4CATS

この平穏退屈な日々にもそれなりに感動って在るもの。

福岡二日目

2010-03-21 21:59:48 | 旅行記
ホテルでの朝食、それって私にとって一番至福の時なんです。

なのに、なのに、全然、全然ままならない。

その原因は、そう、うちのやんちゃ坊主君(一歳4ヶ月)
一秒たりとも席でじっとしてくれる気はないらしく、結局てんやわんやで何とか少しは食べさせた後は、夫婦交替で一人ずつ食べました。

こうなってくると、なんだかんだ慌しくて、あんまり食べた気がしないのが残念です。
せっかくステキな朝食なのにね。(ビュッフェ形式ですが、注文に応じて作ってくれるオムレツが美味しかった朝食をランチに変更することが出来るのも◎)


二日目、夫のお父さんと弟さんがホテルに会いに来てくれました。

夫が帰省したのは覚えてる限り8年ぶり。(正確にはいつが最後か忘れてしまったみたい)
そりゃあ積もる話もあるだろうと、親孝行もしたかろうと、ホテル内の鉄板焼きの店でランチをしました。その際、私と子供は遠慮しました。行っても、朝食のようなことになるに決まってるので、その間、二人で海浜公園でランチして(これがまた地獄のランチで3分くらいで食べることになった)遊びました。

夫たちがランチ終了して、ラウンジで焼酎飲んで夢中でおしゃべりしてるところに合流。
部屋で寛ぎました。

私とお義父さんと弟さんとはなんと今日が初顔合わせ。とはいえ、気張ったところもなく、なんかもう既によく知っている人のようにお互い普通に話したりして過ごしました。

途中、子供がぐずったので、私は抱っこひもでホテルの敷地内の芝生や海辺をブラブラ。
まもなく眠った子供と共に海辺のベンチで一人。こんな時もIPHONEがあれば退屈知らず。夕暮れ時の海辺を満喫しました。

夜、駅まで送りに行った際、夫大号泣。お父さんも、弟さんもつられて泣き、見ていた私も涙せずにいられませんでした。
ホテルのある海の中道駅は、無人駅で、カンカンカンカンという踏み切りの音が自然とお別れの合図となります。こんなシチュエーションでは、ああいった踏み切りの音は効果抜群。一層涙をそそりました。

ホテル ルイガンズ

2010-03-21 21:32:20 | 旅行記
福岡ですが、ホテルは全室オーシャンビューというホテル ルイガンズに宿泊しました。

HPを見てて、かなりステキっぽいとは思いましたが、実際本当にステキでした。

到着した夜は土曜日で、花火が打ちあがるかもと書いてあったのですが、着いたのが8時過ぎてたので、もう上がっちゃったかな?と期待せずにいたら、9時頃、急に目の前にドドーンパラパラ。


もう、、、めちゃくちゃ感激。本当に目の前に特大の花火がドドーン。
キレイだし、快適だしでもう言うことなし。

スタンダードの部屋だったけど、部屋は広いし、目の前に海が広がり、その向こうには対岸の明かりがきらきら瞬き、真下はホテルのプールが煌き、最高にロマンチックでした。

行ったことないけど、まるで気分はハワイまたはドバイ?な感じ。

ホテルは福岡市内からは若干離れているものの、(中心部から電車で40分程。)海の中道駅からは歩いて3分程で、その駅前に超超巨大な海の中道海浜公園、マリンワールドがあり、ホテルの敷地内と敷地外も広大な芝生が広がり、もちろん目の前は海で、観光フェリーなんかも出てたり、何面あるんだ?っていうようなテニスコートもあったり、なので子供連れが多く泊まってました。
結婚式もやってるとこ見たけど、ステキだった~ここでなら、挙げてみたいかもと思わせた。


なので、今度はぜひ夏に来たいな。ステキなプールもあるしね

能古島で

2010-03-21 13:37:02 | 旅行記
先週の土曜日から火曜まで4日間、夫の故郷である福岡に帰ってました。

子連れ旅行は去年の箱根以来、本格的なのは初めて。飛行機の中で果たしてうちの暴れん坊が大人しくしていられるか不安でもありましたが、いざ出発。

国内線だから、と甘く見てた私が悪かった。
機内持ち込み不可のベビーカーを事前に預けることさえ出来ず、定刻5分前に乗り込み、ほっと胸を撫で下ろす間もなく、到着まで格闘すること2時間。ほんとに全部を甘く見すぎてた私が悪かった。オモチャもろくに用意せず、お腹も減り、眠気もあったはずの息子。でも未知の場所で興奮しっぱなしではしゃぎまくり。だけど、眠気が我慢できなくなってたのと、着陸の耳の痛みが一緒になって、着陸までのおよそ15分を火がついたような大泣きで過ごし、(周りの方、本当にすみませんでした。)もう私たち親はここまでで、どっと疲れてしまいました。


到着後に夫の家族に連絡した後で、この日は天気が良かったので、福岡に行くならぜひ行ってみたかった能古島へ。(今話題ですね・・)

能古島は、福岡の姪浜という渡船場からフェリーで10分。
そこは、大好きな作家 檀一雄が晩年を過ごした場所でもあります。

フェリーから降りると、何とも長閑な島の風景。
とりあえず周りをウロウロしてるうち、子供がベビーカーで寝てしまったので、渡船場内の小さな売店兼飲食店でサザエ丼と、夫お薦めのマルテンうどん(福岡では定番の薩摩揚げがのってるあっさりしたうどん。美味)を食べました。

島は現在菜の花が見頃らしく、他の観光客は菜の花畑が見れる能古島アイランドパークへバスで移動。
私たちは、菜の花も見たいけど、もっと見たかった檀一雄旧家へ。
地図を見ながら徒歩で。渡船場からは歩いて10分くらいでしょう。途中迷って(地図にもはっきり示してはいないので)商店の人に尋ねると、今はもう家は取り壊され、新しい家が建って、歌碑だけが残されているとのこと。教えられた道を行くも、やはりわからず、諦めて引き返そうとしたところに、自転車に乗ったおじさんが通りかかり、夫が咄嗟にその人に尋ねました。
おじさんは自転車を止め、「家はもうないけど、歌碑ならあるよ。そこ上ってったとこ。」
と教えてくれました。するとそれは、私たちが引き返した地点からほんの50メートル程先。跡地に新しく建ったという家は既にそこまで見えてました。

「諦めなくてよかったね」
などと言いながら、坂を上ります。さっきのおじさんは電動自転車なのかスイスイ坂道を上っていきます。見ていると、おじさん、跡地に建った家の敷地に入っていきました。
??と思いながらその家の表札を見ると、アルファベットでDANとあり、私はそこで全てを理解。

なんとそのおじさんは、他ならぬ檀一雄の長男の檀太郎さんでした。

新しい家が建ったと聞き、てっきり、関係ない他人がその土地を買って家を建てたとばかり思っていました。考えてみれば、そうですよね。ちなみにその家、見晴らしのいい高台に建っている為、帰りのフェリーからずっと屋根が見えて、何となく切なくなりましたよ。(そのことは、沢木耕太郎著の“檀”にも書いてあります)

私たちはその家の裏手にある歌碑の前で写真を撮り、うちの息子(名前を檀といいます)が全てを呼んだのかな~なんて勝手に感動しつつ、そこをあとにしました。

さて、檀の旅はまだ続きます。
続いては、檀一雄が最期に詠んだ詩の印してある石碑へ。(こっちは地図にちゃんと載ってます)果たして、そこにベビーカーを押しての徒歩で行けるか大いに不安ではありましたが、とりあえず出発。誰もいない静かな美しい海岸線を経て、途中途中ある道標を頼りに進んでいきます。自然探索路と名づけられた道に出ると、そこは足元はなんとかコンクリート舗装されているものの、左右は手つかずの自然自然自然が広がっています。

どんな感じかというと、竹藪はよっぽどヒドイ嵐にでもあったのか滅茶苦茶になぎ倒され、落石注意の看板に、実際ごく最近落石があったような跡、それからイノシシ注意の看板もあります。途中誰とも会いません。コンクリート舗装の道も殆ど土にまみれてしまっています。一体どれくらい続くんだろう。本当にこの道でいいんだろうか、と心配になりつつ、かといって、今更引き返すこともできず、とにかく前へ。
昔なら、こんなの何でもなかったのに、子供が出来た今、とても弱気になってしまった自分がいます。もう好き勝手気ままじゃいられないような、これが、守るべきものが出来たという弱みなのでしょうか。檀一雄のことなんて特に好きでも何でもない夫にも感謝です。文句も言わず、私に着いてきてくれる。それから時々開ける絵のように美しい景色にも感謝。霞がかった海に遠くかすんだ山が嘘みたいにそこそこに見えるのです。遠い御伽噺の景色みたい。

あと、IPHONEにも感謝でした。全く居場所がわからない私たちのために、現在地を指し示してくれる地図のアプリケーション、とってもとっても役にたちました。(途中電波が入らない箇所もあったけど)

2時間程歩き、林の中を100メートルくらい入っていったところに遂に石碑を発見しました。
なるほど。それは、本当にステキでスペシャルな場所に建っていました。モガリ笛の詩。モガリ笛とは風のヒュウヒュウいう音だそうで、今回ホテルで夜寝ているときに、これがモガリ笛かな、という独特の海風みたいなヒュウヒュウいう音を何度か聴きました。(雨の強かった昼間にも)この音は、東京では聴いたことがありません。全く独特の音がします。

帰りは、そこからアイランドパーク前にあるバス停まで歩き、バスに乗って帰りました。

能古島、堪能しました。
すごくよかった。
絶対また来る!!




北京旅行記 ※番外編

2008-01-05 17:45:49 | 旅行記
旅行記の他に、まだ言い足りないことがいくつかあるので、追記します。

まずトイレですが、

中国は、トイレが最悪というのはよく耳にしていると思います。私もそうでした。10年くらい前に行った親戚のおばさんも中国のトイレ事情は最低、二度と行きたくないと言って帰ってきました。今回、行く前に私もネットで調べたところ、やっぱり同じようなことが書いてある。

で、今回私が使ってきたトイレは、そうひどいもんではありませんでした。もちろん観光地のトイレ、ツアー客のよく使う一般的レストランだから、それなりにかなり整備されてるのも当たり前。だけど、基本的にトイレには紙がないのが常識。こっちの人は皆持ち歩いてるのかな?もちろんホテルにはあったけど、レストランのトイレでも紙があるほうが珍しい、85%くらいの割合でペーパーホルダーのないトイレでした。あと、下水事情もしくは紙の事情で、使用した紙は流せないので、個室内にあるゴミ箱に捨てるというのは、台湾、韓国と同様。これは最初かなり抵抗があったけど、最後は流せることに軽く抵抗を感じちゃうくらいになったことに自分でも驚き。私はトイレットペーパーを一巻きまるごと持って行ったので大変お役立ちでした。中国に行く際はこうするのがベストです。


一人っ子政策について
中国の政策といえば、この一人っ子政策が有名じゃないでしょうか?
私これ、実は半信半疑でした。実際私が小学生の時転入してきた中国人の女の子の家は3人姉妹だったからです。
一人っ子政策とは日本での呼び方であって、実際は計画生育政策といって、必ずしも一人しか産んではいけないわけではなく、基本的には一人だけど、たとえば少数民族同士の結婚では、二人産んでもいいとか、本当は細かくいろいろ決め事があるらしい。お金を出せば二人目でも戸籍登録できるとか。中国の人口は戸籍に登録してあるだけで13億人。戸籍に登録出来ない黒孩子を含めたらいくらに膨れ上がるんだろうと思うとちょっとおそろしい。
そうそう、北京で犬をあまり見ないなあと思ったら、どうやら犬も戸籍を登録するしなければならないらしく、また税金も一匹につき一年間におよそ2万円かかるそう(登録した最初の年は5万円)、添乗員さんは、3匹飼っているらしく、2匹だけ戸籍登録済みだそう。戸籍がないことを見つかるとまた大変らしい。それから散歩の時間も限られていて夜の10時から朝の7時くらいまでとかなり制限されている。(時間外に散歩させてる人も見かけた気がするが)
それからバイクも同様で、制限がかけられているらしく、北京市内交通渋滞はすごいが、バイクはほぼ見かけなかった。


道路横断について

日本人歩行者はかなり信号を守って渡る。シンガポールも確か信号のないところを渡ると罰金を取られたりする。
ここ中国では、信号あるにはあるんだけど、誰も守らない。そこに交通整理のおじさんも立ってるのに、赤信号、皆で渡れば怖くないばりに、渡る渡る。そこに車がいようが関係ない。そんなだから車側も一切歩行者に遠慮しない。普通、道路を渡ろうとしている歩行者を見たら、けっこう止まってくれて渡らせてくれる国が多い中、北京の車は一切止まらない。歩行者はそのちょっとの合間を縫って半ば命がけで道を渡る。私も今回、地元のカップルの後ろにぴったりついて一緒に渡ったけど、本当に怖かった。スピードをあげて走る車が体のすぐ横をすり抜けていく恐怖。この街にはとてもじゃないけど住めないと思い知らされた瞬間だった。
怖いと思った方、地下通路があるので、そこを渡りましょう!!




もしかしたら次につづく・・・



北京旅行記VOL 4 あっという間の最終回

2008-01-05 16:23:18 | 旅行記
3泊4日は本当あっという間です。今日は早くも北京最終日。

西太后が夏の離宮なんかにして使っていた頤和園へ。
目の前にはまたしても人口の湖。北京では寒さで川も湖も凍ってます。凍ってる川とか湖を初めて見たけど、すごく不思議な感じがした。若草物語のように凍った湖の上でアイススケートしてみたいなあ

頤和園には、世界一長い廊下があって全長約750メートル。湖の前に鮮やかに伸びるその廊下はとても美しい。出来たら全部歩きたかったのですが、ツアーの都合上そうもいきませんでした。


お昼は、飲茶を食べに街の24時間営業の大きなレストランへ。
このレストラン、地元の人でめちゃくちゃ賑わってました。

帰りの飛行機は2時50分。
4日間、大変お世話になった添乗員の王さんとはここでお別れ。
中国のいろいろな話を聞かせてくれ、面倒な客にも嫌な顔ひとつせず対応してた王さん、お別れはやっぱり淋しかった。


私の北京旅行記もここまでとなりますが、北京には絶対また行きたい。というのが正直な感想です。空気が悪くて、3日目からかつてないくらい喉が痛くなってしまったのですが、そんなの関係ねえ中国はまだまだ魅惑の国。もっともっと歴史を勉強して他の都市も廻ってみたいです。



北京旅行記VOL 3 話したいことがいっぱいの3日目、お腹いっぱいでちょっとウンザリ気味!?

2008-01-04 01:07:10 | 旅行記
北京3日目は、いよいよ故宮博物館=紫禁城へ。

映画“ラストエンペラー”を最初に見たのは中学生くらいだっただろうか?内容が全て飲み込めたわけじゃなかったけど、強い衝撃を受けたのを覚えてる。(余談だけど、当時親戚のおばさんが主演のジョンローンに夢中になって何度も映画館に足を運んでいた。これも一種の韓流の走りのようで面白い)
2度目に見たのは5年くらい前。さすがに中身も全て理解出来、溥儀がコオロギを見つけるシーンと、最後過去が坂本龍一の音楽と共にフラッシュバックされるところなんかは、もう胸がいっぱいになって画面が涙で曇ってしまう。

その舞台となった紫禁城。門を潜った時はホントに感激だった。

紫禁城の前にはあの天安門広場がある。百万人収容できる世界一広い広場。幾度も闘争の舞台となった悲しい広場でもある。第2次天安門事件があった時、私は小学生で、ニュースで耳にしたことはあっただろうけど、それこそ何が何だかまるでわかってなかった。今でも天安門事件でいったい何人犠牲になったとか、真実がどうだったかは、中国側は明らかにしていないけど、今はとても平和でただ広いだけのこの広場に一体どれだけの血が流されたかは、想像も及ばない。

その天安門を潜ると紫禁城が広がる。
広大な敷地だ。部屋数は全部で9000くらいあるっていうから気が遠くなる。公開していないところも多く、公開してる部分を全部廻るのも大変だと思う。
残念なことに、今は補修工事中で2005年から始まって2021年頃に終わるらしい。
溥儀が即位式を行い、またコオロギを隠した太和殿も工事の真最中で、ビニールで覆われ屋根しか見れなかったのが非常に残念。

リアルだったのが、溥儀や西太后が暮らしてた部屋。これは、城に対してはやけに小さく、ちょっとお金持ちの人が暮らしてた部屋くらいの規模に思えるのは私だけ?この規模にして、この中身はなんか不思議。でもガラス窓越しに彼らが使っていただろう家具とか見ると、おおおーって全てを目に焼き付けておきたいくらい感動。私は結構、かつて人の暮らしてた匂いがする処を見るのが心底好きなんだと今書いてて思った。


紫禁城を出た後は、景山公園へ。ここは紫禁城の目の前。風水の関係で造られた人口の山だ。中国人はほんとに昔から風水を大切にしているらしく、それによって川を造ったり、こうやって山や湖を造ったりっていうのは、観光していると実によく耳にする。そして、1960年代半ばから約10年間に渡って続いた文化大革命。これによって傷ついた文化財も数多く目にする。時には目に出来ず、話だけ聞く場合もあった。

本当は旅行前に慌てて買った“ワイルドスワン”を全部読んでから行けたらもっとよかったんだけど、読み終わらないまま旅に参加し、帰ってから(本は読み途中)ウィキペディアでいろいろ調べていくうち、この文化大革命や、中華人民共和国の誕生など、ものすごい激動の時代だったんだなあと今更ながら、驚いた。これまでこんなにも知らないでいた自分がちょっと恥ずかしくなってしまった。


とちょっと話が反れたけど、お昼は刀削麺を食べ、午後は胡同へ。
胡同地区では輪タクに乗って、北京の下町風情を楽しむという観光。
私たちを乗せてくれたおじさんは、ひどくボロボロになった毛布を膝にかけてくれ、出発。ガタガタ道に、ペダルの欠けた自転車、キイキイ言いながら、レンガ造りの平屋街をビュンビュン進む。寒いんだけど、おじさんのかけてくれた毛布がやけに暖かい。

ここでは、実際に現在住んでる人の家を家庭訪問させてもらえた。珍しい中庭を囲んで東西南北に家が建つチョウさん一家の家。なんだか申し訳ないくらい、今さっきまで人が寝ていた気配のするような寝室にそのまま入れる。中に入ると想像以上に狭く、またこういった庶民の住む平屋にはトイレやお風呂もない。だから、北京の街では、公衆トイレをたくさん目にする。こういった暮らしの人たちが使うためのトイレだ。

高層ビルは東京よりも多く目にした気がするけど、一方ではこういった平屋もたくさん建ち並ぶ。私たちが泊まったホテルはあんなにゴージャスなのに、一歩通りを入ると、こう。今よく使われている格差とはこうゆうのを言うのだろう。ここに来て何も感じないわけはない。


夜は北京ダックを食べ、その後中国雑技団を見に行った。
安っぽい劇場で、自分用に花の刺繍のきれいなシルクのアクセサリーケースを買った。一万円しか両替しなかったので、結局これが唯一のお土産になった。

雑技団。これもいつか見てみたかったものだったので感動。
サーカスとか、マジックとかそうゆうの見に行ったことがないので、いい機会だと思って行ってヨカッタ。
雑技をするのはまだほんの子供。小さな頃から特訓に特訓を重ねるらしい。ひとつの自転車に十何人で乗ったり、華麗な跳躍での輪潜りなど、はじめ行きたがらなかった弟は、最後一番感動していた。


鑑賞後、ホテルに戻りそれから街へ。ホテルの隣が王府井小吃街もある、とても広い歩行者天国にもなっている。両脇にはデパート。すごくたくさんの人が歩いてて夜遅くまで賑わっている。その王府井小吃街は、屋台が建ち並び、匂いもすごい。(たぶん臭豆腐?)中国では串という文字をよく目にする。どうやら何でも串にさしちゃうみたいで、みみずとかさそりとか、虫系もたくさん串焼きになるらしい。
歩行者天国の終わりの方にツアーの人たちが10元ショップといって騒いでた店を発見。キムラヤ(もう潰れた??)みたいな感じかなあ~?観光客向けであることは確か。ここで10元(約170円)で友達に七宝焼きブレスレットを買う。
それから、そのちょっと先のスーパーで、弟がお酒や、北京キャンディ(ピーナッツ味で、見た目とは裏腹にかなり美味しい)を買って、そこでお金を全て使い果たした。お店の人が5元おまけしてくれたのが、商売にはガツガツしたイメージがあったので、なんだかすごく嬉しかった。

長くなってしまい、すみません、もうちょっとだけ。
この日は最後の夜だったので、またホテルのバーへ行き、北京スリングというオリジナルカクテルを飲んだ。これが青リンゴ味ですごく美味しい。もし、行かれる方、ぜひぜひ飲んでみてください。私もこれ絶対また飲みたい!!!!と北京スリングに酔いしれていると、0時過ぎ、バーを閉店するというので、やけに早いなあと思いながら、まだ飲み終わらないドリンクを持って部屋に戻ろうとすると、ロビーのところに、この時間とは思えないくらいたくさんの人が。不思議なことに髪をセットされてたり、メイクしてもらってる女性がいたり、その横ではソファに埋もれて爆睡してる人もいる。なんだろうと訝りながら、そのままロビーで飲んでたのですが、やっとこんな時間に閉店したわけがわかった。それは撮影だったのでした。


非常に長くなってしまったけど最後まで読んでくれてありがとう。。
書いた自分もすっかり疲れてしまった・・・・

北京旅行記最終日の続きはまた・・










北京旅行記 VOL2 まだまだ言いたいことが的を得ないもどかしい二日目の日記 万里の長城編

2007-12-31 02:14:44 | 旅行記
北京二日目は万里の長城へ行きました。
私たちが行った八達嶺長城は一番一般的で、観光客の多いところ。
市内から車でだいたい1時間ちょっとの距離。途中で来年に控えたオリンピック会場が見えました。通称“鳥の巣”と言われていて、なかなかステキですが、遠くに見えるそれは、北京の空気のせいでより遠く霞んで見えます。

小さい頃から夢に見た憧れの万里の長城。それは全長6352キロにも及ぶ世界最長の世界遺産。八達嶺長城は、男坂と女坂に分かれていて、男の方が急で女の方が緩やかとのこと。どっちから登ろうか迷っていたのも束の間、添乗員さんは迷わず私たちを女坂の方へ引率。登ってすぐの場所で集合写真を撮るためでした。
そこから1時間、自由時間となり早速登頂開始。
さっき女坂の傾斜は、緩やかといいましたが、男坂にいかなかったのでわかりませんが、これが処によっては相当かなり傾斜がキツイ。市内と比べて、2,3度(以上かな?)は気温が低く、バスを降りて寒さに震えていた私の体も登頂30分も経たないうちに汗をかいてきました。観光客も本当に多く、皆あちこちで写真を撮ったり、降りてくる人とすれ違ったり。想像以上に賑わっていました。

とにかく全長6352キロという果てしなさなので、どこかでケリをつけて戻らなければなりません。ましてや1時間だし。私は普段ホントに体力ないのにこうゆう処に来ると嬉しくていつまででも歩けちゃう。疲れを忘れてしまえるので、いつまでもいつまでも歩いていたかったけど、その猶予がなくなってきたので、仕方なく下山。傾斜がキツかった所は、降りる時もちょっと怖い。
そうそう、とても乗ってみたかったのですが、下山用のジェットコースターもありましたよ!!

昔、中国で子供時代を過ごした友達に万里の長城の話を聞いた時は、自分がそこに行くことは夢のまた夢だけど、いつか行ってみたいなあと強烈に思っていたので、今回夢叶えてとても幸せでした。万里の長城から見た景色は、なんか水墨画の世界そのもののよう、殺伐としている感もあり、全体的に茶色っぽく、植わってる木も雪が積もった痕みたいに葉が白っぽくなっていて、とても不思議なところに来たような印象を受けました。これ説明するのがとても難しい。夏に来てたらまた全然違った感想を残すことになるだろうけど、冬は喩えるならちょっとだけTDLのビックサンダーマウンテンのような渇いた感じかな??


昼食後、明の十三陵へ。永楽帝など13人の皇帝の墓があるところです。ここで、展示されている誰か有名な皇后の纏足シューズを見たのですが、本当に小さい。中国といえば、この纏足ばっかりが授業で習った中でずば抜けて印象に残ったまるで無学の私ですが、これほどに小さいものとは思いませんでした。

夕食は、四川料理を頂き、夜はホテルの隣にある巨大なショッピングモール 東方新天地へ。ここはもう日本にどこにでもあるショッピングモールと変わらず(値段も)ちょっと美味しそうなケーキを買って帰りました。(今思い出したけど、一個食べるの忘れて冷蔵庫に置いてきてた

ちょっと長くなりましたが、まだまだ中国について言いたいことが言えてない二日目の日記でした。(もっと感じることいっぱいあったのに、なんかうまく書けないので今日はここまで)次回乞うご期待

※写真の中に私がいますわかるかな?







北京旅行記VOL 1 北京には空がない?!

2007-12-27 00:37:19 | 旅行記
ずっとずっと行ってみたかった中国は北京に行ってきました。

しかも弟とツアーで


飛行機は朝10時35分。なので、6時前起床。この時間ってまだこんなに暗いのね~陽が昇る前にに起きるのってハードだなあ、と生き生きとテレビに映る午前6時のみのもんたを見て、ちょっと尊敬。

朝早い飛行機でちょっと心配だったのは、成田の免税店って何時からやってるの?ってこと。成田の免税店、大好きなんです・・(これ以前にも書いたかしら??)他と比べても、ここはかなり安い気がする。私みたいな庶民は、こうゆうことでもう嬉しかったりする
さて、免税店は既に開いてました。
しかし、開店直後でパワーが漲ってるのか!?どの店員さんもちょっと引くくらい、接客態度が積極的。ちょっと見てるだけ~のつもりなのに、そんなに喋りかけられちゃゆっくり見れないよ
ロキシタンの練り香水セットとか買いたかったんだけど、既に売り切れとのこと残念。

空港で二人で1万円を元に両替して、いざ中国へ。


機内食ではかわいいパンダの顔したシュークリームがでました。そういえば、私的チャイナビってあの番組、ANA提供だもんね!!

飛行機は、滑走路が混んでるとかで結局1時間ちょっと遅れて出発。4時間程度の飛行なので、結局そのまま1時間遅く北京の空港に到着しました。

以前、中国に行った友達から、中国人は皆せっかちで飛行機降りるのも、まだシートベルトサインが消える前から立ち上がって上の荷物取ったりして我先に降りようとするとか、空港に降り立っただけで手がザラザラしてくるから何かと思ったら黄砂の影響だったとか聞いてたからちょっと楽しみにしてたけど、そんなこともなく。

現地添乗員さんは、王さんという中国人女性。とてもきれいで優しい方でした。
ツアーメンバーは40人近い大所帯。
早速バスに乗り込み、天壇公園へと向かいます。

北京、最初の印象はやはり高層ビルが意外なくらい多いこと。やっぱり大都市北京、高層ビルがあって当たり前なんだけど、東京も相当増えてるけど、あっちもかなり林立してました。
そして、言われてた空気ですが、これはホントにホントに白く曇ってる。
ちょっと大げさに言うなら、白いシースルーの布で目の前を覆われてる感じ。
昔、高村光太郎の奥さん智恵子が、
「東京には空がないと言う」と言ったけど、まさに今の北京がそうかな、ちょっと前の東京も同じだったみたいです。そして、ちょっと田舎の方からいけば、今の東京の空でも、そう見えるらしい。

夕食は、東来順というレストランで中国風しゃぶしゃぶ。これは主に羊の肉をしゃぶしゃぶするそうで、胡麻ダレにお好みでパクチーなんか入れてつけて食べます。
鍋の中にはクコの実や何かが少し入ってました。そこにこだわりの薄さに切った肉をしゃぶしゃぶして食べます。美味しかったです!!

その後、レストランから歩いて、ライトアップされた天安門広場を見に行きました。建物の周りにライトがつけられてるんだけど、これがなかなかきれいに見えました。北京は、四国と同じくらいの広さがあるらしく、全体的な規模のでかさをまざまざ感じ、そこがちょっと外国来たなあ~って感じるポイントでした。

私たちが泊まった北京飯店(食事処かと思いきや、中国ではホテルを飯店とか酒店とか言うそうです)は天安門から歩いて5分程。
目の前にそびえる凱旋門みたいに大きなホテルの外観にびっくり。
中に入ってうっとり。
ここは、私が今まで泊まったどのホテルよりもゴージャスなのでした。

つづく・・・・









北欧旅行記 最終話

2007-10-04 01:44:53 | 旅行記
無精者で、時を置いて書いているので流石に記憶もおぼろげになってしまいましたが、北欧旅行最終日の日記を書きます。

旅行も前半はいいのですが、後半になると徐々にその後の現実の世界がパックリ。口を開けて待っているようで、気分も若干滅入り気味。

最終日の朝は、Ohとうとう。という気分で目覚めます。
天気がいいのだけが救い。

最後のゴージャスな朝食を楽しんだ後、昨日タリンに行ったりしてる場合じゃなかったとばかりに、ヘルシンキで行ってない所がたくさんあったことに気づいた私たちは若干焦り気味に出発。


目指すは世界遺産に指定されているスオメンリンナ要塞


ヘルシンキの港から観光船で15分程で到着します。
そこは緑いっぱいの美しい島。
こんなところが要塞??なんてとても信じられないくらいのどかで美しく平和な感じがします。
それがちょっと入ると、この島に不釣合いな無骨で強靭な大砲台。
そのまま中に入ると、大学寮みたいなアパートや、サッカーゴールのある広場、その横に要塞跡が不穏な口を開けている。

この日はものすごく快晴で、外は眩しいくらいなのに、要塞跡に一歩踏み込むと、湿っぽく真っ暗で、何も見えない、防空壕を探検している感じ。ここに子供が迷い込んだらもう2度と出てこれなくなるんじゃないかというくらい怖い。足が竦む思いで、それでも携帯電話のしょぼい明かりを頼りに果敢に進みます。

いくら目が慣れても、見えない。一歩先がどうなってるかもわかりません。
昼間だからいいけど、夜は本当に怖いんだろうなと思いました。(この島で昼間働くのはいいけど、夜はヘルシンキの街に戻りたいです。絶対。)


何より奇妙に感じたのは、やっぱりここの住人の家々の平和さと、要塞の妙でしょう。

ただここが要塞跡地でそれしかなかったなら、また感じ方も違ったでしょうが、この明暗が何とも比べられないここの魅力かなと思いました。

すっかり不思議な要塞に魅了されつつも、タイムアウト。
再び市内に戻ると、ガイドブックなどでもお薦めされている石の教会 テンペリアウキオ教会を大急ぎで目指しますが、見つからず。空港に出発するまでに1時間を切っていたので、必死に探しましたが、地図で見ると惜しいところまで来ているのにどうしても見つかりません・・(この方のブログを読んだらちょっと諦めがつきました、がより一層見たくもなった)と悔しい思いでいっぱいでしたが、飛行機に乗り遅れるのはもっと困るので諦めて、最後まですごい勢いでヘルシンキ中央駅から空港行きのバスに乗り込みました。

さよならヘルシンキ。


お土産を全く買っていなかったので、空港でも大騒ぎ。
結局、木で出来たムーミンとスナフキン。イッタラのワイングラス、マリメッコの小銭入れ、琥珀のネックレスなど買い、フィンランドエアへ。

帰りの飛行機でもかもめ食堂を見て、最後まで余韻に浸り、家路に着きました。


これで私の北欧旅行の話を終わります。
余談ですが、今回のFIGAROは北欧特集ですね







ヘルシンキ二日目 エストニアの首都タリンへ行くの巻

2007-09-22 23:44:25 | 旅行記
ヘルシンキ二日目。
早起きして朝食。私はいつも友達が起きてくるのが待ちきれず、一人で朝食に行きます。一人で過ごす優雅な朝は旅先ならではの楽しみです。

30分後くらいに友達が現れ、二人でその日の行き先等あれこれ。

この日は私が先にホテルを出て、すっかり気に入ったエスプラナディ通りの公園のベンチで大好きな人間ウォッチングでもしようかなと。

その前に、インフォメーションに行って、エストニアの首都タリン行きの船について聞き、再び公園のベンチで友達を待ちます。

この公園はさすがに観光客が多く、真ん中にあるなぜだかスペインのマルガリータ王女の像の前で皆が格好を真似して写真撮ってたり。明日に控えた夏至祭のささやかなモニュメントが飾ってあったり(それが素朴でかわいい)

私たちは10時15分頃、エストニアに出発する高速船のチケットを無事購入し、船に乗り込みました。エストニアまでは一時間半。初めて乗る高速船は快適です。
売店もあるし、免税店もあるし、席は指定と自由とあるけど、自由席のがいろんなタイプの席があって楽しかった。強いて言うなら冷房がきつかったくらいで。

再び、ロングジンを飲みつつ、いざエストニアの首都タリンへ。


タリンへの入国を済ませると、早速世界遺産に指定されている旧市街地へ。
私たちがここに来た目的のひとつはお土産を買うこと。
税金の高いフィンランドとは違って、ぐっと物価も安いらしく、お土産らしいお土産が買えるかなと。期待して最初に見たお店はまるでエストニアのアメ横風。まがいもののムーミンの鍋つかみなんかが売ってる。しかも噂に聞いた通り安くないじゃん

さて、旧市街。これまで数々の旧市街地を見てきた私たちだけど、これまた感動やっぱり旧市街地はいいに決まってる。でもここ、今まで見てきた以上に古くない!?

ここそこに趣ありすぎな建物が並んでいます。人々はロシアを感じさせる雰囲気。(ロシア人はよく知らないけど、喩えて言うなら、なんていうかTATOO風)
テコボコの石畳を歩きながら、もう街並みのステキさにうっとり。まさかまさかのここが今回の旅で一番宣言!?
また、すてきなレストランやカフェが建ち並びすぎていて、どこに入ればいいかひどく迷って、結局一番大きな広場のいかにも観光客向けのトロイカというロシア料理を出す店に入りました。(やっぱりメイン広場だし、ここなら大好きな人間観察もじっくり出来ると思って)

メニューは前菜(生ハムのようなものや肉の脂身部分、ゼリー寄せ等盛り合わせ。正直いってちょっと苦手だった)とシチューのパイ包み焼きを二人でシェア。(パンも付きます。)シチューは美味しかったけど、肉の盛り合わせはちょっと苦手。やっぱり寒い国だし、こうゆう肉の盛り合わせは是非必要なのかなあ、とちょっと二人で話しました。

ところで、ここで面白かったのがウェイトレスの女の子。制服はトロイカ風民族衣装。ところが、人によって、スカートを短くしたりいろいろ工夫している。
スカートを短くしてる子は、TATOOの髪短い子似。愛想もよくてかわいい。
その子は、観光客か仕事か?で来てるいかにも軽薄そうな男になんかメモ渡されてたその男はやめた方がいいよ~と心底思ったけど、その後の彼女、本当に嬉しそうだった

私たちのテーブル担当は変わった子で、無愛想(というかちょっと怖い)オープンなので鳩なんかパン屑にひかれてしきりに寄ってくる。その鳩を私たちの注文取りながら片足で蹴り上げる姿(表情は無表情)なんか勇ましすぎ。
で、勤務中、お腹が空いたのか、私たち客に出すパンをシルバーなんかが置いてある棚に腰掛けて(それはちょうど私たちの真後ろ)食べたりしてた。
海外の飲食店は、日本とは働く姿勢が違うのはわかるけど、これはちょっと面白かった

タリンではお金を換えず、全てカードで対応したため、入場料を必要とする教会なんかには入れなかったけど、なんとか現金両替しなくても観光できました。

最後に、街の中を少し歩いたけど(お土産買いたくて)
物価は別に変わりませんでした。(ZARAなんか日本と同じ価格)
まあ首都だし、当たり前か・・

ということで、17時頃、タリンを跡にしました。
帰りの高速船ではすっかり眠りこけ。(船の揺れって本当にきもちいいんだもん)


その夜は夏至前夜祭。
さぞかし街は盛り上がってる!?と思いきや、
全然そんなことないじゃない・・・・


むしろ閑散としてる!!!


ガイドブックによれば、近くの島では火を燃やして祝ってるらしく、おそらくそこに行けば間違いなかったのでしょう・・

でもその日私たちは、最後の夜としてどうしてもホテルトルニ(塔という意味)の最上階バーで飲むという義務があったのです・・

そこで、行く途中、大通り(といっても夜9時頃、人は殆どいない)のトラム降り場で悲劇は起こりました。

トラムから降りてきた酔っ払いがフラフラになって、デパートのショーウィンドウの下の金属部分に仰向けに倒れ頭を思い切りぶつけました。すごい音。すごい衝撃。仰向けに倒れたきり身じろぎもしない・・・


もしや死んだんじゃ・・


口を大きくあんぐり開けて、周りを見渡すと、この二日間この街で何度も見かけた年若い浮浪者と目が合いました。(彼は時間を持て余しているらしく、始終ヘルシンキの中心地をフラフラしているのです。)あまりのショッキングな事件に救いを求める目をして彼を見ると、彼は面白そうにニヤリと笑って、その仰向けに倒れて動かなくなったおじさんを通り過ぎがてら見下ろして、また私たちの方を振り返り、再びニヤリとしてそのまま過ぎ去ってしまいました。

私たちはどうしたものやら、声をかけてみようかどうしようかとその場でオロオロしているうち、何人もの人々が仰向けに道に倒れているおじさんを横目に過ぎ去っていきます。おそらく現場を見ていたのは私たちと浮浪者だけですが、あんな感じで倒れていても、誰も声をかけないなんて・・フィンランド人って意外に冷たいなあ。

と思っていると、やっと一組のカップルの女性がしゃがみこんで声をかけました。
一緒にいる彼氏の方は嫌そうで、いかにもすぐに立ち去りたそうな素振りでしたが、おじさんはとりあえず生きてました。でもあれだけの音。脳の中で骨折とかしてそうなものです。

とりあえず、それでも一応ほっとしながら、ホテルトルニのバーへ。

螺旋階段を昇っていくとそこは夕日に暮れる景色の中。小さなバーが。
バーテンダーは60才程の女性二人。そうそう、バーに入る前、あまりに酔っ払いすぎたおじいさんが、その女性に「今夜はもう帰りなさい」とばかりに追い出されていました。きっと常連さんなんでしょう、陽気に手を振りながら、無理矢理帰りのエレベーターに押し込められていたのが、ちょっと微笑ましかったです。


それにしても、トルニ。
本当に本当にステキでした。
たぶん、12階程の建物ですが、この辺では高いので、ヘルシンキ中が見渡せます。
本当に美しくて、最後の夜に相応しい感動でいっぱいの幸せ気分になれました。

ヘルシンキに行くなら絶対ここに行ってください!!


ホテルに戻ったのは12時近く。外はいよいよまだ明るい。
この1週間の中でも、一番明るい夜だったと確実に実感できる窓辺です。

明日はいよいよ最終日。
旅行で過ごす時間ってなんて濃密で上等の幸せを手にできるんだろう・・