ事有べし  くと見れば、病事有べし。  

 

家の内に井をほると     家の内に井を掘ると
ミればざいほうわき     見れば、財宝わき
出る也地をほると見     出るなり。地を掘ると見
れバふつきのさうなり    れば、富貴の相なり。

 

 

 

 

 

 

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能楽資料20 稀覯本『謡抄』

2020年11月01日 | 能楽ー資料

ここしばらくブログは、チマチマした小謡集が続きました。おまけに、話はどんどん細かい所へ入り込んで、出口が見えません。

そこで、今回、能楽資料が20例目となるのを機に、少しマシな品で一区切りつけたいと思います(^^;

今回のブログは、『謡抄』です。

日本で最初に編まれた謡いの解説本です。

 

14 x 20 x 1.5 ㎝、慶長年間、113丁。

本来は、表に謡いの題目が書かれているのですが、表紙は失われています。

また、全部で10巻の大著のうち、私の持っているのは3巻目だけです。

 

 

表紙は、どなたかが反故を利用して、自分で補った物です。

 

この『謡抄』(守清本)は、私たちが普通に目にする江戸の版本と趣が異なっています。それは、この本が、古活字によって印刷されているからです。

古活字本とは、木版の活字(木活字)を組み合わせて印刷した本で、小数部出版されました。日本では、文祿年間から寛永年間(16世紀末~17世紀半)頃にかけて出版されましたが、本の需要が高まるにつれ、版木による出版に変わりました。

 

最初に、『老松』の辞解が16頁にわたって記されています。

以下、『朝長』、『楊貴妃』、『紅葉狩』、『姥棄』、『通小町』、『三井寺』、『西行桜』、『矢卓鴨』の順に、字句の解説がずっとなされています。

 

      『朝長』

 

        『楊貴妃』

 

       『紅葉狩』

 

        『姥棄』

 

        『通小町』

 

 

  •        『三井寺』

 

        『西行桜』

 

        『矢卓鴨』

この謡いは廃曲となり、現行曲にはありません。

 

『謡抄』では、全部で102曲の謡いをとりあげ、各曲の字句について、典拠、名所・旧跡、和歌、難解字句などの説明をしています。

「謡抄」は慶長年間に出版されたと言われていますが、いくつかのバージョンがあるようです。

現在、デジタルコレクションとして、京大(古活字)、国立国会図書館(古活字)、法政大学能楽研究所(木版)の所蔵品が閲覧可能です。

『老松』(2頁分)を例に、古活字本である京大、国立図書館所蔵の『謡抄』と故玩館の所蔵本とを較べてみます。

まず、故玩館の品。

 

京都大学貴重資料デジタルアーカイブ

 

国立国会図書館デジタルコレクション

 

3つともよく似ていますが、少しずつ異なっています。

特に、故玩館の品では、フリガナが多くふられています。他の2つより、少し時代が下がるかもしれません。

 

『謡抄』の画期的な点は、日本初の謡い解釈書であることにとどまりません。

それまでの謡いは、あいうえおの発音がつらなった音曲でした。一部伝書は残されていたものの、基本的に、謡いは、耳でとらえた音曲を手本として習い、伝えていくものだったのです。

ところが、それを漢字や仮名で表し、さらに解釈を加えたことにより、謡いや能は、新しい文化的価値をもつことになったのです。また、解釈書『謡抄』の成立は、テキストとしての謡本の出版を促した結果、江戸時代には、多くの人々が謡いや能を楽しめるようになりました。

 

豊臣秀次像(Wikipediaより)

 

桃山時代に、このような画期的な書物を発案し、編纂を指示したのは、豊臣秀次です。

文武両道に秀で、能や和歌を嗜む文化人でもあった秀次は、文禄4(1595)年3月、当時最高の文化人や各宗派の僧侶たちを集め、謡いの注釈書をつくるように命じました。その中には、連歌師里村紹巴や公家の山科言経も含まれていました。ところが、そのわずか4か月後、秀次は豊臣秀吉から謀反の嫌疑をかけられ、切腹して果てます。秀次の死によって作業は中断しましたが、5年程後、慶長年間に『謡抄』は完成しました。

秀吉による秀次切腹事件は謎だらけです。一般には、秀吉に後継ぎ・秀頼が誕生して、秀次が邪魔になったために抹殺したと言われています。しかし、それだけで、秀次のみならず、一族郎党39人を皆殺にした狂気の沙汰を説明するのは難しい。

私は、秀吉の甥・秀次に対するコンプレックスが根底にあると考えています。

まっとうな人間にとって、コンプレックスは自分を高めるための原動力なのですが、その逆の人間の場合には、自分をガードし、金や権力を得るために、コンプレックスを外に転化させ、妬みや怒りをかきたて、さらには憎悪を相手にぶつけることになります。

先のブログで、クズ総理の異様な行動は学術コンプレックスにある、と書きました。

ごく最近、彼は、著書の中で今の自分に都合の悪い部分を削除して、改訂版を出版したと報じられています。以前の書の中では、「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です」などと公文書管理の重要性を説いていたのです。いっぱしの言い回しですが、公文書隠蔽、改竄、廃棄の張本人とって、今となっては隠しておきたい不都合な記述です。タイトルが、『政治家の覚悟』とはブラックジョーク」でょうか、それとも『政治屋の最期』の誤植?(^^;   ゴーストライターが書いたものでも、一応自著です。削除せずに堂々と再版するか、マズイと思うのなら絶版にすべきです。上に立つ立場の者がそれくらいの矜持をもたなくてどうする・・・・さもしい人生を生きてきたであろう人間のクズに対しては、無用のお話しでした(^^;

 

話しを、秀吉と秀次に戻しましょう。

秀次には、暴虐非道の人間という逸話が多くあります。しかしこれは後に作り上げられた話にすぎません。実際は、古典籍を集め、能、茶道や連歌を嗜む温和な人であったようです。

一方の秀吉は、その逆。

「自分と同じ下賤の出でありながら、あいつは一流の文化人とまじわっている。おまけに、能も自分よりはるかに上だ」

甥の秀次に対するコンプレックスが、いつしか憎悪にまでなっていたのです。

なお、秀吉は、「明智討」「柴田」「北條」など、自分が戦って討ち取った相手を題材にした能(豊行能)を作らせ、実際に舞ったと言われています。秀吉にとって、能は、自分のコンプレックスを昇華させる手段となっていたのです。晩年、異常なほど能にうちこんだ秀吉ですが、彼の歪んだ心の闇は底の知れない深さでした。

文禄2年、秀吉が催した前代未聞の禁裏能では、秀吉自身が数多くの能を演じると同時に、徳川家康、秀忠、前田利家、毛利輝元、織田信雄、宇喜多秀家、小早川秀秋など名だたる人たちが出演しています。ところが、豊臣秀次は呼ばれませんでした。この頃には、もう、秀吉の秀次に対する憎悪が燃え盛っていたのでしょう。

禁裏能から2年後、秀吉の憎悪を感じとった秀次は、急いで、自分が愛好した能、謡いを新しいステージへ展開しようとしたのではないでしょうか。謡い解釈書の編纂を指示した直後、秀吉により、秀次は蟄居から切腹へと追い込まれ、この能プロジェクト一時中断されました。しかし、心ある人々により編纂は続けられ、秀吉の死から数年後、『謡抄』が世に出たのです。

謡いの解釈を初めて集大成した『謡抄』は、江戸時代、武士から町民まで、幅広く謡い(能)が親しむための礎を築いたのです。さらに、明治になってからは謡曲の研究がすすみ、多くの解説本が出版されました。また、謡本そのものにも、字句の解説が載るようになり、現在にいたっています。

秀次が死の直前に撒いた種は、今の私たちの時代にも、花を咲かせ続けているのです。

 

 

 

 

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