五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

不満だらけの感情

2010年10月16日 | 第2章 五感と体感

         ☆法隆寺☆

何かに怒ってはいても、不平、不満の言語化が上手くできず、結局、まったく関係のない他者とか社会に不平不満を撒き散らしている人に出会うことがあります。

私自身も、自分の今抱いている感情と向きあえず、上手く言語化できないために、まったく違う方向に怒りを撒き散らしてた成育史を経験しています。

「不満だらけの感情」の人に出会ったら、まず何を聴けば良いのでしょう。

「不満だらけ」の傾向にある人は、話をしている相手に対して不満を言い散らしているわけでは無さそうです。
聞いているほうは、あたかも自分が悪者になったかのように、自分が怒りの対象になったかのように思い、萎えていきますが、どうもそうではないのです。

まず、何が不満なのか、ゆっくり聞いてみる必要があります。

ゆっくりとゆっくりと、聞いていくと、不満の奥の奥に隠されていた「本人の感情である不安感」がじわじわとあぶり出されていきます。

それが、一回の会話の機会で可能である場合もあれば、一年かかる場合もあれば、まだまだ時間が必要な場合もあるようです。

もし、何かを解決したいと思ったら、不満人間の話を否定も肯定もせず、まずは聴いてみることが必要なのです。

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思春期の戸惑い

2010年10月15日 | 第2章 五感と体感

          ☆法隆寺☆

生まれてから今日までに至る自分の成育史を客観的に捉える事ができるようになるには、多分一生かかっても難しい事だと思います。

それよりも、「私という一人の人間が私自身のフィルターを通して見て感じている」という事を意識しながら生活したほうが、より他者と自分との比較を冷静にできるように思います。

「他者と自分」

中学生になり、自分自身に目覚めだすと、他者と自分との距離が一気に遠くなっていくようです。

他者と自分の距離ができると「個」という自己を考えだしますが、どうも最近つらつら思うに、「自分と他者」の距離感ばかりに気を取られる人が多いように思います。

自分の個性を育むこと

他者と自分を比べること

この二つが同時に成されることが理想的なのかもしれませんが、どうしてもどちらかに比重が偏りやすいようです。

これって、思春期の戸惑いだ、と思うのです。

さらに子供の戸惑いに親が戸惑い出すと、「家庭という宇宙」の軸がどこかに行ってしまいます。

だからこそ、親自身が自分のアイデンティティを意識化することが必要なのです。
思春期の子供の子育て期間中こそ、親自身の成育史を改めて思い返してみることが必要なのかもしれません。

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「チリ」奇跡の復活

2010年10月14日 | 第2章 五感と体感

ウィーンのアウグスティナ教会 昨日のブログ写真の左側です

奇跡の生還とは云わず、あえて奇跡の復活とさせていただきましょう。
カトリック国のアイデンティティを大切にするならば、このような言い回しのほうが相応のように思います。

地中に閉じ込められ、生存が確認されるまでの17日間。これは、想像を絶する精神だったことでしょう。
常に危険と背中あわせの仕事だとは知りつつも、まさか自分がこんな目に遭うとは思ってもいなかったことだと思います。
男性33人。地下でのサバイバルを統率したリーダーの統率力と判断力と声の大きさは、映画アルマゲドンなんてものではありません。一人も失うことなく、生還へと導いたのですから。

会社組織、社会での付き合い、学校での人間関係、
個性の違う者同士が、一つの箱の中でどのように関係をしあっていくか…

とてつもない不安感。
この不安感の中にどのような感情が湧いたのか。

そして何を信じ、どのように愛を感じ、密室での生活を営んでいたのか。
これから徐々に明かされる真実、そして思いを私たちは知ることになるのです。
どんなビジネス本や教育ノウハウ本、心理学本を読むよりも勉強になるはずです。

興奮冷めやらぬ奇跡の復活者の皆さんの「声」を静かに傾聴するのを楽しみにしています。

「新しい人」を想いながら最後の一人まで、そして救援者二人の生還まで見守りたいと思います。

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「あらねばならない」を傾聴する場

2010年10月13日 | 第2章 五感と体感


他者の自己主張を聴くときに、その人の感情の出方、考え方、それによって起こるしぐさや行動も同時に傾聴します。

人には自由意思があります。

家庭という宇宙に住む私たちは、体は自由に外へと出入りしているのですが、案外「あらねばならない」概念は心と体に携えたまま外へと出て行きます。

だから外での違和感が生まれます。

家庭の中での違和感が湧き出しにくいのは、家庭が標準値であるから当たり前のことだと思います。

親からの教育

学校での教育

住まう土地の環境及び風習、気質

「閉ざされた場所から生まれる自己概念」を携えている自分自身の存在に気付けば、何かが変化してくるはずなのですが、その自問自答を傾聴してもらえるような場所はなかなか無いのが実情です。

私自身、出会う人は限られています。自分のできることも限られています。
でも私が直に出会った人だけを大切にすることが大事なことだと思うのです。
それは、隣人を愛することや華厳の思想と繋がっていきます。

社会をどうにかしようという自己主張は、他の人にお任せします。

人と関わる前に意識化する大事なことは、「自分が自分を愛し、受容しているか?」これに尽きるかもしれません。

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親は変えられない

2010年10月12日 | 第2章 五感と体感

学校における中学生、高校生、先生と、ご両親との関わり
家族との関わり
自分の問題を解決したい人との関わり
友人との関わり
勉強仲間との関わり
社会全般との関わり
そして、自分との関わり

日々生活していると多くの対象者と関わっています。

多くの人との関わりを持ちながらも、変えられないのは自分の親、兄弟であり、自分の子供です。
友達は選べるけれど、親は選べないし変えられないのです。昨日の友人からのコメントでしみじみと思いました。

家族には家族の法則があります。これは、規則のことではありません。

二人の親という「個性」が子育てをする、という状況は、子供にとっての「環境」に値します。
そして、親から継がれた人類のDNAによって「ある傾向」は「遺伝」します。
その上、人の成長には時間がかかります。「時間を経る」ことによって多くの学習をすることになります。

家族という宇宙は、他人には計り知れない「納得の領域」があります。
その「納得の領域」が悩む自分の答えを導いてくれるはずですし、そこから自己概念を変えていくことも可能になります。

親は変えられないけれど、自分自身の概念を再構成していくことは可能なのです。
成長し続ける「人」を楽しもうではありませんか。

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親子

2010年10月11日 | 第1章 意識と知覚
子供の反乱なのか?
それとも親がヘンなのか?

家族という世界は、ある意味、自分のすべてだといっても過言ではありません。
両親と妹4人で旅をしてきました。
旅に妹が加わったのは、記憶の中では中学生の頃以来かもしれません。

親の「思考」と「感情」と「行動」は、子供の「思考」「感情」「行動」を支配していきます。

父親の言動や行動が「嫌だ」と思っていても「ヘンだ」とは思わなかったのは、その環境が自分にとって当たり前だったからです。
大人になり、他者との関わりにおいて、自分を吟味できるようになってきて初めて「ヘンだ」ということに気付いたわけです。

私自身、言い訳する人に嫌悪感を覚え、世の中をやたらと否定的に捉えることに「怒り」感じるのは、どうも父親の性格を無意識に思い出すからかもしれません。そのくせ、自分では暴言(不平不満)を吐いている意識が無い。。。これについてはすでに諦めとスルーするコツを学習しています。

三つ子の魂百までも。。。

「言い訳」とという「自己主張」によって自己を防衛する父の傾向は、やっぱり三つ子の魂。。。です。
そのくせ、自分と関係ないことだと、太っ腹な「思考」(考え方)になります。

その落差に振り回されていたのだ、と数十年目にして、自分に湧きあがる気持の悪い違和感の原因に行き当たったわけです。

「家族」という存在は、銀河系のようにある法則で渦巻いています。
その法則の中で、自分がバランスをとることができれば、健全に生活できるのでしょうが、なかなか上手くできないから衛星のようにぐるぐると廻るのです。ぐるぐると廻っていると解決の糸口が見えません。

自分の傾向を眺めてみると、父親の傾向と母親の傾向から自分を成り立たせていくための術を身につけていることがよくわかるのです。
人は一人で湧いて出てきているわけではありません。

親子の関係から見えてくる自分の傾向は、どんなに嫌でも逃れることはできませんが、「ヘンだ」と気付けば軌道修正は意識的にできるはずです。

家族の旅は、そんな意味で良かったと思います。数十年の時間をおいて家族像が確認できただけでも幸せなことなのかもしれません。

それにしても、自己主張が強く話のまとまらない家族であることは、よく解りました。私も反省をこめつつ、今日はクールダウンします。

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どうしたいのか

2010年10月08日 | 第2章 五感と体感
何かを決断しなくてはいけないとき、またはやるべきことを遂行しなくてはいけないとき、
自分は、そのことについて真摯に向き合っているだろうか?

つらつら考えてみると、真摯に向き合うなどという「こそばゆい言葉」を素直に受け容れられるようになったのは、つい最近のことかもしれません。

自分がどうしたいのか?

何をすればよいのか?

それらをストレートに意識化して、行動することができれば、何も悩むことはないのですが・・・・

でも、それが思うようにいかないのが「人」なのかもしれません。

さて、

どうでしょう?

自分は、どうしたいのか?

私も改めて自問自答してみます。

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夢で怒鳴る

2010年10月07日 | 第2章 五感と体感
先日、怒り心頭の夢を見て、夢の中で爆発したら、寝言という可愛いものではなく、自分の怒鳴り声で目が覚めました。

自分の声でびっくりして飛び起きたのです。

声が出したくても出せず、出ない声を出そうと必死にこらえて、最後に爆発する、、、という感じでした。

「怖い」夢を見て、同じような経験をしたことがありますが、今回は「怒り」でした。

「怒り」、、、怒りの感情が自分の中にあるのかと、つらつら思い巡らしましたが、我慢していることは確かにあるようです。その我慢が夢の中で爆発したようです。

私の場合、夢の中で爆発しちゃう、という単純な構造のようです。

やっぱり、言いたい事を言いたい人に伝達出来るほうが健全なんだな~~、と、改めて思ったわけです。

心では「我慢している心」を意識化できていても、伝えたい相手に伝えていないと、こういうことになるのよねぇ


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過去の感情

2010年10月06日 | 第2章 五感と体感
過去に経験した「感情」が自分自身受容し克服していないと、似たような状況に出合ったとき、自分でも気付かずに同じ感情が蘇ってくることがあります。

突発の事故とか、近親者の自殺とか、私の場合も、かなりショックな経験を何度かしています。
それなりに感情を治めて克服してきたつもりです。

でも、克服してきたつもりは、ほんとうに「つもり」なのです。

最近、なんだかへんだなぁ~という感情がある言葉を目にするたびに湧いてくるのです。
それは、「親友とは」という言葉です。

6年前に自殺した友人が亡くなる半年前に口にしていた言葉です。
「私達親友だよね」

だから、それ以降、めったやたらに親友と言う言葉は使わなくなりました。
使えないと同時に自虐的に自分を戒めるように使う言葉となってしまいました。

耳についたこの言葉を他者が口にしたり、読んだりすると、いきなり友人の声が蘇ってくるのです。

なのに、私は彼女をどうするもできなかった。という感情が湧いてくるのです。
重たい石がお腹に入ったような鉛のような重たさを経験します。

感情転移的な防衛機制のトラウマは、まだ解消されていないようです。

友達が発するSOSを聴きとることができなかった悔しさは、未だに心の中に残存しています。

このような未処理で残存しているトラウマ的感情は、今の私の仕事を支えている深く静かな原動力なのかもしれません。

今日も、悔いのないよう、過ごしたいものです。

昨日の腰越勉強会は、こんな内容のものでした。

「親友」という言葉を使っている人に、「不安なことはない?悲しくない?寂しくない?」と聞きたくなるのはそんな私の未処理の感情がそうさせるのです。今回は気持が治まるまでは当分時間がかかるかもしれません。友人の命日が過ぎ、今度は事故で亡くなった友人の子供の命日が近づいています。毎年この時期は、仕様が無いかな。

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私は不安だ

2010年10月04日 | 第2章 五感と体感
「私は不安だ」

「私は怖い」
「私は寂しい」
「私は悲しい」
「私は怒っている」
「私は嫉妬している」
「私は焦っている」等々

不安な感情をずばり言語化できないために、言葉を多く使いすぎる人がいます。
私にもそんな傾向があります。

だから比喩的な言葉を使い、遠回しに、表現しようとします。そのほうが自分のプライドが傷つかず、柔らかく表現できるからです。
でも、心の中では、解ってほしい、と望みます。

ほんとうに、人というのは、やっかいで面倒くさい、、、と思ったりします。

さて、
ずはり、今の自分の感情を表すとすると、どうでしょうか?

ここ数日、仕事が満載で脳みそが詰まったような「不快感」「焦り」という不安感がありました。
でも、昨日から今朝にかけて、徐々に「私は嬉しい」と変化しています。
脳みそが開放されたようなすっきり感です。。。

こんな感じで、自分の感情をストレートに呟いてみませんか?

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傾聴時間の限界

2010年10月03日 | 第2章 五感と体感
心理療法の勉強を始める前は、エンドレスに悩める人の話を聞いていました。
悩める人は、何時間でも同じことを話します。長く話せば話すほど、悩める心は増長し、しまいには思い込みの強さが増長していきます。

勉強してみて、傾聴には限界の時間があることを知りました。

一時間。それが限界です。だいたい40分から50分が互いのエネルギーが上手く消費しあうようです。

長時間聞くことは、悩める人の不安を衛星のようにぐるぐると回すきっかけをつくってしいます。

「傾聴を意識するなら、どこで話を切るか。終わらせるか。しかも心地よく。」が、傾聴する側の大きな課題です。

どこで終わらせたら良いのか解らず、困りながら聴くことも誰もが経験あるはずです。

傾聴には訓練が必要なので、勉強していくことしか術がありませんが、「傾聴は一時間以内で終わらせる。それ以上は無理だし、返って悩める人の心を悪化させる」ということだけでも記憶に入れておくとよいかもしれません。

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掛け軸のお話

2010年10月02日 | 第2章 五感と体感
明治時代あたりの揉み紙の掛け軸の仕立て直しが出来上がりました。

掛け軸は、友人のご祖母様から受け継がれたものです。
裂地での仕立てなら、出来ないことも無いのですが、紙表装をそのまま仕立て直しするのは
勇気のいることです。時間も手間もかかります。そんなわけで、私の師匠の工房にお願いすることにしました。

日本の伝統工芸品は、紙と水と木、そして織物と漆があれば、大抵のジャンルのものが出来上がります。

掛け軸、表具は、その代表格と言えるかもしれません。

埃にまみれ、掛けっぱなしになっていた掛け軸が、きれいに洗われ、仕立て直しをし、風合いを残したまま復元され、受け取った友人から喜びの電話をいただきました。

絵を描く人々の環境の中で育った私が、30代に始めた表装もかれこれ20年近くになります。まだまだ力は足りませんが、絵を描くことよりも手ごたえがあるのは、技術の通りに物事が進んでいくからなのでしょう。

繊細な日本の伝統工芸をこんな私でも多少は支えているのだという気分にもなります。

展覧会に足を運びましたら、ぜひ、表装も注目してください。画だけでなく、二倍楽しむことができます。

頂いた「書」などを持て余している人にも多く出会います。
掛け軸は、どんなお部屋でも掛け方次第で、とても素敵な空間を作ることができます。

持て余している「書」をピリッと壁に掛けてみてはいかがでしょう・・・

そういえば、今開催中の上村松園さんの掛け軸は絶品です。

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皇居を歩く

2010年10月01日 | 第2章 五感と体感
上村松園の展覧会が開催されている国立近代美術館は皇居の外堀と内堀の間にあります。
行きは竹橋駅から靖国神社を右手に見て、左に歩いていくと皇居の敷地に入ることができます。お馴染み武道館を通り過ぎると、大きな道路の脇に森や草原があり、その中にもくねくねとした小路が続きます。しばらく歩き内堀にでると、すぐ脇に国立近代美術館があります。

国立近代美術館から、今度は内堀を渡ります。すると窓口があり、そこで入館札を渡されます。そこからが内堀の中です。江戸城の城壁は、想像以上に大きく、一緒に歩いた母と、「ピラミッドよりは小さいけど、地方の城壁に比べたらなんと大きな石だ事!!」と感嘆。
想像以上のスケールに、改めて江戸城の大きさを体感してきました。

城壁脇の幅広い路の脇には森が広がり、背景には丸の内のビルがそびえて見えます。
そこにもネイチャーズトレールのような森の小路があり、ふかふかとした腐葉土の道にコンクリートの路を歩き続けた足を和ませてくれました。

ほんとうは馬場先門で出れば良かったのですが、その手前の大手門で札を返し、三菱一号館美術館まで歩きました。

三菱一号館美術館のパティオにはカフェも並んでいますが、そこは人気があり並ばないと入れません。地下にはコンビニもあるのでそこでお茶を買い、パティオのベンチで四季薔薇を眺めながら休憩し、更に有楽町まで歩き電車に乗りました。

のんびり歩いて一時間ちょっとの散歩コースです。

都会の真っただ中に、日本で一番整備された森があります。ここは必見。江戸時代、この門をくぐった人のプライドをひしひしと感じ、江戸城の権威を今更ですが目の当たりに致しました。徳川家が無血開城し、そのままの状態で明け渡した篤姫のあっぱれさも、ほんとうにカリスマのある人だ、、、と思ったお散歩でした。

明治維新のどさくさの中で、権力を持つ人、商いを成功させる人、落ちぶれる人、、「歴史上の奇異な人生の経路」をのんびりと散歩し、最後は岩崎弥太郎にたどり着いた散歩コースは、感慨深いものがあるわけです。

秋のお散歩、ちょっとお薦めです。

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