ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

取るに足らない話三題

2014年09月08日 18時09分18秒 | 日記・エッセイ・コラム

 (1)ブラックモンブランを御存じでしょうか?

 福岡県にお住まいの方なら「何をいまさら?」という感じでしょう。私も、西南学院大学や福岡大学で集中講義を担当していた時に、何回もコンビニエンスストアで見かけました。AMラジオでも話のネタになっていました。

 しかし、他の地域の方は御存知ないでしょう。「初めて聞いた」という方も少なくないはずです。

 このブラックモンブランは、チョコレートがけのアイスバーで、福岡県など九州限定と言ってよい商品です。そのため、首都圏で見かけることはないと思っていました。ところが、今日、私の本務校である大東文化大学の板橋校舎にある生協の売店で見つけました。最初は間違いかと思ったほどです。一昨年の9月上旬を最後に福岡へ行っていないため、私がブラックモンブランを見たのは2年ぶりです。

 何故、板橋校舎の生協で売られているのかはわかりませんが、以前から扱われていたようです。

 (2)今日、私が乗っていた半蔵門線・田園都市線の各駅停車が2分遅れました。その理由が珍しい(?)ものでした。二子玉川駅での車内清掃です。

 桜新町駅で急行の通過待ちをしている間に、車掌のアナウンスが入ります。6号車の床と座席の一部が濡れている、というのです。どうしてそんなことになったのか、私が乗っていたのは3号車で、わざわざ見に行くほど物好きでもないのではわかりませんが、窓が開いたままになっていたのか、誰かが何かをこぼしたのか、というところでしょう。

 (3)高津区内の某所に駄菓子屋があります。入ってみたら、BGMとしてジャズが流れていました。

 最近は、スーパーマーケットや飲食店で、BGMとしてジャズが流れているところが多くなっています。中学生時代からジャズを聴いている私としてはうれしいのですが、少しばかりの違和感も覚えます。その店では煙草やシガーも売られていますから、子どものための店というより大人のための店なのかもしれません。

 私の小学生時代(1970年代後半)を思い出すと、川崎市の高津区や中原区に至る所に、というと大げさですが、小学校の近く、駅から離れた商店街などには、必ず駄菓子屋がありました。その類の店での音と言えば子どもたちの結構大きな声、店の人が聞いていると思われるAMラジオの音、店の奥にある居間や茶の間から聞こえるテレビの音声や家族の話し声でした。

 駄菓子屋が急激に少なくなったのは1980年代でしょうか。コンビニエンスストアが増えていくとともに、駄菓子屋、パン屋、菓子屋などが減っていきました。

 そう言えば、高津区内には、駄菓子に力を入れているコンビニエンスストアがあります。敢えて場所などは記しませんが、高津区内では結構有名です。


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2 コメント

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Unknown (みやさん)
2014-09-10 21:18:34
 昔は小学校の前にかならずと言っていいほどあった駄菓子屋が無くなった原因は、習い物や塾通いの一般化、それとファミコンに代表されるTVゲームの普及によって子供たちが放課後、学校の運動場で遊ばなくなった事で、結果として顧客である児童が駄菓子屋に菓子などを買いに来なくなった事で商売として成り立たなくなり、廃業に追い込まれたのが大きな原因だと考えます。
 コンビニが小学生の小遣いでも買える低価格の菓子類(駄菓子類)を置くようになったのはもっと後だったと思います。
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そうですね (川崎高津公法研究室長)
2014-09-11 11:37:41
 みやさんがお書きの通りかもしれません。私が小学生であった時代にも習い者や塾通いはよくみられましたが、1980年代に入ってからいっそう多くなったのでしょう。
 それと、ファミコンの普及は大きいですよね。1970年代後半、任天堂がブロック崩しなどのテレビゲーム機を販売しましたが、私のうちにはなかったし、そもそもそういうゲーム機を持っていたのはクラスに数人でした。
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