遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能楽資料31 野上豊一郎『謠曲全集』

2021年06月07日 | 能楽ー資料

野上豊一郎『謠曲全集』全6巻です。

野上豊一郎『解註 謠曲全集』中央公論社、昭和10ー11年。470-580頁。

 

しっかりとしたケースですが、第ニ巻、上下が逆です(^^;

 

本体はさらにしっかりとした造りです。表紙は、華麗な模様の布張り。

第一巻を開くと、

これまで紹介した本と同じように、まず、謡曲全般の解説がなされています(序)。

そして、その後、ずーっと最後の第六巻まで、各謡曲の説明がなされています。

 

一般に、謡曲解説書では序の部分が大切ですが、割かれているページは、第一巻470頁のうちの57頁にすぎず、決して多いとはいえません。

 

この本の一つの特徴は、謡曲を脇能、修羅物、鬘物、雑物、切能物に分類し、それに従って巻を編んでいることです。これは、古くからある能の分類、神・男・女・狂・鬼に準じた分類で、現在一般に用いられています。簡単な分類ですが、それぞれの能の特色がわかります。この分類を意識すれば、謡いの理解もすすみます。

 

また、これまで紹介した本と同様、能の作者について書かれています。

 

最後に、能の登場人物、音楽、舞い、装束などについて、簡単な説明があります。

このように、『謠曲全集』の特徴は、能楽を意識して、謡いの解説を行っていることです。能の台本である謡いを理解し、習得するためには、能についての知識が必要であるからです。

では、謡曲の解註はどのようになされているか、第四巻の『鉢木』を例に見てみます。

まず、この能の登場人物、西明寺殿(ワキ)、常世(シテ)、妻(シテツレ)と盆栽の作り物が描かれています(能画家、松野奏風)。

『そして、能『鉢木』の種別、作者、主題、出典、構成、時所、配役、作り物、流派、特殊演出などについて、簡単な説明がなされます。

 

謡いの本文の下欄には、難解な語句の解釈や場面の説明がなされています。なお、語句の解釈は、以前に紹介した江戸時代の謠解説書、『謠抄』『謡曲拾葉抄』からとったものが多いようです。

問題の徳川に忖度した部分はどうかというと・・・

「・・・松はもとより煙にて、薪となるも理や・切りくべて今ぞ・・・」となっていて、オリジナルの章句が載っています。

この点について、下欄の注では、「徳川氏の本姓(松平)」に憚って旧幕時代に「煙」を「常盤」と改めたのを下掛諸流はまた昔に返した。」と書かれています。

だから、観世流や宝生流ではなく、金春流の『鉢木』を出したのですね。尤も、伝統を重んじる金春流では、江戸時代も変更せずにオリジナルで通したと言われています。それに、この本が出された当時は、観世流でも元へ戻そうとする動きが急でしたから。

 

この『解註 謠曲全集』は、目をみはるような新しい試みや著者の強い主張がなされている訳ではありませんが、謡いと能について、簡便に知ることができる本です。何よりも、現行曲のほとんどすべて、240番もの謡いについて、簡潔にまとめた全集は貴重です。

画家による挿絵も含めて、この本のスタイルは、現行の謡本と基本的には一緒です。もちろんこれは著者一人によってなされたのではなく、明治以来、多くの試みがなされ、次第に謡本の形態が整ってきた結果です。

野上豊一郎(1883‐1950(明治16‐昭和25))は、英文学者、能楽研究家。夏目漱石の弟子。英文学から能楽研究に入り、能楽関係著書多数。後に、法政大学総長。功績を記念して設立された法政大学能楽研究所は、現在、日本の能楽研究の中心機関。小説家、野上弥生子は夫人。

 

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能楽資料30 大和田健樹『謡曲評釋』

2021年06月05日 | 能楽ー資料

明治時代に発行された謡曲解説本『謡曲評釋』です。

大和田健樹『謡曲評釋』壱輯‐九輯、博文館、明治40-41年。

 

背表紙は虫に喰われていますが・・・

 

表紙と中味は、健在です(^.^)

 

壱輯‐九輯まで、全部で9冊あるのですが、一冊目の壱輯が、第一巻と第二巻を含み、変則的です。

第一巻では、謡曲の総論、

第二巻では、「岩船」以下、22番の謡曲を評釋しています。

弐輯から九輯まだは、それぞれが一巻ずつ、第三巻から第十巻まで、すべて謡曲の評釋が書かれています。

つまりこの本は、壱輯‐九輯まで9冊なのですが、巻としては、第一巻から第十巻まで揃っていることになります(^.^)

 

一冊目の壱輯をみてみます。

まず目につくのは、第一巻総説其三で、謡いを作者別に整理していることです。

これって、どこかで見たような・・・・・・

そうです。先々回のブログで紹介した、江戸前期の謡解説本、加藤磐斎『謡増抄』と同じパターンです。

さらに、謡曲を構成する次第、サシ、クリ、クセなどの特徴や謡い方などを解説しています。

続いて、序の舞、中の舞など、能の舞いについても説明しています。これらは、舞いなので、謡いとは直接関係はないのですが、本当に謡いを極めようとすると、舞いについての理解は欠かせません。

このように、著者は、謡いを学ぶときに必要な知識をなるべく広く読者に提供しようとしていたことがわかります。

 

一方では、こんな事も。

其十一題目の異同では、能の題目が、昔と今とでどのように異なるか、列挙しています。たとえば、高砂はかつては相生、蝉丸は逆髪、卒塔婆小町は小町物狂、春日龍神は明恵上人などとよばれていたのだそうです。

著者によれば、能が出来始めたころは一定の題目はなく、人々が適当な名で呼ばれていました。そのうち、語呂の良い物にだんだんと統一されてきたそうです。

能の題目については、流派によって呼び方が違うものや思わず首をひねらざるをえないものがありますが、成り立ちを考えると肯けます。

 

『謡曲評釋』の第二巻以降は、すべて謡いの評釈です。

このうち、「鉢木」について簡単に紹介します。

謡曲の本文がずっと書かれていますが、その上欄に、語句の説明や解釈が書かれています。このスタイルは、以降の謡曲本の先駆けといって良いでしょう。 

注目すべきは、下のページ、いわゆる「薪の段」といわれ、小謡いに取り上げられることの多い章句です。

「捨人の為めの鉢の木。切るとてもよしや惜しからじと。・・・・・・・・・・・松はもとより煙にて。薪となるもことわりや。切りくべて今ぞ御垣守。衛士の焚く火はお為なり。よくよくあたり給へや。」

大雪の中で一夜の宿を求めてきた旅僧(北条時頼)に対し、落ちぶれた極貧の下級武士、佐野常世が、大切にしてきた梅松桜の盆栽を燃やして暖をとり、もてなす場面です。

江戸時代、徳川、松平を忖度して、「松はもとより煙にて。薪となるもことわりや。」の部分が、「松はもとより常盤にて。薪となるは梅桜。」と変更されました。これは、その後もずっと続き、実質的には戦後になって元へ戻されたにすぎません。宝生流では現在も江戸時代のままです。

ところが、この本では、「鉢の木」の本文に、「松はもとより常盤にて。薪となるは梅桜。」と、本来の章句を書いています。

また、上欄の説明では・・・・

変更された章句では、構文が成り立たないと、変更の誤りを指摘しています。

このように、当時、心ある人々の中では話に上っていたと思われる能楽界の汚点を、著書の中で指摘し、正すのは相当勇気のいることだったでしょう。

さらにこの著者の特別な観点が、最期の九輯にみられます。

索引に続いて、附録があります。

曲舞(クセマイ)集です。

曲舞とは、蘭曲ともいい、現在は上演されない番外曲や廃曲のうちの聞かせどころを集めたものです。世阿弥によれば、最高の芸位に達し、自由な境地を 闌(た)けた位で謡われる謡いです。つきなみな名人では、歯が立たない曲ですから、とても素人向けではありません。

さらに、曲舞集の後には、豊公謡曲が載っています。これは、豊臣秀吉が作らせた新曲で、秀吉自身が演じたと言われています。

明智討、柴田、北条、高野参詣、芳野花見。

もちろん現在は伝わっていないので、復曲には、節付けや演出を新たにせねばなりません。

附録ではありますが、なぜ、蘭曲や豊公謡曲のようなマニアックな謡いを載せたのか、著者に聞いてみたい気がします(^^;

 

『謡曲評釋』は、大冊『謡曲通解』(明治25年ごろ)を大改訂して、九分冊にした本です。著者は、他に、『謡曲文悴』、『謠と能』などの能関係の著作があります。

このように、明治にかなり大胆な大作を著した大和田健樹とはどのような人物なのでしょうか。

大和田健樹(おおわだ たけき、安政4年4月29日(1857年5月22日) - 明治43年(1910年)10月1日)とは、日本の詩人、作詞家、国文学者。東京高等師範学校(現・筑波大学)教授。「鉄道唱歌」「故郷の空」「青葉の笛」などの作詞者として知られている。(Wikipediaより)。

何と、彼は能関係の人ではないのです。唱歌の作詞者として有名で、数多くの歌詞をつくっています。

あのスコットランド民謡『故郷の空』が代表作。

「夕空晴れて秋風吹き
 月影落ちて鈴虫鳴く
 思へば遠し故郷の空
 ああ、我が父母いかにおはす」

国学や和歌を学んだとはいえ、『謡曲評釋』との落差は大きいです(^^;

マルチタレントの在り処を探ってみたい明治人が、また一人増えました(^.^)

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能楽資料29 『謡曲辞海』

2021年06月03日 | 能楽ー資料

明治に入ってから刊行された謡曲解説本『謡曲辞海』です。

江島伊兵衛『謡曲辞海』(上、下)、明治32年。上72丁、下56丁。

 

序に続いて、それぞれの謡について、字句の説明がなされています。

高砂から始まります。

5頁程を費やして、かなり詳しく解説しています。

ところが、解説はだんだんと短くなり・・・・・

下巻では、各謡いについて、2頁ほどになっています。

その結果、この本、上下2冊で、100番以上の謡いについて、字句の解説がなされています。

先回の紹介した『謡増抄』が、謡い一番につき一冊であったことからすると、非常に大きな違いです。

著者、江島伊兵衛は、能楽の研究家であると同時に、後に能楽系出版社、わんや書店を設立した出版人でもあります。

江戸幕府が倒れ、武士の時代が終わって、消滅しかかってい能楽が再び興隆してきた時期に、多くの書籍を発行して、能楽を支えました。

『謡曲辞海』は、多数の謡いのそれぞれの難解な語句を簡単に解説した小型本です。これまで紹介してきた江戸時代の類似書のように、時代を画す大きな意味をもっているわけではありません。内容もそれほど充実してはいません。一方、ハンディなこの本は、手軽に扱えます。

彼は、明治という新しい時代の能楽には、多くの人が手にできるような解説本が必要ではないかと考えたのではないでしょうか。出版人のセンスですね。

なお、奥付にある、京都便利店 檜常之助は、現在の能楽専門店、檜書店です。檜書店が主に観世流の書籍を、わんや書店は宝生流の書籍を扱うようになり、現在に至っています。そのような分化がまだなされていない頃、このような本が出されたのも興味深いです。

序文の最後から2つ目に、「一 この書 素より一家一流の為めにせし物にあらず故に流派を問ハず必用のものとす」とあります(写真3枚目)

能が再興していく時の息吹が感じられるますね。

 

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能楽資料29 『謡曲辞海』

2021年06月03日 | 能楽ー資料

明治に入ってから刊行された謡曲解説本『謡曲辞海』です。

江島伊兵衛『謡曲辞海』(上、下)、明治32年。上72丁、下56丁。

 

序に続いて、それぞれの謡について、字句の説明がなされています。

高砂から始まります。

5頁程を費やして、かなり詳しく解説しています。

ところが、解説はだんだんと短くなり・・・・・

下巻では、各謡いについて、2頁ほどになっています。

その結果、この本、上下に冊で、110番ほどの謡いについて、字句の解説を行っています。

先回の紹介した『謡増抄』が、謡い一番につき一冊であったことからすると、非常に大きな違いです。

著者、江島伊兵衛は、能楽の研究家であると同時に、後に能楽系出版社、わんや書店を設立した出版人でもあります。

江戸幕府が倒れ、武士の時代が終わって、消滅しかかってい能楽が再び興隆してきた時期に、多くの書籍を発行して、能楽を支えました。

『謡曲辞海』は、多数の謡いのそれぞれの難解な語句を簡単に解説した小型本です。江戸時代の類似書のように、時代を画す大きな意味をもっているわけではありません。内容もそれほど充実してはいません。一方、ハンディなこの本は、手軽に扱えます。

彼は、明治という新しい時代の能楽には、多くの人が手にできるような解説本が必要ではないかと考えたのではないでしょうか。出版人のセンスですね。

なお、奥付にある、京都便利店 檜常之助は、現在の能楽専門店、檜書店です。檜書店が主に観世流の書籍を、わんや書店は宝生流の書籍を扱うようになり、現在に至っています。そのような分化がまだなされていない頃、このような本が出されたのも興味深いです。

序文の最後から2つ目に、「一 この書 素より一家一流の為めにせし物にあらず故に流派を問ハず必用のものとす」とあります(写真3枚目)

能が再興していく時の息吹が感じられるます。

 

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能楽資料28 稀覯本『諷増抄』(うたいぞうしょう)

2021年06月01日 | 能楽ー資料

しばらく工芸品の紹介が続きましたので、紙物に移ります。

能関係の物の整理がもう待った無し(^^;

今回は、江戸時代の謡い(能)の解説本、『諷増抄』(うたいぞうしょう)です。

加藤磐斎『謡増抄』寛文元年(1661年)

一から十巻までの10冊です。

本来は12巻ですが、十一、十二巻が欠けています。

実は、加藤磐斎『謡増抄』は、かなりの稀覯本です。

ネットで調べた限り、全巻そろっているのは、伊達文庫(宮城県図書館)のみです。原本の一部を所蔵している図書館も、数館しかありません。所蔵品のほとんどは、国会図書館も含め、近年の復刻本(新典社, 1985.1)です。

 

本の程度は、虫食いもなく比較的良好です。

『謡増抄』12巻は、15番の謡い(能)を、次の順に扱っています。

「高砂」「盛久」「江口」「大原御幸」「あこぎ」「養老」「頼政」「軒端梅」「百万」「自然居士」「老松」「通盛」「千手重衡」「二人静」「殺生石」

今回の品は、「千手重衡」「二人静」「殺生石」を除いた12番です。

 

最初の巻では、謡い全般について記述しています。

「謡増抄大意味」と「能作者付」です。

表紙の内側に、元の所蔵者が各巻の内訳を書き込んでいます。合十二冊と書かれていますから、当初は全巻揃っていたのですね(^^;

序文に、寛文元年八月上旬とあります。

最後の十二巻がないので、刊行年がわかりません。が、伊達文庫本も、寛文元年成立となっているので、刊行年は元々記されていないようです。

 

     諷増抄大意
それうたひのおこりハ。神楽催馬楽の。うたひ物
より出来たるなるべし。神楽は神代にはじ
まれり。うたひハ武家の世となりてはじまれ
り。神代の舞は天猿女にはじまり。諷の舞ハ
申楽なり
盤斎自注に云。うたひとハ。口にて聲にいだし
てうたふ故に云也。詠哥とある詠の字も。言を
永するを詠といへば同し心也。韻もうたふを
詠と云也。文字にハ。諷字をかけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このように、『謡増抄』では、まず一巻の最初に、「諷増抄大意」で、謡いの成り立ちについて、数多くの典籍を引用しながら非常に詳しく述べ、一巻の大半をこれについやしています。

これは、著者が、和歌や俳句も嗜む国学者であったからでしょう。

加藤 磐斎(かとうばんさい):寛永2年(1625)ー延宝2年(1674)。江戸時代前期の国学者、歌人、俳人。

 

一巻の最後に、当時の能を能作者別に分類しています。

世阿弥作:

観世小次郎、観世弥次郎作:

金春善竹、金春善鳳、宮増、三条西殿作:

作者不分明:

このように能の番組を、作者別に分類することは、当時としてはかなり新しい試みだったと思います。その中には、現行曲にないものも多く含まれ、能楽資料としても意味があります。学者としての磐斎ならではの記述です。

では、加藤磐斎の『謡増抄』は、謡いの注釈書として、どのような特徴をもっているのでしょうか。

十巻『老松』を例にして見てみます。

          老松
増抄云。木の精かたちをあらはしこたへる
ことをいひて。天神の威光をしらせたり。老
松のことを本として作たる諷成へし。草木ハ
非情のものにて。心のなきといひならハせる
故に。松梅の神となることを不審する人有
尤さることわりなり。ここハ神道ハ。陰陽不
測のことなれバ。草木も神とならてハ。かなハぬ
なり。神代にハ草木もよく物いふとあり・
仏法にも。小乗にハ木石無心とたつるなり。
大乗にハ木成仏とたてゝあれハ 。木も神
となる心のなきにあるへからず

一 げにおさまれる四方の国々関の戸さゝてか
よハん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ~ 以下、詩句、語句の解説 ~
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

能『老松』
 都の者が菅原道真の菩提寺、筑紫の安楽寺に紅梅殿という梅と老松という松を訪ねる。来かかった老人と男が梅と松の徳を物語るうちに姿を消し、夜に入り老松の精が神々しく〈真ノ序ノ舞〉を舞い、御代を寿ぐ。(能楽協会、能楽辞典より)

 

『老松』は、菅原道真にちなんだ飛梅と老松の伝説に題をとった能です。脇能ですから、これといったストーリーはないのですが、この能のポイントは、主人公の老人と男(若者)が、実は、松と梅の精であったというところにあります。
盤斎によれば、草木に心がないというのは誤りで、神道や仏教では、木にも精があり、神になりうる心をもっていると説いているのです。
そして、以降、『老松』の章句についての解説を、詳細に展開していきます。

このように、まず最初に、それぞれの謡いの謂れを述べ、それから章句の解説を展開するやり方は、現在、一般的に行われている方法です。


先に、豊臣秀次の命によって成った日本初の謡い解説書『謡抄』をブログで紹介しました。また、謡曲という言葉を最初に用いた、江戸中期(明和9年)に出された『謡曲拾葉抄』についても紹介しました。両者の刊行の間には、150年以上の間隔があります。
『謡抄』は、謡いの語句の解説が主です。一方、『謡曲拾葉抄』では、まず、その謡いの概説を行い、それから個々の章句の解説をしています。このスタイルは、『諷増抄』と同じです。


あまり知られてはいませんが、『諷増抄』は、『謡抄』発行の後、半世紀ほど経ってから刊行されました。さらに、その一世紀後、『謡曲拾葉抄』が刊行されたのです。

つまり、『諷増抄』は、謡解説本の形態を整え、発展させる役割を果たしたのです。また、『諷増抄』では、謡いの語句の説明よりも、詩句の解説に重点を置き、謡いが表現する情景や意味を深く理解できるようにしています。これは、加藤磐斎が歌人学者であったからでしょう。

このように、『諷増抄』は謡解説本として画期的な意味をもっているにもかかわらず、『謡抄』と『謡曲拾葉抄』の陰にかくれてそれほど注目されてきませんでした。その理由は、発行部数の少なさだけでなく、扱われている謡いがわずか15番にすぎなかったことにもよるでしょう。
実は、磐齋は、『諷増抄』の続編を準備していたらしいのです。もし、それが世に出ていれば、江戸の謡曲愛好者の必読書となったに違いありません。

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