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右目が教えてくれること

今、右目で見えているのは目前の景色だけなく、そのはるか手前に常にうごめく黒い(?)物体。

絵にすると、下図のような感じ。






いわゆる、「飛蚊症」。(だと思う)





こんな状態がずっと留まっているのではなく、常に「動く」。

そしてたまに、「消える」。




「時間はかかるかもしれないが、視界の外に消える可能性はある。」

という眼科医の診立て。

つまり、一生付き合っていきなさい、ってことか。





最初、認識した時はどうなるかと思ったけど、よく言われているように、慣れる、ちゃぁ、慣れる。



だからいいわけでもないし、

つい最近、知り合いの人で、同じような症状から始まり、ついには右目を失明した、という話しを聞いて、ちょっと焦る。







そして、

以前とは少し違うのが、焦る反面、また違った感情があること、に気づいたこと。




身体のあちこちの痛みもそうだけど、何故かそんな諸々のことがあることによって、かえって生きてる実感がすること。

もしかして、M?


いやいや...






なんか、こう、生きてるギリギリのラインで過ごしていることが、それこそが逆に活力になるというか。

そもそもこんな歳になる前に、意に反して生きられることができない人は世の中にたくさんいるわけで、やっぱり生きてるだけで奇跡的なわけで。






12年前に、ほぼ終わっていたこの命。

12年経って、

「生きてることは当たり前なことじゃないんだぞ。」

と、


改めてこの、今の右目が教えてくれているのかな、と思うのです。





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ちょっとしたこと

ちょっとしたことの積み重ねが、どんどんと溜まっていきそうで...


一つ一つは致命的なことではないんだけれど、でもそれはきっちりとその都度対処していかなければならないわけで。

これが結構重荷になる。




なんと言っても、一つ目は大腸ポリープのこと。

このままだと12月末のH大病院での検診まで放っておくことになる。

来年の内視鏡検査時に切除できるようになるのなら、何ら問題はないけれど、それができないとなると、まったく話しは変わってくる。




そして同等かそれ以上に嫌なのが、眼。

飛蚊症の症状は、良くなるどころか、右目に関してはかすみが酷くなってきているような感じ。

いざという時に診てもらっている有名な眼科に行きたいんだけれど、眼底検査をするとなると車で行くわけにもイいかず。

診てもらったとして、問題有ろうがなかろうが、いずれにしろ眼鏡を取り替えなければならない状態で、これも年越ししたくはない。




もひとつ、

膠原病科の方。

相変わらずリウマチの有無を示す数値は高く、痛みが弱まる気配も無いけれど、お医者さん曰く

「必ずしもリウマチだけの症状でもないので、一度、整形外科で診てもらって下さい。」

と。




内科に眼科に整形だ。

全部、H大病院で済ませてくれていいんだけれど、と思うのはこっちの都合で、どうも総合病院というのは、そうでもないらしい。

かつては、結石破砕の時、わざわざ、他院の泌尿器科を紹介されたぐらいだし。



なんかこの、ちょっとずつ、というのが凄く嫌。

だからといって、致命的なのはもっと嫌。






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木田画伯

「スター選手」と言えば、プロ野球選手であること自体が、もうそれだけで「スター選手」。

野球をやっていて、プロになりたくてもなれない人が殆どなのだから。

その「スター選手」の中でも更に一握りの「スーパースター」。

単に成績がいいからだけでなく、「華」がある選手。



先日、

妻と、「ファイターズって、ずっと凄いのが続いてきたのに、大谷がメジャーに行って、中田までいなくなったら、ついに途切れるね。」

って言っていたら...



2004年にファイターズが北海道にやって来て以来、

新庄に引っ張られるように、FAでの稲葉の獲得に始まり、ダルビッシュ有、中田翔、斎藤佑樹、大谷翔平、等々。


「スーパースター」を根こそぎ獲得してきたような感覚。




長野や菅野の指名とかで、意味不明な批判を受けたこともあったけれど、それもこれも、

「その年の一番いい選手を取りにいく」

という球団方針の成せること。






で、昨日さ。

木田GM補佐。

別名、木田画伯。



清宮幸太郎選手を引き当てちゃった。

1/7の確率で。


凄い、偉い、感謝。

木田GM補佐、プロ入り以来、一番いい仕事した。(失礼。)





でもなんだこの流れ。

絶えないなぁ、スーパースターの連続。



お金をかけず、育成中心、若手の積極起用、時として冷徹な移籍もあるけれど、若い選手にとって一番チャンスがある球団なのではないか。




来年のエースは誰?って問題もあるけれど、なんだか俄然楽しみになってきた。

大谷ロス、のはずだったのに。





もうこうなったら、来期の開幕戦は、

先発、斎藤佑樹、

4番、清宮幸太郎


でどうだ。



無いか。



北海道日本ハムファイターズ公式球団歌 ファイターズ讃歌
クリエーター情報なし
VAP







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初雪。

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ポリープ切除

先週の定期検診、12年目の年次検診。

来年度、内視鏡検査時にポリープ切除ができるようになるのかならないのか、結局、外科では分からずじまい。


内視鏡の医師に確認してくれようとしたが連絡がつかず、後日確認します、ということで、でもその後不明。



このままいくと、次回のH大の検診が12月だから、そこまでどうしていいか分からなくなる。

まだ、近々に切除しなければならない状態ではないので、医師にしてみれば全然急いでいないのだろうけど、こっちにも都合がある。


そもそも、内視鏡検査時の切除が不可能なままなら、放っておく意味が無い。



そうなると12月の検診後、1月以降ってことになるんだろうけど、年明けから年度末過ぎまでは仕事が忙しいので、そこは避けたいのだ。




だからもし切るんなら今年中に、って思っていたんだけど...



一泊入院で済むんだからまだいい、ってのと、でも本当に忙しい時って時間単位で予定が立っているので、その時間さえが取れないのも現実。




さて...どうしよう。






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12年目

年次検診の日。

30分単位で、忙しい。
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「たぶん、どっちを選んでも悔いはないと思うよ。」

10月4日、今では自分にとって一番大事になった日。

あれから12年、長かったような短かったような、いろんなことが続々とあった日々。


それでも移植手術から12年、今まで生きてこられたことに感謝。

そして、もう暫くは生きていかれそうな(多分?)ことにも感謝。

感謝...




そんな中、昨日、静岡の次男くんから最後の合格報告が。

次男くんにとって最終目標のところ、おそらく主な国家公務員試験の中で、最後でもあるところの最終合格発表が昨日あり、無事合格。

結局、目指すべきところは全て合格を勝ち取ることができた。

4月30日に最初の受験をして以来、丸々5か月、本当によく頑張った。

頑張ったと言えば、それはここ数年の努力では決してなく、もっともっと小さい時からの積み重ねだ。



3月28日生まれという、特に幼少期に於いては圧倒的な不利な状況で育ち、「一学年下だったら」と、妻と言い合ったことは数知れない。

もう少し遅く生まれていたら、少しは楽なこれまでだったのかもしれない。

きっと本人自身が、誰よりも悔しい思いをしてきたことも少なからずあったと思う。



それでも、そんなこんなでハンデを乗り越え、大学入試では思わぬ挫折も味わい、ここにきてようやく努力が結集したような気がする。

やっぱり大事なのは、努力。心からそう思う。


努力なき成功って、いつか歪が来るものだし、本当の成功者って、きっと必ず努力している。

っていうか、そう思わないとやっていられない。



かつて聞いた言葉、

「高校入試や大学入試でさえ乗り越えられないなら、その後の社会人生活でいきずまった時、絶対に乗り越えられない。」



人は逆境に陥ってこそ真価が問われる、と常々思う。

その時こそ、その人の本質が現れると。




調子のいい時って、みんな「いい人」だ。




これから次男くん、どの道を選ぶのか。

選択肢は二つ。

昨日、

「どちらにしても、20年後、30年後、悔いの残らない方を選びなよ。」

って言ったら、




「たぶん、どっちを選んでも悔いはないと思うよ。」




という言葉を聞いて、やっぱり当事者は違うな、と。

外野だといろいろと考えてしまうが、ここまで考えに考え抜いて、自分で勉強して、自分で判断してきた人だからこその言葉だと思った。


もう余計なことは言うまい、と。

成長に感謝。







そして、次男くんの同学年でもあり、次男くんの憧れの存在、大谷翔平。

今日が日本での最後の登板か。

新庄、ダルビッシュ、大谷、と続いてきたファイターズの期待の流れ。

今後、誰が...

北海道ではHBCでのTV中継。

いつものラテ欄のたて読み。

特に今日は左右に。






「夢と感動をありがとう」


「次は君が夢かなえる番」







...夢を追う人、全員に送りたいです。




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生の声

昨日、

「北海道移植医療推進財団発足記念」第一回市民講座「働くことと移植医療」

を見にいってきた。


実際に移植を経験され、仕事復帰された4人の生の声。


発病し移植を決断され、移植をしなければ助からなかった(はず)命を救われ、そして現在は、市長として、漁師として、歯科助手として、

道庁職員として、それぞれのこれまでの過程と今後の目標と、生き生きと語られる様子は、まさに移植医療の果たすべき最終目標だったのだと思う。



こういった講座をきっかけに、移植医療の実態が広まり、認知されていくことは重要なこと。



でも、やっぱり思うことはある、自分なりに。




こういった講座等に参加するたび、いつも複雑な思いを抱えて帰ることになる。

今回聞かれたのは「4人」の生の声。

中心はやはり脳死移植の方。


脳死移植待機者に比べて、脳死移植で救われる比率が極端に少ない現状で、数少ない「幸運」な方たちだ。




生体移植で救われた自分がとやかくいう謂れはまったく無いのだけれど、移植叶わず亡くなっていった人たちを真近かで見てきた自分としては、

どうしても複雑な気持ちになってしまう。

もしかしたら、Sさんもこの中にいたのかも、と思ってしまう。



肝臓移植に限って言えば、まだ圧倒的に多いのが生体肝移植。

4人のうち、2人は脳死肝臓移植者。

妻とも、

「生体移植の道は無かったのかな。」

と話してはみたものの、

生体肝移植の、ドナーのハードルが非常に高いのも事実。




満席の場内。

昨日の講座を見て、自分も、自分の家族も、と同調できた人は多かったのだろうか。

観覧者からの質問で、ドナーの条件を質すものがあったが、答えはあくまで腎臓移植の場合だった。

肝臓の場合、つまりはH大病院かA医大病院のみでの場合となるが、それはまた条件がまったく違ってくる。


肝臓移植の先生が、移植後の術後の経過を述べられていたが、これもやはり肝臓と場合と違う。



数週間か、中には数日で退院、と話されていたが、肝臓の場合、そんな短期はあり得るのだろうか。

少なくとも自分の周りには一人もいなかった。



事実、自分は退院が半年後、一年後には再手術だった。






敢えて苦言を言わせてもらえば、

好例ばかりを示すのではなく、できれば、(やっぱりああいう意味合いの場では無理かぁ)

苦難の道を行った者、行っている者、もしかしたら可能性さえ無い者、

そんな話しを求めることって...


やっぱり無理かぁ。





でも、本当はそれこそが「生の声」だと思うんです。


そんな「生の声」を聞いてこそ、それぞれがぞれぞれの立場で、移植について考えることができるのかな、と、

そんなことを思った一日でした。





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