五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

飛び出す言葉の背景

2012年08月16日 | 第2章 五感と体感
昨日はお盆と父の誕生日を合わせ、家族で実家に行きました。

私が仙台土産を渡しながら、「お父さんの学校のキャンパスを歩いてきましたよ」というと、父は60年前の受験した頃の話をし出しました。

ともかく、自分から楽しい話題を提供できない父は、いつも母の憂鬱を誘っています。かといって、それが日常であるので、下手に横から口を出すと、父の傾向が本当に嫌なわけではなさそうで、傍から見ていると夫婦の事は解らん。。。と思う事もシバシバあり、最近は放っているのが現状です。

絵描きであった父から生まれた父は、東京で生まれ、戦争が始まると伊豆の別荘に疎開をします。そこから中学高校を過ごすわけですが、戦後の食糧難で、お米を沢山食べることができる都市へ行きたいと考え、仙台の大学を受験したそうです。
(父が言っていることなので、真意は解りません^^;)
戦後、仙台の大学はアメリカに撤収され、現在のキャンパスは入ることが出来なかったそうです。私の入ったキャンパスは厳密に言うと自分の青春の場所ではない、と父は云い張っていました。

絵描き=お金持ちである、という理由から学生寮に入ることが出来ず、一年間は先輩の伝手でお寺にお世話になり、ようやく入ることができた寮は、バンカラが占拠し大学に7年8年居るのは当たり前、という先輩が数人居座っていたそうです。
先輩達は2階を陣取り、後輩は1階というのが習わしで、時々寮雨が降っていたそうです。

寮雨???

初めて聞いた言葉ですが、なるほど、と、ピンときました。

つまり、用を足しちゃうってことだな、と。(苦笑)

威張っちいの父が、こんなことを思い出して人前で語るのも、長く生きてきたこそかもしれません。

戦災にあった仙台は、大きく区画整理され、そしてその街を大八車を引いて引っ越しする学生さんの姿を垣間見ていた風景も戦後直ぐの仙台の風景だったのかもしれません。

幼児~青春時代、戦争によって大きく影響を受けた両親の生育史を何気なく聞きながらも、それが今現在の会話で飛び出す言葉の背景になっていることを忘れてはならないな、とふと思ったのでした。


若者の行動が若さに溢れているのは当然のことであってほしいと、ふと、思いました。

まぁ、それにしても、相変わらず父の「威張りっちい」は、健在ですが「これも元気な証拠」という解釈ができるようになるまで、私も苦労致しました(苦苦笑)

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