ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

再掲載:東急大井町線途中下車(6)上野毛駅(その1)

2017年06月08日 00時00分00秒 | まち歩き

 〔今回は、「待合室」の第478回として、2012年5月15日から同月22日まで掲載したものです。写真撮影日である2011年9月16日当時の様子をお伝えしたく、文章に修正の手を加えておりません。〕

 東急大井町線は、京浜東北線(正式には東海道本線)および東京臨海高速鉄道りんかい線との乗換駅である大井町から、品川区、大田区、目黒区および世田谷区を通り、田園都市線との乗換駅である二子玉川までの路線です(現在は溝の口まで運転していますが、正式には二子玉川~溝の口が田園都市線です)。元々は目黒蒲田電鉄の支線でしたが、現在は世田谷線および東急多摩川線を除く東急各線と接続する、非常に利便性の高い路線です。2008年からは急行も運転されており、停車駅をみれば東急各線との接続を第一に考えられていることが明らかです。

 この「待合室」では、大井町線をも取り上げることとして、これまで、二子玉川(田園都市線に便乗)、旗の台(池上線に便乗)、尾山台、九品仏、等々力の順に歩いてきました。旗の台を除き、世田谷区の駅です。今回は上野毛駅を取り上げます。これで世田谷区の駅は、田園都市線、目黒線(奥沢だけですが)、大井町線の全ての駅をこのコーナーで扱ったこととなります。

 二子玉川駅の3番線から各駅停車に乗ると、次が上野毛駅です。急行は通過します。急行運転に備えて大改築がなされ、上りのみですが急行の通過線も設けられました。朝のラッシュ時にはここで各駅停車が急行の通過待ちをします。

 上の写真ではわかりにくいかもしれませんが、駅名標に描かれている路線図の帯はオレンジ色です。東急では2012年2月から駅ナンバリングを順次導入していますが、その前から大井町線や目黒線などの一部の駅では、駅名標にラインカラーを入れています。以前は、東急の全駅で赤色が用いられていましたが、大井町線のラインカラーはオレンジですので、同線の各駅の駅名標には同線のラインカラーであるオレンジ色が入っています。3月2日に確認したところによると、大岡山から二子玉川までの各駅では、ラインカラーと駅ナンバリングの導入を済ませており、田園都市線や目黒線などと比較してもかなり速く進められています。なお、上野毛駅の番号はOM14です(等々力駅がOM13、二子玉川駅がOM15となります)。

正面口とホームとをつなぐコンコースです。大改築がなされることにより、新設されました。等々力側(大井町方面側)に出ます。

 1番線を急行が通過していきます。6編成が運用される2代目6000系です。ホームは道路より低いところにあり、掘割式の構造となっています。そのため、下り線には急行の通過線を設けることができません。これに対し、上り線のほうには急行の通過線が設けられています。そのため、朝のラッシュ時には上野毛で急行の通過待ちを行う各停もあります。

 正面口です。先程も記したように、こちらは最近新設されました。上野毛通りに面しており、ちょうどここが線路の上の橋で、不動橋という名称もつけられています。右側は環状8号線と上野毛通りとの交差点です。なお、入口に見えるテレビ画面は、運行情報などを示すものです。

 こちらが従来からの上野毛駅で、現在は北口です。以前は小さな駅舎で、改札口も狭かったのですが、改築されて大幅に印象が変わりました。手前を環状8号線が通っています。右側に銀行のATMがあり、その隣が交番です。どの程度の大きさなのかわかりませんが、駐輪場まで設けられています。

 上野毛駅は、1929(昭和4)年11月1日に開業しました。この日に大井町線の自由が丘~二子玉川が開業しています(尾山台駅のみが翌年の開業です)。

 上野毛通りが商店街となっています。道幅は狭いのですが、大井町線沿線の商店街にはよくあることです。ただ、等々力や尾山台と比べると、道がわかりにくいかもしれません。上の写真は上野毛通りから少し脇に入った所を撮影してみたものです。

 上野毛通りはバス通りともなっており、東急バスの黒02系統(目黒駅~二子玉川駅)が通ります。奥に進むと天祖神社で、バスは玉川警察署、東京都市大学等々力キャンパス(旧東横学園女子短期大学)を通り、等々力七丁目から目黒通りを走ります。逆に、手前に進むと上野毛駅から玉川高校前(バス停としては残っていますが、玉川高校は2008年に閉校となっています)を通って二子玉川駅に出ます。ライズができる前は駅前に乗り入れず、少し離れた旧二子玉川園正門の前が発着地でした。

 自動車の通行量に驚かされます。上野毛駅前の環状8号線です。瀬田交差点から第三京浜玉川ICまでは国道466号線でもあります(そもそも、第三京浜道路が国道466号線の一部です)。曜日を問わず、第三京浜玉川ICから東名東京・首都高用賀ICまでは渋滞します。私も、第三京浜玉川ICからこの先の瀬田交差点まで走るのに40分以上もかかったことがあります。時間帯などによっては、外回りは荻窪駅付近まで渋滞がつながります。

 環状8号線もバス通りです。園01系統(田園調布駅~千年船橋)が通るのですが、田園調布駅を出るとすぐに環状8号線に出て、そのまま桜丘五丁目の手前まで環状8号線を通ります。果たして定時運行ができるのかと疑問に思う路線です。

環状8号線外回りの様子です。この先、多摩美術大学前、瀬田交差点、東名東京・首都高用賀ICへ向かうのですが、果たしてどのくらいの時間を必要とするでしょうか。

 環状8号線から大井町線の線路を見下ろしてみます。トンネルになっていないものの、明らかに線路の部分を掘って建設しています。この辺りが国分寺崖線の一部分であるためです。この先、左、右、左と、二子玉川駅までカーブが続きます。

 上野毛という地名ですが、この地形に由来するという説があるようです。多摩川の川崎側から世田谷側を見ると、丘が連なっています。この辺りはとくに高かったのでしょうか。それで、ノッケという、尾根の峰を意味するアイヌ語から野毛という言葉になった、というのです。また、古い言葉で「のげ」は崖を意味したともいいます。

 その昔、多摩川は度々流れを変えていました。東京の側と川崎の側で同じような地名が見受けられるのはそのためです。典型的なのは等々力(世田谷区と川崎市中原区)と宇奈根(世田谷区と川崎市高津区)です。また、世田谷区に瀬田という地名がありますが、川崎市高津区にも、二子新地駅の近くに瀬田という地名があります。両岸は同じ武蔵の国でしたので、同じ村であったとも考えられます。

 では、野毛はどうでしょうか。上野毛は今回、私が立っている所で、世田谷区にあります。ここから環状8号線を羽田方面に歩き、第三京浜玉川ICに着く少し手前から野毛になり、やはり世田谷区にあります(等々力駅から歩いて行けます)。しかし、同区には下野毛という地名がありません。それもそのはず、下野毛は対岸の川崎市高津区にあるのです。溝の口駅または高津駅から東急バスの溝02系統(溝の口駅~小杉駅。小杉御殿町経由)、溝03系統(溝の口駅~小杉駅。新丸子駅前経由)、川31系統(川崎駅西口~溝の口駅)、または川崎市バスの溝05系統(溝口駅~小杉駅。黄金塚経由)で行けますが、最寄り駅となると田園都市線の二子新地駅か高津駅かJR南武線の武蔵新城駅か、ということになるでしょう。どの駅からもかなり離れています。

 これと似たようなパターンとなるのが丸子です。川崎市中原区には、上丸子、上丸子天神町、上丸子八幡町、上丸子山王町、丸子通、新丸子町、新丸子東、中丸子という地名があります。これに対応する下丸子は東京都大田区にあります。そのために、東横線の新丸子駅が川崎市中原区にあり、東急多摩川線の下丸子駅が東京都大田区にあるのです。東急には丸子という駅がないのですが、実は東急多摩川線の沼部駅が、開業当初に「丸子」を名乗っていました。

 その沼部駅も面白い所です。所在地は大田区田園調布本町で、大田区には沼部という地名が見当たりません。しかし、対岸の川崎市中原区には下沼部という地名があります。遠い昔(かどうかはわかりませんが)、調布村に沼部という字があったということです。


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