世田谷美術館で現在開催されている「村山知義展」を拝見し、生育史の中で育まれてきた自分の傾向や意識している考え方に改めて気付かされました。
私の祖父は1900年生まれで、村山知義氏は1901年生まれ。
ほぼ、同じです。
その村山氏の表現してきたプロセスの展覧会は、意外にも自分に通ずるものがあり、驚きと共に安堵感を覚えたのです。
1920年代…。その時代がもたらした文学、演劇、美術、舞踏、思想等が、私自身の体内に宿っていることに気付いて、異質なものではなく深いところで繋がる原型のようなものを感じました。
社会問題、思想を描いた祖父の絵も、洗練され一世を風靡した村山氏には及びませんが、まさしく私の原型と一致したのです。
繋がらないものだと思いながら憧憬を持ち続けていた20代の頃の無意識の中に納められていたものが、この年齢になって段々と繋がるものとして浮き上がってきたのかもしれません。
自分には繋がりの無い人だと思い込んでいた村山氏の仕事に触れることができ、自分のアイデンティティがシャキッとしたような思いになりました。
無事に江戸表具を愛する会も終了いたしました。表具に関わらず、表具を見ながら仕事の話や旅の話や、近況等を互いにお喋りし合う事も出来、とても尊い期間を過ごさせていただきました。
人との繋がりは私の財産です。皆様に感謝しております。
秋の作品展、来年早々の作品展に向けて、また張り切って制作いたします^^/
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私の祖父は1900年生まれで、村山知義氏は1901年生まれ。
ほぼ、同じです。
その村山氏の表現してきたプロセスの展覧会は、意外にも自分に通ずるものがあり、驚きと共に安堵感を覚えたのです。
1920年代…。その時代がもたらした文学、演劇、美術、舞踏、思想等が、私自身の体内に宿っていることに気付いて、異質なものではなく深いところで繋がる原型のようなものを感じました。
社会問題、思想を描いた祖父の絵も、洗練され一世を風靡した村山氏には及びませんが、まさしく私の原型と一致したのです。
繋がらないものだと思いながら憧憬を持ち続けていた20代の頃の無意識の中に納められていたものが、この年齢になって段々と繋がるものとして浮き上がってきたのかもしれません。
自分には繋がりの無い人だと思い込んでいた村山氏の仕事に触れることができ、自分のアイデンティティがシャキッとしたような思いになりました。
無事に江戸表具を愛する会も終了いたしました。表具に関わらず、表具を見ながら仕事の話や旅の話や、近況等を互いにお喋りし合う事も出来、とても尊い期間を過ごさせていただきました。
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