続きです。ラストになります。
元の記事
THE IMITATION GAME-Genius at Play
A FINAL NOTE
この映画を観て私は感動のあまり涙が出ました。
ティルドゥムが言ったようにこれは「ラブ・ストーリー」で、
アラン・チューリングはクリストファー以外の人を愛することはありせんでした。
彼は生涯を通じてクリストファーのお母さんに手紙を書いています。
そして、何百万という命を救った男性はホモセクシャルだったために有罪判決を受け、
結果として自壊という不当な扱いを受けています。
HONORING THE TURING LEGACY
チューリング賞(コンピューターサイエンスのノーベル賞とも呼ばれる)は
コンピューターサイエンスの分野への貢献で世界を変えた男性や女性に敬意を表するために
1966年に設立されました。そして、私の夫、アラン・ケイは、2003年にチューリング賞を受賞しました。
私は幸運にも数人のチューリング受賞者と密に接しています。
私がスタンフォードでドナルド・クヌースとコンピュータープログラムの研究をしたのが始まりで、
それはのちに映画「トロン」(これが最初の作品で私の夫アラン・ケイとパロアルト研究所で出会い、
その後テクニカルコンサルタントをお願いしました)を書くための研究でした。
私の最初の作品はのちに映画「トロン」になりましたが、多くのアイデアがここでも触れられています。
コンピューターは融通が利かずユーモアが苦手で、マシンは美しく、なおかつ設計者だけが魂を込められ、
人間はさらに前進させ、美しい数学的作品が展開されます。
最終的にこのほとんどは(ユーモアのひとかけらも)登場しませんでした。
アラン・チューリングの持つ子供のような好奇心と仕事に対する強迫観念的なものは必ずしも同じ類ではありませんので
共存することのない奇妙な組み合わせは数学者だからなのか、それともコンピュータの天才だからなのか、私にはわかりません。
そしてそれは若干のフィジカルや人付き合いのぎこちなさとも結びつきますが常にユーモアも持ち合わせていました。
ベネディクトは並外れた精密さと優しさでこれらの本質を捉えています。
8月に私は夫のアラン・ケイとブレッチリーパークを訪れました。
この写真にはチューリングのテディベアを忙しく撮影している合間に、
「パーソナルコンピューターの父」として知られている男性のブレッチリーでの業績年表を研究している、
彼の感情に支配された作家、役者、アーティスト、そして妻である私が前方にいます。
チューリングは服を縫いました。そして声に出して講義の練習をしました。
リトルベアーの秘密です!
映画の上映とベネディクトのプロセスの話、そしてブレッチリーパークの訪問は私の中にずっと残っています。
ベネディクト、アラン・チューリング、アラン・ケイ。
まさしくビューティフルマインドです。
私は与えられた特権ですべてに繋がりがあるとささやかながら悟りました。
科学はアートです・・・そしてアートはある種の科学です。
そして私はその目撃者となれてとても幸運です。
以上です。
毎度のことですがきちんと訳せなくてごめんなさい。
ベネディクトがこの作品に真摯に向き合い、またアラン・チューリングの不当な扱いに憤りを感じているのは
今までのインタビューでも十分伝わってきましたが、
これを読んでさらに彼の役者としての生き方に感動しました。
そういえば一昨年だったと思いますが地下鉄の中で分厚いチューリングの本を読んでいるところを目撃され、
次の準備のためかしら、などと話題になっていました。
WW2での暗号解析の一端を担い、英国や同盟国を救ったにも関わらず歴史から抹消されてきた
アラン・チューリングを救いたいという監督さんをはじめスタッフやキャストたちの気持ちも痛いほど伝わるような気がします。
まだ映画は公開されていませんが、アラン・チューリングが何を成し遂げたのか、
そしてベネディクトがどのようにそれを表現したのか、
彼らの本意を少しでも理解出来たら、とそんな気持ちになりました。
尊大な天才を演じることの多いベネディクトですがカーン然りシャーロック然り、
そしてアサンジも、彼らの中にはとても傷つきやすいやわらかい何かがあり、
それはベネディクトが捉えた彼らの人物像なのかもしれません。
(カーンに関しては当時そう解釈したとどこかで仰っていました。)
今回のアラン・チューリングもとても繊細に演じられていると評価されていました。
それはベネディクトがチューリングの中に繊細なものを見出していたのでしょうね。
私はこの映画の原作にあたるホッジス著はまだ未読ですが、別の伝記を読んでいる最中です。
今私たちが何の疑問も持たずに駆使しているパソコンはほんの少しの動作でも裏では膨大なプログラムが実行されています。
そして、チューリングさんは当時はひたすら計算するだけの文字通り計算機だったコンピューターに
アプリケーションの概念を思いついていたようです。
そのプロセスは難解すぎて私にはとうてい理解できませんでしたが、
もし戦争がなかったら早くからこの研究に没頭することができ、そして本人の手で実現ができたのかもしれない、
そうすればチューリングさんの人生も変わっていたのかもしれないと、本当にぼんやりとですが思いました。
実はまだ読み終わっていなんです(涙)
昨年結構早い段階でこの本を読み始めたのですが何しろ難しくてなかなか進まないんです。映画終わっちゃうよー。
私はITの資格を持っているためか数学が得意だと思われがちなのですが、左脳人間なのでまったく苦手です。
会社に勤めているとSPIという適性検査なる試験を受ける機会が時々ありまして、
その中には国語と数学というか算数も入っています。算数は距離の計算とか分数の問題が多いです。
社会人としてこれくらいは常識として理解しておかなくちゃだめですよ、
という意味合いがあるんだと思いますが、私は通分もできないくらい残念な人で・・・・
話が逸れましたが、ベネディクト・カンバーバッチという俳優を知らなかったら
アラン・チューリングにここまで興味を抱くことはなかったと思います。
ベネディクトを通してたくさんの素晴らしい人物を知ることができて幸運だとあらためて思いました。
3月はいよいよTIGの上映が始まりますがまだまだ上映館が少ないようですので
この映画が少しでも多くに人に観てもらえるよう、GAGAでしたっけ?頑張ってほしいです。
拙い訳と感想をここまで読んでいただいてありがとうございました。
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THE IMITATION GAME-Genius at Play
A FINAL NOTE
この映画を観て私は感動のあまり涙が出ました。
ティルドゥムが言ったようにこれは「ラブ・ストーリー」で、
アラン・チューリングはクリストファー以外の人を愛することはありせんでした。
彼は生涯を通じてクリストファーのお母さんに手紙を書いています。
そして、何百万という命を救った男性はホモセクシャルだったために有罪判決を受け、
結果として自壊という不当な扱いを受けています。
HONORING THE TURING LEGACY
チューリング賞(コンピューターサイエンスのノーベル賞とも呼ばれる)は
コンピューターサイエンスの分野への貢献で世界を変えた男性や女性に敬意を表するために
1966年に設立されました。そして、私の夫、アラン・ケイは、2003年にチューリング賞を受賞しました。
私は幸運にも数人のチューリング受賞者と密に接しています。
私がスタンフォードでドナルド・クヌースとコンピュータープログラムの研究をしたのが始まりで、
それはのちに映画「トロン」(これが最初の作品で私の夫アラン・ケイとパロアルト研究所で出会い、
その後テクニカルコンサルタントをお願いしました)を書くための研究でした。
私の最初の作品はのちに映画「トロン」になりましたが、多くのアイデアがここでも触れられています。
コンピューターは融通が利かずユーモアが苦手で、マシンは美しく、なおかつ設計者だけが魂を込められ、
人間はさらに前進させ、美しい数学的作品が展開されます。
最終的にこのほとんどは(ユーモアのひとかけらも)登場しませんでした。
アラン・チューリングの持つ子供のような好奇心と仕事に対する強迫観念的なものは必ずしも同じ類ではありませんので
共存することのない奇妙な組み合わせは数学者だからなのか、それともコンピュータの天才だからなのか、私にはわかりません。
そしてそれは若干のフィジカルや人付き合いのぎこちなさとも結びつきますが常にユーモアも持ち合わせていました。
ベネディクトは並外れた精密さと優しさでこれらの本質を捉えています。
8月に私は夫のアラン・ケイとブレッチリーパークを訪れました。
この写真にはチューリングのテディベアを忙しく撮影している合間に、
「パーソナルコンピューターの父」として知られている男性のブレッチリーでの業績年表を研究している、
彼の感情に支配された作家、役者、アーティスト、そして妻である私が前方にいます。
チューリングは服を縫いました。そして声に出して講義の練習をしました。
リトルベアーの秘密です!
映画の上映とベネディクトのプロセスの話、そしてブレッチリーパークの訪問は私の中にずっと残っています。
ベネディクト、アラン・チューリング、アラン・ケイ。
まさしくビューティフルマインドです。
私は与えられた特権ですべてに繋がりがあるとささやかながら悟りました。
科学はアートです・・・そしてアートはある種の科学です。
そして私はその目撃者となれてとても幸運です。
以上です。
毎度のことですがきちんと訳せなくてごめんなさい。
ベネディクトがこの作品に真摯に向き合い、またアラン・チューリングの不当な扱いに憤りを感じているのは
今までのインタビューでも十分伝わってきましたが、
これを読んでさらに彼の役者としての生き方に感動しました。
そういえば一昨年だったと思いますが地下鉄の中で分厚いチューリングの本を読んでいるところを目撃され、
次の準備のためかしら、などと話題になっていました。
WW2での暗号解析の一端を担い、英国や同盟国を救ったにも関わらず歴史から抹消されてきた
アラン・チューリングを救いたいという監督さんをはじめスタッフやキャストたちの気持ちも痛いほど伝わるような気がします。
まだ映画は公開されていませんが、アラン・チューリングが何を成し遂げたのか、
そしてベネディクトがどのようにそれを表現したのか、
彼らの本意を少しでも理解出来たら、とそんな気持ちになりました。
尊大な天才を演じることの多いベネディクトですがカーン然りシャーロック然り、
そしてアサンジも、彼らの中にはとても傷つきやすいやわらかい何かがあり、
それはベネディクトが捉えた彼らの人物像なのかもしれません。
(カーンに関しては当時そう解釈したとどこかで仰っていました。)
今回のアラン・チューリングもとても繊細に演じられていると評価されていました。
それはベネディクトがチューリングの中に繊細なものを見出していたのでしょうね。
私はこの映画の原作にあたるホッジス著はまだ未読ですが、別の伝記を読んでいる最中です。
今私たちが何の疑問も持たずに駆使しているパソコンはほんの少しの動作でも裏では膨大なプログラムが実行されています。
そして、チューリングさんは当時はひたすら計算するだけの文字通り計算機だったコンピューターに
アプリケーションの概念を思いついていたようです。
そのプロセスは難解すぎて私にはとうてい理解できませんでしたが、
もし戦争がなかったら早くからこの研究に没頭することができ、そして本人の手で実現ができたのかもしれない、
そうすればチューリングさんの人生も変わっていたのかもしれないと、本当にぼんやりとですが思いました。
実はまだ読み終わっていなんです(涙)
昨年結構早い段階でこの本を読み始めたのですが何しろ難しくてなかなか進まないんです。映画終わっちゃうよー。
私はITの資格を持っているためか数学が得意だと思われがちなのですが、左脳人間なのでまったく苦手です。
会社に勤めているとSPIという適性検査なる試験を受ける機会が時々ありまして、
その中には国語と数学というか算数も入っています。算数は距離の計算とか分数の問題が多いです。
社会人としてこれくらいは常識として理解しておかなくちゃだめですよ、
という意味合いがあるんだと思いますが、私は通分もできないくらい残念な人で・・・・
話が逸れましたが、ベネディクト・カンバーバッチという俳優を知らなかったら
アラン・チューリングにここまで興味を抱くことはなかったと思います。
ベネディクトを通してたくさんの素晴らしい人物を知ることができて幸運だとあらためて思いました。
3月はいよいよTIGの上映が始まりますがまだまだ上映館が少ないようですので
この映画が少しでも多くに人に観てもらえるよう、GAGAでしたっけ?頑張ってほしいです。
拙い訳と感想をここまで読んでいただいてありがとうございました。