遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

輪島塗沈金四方盆玉鬘

2021年06月16日 | 能楽ー資料

先回のブログで、能、謡曲には、多くの和歌が引用されていることを述べました。数が非常に多いのでその一部を、工芸品を使って紹介します。

輪島塗の四方盆です。

21.6 ㎝x21.5 ㎝、高2.3 ㎝。明治ー戦前。

 

源氏物語、第二十二帖玉鬘からの和歌と葛の花が、沈金技法で描かれています。

「 こいわたる
     みは
  それ
   なれと 
    玉かつら
いかなる
 すじを
  たつね
 きつらむ   」

 

【謡曲】玉鬘

【概要】(前段)旅僧が奈良から初瀬詣に出かけて、初瀬川の辺へ来ると、一人の女性が小舟に掉さして上ってきたので、怪しんで言葉をかけると、女は自分も長谷へ参るのであるといって、やがて二本の杉へ僧を案内し、玉鬘内侍が筑紫から逃げ上って此所へ来て、母夕顔の侍女右近に合ったことなどを語り、自分がその玉鬘の幽霊であるといいも終わらずに消え失せた
(後段)僧が玉鬘の霊を弔っていると、夢の中で玉鬘が内侍の姿で現れ、昔のことを懺悔して妄執を晴らし、迷いから覚めて成仏した。そして、僧も夢からさめた。(『謡曲大観第三巻1957頁』)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

後段、一声の囃子で、玉鬘が登場し、謡い始めます。

シ)恋ひわたる身はそれならで玉葛。いかなる筋を尋ねきぬらん。
尋ねても法の教に逢はんとの。心ひかるる一筋に。
其ままならで玉葛の乱るる色は恥ずかしや。つくも髪。

<カケリ>狂乱の様を示し、舞う。

シ)つくも髪。我や恋ふらし面影に。
地)立つやあだなる塵の身は。
シ)はらへどはらへど執心の。
地)長き闇路や。
シ)黒髪の。
地)飽かぬやいつの寝乱髪。
シ)むすぼほれゆく思かな。
地)げに妄執の雲霧の。げに妄執の雲霧の。迷もよしや憂かりける。
人を初背の山颪。はげしく落ちて。露も涙もちりぢりに秋の葉の身も。
朽ち果てね恨めしや。
シ)恨みは人をも世をも。
地)恨みは人をも世をも。思ひ思はじ唯身ひとつの。
報の罪や数々の憂き名に立ちしも懺悔の有様。
あるひは湧きかへり。岩もる水の思にむせび。
あるひは焦るるや。身よりいづる。玉と見るまで包めども。
蛍に乱れつる。影もよしなやはづかしやと。この妄執をひるがへす。
心は真如の玉鬘。心は真如の玉鬘。長き夢路はさめにけり。

ps;『玉鬘』の一聲からキリまでのこの部分は非常に良い調子なので、小鼓の会では好んで打たれます(^.^)

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能楽資料32-2 佐成謙太郎『謡曲大観』首巻(下)

2021年06月14日 | 能楽ー資料

 

先回に続いて、佐成謙太郎『謡曲大観』全7冊の内の第一冊目、首巻(写真右端)の後半部です。

首巻の主な内容は、「能楽畫譜」「能楽総説」「謠曲細説」の3つですが、今回は、「能楽総説」「謠曲細説」です。

 

まず、「能楽総説」です。

194頁も有り、これだけで通常の本一冊の分量です。

 

まず、能楽の生成を、その源流から探っています。日本書紀や續日本記などの資料を示しながら、歌舞の起源を、神楽舞、伎楽、散楽などに求めようとしています。そして、能の原型である申楽が散楽から派生したのではないかと述べています。

そして、申楽、田楽が、能、狂言へと展開していく歴史を、資料に基づいて記述しています。

佐成謙太郎『謡曲大観』の最大の特徴は、著者が、出来得る限りの文献、資料を渉猟し、それを本文中に示していることです。

能楽は歴史が古いので、関連する資料は膨大です。一方、新事実の発見や画期的な資料の発掘は、そうそうはありません。明治以来、今日まで、発見の名に値する物は、明治41年、吉田東悟博士による『風姿花伝』(花伝書)をはじめとする『世阿弥十六部集』がほぼ唯一のものと言ってよいでしょう。

したがって、能楽研究は、既存の資料をどのように渉猟し、再評価し、新たな視点をまとめあげるかという点にかかっています。『謡曲大観』は、著者佐成健太郎がそのことを強く意識して著した本です。その点が他の類似書と大きく違います。

 

さらに、能楽の中で重要な位置を占める謡曲について、概説しています。

 

なかでも、七五調詞章である謡曲の修辞法が興味深いです。

今の我々には、謡いの文句は特別なものに聞こえます。が、室町時代に成立した能の詞章、謡曲には、和歌の影響を強く受け、様々なことば遊びが散りばめられています。

縁語、掛詞、序詞の例として・・・・

縁語:

「汐汲車わずかなる浮世をめぐるはかなさよ」(能、松風)

 車→わ、めぐる

掛詞:

「住み果てぬ住家は宇治の橋柱、立居苦しき思ひ草、葉末の梅雨を憂き身にて、老い行く末も白眞弓・・・」(能、浮舟)

宇治→憂し、橋柱→立、苦しき思ひ→思ひ草、白→知ら(ぬ)

その意味は、「宇治の里にも永く住み果てることができない、何に付けても心苦しい物思いをする哀れな身上で、この後老い先もどうなるかわからない・・・」(第一巻316頁)

 

折字:

「竹に生まる鶯の、竹生島詣で急がん」(能、竹生島)

竹、生き→竹生

 

数詞:

一つ、二つ、みつ、よる

第一、二つ、のみ、四海

こういったことば遊びは、戯れごとに思えますが、当時は、気の利いた言い回しであり、それを理解するセンスを備えた教養が求められる社会であったのです。

能はシリアスな物語が多いのですが、ストーリー的には、最期に仏の力によって救われるなどのハッピーな顛末が用意されているのと、詞章にことば遊びが散りばめられていることによって、全体のバランスが保たれ、人々に広く受け入れられてきたのだと思います(私見(^^;)

 

謡曲を作者別にあげています。

類書の多くも同様の項目を設けています。しかし、どのよう曲を誰が作ったかについて、明確な物は少ないのです。ですから、伝○○作という記述が多くなるわけです。

この本の場合、信頼度の高い3種の著作、◎世阿弥十六部集、◯吉田兼時『能本作者註文文』、△観世元章『二百十番謠目録』に載っているかを記しています。

たとえば、相生(高砂)のが世阿弥作とあるのは、◎世阿弥十六部集、◯吉田兼時『能本作者註文文』、△観世元章『二百十番謠目録』すべてなので、◎◯△の記号が付いています。養老、老松、頼政なども同様です。卒塔婆小町などは、◯がついているのみですから、『能本作者註文文』にだけ世阿弥作となっていることがわかります。

 

謡曲の作者も含めて、現行の謡曲235番を分類表にまとめています。

 

各曲について、観世、宝生、金春、金剛、喜多の五流のどの謡本に相当するかを表にあらわし、さらにその曲の能柄、役割、所、時、原作者名、そしてその曲名が最初に記録に現れた年を記しています。

これによって、能楽における謡曲の全体像をつかむことができます。

 

最後の「謠曲細説」は、164頁のボリュームです。

内容は非常に多岐にわたっていますが、その中で和歌と俳句に関係した部分を紹介します。

謡曲には、多くの歌が引用されています、

 

上代では、古事記や万葉集などです。

古今集以降、引用される和歌の数は非常に多くなります。

古今集からの歌が、21頁にわたって載っています。

 

後撰集、拾遺集、後拾遺集、金葉集、詞花集、千歳集からの歌は14頁。

新古今集からは10頁。

さらに、伊勢物語や

源氏物語からも、多くの和歌が引用されています。

 

また逆に、謡曲は、俳諧、歌舞伎、浄瑠璃などに大きな影響を与えました。この事は、前述の「能楽総説」に書かれているのですが、話の都合上、ここに載せます。

 

有名俳人たちの句で、謡曲に関係したものがあげられています。

 

たとえば、

「あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁」芭蕉

「あら何ともなや」は、能『船弁慶』の前シテ、静の言葉です。

 義経は、兄頼朝から疑いをかけられ、弁慶たちと共に都を出、攝津国大物浦から西国へ落ちようとします。静御前(シテ)も、義経を慕ってついて来ます。弁慶(ワキ)は、都へ留まるようにと、義経の言葉を静に伝えます。

ワキ「さん候我が君の御諚には。波濤をしのぎ伴われん事。人口しかるべからず候あいだ。まずまず静は都へ御帰りあれとの御事にて候。

シテ「これは思いの外なる仰せかな。いずくまでも御供とこそ思いしに。頼みても頼み少なきは.人の心なり。あら何ともなや候。

芭蕉は、ここからの文句を借りてきて、河豚汁を食べたが何ともなかった、という句をしたてあげたのですね(^.^)

 

有名なもう一句。

「面白うてやがて悲しき鵜舟かな」芭蕉

確かに今でも、華やかな鵜飼が終わってみれば、さっきまでの喧騒が幻のような感覚がすると同時に、えもいわれぬ物悲しさを覚えます。

しかし、能『鵜飼』を見れば、この句の解釈は変わります。この能は、鵜舟を使って禁漁を犯し、それが発覚して殺された老漁師の物語なのです。老人は、夜漁に出て、面白いように魚を捕まえることができました。しかし、その後、悲惨な運命がまっていたのです。

 

江戸時代の俳人にとって、能の素養は必須のものであったようです。

今の私たちも、能、謡曲に親しめば、江戸時代の俳句をより深く理解できるようになると思います(^.^)

 

 

 

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能楽資料32-1 佐成謙太郎『謡曲大観』首巻(上)

2021年06月12日 | 能楽ー資料

謡曲解説書、佐成謙太郎『謡曲大観』全7巻です。

佐成謙太郎『謡曲大観』首巻、第一~第五巻、別巻、明治書院、昭和5,6年(再版、昭和29年)

首巻と第一巻から第五巻、そして別巻、全7巻の大著です。

総頁は4000以上、重さを計ってみたところ、合計8㎏弱ありました(^^;

大部であるだけでなく、内容も非常に充実しています。

首巻は、謡曲全体についての解説です。第一巻から第五巻までは、現行全謡曲、235番について解説しています。別巻は、蘭曲曲舞集と謡曲語句総覧です。

これまで色々な謡曲解説書が世に出ましたし、これからも出されるでしょう。しかし、『謡曲大観』を越える著作はあらわれないと思います。この7冊は、謡曲 を学ぶ人や能楽愛好家、必携の書です。

全部を網羅することはできませんが、なるべく全体像が分かるよう、数回に分けて紹介したいと思います。

今回は、首巻の前半です。

 

 

首巻の内容は、大きく分けて3つ、能楽畫譜、能楽総説、謡曲細説、です。

今回は、そのうちの能楽畫譜です。

能面、能装束、能小道具、能作物などを、カラーイラストで60頁ほどにわたって紹介しています。その中には、狂言面や狂言装束も含まれています。

イラストの一部を示します。

馴染みの能面だけでなく、異形面も種々載っています。

 

能装束:着附

袴類

 

烏帽子・冠

 

頭・髪

 

天冠・輪冠

 

扇・團扇等

 

能作物

 

最初の写真にある『謡曲大観』全7巻のうち、首巻と別巻は昭和6年の物、第一巻から第五巻までは、昭和29年再版の物です。少しずつ揃えました(^.^)

首巻の版(昭和6年発行)の奥附に、非売品とあります。これだけの大著を、関係者だけに配布したのでしょうか。いずれにしろ、『謡曲大観』を最初の版で揃えるのは非常に困難です。戦後、多くの人が『謡曲大観』を欲したのでょう。昭和29年にほぼ同じ形で発行されました。

明治書院では、『謡曲大観』の版を2部作製し、戦時中は疎開させていたとのことです。先を読んでいたのでしょうか。それを用い、わずかに修正を加えて、戦後版の『謡曲大観』が出版されました。

老舗出版社の英断のおかげで、今、私たちは、『謡曲大観』を手にすることができます。

 

 

 

 

 

 

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美濃窯 鉄釉野立面取花瓶

2021年06月10日 | 古陶磁ー全般

昨日、Dr.Kさんが、伊万里の初期の物と思われる野香炉をブログアップされました。

ウチにも香炉はいっぱいあるのですが、屋外の物(墓場用)となると・・・・・そうそう、お墓の花生けがあったはず、とあちこちさがし回ったあげく、雑花器(^^; )ばかりが入っている段ボール箱の中に隠れているのをひっぱり出しました(^.^)

口径 3.4㎝、底径 4.8㎝、高 22.1㎝。江戸前ー中期。

じつはこの品、私にしては珍しく高額の物を買ったときに、骨董屋がオマケにくれた物です。

主人曰く、「お墓で香をたく物で、けっこう時代があるよ」。

でも香に使うにしては、どう見ても細長すぎます。やはり、入れるのは花でしょう。

 

胴には、鋭い面取りがなされています。

いかにも美濃物らしい糸切り底。

 

この品が、本当に墓の花生け用なのかどうかは不明です。下部の鉄釉が掛かっていない部分を土に埋めて使うのかも知れません。

 

そんな雑器なのですが、一応美濃物ですから、例によって欲目で眺めてみると・・・・

面取りで生じた曲線は、なかなかのフォルムです。

 

内側は底まで鉄釉が掛かっているのですが、口縁付近の内と外には、

黒化した鉄釉の流れが、微妙な味をだしています。

 

茶ごころのある人がとり上げれば、化けるかもしれませんね(^.^)

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不明の白磁皿

2021年06月08日 | 古陶磁ー中国

いつものように、Dr.Kさんのすばらしいコレクション(柿右衛門陽刻白磁皿の名品)に誘われ、故玩館のガラクタの中から拾い出したのが今回の品です(^^;

径 16.4㎝、高台径 8.7㎝、高3.4 ㎝。時代、産地不明(明末?)。

 

表側は、陽刻も何もないノッペラボー。しいて言えば、一本のニュウとそれに続くジカンの林(^^;  それから、鉄分が噴き出した小さな黒点が数個(写真でははっきりと見えません)。

 

それに較べれば、裏は少しにぎやか(^.^)

呉須で書かれた不明の銘と巨大なトリアシ。

また、あちこちに釉剥げがあります。

これを見ると、かなり厚く白釉が掛けられているようです。

これだけトロリとエンゴーベした皿は、日本ではあまりお目にかかれないので、中国の皿でしょうか。

よーく目を凝らしてみると、かすかに放射状カンナ削りの跡が見えます(白く写っている蛍光灯の右横)。

やはり、中国、明末位とするのが妥当な皿ですね(^.^)

 

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