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改修工事

昨日は2か月に一度のK病院。

全部の検査結果が出ていなかったので「完全」ではないけれども、「準完全」、昨日の杉内のように。




昨年から続いていたK病院の増改修工事も、新館棟は完成していた。





この新館に、あの、透析室が移ることになる。



そしてこれからは本館の改修が始まるのだろう。





病院の改修って、大変だ。

H大の入院中も、小さな改修工事が行われていた期間があって、そこそこ不自由だったけれど、K病院の
場合はかなりの大工事になるから、工事関係者も病院関係者も、なにより患者さん達が大変だ。

環境が良くなるのは、将来的に、とってもいいことだけど。







帰り道、H大に寄って特定疾患申請用の診断書を受け取った。

今回、申請を出して6日後にH大から「できました。」のTEL。

早い!どうして?


いつも、2週間経ってもできないのに。

だから早めに申請したのに。



それは、

ワープロ打ち、になったから。

いつも同じ文面なんだから、もっと早めにそうしていれば・・・



今回は、早めに診断書をもらい、早めに特定疾患申請をしようと思っている。

6月の審査会にかけてもらうように。

役所から言わせれば(1か月前からしか申請を受け付けない)邪道だけれど、考えてもみれば、サイクルを
1~2か月、もしくは3か月早めれば、有効期限内に発行される可能性が高くなる。


「その時の状態で判断」といっても、診断のサイクルは「半年毎」で変わらないのだから、期限内に間に合
わずに、とりあえず実費負担の上、4か月後に返還される、などという「変な患者負担」のことを考えると
よっぽど現実的かつ合理的だと思うけど。








改修工事、なんだか移植とおんなじだ。

切って開いて、古いの取って新しいの付けて。

違うのは、「新しいの」が、「人工物」か「人そのもの」かの違い。


せめて首から下だけでも新築できればいいんだけれど。




首から上はどうかって?

だってほらっ、顔も頭も自信あるからぁ。

ってのはどう?
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3歩進んで4歩下がる

♪しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだね♪




三百六十五歩のマーチ/真実一路のマーチ/ウォーキングマーチ
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日本クラウン





ということで、チータのように歩き始め数日。

♪ 一日一歩 三日で三歩 三歩進んで ♪ 一気に4歩さがる人生 ・・・を送る毎日。

自分が不憫・・・。




楽しんで歩く事ができればいいんだけれど、まだ、苦行のような感じ。




それでも先週、木曜日に銀行回りの為外出、もちろん車は使わない。

で、




ずっと6000歩前後だったので、快挙、これでも。



そして翌日、




ついに10000歩超え。

感慨。


やればできるじゃないか、うん。







♪ 人生は ワン・ツー・パンチ汗かき べそかき 歩こうよ ♪


そうだ!ワン・ツー・パンチだ! って、何が??



♪ あなたのつけた 足あとにゃきれいな花が 咲くでしょう ♪


アスファルト・・・



♪ 腕を振って 足をあげてワン・ツー ワン・ツー 休まないで 歩け ♪


これ、理想なんだけど、なかなか、恥ずかしくて・・・






だけど今日、








苦行は続くよ、どこまでも。



ハイキングウォーキングの“そうなっちゃいます?”
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主婦の友社
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お菓子を買う時

万歩計を付け始め、意識だけは少しでも歩くようになった。

だから「歩かなければ」という思いは常に頭にあり、その日の歩数を気にするようになる。




今(も昔も)自宅でデスクワークの毎日。

こういった場合、特に外出とか無ければ、一体どの位歩いているのか。

ズバリ、2500~3000歩。



一万歩にはほど遠いけれど、これは想像していたよりも多い数字だった。

で、「意識して」歩いたとして、毎日の散歩コースだとだいたい2.5km。

これだとどの位かというと、約4000歩。



なので一日平均、約6500~7000歩。



こうして除々に距離を伸ばしていこうと思っている。





それにしても、歩くって気持ちのいいものだけど、今だと気持ちほど前には進まない。

傍から見れば、いいオヤジが、アスファルトの上を這いずり回っているようにしか見えないだろうと思うと
恥ずかしい。

だから時々立ち止まり、辺りをキョロキョロと、まるでどこか場所探しをしているように振る舞う。


虚しい。





先日、妻と次男と三人でTVを見ていてのこと。

食品のカロリー表示についてやっていた。


妻、

「だいたい、そんな一々カロリーの表示なんて気にして見ないしょ。」

次男、

「え~っ、そんなもの見たこともないっ。」



って2人揃って言うから言いづらくなった。

シカとしようか、話しを合せようか・・・


でも体は正直なもので、

「えっ!必ず見るけど・・・。だからお菓子のカロリーとか、どれがどの位かだいたいわかる・・・。」





「え~~~っ!男のくせに信じられないっ。」

「え~~~っ!え~~~っ!なんで~?」



なぜに非難?

なぜに疑問?



だってお菓子一袋、100kCal未満のものもあれば、1000kCal超えのとかあるのに・・・





そりゃ食べ過ぎなきゃいいんだろうけどさ。

あんた達みたいに、な~んぼ食べても太らなきゃいいんだろうけどさっ。

ポテトチップスばっかり食べやがって。フン。






そういえば思い出すのは、手術後1~2年は、間食するとしたらヨーグルトばかり食べていたような気がする。

しかも少量。

あの頃の方が体調良かったのかなぁ~。




ちなみに、今一番の押し菓子は、

7&iの、「黒かりんとう」、一袋680.4kCal也。



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2030年6月1日~北海道へ

空を見上げ過ぎて首が痛い・・・なんてこともなく・・・


それでなくても、北海道はせいぜい部分日食しか見られないのに、我が家周辺は朝から曇り空。




大騒ぎの天体観測ショーが終わり、さぁ次は2030年、今から18年後、北海道でみられるそう。

ドリカムの歌「時間旅行」の如く、2030年の金環日食に、北海道で指輪を渡す、とびきりのやつを、
な~んて、このこのっ。



いまどき、そこまで待ってくれる女性って・・・??




でも、例えば、今プロポーズするとしてぇ、18年後ぐらいって、ちょうどいいっちゃぁいい、微妙って
言えば微妙。



がんばれ~っ!






WONDER3
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エピックレコードジャパン





↑ N氏が載ってるジャケットも、微妙?!
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のど自慢予選会へ行こう!~2012PartⅣ

来たる7月15日、室蘭市文化センター、ゲストは橋幸夫さんと、あの、小林幸子さん。


何かと話題の、あの、しし子さん。





大丈夫か?




で、前日14日が「N※Kのど自慢」予選会。

ただ今募集中。締め切は6月12日必着。





今回は、もう、ハガキ出しました。「道標」で。






ちょっと遠いけれど、また行きたいもんです、予選会。

そしてあの緊張感をもう一度。




本番と同じステージで、生バンドをバックに、な~んて経験は、素人にはそうそうできるものではありません。

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移植のドナー

脳死と違って、生体移植の場合はドナーの術後の健康状態も気になるところ。

最近、色々な本やネットで、移植の全体像に触れる機会が多く、ドナーの在り方について考えさせられること
が多い。



生体移植を経験された方は、自分も含め、移植に踏み切る時に、それこそ他人には想像すらできない葛藤と、
大きな苦悶と僅かな期待の入り混じった、神経を揺さぶられる様な過程を経てきていると思う。

それはすなわち、

「健康な体にメスを入れる」ということ。





わたしのドナーは姉。

顔を見るたび、調子の悪さはこれっぽっちも見せないが、果たして本当のところはどうなのだろう、と考えて
しまう。


というのも、色々見聞きすると、やはりドナーはドナーで大手術を受けている事に違いはなく、術後の経過
が思わしくない人もかなりいるらしい。




普段の経過もそうだが、もう一つ心配になるのが、開腹してしまっているという事実。

当然、臓器の癒着が起きている可能性も高くなり、もし将来、ドナー本人に起因する何らかの病気で手術が
必要になった場合、その手術の大きな妨げになってしまう事があるのではないかと。




自分のことは自分で、自己責任で管理できても、ドナーの姉の事となるとそうもいかない。

そのドナーの姉は今、義父を自宅に引き取り、介護の真っ最中。



悩ましい事ではある。





日本肝移植研究会で、ドナーの術後追跡調査なども行われているようだが、元々、ドナーに対するフォロー
があまりにも少ないのは、入院中ずっと感じていたことで、もし、自分勝手に言うことが許されるなら、
『ドナーにはずっと健康で元気に生活してもらわないといけない』わけで、脳死移植が発展途上の今、必然、
生体移植に救命を頼らなければいけない今、その辺のところは、ぜひ、国をあげて、しっかりやってもらい
たいと思うのです。

ここを、生体移植だから各々の自己責任で、って言われてしまうと・・・





自分自身の体調以上に、ドナーの体調、生活、これは本当に重要なんです。

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ブログダイエット

「ダイエットブログ」ではなく、「ブログダイエット」発進!






再手術後、49kgまでになってしまった体重、それから緩やかに増量しサービスが充実。

ところが57、8kgまで増えた時点でいきなりサービス終了、何故かまったく体重が増えなくなった。

そうして3、4年、ところが昨年辺りからまた増え始め、これが何故かわからない。

生活習慣は食習慣も含め変わってないと思うのに、最近は65kgを超えることも。




以前、医師に、普段の体重(健康だった時の)を聞かれ、「学生時代からずっと65kgでした。」

と答えたならば、「そうですね~、できれば65kgぐらいをキープできればいいですね~」と言われた事が
あるが、その時の体重は58kgぐらいの時。

今の上昇気配を思うと、今までの生活パターンではキープできる自信はまったくなし。




で、

最近の、体調の悪さもあるし、60日後には例の予選会もあるし、体力、筋力増強も兼ねて、ダイエットを
することにした。

で、どうするか迷った末、少し前に、記録してどうのこうの、っていうのがあったのを想い出し、そこで
自分にプレッシャーを与える意味で、ブログに記入してやろうと。

なので、

「ブログダイエット」



やることは、

・歩く(万歩計で測定進行中)

・腹式呼吸とストレッチ

・寝る前に食べない


これだけ。



あとはひたすら、測って記録して、発表する。

・体重と体脂肪





開始したのが11日。

その時の結果、






体重は服を着て測ったもの。
衣服は平均1.15kg。

なので、初日(11日)の結果は、

体重=65.75kg

体脂肪=20.1%



ちなみに現在(16日)は、

体重=65.3kg

体脂肪=17.0%



中間の13日は

体重=64.65kg



短期間でかなり変動がある。






一番の理想は、腹を中心に溜った脂肪を少しでも燃焼させ、完全消滅しつつある筋肉量を増やし、特に体幹が
鍛えられること。




当面の課題は「歩くこと」。

ここまで、一日3千歩、歩けてない。


今日も、今の万歩計表示は、「2607」。



これを、少しづつでも10000に近付けたい。




勝手にしろ、と言われながら、しばらく、究極の、自己満足ブログ、です。
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孤高のメス

『孤高のメス(大鐘稔彦氏著)』全6巻をようやく読み終わった。

この小説、作者は現役医師でもあり、もちろん手術経験も豊富、院内での人間関係も含めて、細部まで丁寧に
描かれていて、移植体験者としては、自らの身に置き換えて、真実味をもって読む事ができた。



孤高のメス―外科医当麻鉄彦〈第1巻〉 (幻冬舎文庫)
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幻冬舎




「移植体験者としては」 ・・・そう、主人公は外科医であり、婚約者を劇症肝炎で失った経験を持ち、
移植で助かる道を知り、移植を学び、そして日本初の生体肝移植を実行・・・


と、読んでいて、登場人物を含め、現実と、小説としての非現実が混ざり合い、ときどき、何が小説なのか
わからなくなる時がある。

ただ、予備知識(移植についての)の無い人にとっては、ただ単に長編小説として本当に面白く読めるのだ
ろうと思えるが・・・





自分自身、なまじ中途半端な、移植についての知識、特にその歴史・・・

今までも、自分が当事者になり興味を持ち、見聞きしてきたものもあるが、ちょっとだけ色々調べてまとめて
みた。


【 肝臓移植及び関連する歴史 】

1902年 ~ カレル(アメリカ)による心臓移植・腎臓移植などの動物実験
1906年 ~ ジャブレイ(フランス)による羊、豚からの異種腎臓移植の臨床実験
1910年 ~ 山内半作(京都大)による「臓器移植」実験報告
1961年 ~ カーン(イギリス)、アザチオプリンが実用的な免疫抑制剤であることを証明
1963年 ~ スターツル(アメリカ)による世界初の肝臓移植(手術中死亡)
1964年 ~ 中山恒明(千葉大)らによる心停止後の肝臓移植日本第1例
1967年 ~ バーナード(南アフリカ)による世界初の心臓移植
1968年 ~ 和田寿郎(札幌医大)による日本初の心臓移植
1978年 ~ カーン(イギリス)、免疫抑制剤シクロスポリンを初めて死体腎臓移植に使用
1985年 ~ 「脳死の判定指針および判定基準(厚生省)」が定められる
1986年 ~ 胆道閉鎖症の患者数十人、オーストラリアにて脳死者からの肝臓移植を受ける
1988年 ~ ブラジルにて世界初の生体部分肝臓移植が行われる
1988年 ~ 日本医師会生命倫理懇談会が脳死での臓器提供容認
1989年 ~ 胆道閉鎖症の日本人男児、オーストラリアにて実母からの生体部分肝臓移植を受ける
1989年 ~ 島根医科大学にて日本初の生体部分肝臓移植が行われる(胆道閉鎖症の1歳男児)
1990年 ~ 京都大学にて国内2例目の生体部分肝臓移植が行われる(胆道閉鎖症の9歳男児)
1990年 ~ 信州大学にて国内3例目の生体部分肝臓移植が行われる(胆道閉鎖症の7歳女児)
1993年 ~ 信州大学にて国内1例目の成人間での生体部分肝臓移植が行われる
1993年 ~ 九州大にて心停止後の肝臓移植が行われる
1997年 ~ 6月、「臓器の移植に関する法律」(臓器移植法)成立
1997年 ~ 10月、「臓器の移植に関する法律」(臓器移植法)施行
1998年 ~ 生体肝移植のレシピエントへの医療費、保険適用開始(先天性疾患等に限る)
1999年 ~ 臓器移植法成立後、1例目の脳死肝移植実施
2003年 ~ 日本初のドナーの死亡
2003年 ~ 日本肝移植研究会によるドナーの術後追跡調査実施の決定
2004年 ~ 1月、生体肝移植レシピエントへの保険適用拡大(大人の肝硬変、劇症肝炎、他臓器に転移
       する前の肝がんなどによる肝移植)
2004年 ~ 日本肝移植研究会によるドナーの術後追跡調査実施の開始









この本の中で、スターツルは主人公の移植の恩師として登場するし、移植手術の草創期の流れ等は現実を
伴って描かれている。


主人公の恋人が劇症肝炎で命を落し、その後、肝移植によって劇症肝炎でも治せることを目の当たりにし、
臓器移植、肝臓移植を広めようと努力する。


作者が自分の医師としての理想像を主人公に重ね合わせていることははっきりと読みとれるし、また、主人公
の、出世欲も金銭欲もなく、組織のしがらみにも縛られない、誹謗中傷も厭わず、ただ単に患者を純粋に治し
たい気持ちを持つ、こんな医師像は、それこそ実際の患者全員が望むものだと思う。







臓器移植法が制定されて、脳死が「人の死」として認定されても、今なお、脳死そのものや、生体、脳死移植
についての論議が、賛否両論を交えて行われている。



日本で初めて生体肝移植が行われたのが1989年。
それから僅か23年。

どんな理由があったにせよ、世の批判を顧みず、移植の道を切り開いてくれた医師や、免疫抑制剤を始めと
する薬の開発に携ってくれた人たちの存在が無ければ、胆道閉鎖症の小さな子供たちが救われることも、
今の自分が生きていることもなかった。

そういったことを改めて感じる為にも、読んで良かったと思える本だった。








・・・ただ、願わくば、移植を受けられる人(生き長らえる人)、受けられない人(亡くなってしまうしか
ない人)、この、あまりにも極端な、非情の差が、無くなる日がくることを、ただただ望むのです。
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道標

「これからわたしも行かなければならないんです。」

そう言って今日担当の若い先生に指示を出し、颯爽と去っていったY先生。





今日の定期検診は、昨日判定された脳死者からの肝臓移植が行われていて雑然としていた。

まさに脳死と移植の最前線、決してドラマではない真実の人間模様が垣間見れ、自分もその中にホンの少し
だけ存在しているようで、妙な、違和感というか、いまだ非現実としか感じられていない部分があるような
気がして不思議な感じだった。








さて、昨日、7月に行われる「のど自慢」予選会の募集が始まった。

4月の、野幌町の予選会に、ハガキで落選した瞬間から気持はすぐに7月14日の室蘭予選会へ。

早っ。

こういう時の気持ちの切り替えが普段もできていたら、妻や子どもに怒られる回数も減るのに・・・





で、野幌がだめなら、次はこの曲でいこう、と決めていたのが、







福山雅治さんの『 道標 』



これは結構自分では思い切った結論。

今までは、決して誰でも知ってる、という曲ではなく、どちらかというとマイナーな曲ばかり。


それがちょっとぁ~た、日本全国隅から隅まで誰でも知っている福山さんの・・・

ちょっとズレてもすぐわかる。恥ずかしい。



というわけでまた明日から練習。






歌詞がとってもいい「道標」。

福山さんの曲の中では2番目に好きな曲。



選曲理由ももう決めています。何を書くか。










とかなんとか言ったって、ハガキで選ばれなきゃ、なんにもならない?!

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71例目

病院に着いて新聞を読んでいたら、昨日午前、脳死判定が出たという記事。

で、肝臓は北大で移植という。

実際、手術はいつになるのか。
もう始まっているのか。


診察予定は11時30分。

先生いるんだろうか???
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先に進まない

GWが昨日で終わって・・・、昨夜は全国各地で究極のサザエさん症候群が発生していたのではないかと・・・

ご愁傷さまです。




自分はと言うと、基本、ずっと仕事、なのでどちらかというと、ちびまる子ちゃん状態。

・・・ピーヒャラピーヒャラ。。



GW後半は雨模様、屋外施設は踏んだり蹴ったりだったのではないかと、やや心配。

やっぱり夏(まだまだだけど)は暑く、冬は寒くないと。経済が。





さてっと、年度末の、バケツをひっくり返したような忙しさが過ぎ去ってひと月、これからは少しだけ、
今までできなかった事ができる時間があるのかな、と。

室蘭でののど自慢の募集も始まるし、HPの修正もしなければならないし、ここ数年の懸案事項である、
テーブルなどの製作と室内のプチリフォーム、それ以前に、工房を兼ねた車庫が足の踏み場も無い状態で
そこの片付けからしなければ全てが始まらない。

やる事が多すぎる。悲しい現実。





そしてもっと悲しいのは、腰と右手。

時々、もう完治しないのではとか感じてしまう。

それでも、だましだまし、生活は成り立つけれど、ほかの雑多なことをやろうとすると、どこかここか油切れ
になる。


なんか腹立つ。



現状維持するのも大変だけど、決して後戻りはしたくない。先は急ぐんだけど、でも気持ちだけ。

老いも進まなければこんな幸せなことはないけど、これだけは、加速度的に、びゅーん、と。



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代償

腰にはがっちりコルセットを巻き、手首にはサポーター、そして助っ人に次男くん、5月に入り、今日、
ようやくタイヤ交換完了。


やっとスッキリした。



明日、いや明後日あたりが不安、腰、どうなっているか。

力の必要な作業は全て次男くんにやってもらったので余り心配はしていないのだけれど・・・





それにしても、

今も整骨院に通っているけど、腰も手首も、どうも良くならない。


よっぽど筋肉が無いのか。




4月になって、暖かくなったら、少しは運動らしいことを始めようと思っていたのに、長く歩くことさえ
ままならない。

少しの距離なら全然大丈夫だけど、スーパーで買い物していても、最後の方になると、ずん、と腰が
重くなり、辛くなるから困ったもんだ。




さらには、最近は首まで痛み出して・・・






一年間の入院生活と、半年間強の右腹のドレンと、その後の一年間の右四十肩とで、歪んでしまった
身体の軋みの代償は、大きいようだ。
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