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ボディーブローのように

年度変わりの超忙しい時の静岡行きは、精神的にはある意味リフレッシュできた部分もあるが、肉体的にはかなりの
ダメージだった。

だった、ならまだいいけど、それは3週間経った今でも続いている。



それに加えて、長男くんの就活真っ盛りで、連日の面接対策相談で夜中まで電話し続けることも。



土曜も日曜もあったもんじゃなく、体が休まる暇がない。

結果、仕事も遅れ気味。


1週間後に迫るGWは、どうやら休めそうも・・・・




昼食後とか、なんかほとんど寝ながら仕事している感じ。

しばらく治まっていた頭痛も、ここ数日ぶり返した。




次男くんの学生生活が終わるまであと4年、もうちょっと頑張らねば、だなぁ。
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検診

久しぶりの定期検診。

ヘブスブリンの量が増えていることを忘れ、二度の点滴。
検診も結構疲れる。



今日は病院が終わったら、仕事の打ち合わせが二つ。

何をしているか時々わからなくなるけれど、こうして病院通いをしながらもとりあえず働けていること
が、不思議でありつつ感謝しなければならないことなのだと思う。
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真実の証明

なんだか違和感だらけ。

STAP細胞は実現するのかしないのか、再現可能かどうか、わたし達一般人、特に疾患を持つ人には、その
点だけが気になるところではないか。



小保方さんの人間性とか服装とか、卒業論文のコピペとか、科学者としての立場、やり方とか、そんなもの
ど~うでもいい。

きちんと積上げて、実験に実験を重ねて、練りに練って論文をまとめ上げる、そうした、おそらく一般の科学者
の方にしてみれば、許されざる部分は多々あるんだろうけど。



科学の部分と、そうでない部分とを分けて考えなければならない、確かにそうかもしれないけど、でもやっぱり
自分としてはSTAP細胞が有るのか無いかのか、それだけだ。

科学者の皆さん、それだけ!



だから、可能性が少しでもあるなら、興味のある多くの方が、再現、もしくは新しい形でのSTAP細胞、
もしくはそれに変わるものの発見、開発に精力を注ぎこんでほしい。


おそらく今回のことで、理研内部を、科学の世界を、「伏魔殿」のように感じた人が多いのではないか。











『アナと雪の女王』の主題歌「Let It Go」にハマっている人が世界中に多いと話題になっていた。

特に松たか子さんの歌声が評判とか。



今朝、TVで見ていて、何に惹き付けられるのだろうと考えてみて、きっとみんなにとって何か馴染みが
あるのではないかと、思うわけで。

で、ふと思った。サビの部分、『Let It Go♪ Let It Go』の所、似ている。記憶の片隅に。


「ラリホー、ラリホー、ラリルレロン♪ ラリホー、ラリホー、ラリルレロン♪」」


きっとこれだ。昔よく見てた「スーパースリー」。





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今日になって

病後、最も過酷な3日間を過ごし、今日が一番辛かった。

4日、5日はどうにかこうにかやり過ごせたけれど。


長男の時は、時間的余裕があった為、妻に任せっきりにしてしまったが、今回はあまりに急なことで、妻も
さすがにすぐ休みが取れず、ならば、ということで行ったのだけれど、とにかく体力だけが心配で、まぁ
よく持ったもんだ。


そもそも市外に出るのさえが久しぶり、道外なんてもってのほか、飛行機に乗るのに、「気圧が~」なんて
言ってる始末。


PASMOなんてのも初めて使った。



羽田もすっかり様変わりし、新幹線に乗るのも何十年ぶりか。




行ってる時は忙しさで疲れる暇もなく、歩くことだけはずっと続けてきたのでなんとかなったけど、だけど
頭は使ったなぁ~。

仕事とは違う頭。



新鮮っちゃ新鮮、案外リフレッシュできたのかもしれないなぁ。
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旅立ち

3月7日の大学入試前期合格者発表以来、27日、長いような、でもあっという間の、期待と落胆と、諦めと、
ほんの僅かな希望と、そして・・・



衝撃はまず22日の後期発表から。

センター判定はもちろんA判定、本当の意味での「すべり止め」を受けていない次男くんにとっては、ここで
ほぼ確実に合格ラインに届いていなければならず、なので敢えて学部変えをしても選んだ所。


センター持ち点では既に昨年の最低合格点数を上回っていた。

しかも配点がセンター1100に対し個別(小論文)が150。



小論文対策もしっかりしてきたし、すっかり安心心地の家族全員。

かつて「後期」は無いものと考えて下さい、と言われた事がある。


つまりは前期でなんとしても合格を勝ち取ろうと。

しかし前期はだめだった。これもA判定だったのに。



さすがに一抹の不安は残る。

でも、さすがに・・・



22日、14時、サイトで発表、電話確認(音声サービス)もできる。



「あっ、無い。」という次男くん。



電話でも次男くんが確認、「不合格」の音声。



・・・ ・・・ ・・・ ・・・ しばし無言。。




「どうしてだ」

「マークミスしたか」

「名前は」

「何かの間違い??」



「でももう駄目なのは間違いない!」

「どうする?」

「どうするって、だって私立だって入学手続きしてないし」


そう、センターの結果で第一希望にA判定が出たので合格した私学の入学手続きをしていない。

そもそも喜んで行く所ではなかった。



もう後は無い。




いや、

二次募集がある、かもしれない。

でもそれは通常、儚くも遠い希望だ。



有るかどうかもわからい、あってもごく僅か。

しかも希望の学部、学科となると・・・




さすがの、明るさが自慢の次男くんも、そして母も・・・

なんだか自分の病気の時のことを思い出す。

ちょっと、あまりにも、酷な試練を与えてくれる。

一生懸命、本当に高三の時から2年間頑張ってきたのに。


さらに酷な状況だったのが、22日は後期発表の最終日だったこと。

高校時代の浪人生仲間が次々と合格を既に勝ち取っていた。



この一年間、朝8時前には家を出て、夜遅い時の帰りは10時を過ぎることも。

親としては、特に母親としては、それら諸々、結果として付いてこないことに、何とも表現のしようがない
無力さも感じていた。


当然本人も、頑張ってきた、という思いが強いだけに、そのショックは相当だったようで、それ以降は
性格が変わってしまったようで、気持ちの切り替えにはかなりエネルギーはいるだろうな、と感じざるを
えない状況だった。



そうはいっても終わってしまったこと、親としては次を考えねばならず、しかもこの時点では残された時間が
あまりない。


翌23日には、気分の乗らない次男くんを連れ塾巡りだ。

塾を変えたい、という次男くんの思いはよ~くわかる。

でもここは冷静に。


その中で、進め方のまったく違う1社にほぼ決定。

段取りだけは進めようということだ。






ただそれと並行して、一応二次募集を探す。父も必死に探す。

殆どが私立大学、しかもちょっと行っても・・・という所ばかり。

たまに国公立があっても教育学部、しかも美術専攻とか。

先生になる気もなければましてや美術とか、次男くんには一番遠い世界かもしれない。


当然といえば当然か。




そんな中、国立大学経済学部に二次募集が。この時点で募集人員後日発表。

選考方法はセンター試験の点数のみ。

ただ、通常は1人か2人の募集だろう。

でも藁にもすがりたい次男くんは、受ける気満々。

でもちょっと待て。

願書提出は現地、それは静岡。

だめ元で行く価値があるのか。



「でもねY(次男)、どうせ1人か2人、それなら諦めて塾の準備を進めた方がいいんでないか。」と父。

「えっ!なんで?」


この時の次男くんの目の強さを忘れない。

まったく諦めてない目。


「でもさ、そもそもセンターでマークミスしているかもしれないんだし。」

そう、後期が駄目だった時点で、センターのマークミスを疑ったのだ。ただし親だけが。


「でももう2回目だよ。最初さえしてないのに、するかなぁ。」


ここでも次男くん、諦めてない。



ここで父も腹は決まった。

「でも募集人数が発表されたらもう一度冷静に考えるべ。」

と言いながら、募集一人だったとしても行かせようと。





そして27日、募集人数発表、13人。

「Y、13人だ。行ってこい。」





そこからはまさに怒涛の如く。

次男くんの飛行機の手配、宿の手配、旅の準備、

28日朝一便、次男くん一人で静岡へ。

東京経由で新幹線。



29日、何故か房総半島に寄り道して帰宅、余裕あるのか。


30日、塾の計画を立てつつ、もし受かった時の頭の準備も進める。


なにせ時間が無さ過ぎる。いずれにしても。




そして31日、14時、合格発表、後から聞いた話しでは倍率10倍を超えていたとか。



僅かな合格者の中に、次男くんの受験番号、



ありました。



何、この流れ。

どんだけ試練を与えられるのだろう。そしてギリギリの所で救われる。


やっぱり自分の病気を思い出す。



そもそも前期で受かっていれば、というのは当然あるけれど、このパターンで受かるのもまた運命なのだろう。





というわけで、発表後の記憶は・・・あんまり覚えてません。

っていうか、数分の無駄な時間も許されず、


だって、14時に合格が決まって、次の日には家を出て一人暮らしに向けての準備、この時点で住む場所さえ
決まっておらず、明日の飛行機さえ、ホテルさえ決まっておらず。


翌4月1日、13時には次男くんと2人、静岡駅に降り立っていました。


大きなスーツケース一つが、当面の生活道具。



それでも学校は待ってくれず明日4月4日は入学式。




1日、アパートを決め、2日、この日やって来た妻を伴い家電を決め、ところがこれも時期的に当然のこと
ながら配送は9日以降。

今日(既に昨日)3日、あとは妻と長男くんに任せ、帰宅したのでありました。






今、何かと騒がれているセンター試験、来年には一部改正される。

去年の問題、そして今年と、問題の奇怪さにもやられた。


今年は、去年の受験生、つまりは浪人生も多く、必然レベルも相当上がっていたようだ。


去年、今年の受験生は本当に大変だったと思う。

そして全国の受験生の皆さんには心からお疲れ様です、と言いたい。




やっぱり、頑張っていればいいことあるよ。


元をたどれば、A判定の前期で合格できなかった次男くんの力不足に始まった。

もしかしたら勉強の方向性を間違えていたのかもしれない。




でも、


次男くんには9年前のことを思い出させてくれた。


それはやっぱり、



「あきらめない」ってこと。






本当に大変なのはまさにこれから。

一浪していることは確かなのだから色んな意味で不利になる。

就職を考えると尚更だ。




あとはもう本人次第。

この経験を生かすも殺すも本人次第だ。





7日、息子を残して静岡を去る母は間違いなく泣くだろう。


次男よ、お願いだからその涙を忘れるな。




母は、最後まで、前期希望の地元大学を望んでいた。

その力も有ると信じていた。




同じ国立とはいえ、札幌と静岡、かかるお金ももちろん、なにより母の、家族の心配はその何倍も何十倍も
なんだから。




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静岡発

取り急ぎアパートを決め、電化製品の手配をし、昨日来た妻に引き継ぎ今日ようやく札幌に戻る。

仕事が・・・

嗚呼!
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静岡の朝

次男くんの新生活が静岡で始まる。

ここ数日の怒涛のような日々、まだまだ落ち着きは、しそうもない。
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そして静岡

東京を越え、静岡なう。
札幌と空気が違う。

街並も違う。

そしてカラータイマーが、


点灯!
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東京

これから東京に向かいます。

まずは東京です。
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