以前にも杉村春子さんの付き人時代を振り返る樹木希林さんのインタビューを紹介しましたけど、小津さんの現場をその目で見たのは大変貴重な体験であり、とても羨ましくもあり...(*´д`*)
朝日新聞の連載コラム「語る─人生の贈り物─」にて。
文学座に入った頃、杉村春子さんの付き人で、松竹大船撮影所にお供したことがあってね。小津安二郎監督の「秋刀魚の味」でした。杉村さんは中華そば屋の年増の娘役でした。ハンケチを四つに折って泣く場面を撮ってたんだけど、何度やっても小津さんは「もう1回」「はい、もう1回」と、OKを出さないの。
それに該当すると思われるシーン。
母親代わりで婚期を逃してしまった娘が、酔いつぶれて帰宅した父親(東野英治郎さん)を見つめながら、一人寂しく泣く場面です。
杉村さんもそうだったと思いますが、笠智衆さんなど小津組古参の俳優はかなり割り切って、独自の演技思考を停止させ、極力小津さんの言う通りを胸にしてロボットのように撮影に臨んだと言います。
小津組の現場は常にしんと静まりかえってました。緊張感が高まるのが伝わってきたけど、私には、なぜNGなのかが全く理解出来なかった。そもそも、前の演技と次の演技のどこが違うのかさえ分からない。おなかもすいてくるし、「早く終わらないかな」というのが顔に出てたわね。
小津組の助監督を務めた経験のある作家・高橋治さんも、NGとOKの差は小津さん以外誰も判らなかったと言っています。
判りやすく面白いエピソードが書かれています。
小津組ではOKの一から始まって、ひどい時はOKの七や八までが出て来ることがある。OKが出るくらいの出来である以上、殆ど誰にも差が見ぬけない。小津は繰返すラッシュでそれを次第に選り分けて行く。恐らく小津だけにわかる作業だったと思うのだが、最終的に一本が残される。それは良い。しかし、更に度数が重なる中に残った一本が気に入らなく思えて来るのだろう。
「浜ちゃん、あれOKの三に替えようや」
という。思い切ってある時聞いて見た。
「どこが違うんですか」
「うん?」
小津は不思議そうな顔で見返した。小津にそんな無礼な質問を投げかける者はいないのだ。どう答えるか、私は視線に力をこめた。小津はふっと浜村へ視線を流した。
「おい浜ちゃん、東大出は元気良いぜ。どこが違うかっていわれちゃったよ。高橋の勉強のために二本つないで見せてやってくれ。あのな、高橋」
小津は振り向いた。ピッタリと見据えられた。
「あとで庇理窟つけたと思われちゃ心外だから先にいっとくがな、いまつなぎ込んであるカットは笠の座りが一寸高いんだ。で、原さんの芝居に邪魔になる。どう邪魔になるかは説明のしようかないんだな。自分で考えろ」
次回、つないで映写された二カットはまさに小津のいう通りだった。だが、二センチと違っていない。肩の線が奥の障子の桟の上に僅か出るか出ないか程度の差にすぎない。
しかし、こうした小津の職人としての潔癖さは周囲を畏怖させ、それが信仰にまでつながった。(『絢爛たる影絵』より)
高橋さんは非常に判りやすい例として取り上げていますが、ここでの善し悪しは俳優の演技力云々ではなく、絵としてのバランスだけを見ていての選択だったワケなんですね。極端に言うと小津さんにとって俳優も映像を構成する小道具の一つに過ぎないと!
これでは俳優側に区別が付くわけなんてありません(^_^;
「小早川家の秋」に出演した森繁久弥さん、張り切って演技し、NG出る度に違うニュアンスで挑んだらしいけど、悉く否定され、喧嘩のような状態になってしまったと言います...まぁ...そういうことですよね(^o^)
朝日新聞の連載コラム「語る─人生の贈り物─」にて。
文学座に入った頃、杉村春子さんの付き人で、松竹大船撮影所にお供したことがあってね。小津安二郎監督の「秋刀魚の味」でした。杉村さんは中華そば屋の年増の娘役でした。ハンケチを四つに折って泣く場面を撮ってたんだけど、何度やっても小津さんは「もう1回」「はい、もう1回」と、OKを出さないの。
それに該当すると思われるシーン。
母親代わりで婚期を逃してしまった娘が、酔いつぶれて帰宅した父親(東野英治郎さん)を見つめながら、一人寂しく泣く場面です。
杉村さんもそうだったと思いますが、笠智衆さんなど小津組古参の俳優はかなり割り切って、独自の演技思考を停止させ、極力小津さんの言う通りを胸にしてロボットのように撮影に臨んだと言います。
小津組の現場は常にしんと静まりかえってました。緊張感が高まるのが伝わってきたけど、私には、なぜNGなのかが全く理解出来なかった。そもそも、前の演技と次の演技のどこが違うのかさえ分からない。おなかもすいてくるし、「早く終わらないかな」というのが顔に出てたわね。
小津組の助監督を務めた経験のある作家・高橋治さんも、NGとOKの差は小津さん以外誰も判らなかったと言っています。
判りやすく面白いエピソードが書かれています。
小津組ではOKの一から始まって、ひどい時はOKの七や八までが出て来ることがある。OKが出るくらいの出来である以上、殆ど誰にも差が見ぬけない。小津は繰返すラッシュでそれを次第に選り分けて行く。恐らく小津だけにわかる作業だったと思うのだが、最終的に一本が残される。それは良い。しかし、更に度数が重なる中に残った一本が気に入らなく思えて来るのだろう。
「浜ちゃん、あれOKの三に替えようや」
という。思い切ってある時聞いて見た。
「どこが違うんですか」
「うん?」
小津は不思議そうな顔で見返した。小津にそんな無礼な質問を投げかける者はいないのだ。どう答えるか、私は視線に力をこめた。小津はふっと浜村へ視線を流した。
「おい浜ちゃん、東大出は元気良いぜ。どこが違うかっていわれちゃったよ。高橋の勉強のために二本つないで見せてやってくれ。あのな、高橋」
小津は振り向いた。ピッタリと見据えられた。
「あとで庇理窟つけたと思われちゃ心外だから先にいっとくがな、いまつなぎ込んであるカットは笠の座りが一寸高いんだ。で、原さんの芝居に邪魔になる。どう邪魔になるかは説明のしようかないんだな。自分で考えろ」
次回、つないで映写された二カットはまさに小津のいう通りだった。だが、二センチと違っていない。肩の線が奥の障子の桟の上に僅か出るか出ないか程度の差にすぎない。
しかし、こうした小津の職人としての潔癖さは周囲を畏怖させ、それが信仰にまでつながった。(『絢爛たる影絵』より)
高橋さんは非常に判りやすい例として取り上げていますが、ここでの善し悪しは俳優の演技力云々ではなく、絵としてのバランスだけを見ていての選択だったワケなんですね。極端に言うと小津さんにとって俳優も映像を構成する小道具の一つに過ぎないと!
これでは俳優側に区別が付くわけなんてありません(^_^;
「小早川家の秋」に出演した森繁久弥さん、張り切って演技し、NG出る度に違うニュアンスで挑んだらしいけど、悉く否定され、喧嘩のような状態になってしまったと言います...まぁ...そういうことですよね(^o^)