予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
驚異的回復
術後一週間も経たないうちに、医師達から゛退院゛という言葉をかけられるようになった。元々順調にいって1ヶ月の入院ということだったので、まったくピンとこない。ちょっと早過ぎでは。 ここまでの一年間、本当に長かった。息子二人や妻の誕生日を一緒に祝ってあげることもできなかった。クリスマスも病院で迎えた。運動会さえ行ってあげられなかった。 それがここにきて、すごく回復してきている、いつ退院しても大丈夫、と言われても、不安や心配が付きまとうのだ。 でもね、この勢いに乗りたい。背中を押してくれる何かを感じるから。
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一週間
術後今日で一週間。ICUで目覚め、今朝は個室で朝を迎えた。呼吸も歩行も頑張って大分戻ってきた。食事も点滴から今晩は全粥だ。でもこれからはより慎重に過ごしていきたいと思っている。
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一年前
一年前の今頃、K病院に入院し透析治療を始めた頃。先の見えない真っ只中にいた。駒苫のV2も千葉真子の優勝も全く覚えていない。どんな歌が流行っていたのか、夏から秋、冬と、どんな気候だったのか、覚えていないのだ。いつも透析治療に追われ、結果を気にする毎日だった。 全く望みがないなら、早く移植を、という中、自分以外の人の身体を危険にさらし、傷付けていいものか、と葛藤し続けていた。一番精神的に苦しい時期だった。 そんな時、何より心強かったのは毎日様子を見に来てくれていた妻。誰より辛いはずなのに
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絆
どれひとつ欠けても、ここまで来れなかったかな。
今晩から食事が始まった。といってももちろん普通食ではなく、まずは3分粥。
それでも、いつも絶食の後の食事は楽しみで、何より少し元気になった気がする。
痛みとの闘いはまだまだ続くだろうが、たくさん食べて、一日でも早く退院したいもんだね。
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術後四日目
日に日に良くなっていく自分を感じる。今日は自力歩行がかなりできた。洗髪もした。夜、担当医師のF医師が様子をみにきてくれた。゛良く頑張った゛と言って握手を求められので゛本当にありがとうございます゛と言って強く握り返した。F医師が去った後、ホッとして思わず泣いてしまった。でもこれで安心していられない。もう一人頑張りして、良い状態に身体を持っていって退院の日を迎えられる様に、明日からも頑張るぞ~!
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明日、手術です。
いよいよ明日手術です。一年前の移植手術よりはましとはいえ、結構厳しい手術になるようです。一年前は、ほとんど意識の無い中で行われましたが、今回は体調も良く、意識もはっきりしているので、痛みの感じ方が強いように思います。そう考えると辛いので、手術室やICUの観察でもしてこようかなと思ってます。じゃあ行ってきます。
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三度目の決勝戦
今日の決勝、なんと再試合になってしまった。それにしても高校球児達のあのエネルギー、どこから出るのだろう。きっと皆、毎日凄い練習をしてきたのだろう。病室の誰もが言う。コイツら本当に凄いよねって!みんなきっと頑張ってきた自分に重ね合わせているんだろう。駒大苫小牧の試合、V1の時は家で興奮しながら見ていた。V2の昨年、入院したばかりで見る余裕がなかった。そしてそれから一年、まさかまた病院に居ることなど想像もつかなかった。さあ、明日は決勝再試合。どんな勇気を与えてくれるのだろう。
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ここにしか咲かない花
入院2日目。 今日も明日も週末なので検査も何もないはず。 ということで、携帯telに音楽をおとしてきたのでゆっくり聴いていた。改めて聴いてみて、やっぱり゛ここにしか咲かない花゛、いい唄だなと。早く、ぬかるむ道を踏みしめて歩きたいなと思う。長い間頑張ってきて、いろんな人に迷惑を掛けたこと、それを返せるのは、早く、元気になった姿を見せること位しか自分には出来ないかな。
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丁度一年
8月17日、昨年の今日は最初の病院に入院した日。
あれから今日で丁度一年経つ。
最初の病院から2度の転院をし、今H大病院にお世話にな
っているわけだが、色々なことがあったなあ。
又明日入院なので、これからももう少し色々なことを体験
していくんだろうけど。
苦しい体験はもういらない、痛い思いももう充分だ、そし
て家族に悲しい思いだけはもうさせたくない、とすごく感
じながらも、この頃、もっともっと大変な目に遭っている
人の存在を知るにつけ、もっと頑張らなければと思う。
少しつ"つでも、皆にお世話になったもの、返していかなけ
れば!!
あれから今日で丁度一年経つ。
最初の病院から2度の転院をし、今H大病院にお世話にな
っているわけだが、色々なことがあったなあ。
又明日入院なので、これからももう少し色々なことを体験
していくんだろうけど。
苦しい体験はもういらない、痛い思いももう充分だ、そし
て家族に悲しい思いだけはもうさせたくない、とすごく感
じながらも、この頃、もっともっと大変な目に遭っている
人の存在を知るにつけ、もっと頑張らなければと思う。
少しつ"つでも、皆にお世話になったもの、返していかなけ
れば!!
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うしろ姿
今は22日の手術に向け一時退院中である。
おかげ様で珍しくゆっくりとすごせている。
子ども達は、夏休みでも忙しく、先日の日曜日は、妻、子ども2人
とこの夏唯一そろっての休日。
自分が遠くまで行けないので、車でドライブ、というわけにはいか
ないが。
しかも、自分の身体からは胆汁を体外に排出するためのチューブが
出ているので、歩くのも遅くなる。
いつも先行く3人の背中を見ながら歩いていると、自分が背負う物
の大きさを感じてしまう。家族の大切さを感じてしまう。
入院して1年、どんな苦労がこの3人にあったのだろう。
口に出して言えないこともいっぱいあったのだろう。
必死になって我慢して、頑張って来たんだろうな。
今はまだ、自分がこんな身体。外見程、思うように動いてはくれない。
でもね、なんとか頑張って元気になれたら、逆に今度は堂々としたう
しろ姿を見せてあげるよ。
----------------------------------
<・・・一年前>
・・・2005.8.17(土)
SH病院に朝から入院。
血液検査の結果、γ-GTPの値が3千○○百?(通常7-77)
そんなのあり?
もしかして聞き間違い?
しかもB型肝炎ウィルスを持っている可能性があるらしく、判明
するまで一週間かかるそう。
又、劇症肝炎になると透析が必要になり、肝臓が再生するには、
相当な入院が必要であること。
自分にとってはまさに予期せぬ事態であり、肝臓病の知識など、ほ
とんどなかったので、何?何?何? の連続であった。
そしてこれが、この後に続く絶望と喜びの繰り返しの始まりだった
のです。
おかげ様で珍しくゆっくりとすごせている。
子ども達は、夏休みでも忙しく、先日の日曜日は、妻、子ども2人
とこの夏唯一そろっての休日。
自分が遠くまで行けないので、車でドライブ、というわけにはいか
ないが。
しかも、自分の身体からは胆汁を体外に排出するためのチューブが
出ているので、歩くのも遅くなる。
いつも先行く3人の背中を見ながら歩いていると、自分が背負う物
の大きさを感じてしまう。家族の大切さを感じてしまう。
入院して1年、どんな苦労がこの3人にあったのだろう。
口に出して言えないこともいっぱいあったのだろう。
必死になって我慢して、頑張って来たんだろうな。
今はまだ、自分がこんな身体。外見程、思うように動いてはくれない。
でもね、なんとか頑張って元気になれたら、逆に今度は堂々としたう
しろ姿を見せてあげるよ。
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<・・・一年前>
・・・2005.8.17(土)
SH病院に朝から入院。
血液検査の結果、γ-GTPの値が3千○○百?(通常7-77)
そんなのあり?
もしかして聞き間違い?
しかもB型肝炎ウィルスを持っている可能性があるらしく、判明
するまで一週間かかるそう。
又、劇症肝炎になると透析が必要になり、肝臓が再生するには、
相当な入院が必要であること。
自分にとってはまさに予期せぬ事態であり、肝臓病の知識など、ほ
とんどなかったので、何?何?何? の連続であった。
そしてこれが、この後に続く絶望と喜びの繰り返しの始まりだった
のです。
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生体肝移植
昨日夜のTV番組で韓国の方の生体肝移植の話題を放送して
いた。見た方も多いと思いますが。
若くしてC型肝炎を患った父親が、若干16歳の娘の肝臓の
2/3をもらって移植手術を行うというものでした。
この16歳の少女は小さな頃から父親が苦しむ姿を目の当た
りにして育ち、日々肝臓について勉強し、ドナーとして法律
で許される16歳になるのを待って「私が父さんのドナーに
なる」と宣言していました。
父親は「娘の身体を傷付けてまで生きてはいけない」と言い
ますが、母親の「これが家族みんなの気持ちだから」という
言葉で手術に踏切り、2年後の今は2人共元気に過ごしてい
ます。
昨年の9月、自分もまさに同じ状況にいました。
透析の為入院した病院に、後々大変お世話になるH大学病院
のF医師が最悪の場合を想定し、足を運んで下さり、家族皆
に移植についての説明をして頂きました。
あまりにも想像もしていなかった衝撃的な話しの連続で、
その時のショックの大きさだけは今でもはっきり覚えています。
運良く適合者が見つかったとしても、自分の為にその人の身体
を危険にさらし、大きな傷を残してしまう。
生死を争う状況に自分の身が置かれていても、どうしてもその
ことを、そのことだけを考えてしまうのです。
産まれて初めて”死”というものを意識した瞬間でした。
今はドナーとなってくれた姉はほぼ元気になりましたが、
「大丈夫?」といつ聞いても、いつも返ってくる答えは
「本当に全然大丈夫!」という言葉ばかり。
ドナーといっても大手術をしていることに違いはありません。
心配掛けまいとするその裏に、痛みやたくさんの苦労がある
ことは想像に絶えません。
今は姉を始め、家族やまわりの皆さんには、本当にこの言葉しか
ありません。
「ありがとうございました。」「本当にありがとう。」!!!
いた。見た方も多いと思いますが。
若くしてC型肝炎を患った父親が、若干16歳の娘の肝臓の
2/3をもらって移植手術を行うというものでした。
この16歳の少女は小さな頃から父親が苦しむ姿を目の当た
りにして育ち、日々肝臓について勉強し、ドナーとして法律
で許される16歳になるのを待って「私が父さんのドナーに
なる」と宣言していました。
父親は「娘の身体を傷付けてまで生きてはいけない」と言い
ますが、母親の「これが家族みんなの気持ちだから」という
言葉で手術に踏切り、2年後の今は2人共元気に過ごしてい
ます。
昨年の9月、自分もまさに同じ状況にいました。
透析の為入院した病院に、後々大変お世話になるH大学病院
のF医師が最悪の場合を想定し、足を運んで下さり、家族皆
に移植についての説明をして頂きました。
あまりにも想像もしていなかった衝撃的な話しの連続で、
その時のショックの大きさだけは今でもはっきり覚えています。
運良く適合者が見つかったとしても、自分の為にその人の身体
を危険にさらし、大きな傷を残してしまう。
生死を争う状況に自分の身が置かれていても、どうしてもその
ことを、そのことだけを考えてしまうのです。
産まれて初めて”死”というものを意識した瞬間でした。
今はドナーとなってくれた姉はほぼ元気になりましたが、
「大丈夫?」といつ聞いても、いつも返ってくる答えは
「本当に全然大丈夫!」という言葉ばかり。
ドナーといっても大手術をしていることに違いはありません。
心配掛けまいとするその裏に、痛みやたくさんの苦労がある
ことは想像に絶えません。
今は姉を始め、家族やまわりの皆さんには、本当にこの言葉しか
ありません。
「ありがとうございました。」「本当にありがとう。」!!!
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何も無いことの幸せ
病室に居ると、特に入院生活が長くなればなるほど、
家に戻れたらあれもこれもやらなきゃと考える。
ところが思うほどできるものではない。
どこかここか痛みが有ったり、体中からチューブが出て
いたり、疲れやすかったり。
昨日、一昨日の週末は特にすることも無く、ゆっくり
過ごすことができた。
人間誰でも色々な欲が有るが、一年間病気と闘ってきて
みて「何も無いことの幸せ」を痛切に感じる。
仕事もままならない、家の事もろくにできない、今はそ
んな自分であるし、情け無さで落ち込むことも多いが、
妻を中心に、支えてくれる人達がいる。
「何も無いことの幸せ」を感じさせてくれるたくさんの
人達が、自分の周りにはいっぱいいる。
----------------------------------
<・・・一年前>
・・・2005.8.13(土)
身体中に妙な疲労を感じる。
しかし、丁度一週間の出張から帰ったばかりで、その疲
れが出たかな、という程度の認識しかなかったと思う。
・・・2005.8.14(日)
疲労感は強まり、午前中吐いてしまう。
翌日からの仕事の事もあり、さらに休日だった為、当番
病院を調べ胃腸の様子を診てもらう。
採血し、翌日の胃カメラが決定。
出張中の仕事の整理が有る為帰宅後も仕事。
正直きつかったのを憶えている。
・・・2005.8.15(月)
昨日の当番病院(S医院)での胃カメラ。
特に以上は無い、ということで一安心。
・・・2005.8.16(火)
どうやらこの辺りから雲行きが変わってくる。
午前中S病院で診察を受ける。
採血の結果が相当悪いらしく、入院勧告を受ける。
帰宅すると、留守番をしていた息子がS病院から電話を
受けていて、入院に関して大事な話が有るという事。
今直ぐにでも入院してほしいとのこと。
でもやはり、自分の中では状況を良く把握できず、「仕
事の区切りをつけるので、もう少し待ってくれ」と言っ
ている始末。
しかしそうも言ってられず翌17日には、S医院の医師
に紹介された、SH病院に入院。
妻に連れられ家を出る時には、家族に「じゃあちょっと
行ってくるわ。」と言ったのを今でも憶えている。
この時はまだ、本当に「ちょっと行ってくる」という感
じしかなかったのでです。 ・・・この時はまだ。
家に戻れたらあれもこれもやらなきゃと考える。
ところが思うほどできるものではない。
どこかここか痛みが有ったり、体中からチューブが出て
いたり、疲れやすかったり。
昨日、一昨日の週末は特にすることも無く、ゆっくり
過ごすことができた。
人間誰でも色々な欲が有るが、一年間病気と闘ってきて
みて「何も無いことの幸せ」を痛切に感じる。
仕事もままならない、家の事もろくにできない、今はそ
んな自分であるし、情け無さで落ち込むことも多いが、
妻を中心に、支えてくれる人達がいる。
「何も無いことの幸せ」を感じさせてくれるたくさんの
人達が、自分の周りにはいっぱいいる。
----------------------------------
<・・・一年前>
・・・2005.8.13(土)
身体中に妙な疲労を感じる。
しかし、丁度一週間の出張から帰ったばかりで、その疲
れが出たかな、という程度の認識しかなかったと思う。
・・・2005.8.14(日)
疲労感は強まり、午前中吐いてしまう。
翌日からの仕事の事もあり、さらに休日だった為、当番
病院を調べ胃腸の様子を診てもらう。
採血し、翌日の胃カメラが決定。
出張中の仕事の整理が有る為帰宅後も仕事。
正直きつかったのを憶えている。
・・・2005.8.15(月)
昨日の当番病院(S医院)での胃カメラ。
特に以上は無い、ということで一安心。
・・・2005.8.16(火)
どうやらこの辺りから雲行きが変わってくる。
午前中S病院で診察を受ける。
採血の結果が相当悪いらしく、入院勧告を受ける。
帰宅すると、留守番をしていた息子がS病院から電話を
受けていて、入院に関して大事な話が有るという事。
今直ぐにでも入院してほしいとのこと。
でもやはり、自分の中では状況を良く把握できず、「仕
事の区切りをつけるので、もう少し待ってくれ」と言っ
ている始末。
しかしそうも言ってられず翌17日には、S医院の医師
に紹介された、SH病院に入院。
妻に連れられ家を出る時には、家族に「じゃあちょっと
行ってくるわ。」と言ったのを今でも憶えている。
この時はまだ、本当に「ちょっと行ってくる」という感
じしかなかったのでです。 ・・・この時はまだ。
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