予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
手術後の様子
ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ、
金がほしいか、そらやるぞ。
みんなでなかよく取りに来い。
ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ、
管はうまいか、決めたなら、
一度にそろって飛んで行け。
~ by 貧乏人 ~
----------------------------------
・・・2006年 8月 24日
手術後がどんな感じなのか、移植後の事をあまり覚えていないのでよくわからなか
った。
再手術後、痛みはあるが、周りの看護師さんたちが騒ぐほどは感じなかった。
むしろ、移植後ずっと時折起こった腹部の激痛の方が痛かったし、胆管チューブを
挿入するのに横っ腹に穴を開ける時の方がよほど痛かった。
それでも看護師さんは心配してくれて、痛み止めを使う事を勧めてくれるのだが、
とりあえず夜も眠れるし、こちらからお願いすることは無かった。
それよりも困ったのが目まい。
目まいというか、頭がくらくらして目をずっと開け続ける事ができない。
麻酔の影響なのだろうか、心配になって聞いても、
「う~ん、そのうち治まるとは思うんですけど・・・」
と言われるばかり。
再手術の結果は、手術日の夜に妻や父に医師の方から伝えられていたらしい。
うまくいった時の説明は嬉々としてできるのだろうけど、もし不調の場合、伝える
側も伝えられる側も、その瞬間はなんとも言えない空気が流れるのだろう。
たぶん、手術はちょうど縫合中の頃、自分の仕事を終えたF先生が一足先にNS
でくつろぎ、
「満足そうにニコニコしていたのを見たよ。」
と後から妻に聞いた。
結果がすべての世界、医師は本当に過酷な仕事だ。
もし、当初の心配通りに、胆管の接続部が見つからなかったり、シャントで調整弁を
付けなければならなくなっていたり、癒着がひどくて何か起こっていたりしたなら
どんな説明をしていたのだろう。
金がほしいか、そらやるぞ。
みんなでなかよく取りに来い。
ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ、
管はうまいか、決めたなら、
一度にそろって飛んで行け。
~ by 貧乏人 ~
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・・・2006年 8月 24日
手術後がどんな感じなのか、移植後の事をあまり覚えていないのでよくわからなか
った。
再手術後、痛みはあるが、周りの看護師さんたちが騒ぐほどは感じなかった。
むしろ、移植後ずっと時折起こった腹部の激痛の方が痛かったし、胆管チューブを
挿入するのに横っ腹に穴を開ける時の方がよほど痛かった。
それでも看護師さんは心配してくれて、痛み止めを使う事を勧めてくれるのだが、
とりあえず夜も眠れるし、こちらからお願いすることは無かった。
それよりも困ったのが目まい。
目まいというか、頭がくらくらして目をずっと開け続ける事ができない。
麻酔の影響なのだろうか、心配になって聞いても、
「う~ん、そのうち治まるとは思うんですけど・・・」
と言われるばかり。
再手術の結果は、手術日の夜に妻や父に医師の方から伝えられていたらしい。
うまくいった時の説明は嬉々としてできるのだろうけど、もし不調の場合、伝える
側も伝えられる側も、その瞬間はなんとも言えない空気が流れるのだろう。
たぶん、手術はちょうど縫合中の頃、自分の仕事を終えたF先生が一足先にNS
でくつろぎ、
「満足そうにニコニコしていたのを見たよ。」
と後から妻に聞いた。
結果がすべての世界、医師は本当に過酷な仕事だ。
もし、当初の心配通りに、胆管の接続部が見つからなかったり、シャントで調整弁を
付けなければならなくなっていたり、癒着がひどくて何か起こっていたりしたなら
どんな説明をしていたのだろう。
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すべての始まり
最初、一ヶ月ほど入院してゆっくり休めば、またすぐ仕事に復帰できる、と簡単
に考えていた。
それでも中学の時以来入院が無かったので、一ヶ月といえどあまりにも長く感じて
いたぐらいだ。
そんな呑気な気分も、この↓メモで一気に吹っ飛ぶ。
このメモから長い長い入院生活が始まったのです。
2005年8月16日・・・・・・
休日当番の病院で前日に受けた胃カメラの、そのついでのような血液検査で異常が
判明、入院勧告を受けて帰宅すると、帰宅途中にかかってきた、その病院からの
電話を受けた長男のメモだ。
・・・ ※※※内科医院からTel
内容 入院の事で大事な話しがある
電話してください ・・・
それまで出張を伴う仕事をし、一時帰宅途中だったその頃、あまりも仕事の切りが
悪いものだから、入院勧告に対しても、
「一日待ってもらえないでしょうか。」
と言って帰ってきていた。
何か嫌な予感がして電話をすると、
「待っていられません。大変な事になりますからすぐに入院して下さい。」
と。
受け入れ先の病院の手配はしました、と。
病名も重症度もまったく分からなかったこの時、まだ一ヶ月程度で戻ってくると
信じていたのです。
に考えていた。
それでも中学の時以来入院が無かったので、一ヶ月といえどあまりにも長く感じて
いたぐらいだ。
そんな呑気な気分も、この↓メモで一気に吹っ飛ぶ。
このメモから長い長い入院生活が始まったのです。
2005年8月16日・・・・・・
休日当番の病院で前日に受けた胃カメラの、そのついでのような血液検査で異常が
判明、入院勧告を受けて帰宅すると、帰宅途中にかかってきた、その病院からの
電話を受けた長男のメモだ。
・・・ ※※※内科医院からTel
内容 入院の事で大事な話しがある
電話してください ・・・
それまで出張を伴う仕事をし、一時帰宅途中だったその頃、あまりも仕事の切りが
悪いものだから、入院勧告に対しても、
「一日待ってもらえないでしょうか。」
と言って帰ってきていた。
何か嫌な予感がして電話をすると、
「待っていられません。大変な事になりますからすぐに入院して下さい。」
と。
受け入れ先の病院の手配はしました、と。
病名も重症度もまったく分からなかったこの時、まだ一ヶ月程度で戻ってくると
信じていたのです。
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再会
予定ではまだ病院に居るであったろうこの日。
以前同じ病室だったSさんが定期検診だったので、様子を見に来てくれる
予定だった。
予想に反して早く退院してしまったものだから、しばらく会えないのかと
思っていたら、自分も検診の日だった。
ということで病院でお互い外来で再会。
とかく病人は、病気自慢というわけではないが、自分の病気につては良く
語りたがる。他人に話すことで、ストレスを発散させるというのもある。
その結果、あまり他人の話しは聞かないというのも良くあることだ。
Sさんは、自分なんかよりも厳しい状況でありながら、良く話しをしてく
れたし、なにより良く話しを聞いてくれた。「根が前向きだから」という
が、気持ちが強くなければなかなか。
とても勇気づけられ、元気をもらった。
長く入院していると、色々な患者さんと出会う。
広い意味で運命共同体のような、お互い励まし合い、知識を伝え合い、文句
を言い合う、これもとても良い経験だ。
病院でしか味わえない経験、でもSさんと二人、しみじみと言った。
「もう二度と入院したくないよね」
「お互い家族に囲まれて幸せ者ですよね」
以前同じ病室だったSさんが定期検診だったので、様子を見に来てくれる
予定だった。
予想に反して早く退院してしまったものだから、しばらく会えないのかと
思っていたら、自分も検診の日だった。
ということで病院でお互い外来で再会。
とかく病人は、病気自慢というわけではないが、自分の病気につては良く
語りたがる。他人に話すことで、ストレスを発散させるというのもある。
その結果、あまり他人の話しは聞かないというのも良くあることだ。
Sさんは、自分なんかよりも厳しい状況でありながら、良く話しをしてく
れたし、なにより良く話しを聞いてくれた。「根が前向きだから」という
が、気持ちが強くなければなかなか。
とても勇気づけられ、元気をもらった。
長く入院していると、色々な患者さんと出会う。
広い意味で運命共同体のような、お互い励まし合い、知識を伝え合い、文句
を言い合う、これもとても良い経験だ。
病院でしか味わえない経験、でもSさんと二人、しみじみと言った。
「もう二度と入院したくないよね」
「お互い家族に囲まれて幸せ者ですよね」
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抜糸
術後16日目、今日は定期検診。少し早かったけれど抜糸された。抜糸といっても今回はホチキス。あっという間だったがかなり痛かった。でもそれまであった痛みや突っ張り感はかなり軽くなった。 だんだんと回復していく身体。でも今まで散々なめにあってきただけに、何か心に引っかかるものがある。何って具体的なものではないのだが…。
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今日…
退院の朝を迎えた。 今まで何度も入退院を繰り返したが、今朝は特別かな。 今まで…常に何かを残して。特に今回の手術。結石の激しい痛みもそうだった。腹痛もそうだ。オマケに潰瘍。 でも今回は、全部とはいかないがそれらをクリアして。素直な喜びと、新たな希望と、少しの不安を抱えて…、今日…退院します。
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