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主夫考

バブルが終焉を迎える頃、会社を辞め独立し、バブルがはじけきって泡も干からびた頃、たくぎん(北海道拓殖
銀行)が破綻し、と同時に仕事の量も減り、さらに単価までも下がり、それまでの生活形態を変えざるをえなく
なった時、妻が再び働き始めた。


それから妻は、行く仕事先それぞれで各種諸事情に振り回されているわけだが、それでもへこたれない妻は
働き続けている。





ンな訳で、典型的な共働き夫婦が出来上がったのだが、そうなると条件は一緒、基本、家事・炊事は同等の条件
となる。


とは言っても、一人暮らし経験があるとはいえ、建築と歌(?)しか知らない自分、何でもかんでもできるか
って言うと、妻のようにはいかない。

一応、手先は小さいころから器用という自負はあるので何でもやってはみるけど。



ただ、掃除大好き、片付け大好き、なので、あまり苦にはならない。



むしろ、何でもかんでも捨ててしまって妻に怒られたり。






「食器洗いとか、嫌いじゃないから。なんだったら専業主夫になるかい。」

なんて言ってみても、妻は「ふん!」ってな感じ。






病気をして、あんな目に遭って、家庭としてはすごく大変。それはもう。色んな意味で。



せめて、できること、これはやらねば、とは思う。







近い将来、捨てられないためにも。

まぁそれもあって、「大丈夫!そんなに長生きできないから。」って、何が大丈夫なんだかわからないけど、
そんなことを折りにつけ言ってみたりしているわけです。





病気すると、それも大病だと、身も心も、細くか弱くなるんです。







歌って踊れる主夫目指して頑張るからね~っ。

って、なんのこっちゃ。




主夫の花道
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ディスカヴァー・トゥエンティワン
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「障害者交通費助成制度」

今年もまた、「障害者交通費助成制度」の中から、ガソリン券を頂いてきました。







重度(身体障害1~2級)の場合、30、000円分もらえるので、これは結構助かる。

札幌市は、例えばタクシー・ガソリン券(重度)は、2月15日から申請でき、申請が遅れるともらえる
内容がどんどん減っていくので、早めの申請がいいと思います。



あと、有料道路の割引(通常料金の半額)は、2年毎の更新が必要で、これを怠ると、いざ料金所で
トラブルなんてことになるので注意が必要だと思います。








というのも、昨日の、役所の福祉課の窓口、自分の担当になったのは50代風の紳士。

これがまた、愛想が悪い悪い。

しかも聞かれた事しか答えない。こちらが何か言わないとうんともすんとも言わない。


まぁそれでも、きちんと仕事をこなしてくれればいいけれども。



最初、ガソリン券の交付を申請。粛々と手続きは進む。無言で。

今年は有料道路割引も切れるので、ガソリン券が終わったらこれも、と頭で考えていると、隣の窓口には
こちらはタクシー券をもらいに来たオジさん。

これがまた、やたらと愛想のいいお姉さんが担当で、

「有料道路ももう切れますね。こちらも一緒に手続きしますね


「ぅん?」

そうか、この窓口でいいんだ、と理解したと同時に、このオヤジ、目の前の。




「有料道路もここでいいんなら、一緒にやってもらいたいんですけど。」

って言うと、

「あぁ、これももうすぐ期限なんだぁ~。」

だって。




お前、この!

こっちから言わないと動かんのかい!



と、怒りは胸にしまい、また粛々と。





問題は・・・こちらに意識がある場合はいいんです、でもこれが、こちらに従前に予備知識(知識という
ほどのものでもないですが)がなかった場合、そのままやり過ごされ、それこそいざという時・・・





年金払え、とか、税金払え、とか、払いが遅れているぞ、とか、そんな時はそれはもう、恐ろしいまでの
手際の良さで、電話はくるわ、ハガキはくるわ、非国民か、みたいな言い方されるのに、こういうことに
なったら、

「ほれ、やるぞ、そっちが来るなら、ありがかたく受け取れ。」

みたいな意識がありあり。




まったく、何度も言うけれど、こういうのって、与えられるものではなく、勝ち取るものなんだと、再認識。






事の顛末を帰宅して妻に伝えると、

「それなりの部署へ苦情の電話してみればいいしょ。」

「でも後で文句言うぐらいならその時に言うし。」

「だって、そんな事で嫌な思いすることないしょ。そんなの、民間だったら大変なことだよ。もう、すぐに
苦情の電話の嵐だわ。」


いつも逆の立場で似たような経験をしている妻にしてみれば、役所の常識は一般の非常識。





ここ最近は、前近代的な役人はかなり減ってきたと、肌で感じていただけに、ある意味希少価値があり、
やはり本質は簡単には変わらないんだな、と改めて思ったのでした。

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二十歳の頃

年度末、もうすぐ4月だというのに、路面はまた雪。

寒いし。



また、春が来て夏が来たら、すぐに冬になるんだろうと考えたら、なにか虚しい。



毎日が、昔を振り返る余裕もなく、忙しく過ぎていくので、ふと我に返ると、いいのかこれで、と、漠然と
不安になる。



九死に一生を得ながらも、生きている、ことに慣れてしまうと体も脳もどんどん贅沢に、貪欲になっていく
のです。







「卒業」といえばこの時期のキーワード。

TVもラジオも番組改変で終了するものがあったり、番組を卒業するキャスターだったりアナウンサーが
いたり。

そしてなんと言っても今の旬はAKB前田さんの卒業。



あの位置で、立ち上げ時から中心にいて、いい思いもしただろうけど、きっとその数倍も嫌な思いをした
ことだろうと思う。

AKBにはアンチ派も多いようだし。


かつて「アンチ巨人」と言われたように、嫌われることは反じて人気のバロメーター。

そういう意味ではやはりAKBは今の時代のスーパースターなのだろうと思うし、その中心にいた前田さん
は超スーパースターなのだろうと思う。



これから「AKB」という看板が外れ、良くも悪くも自分一人、これは大変。



世の中、会社という看板だけでい生きているオジさんたちが圧倒的に多い中、何もかも一人、というのは
本当に大変なんです。


大変、だとは思うけれど、でもこうも思う。二十歳の頃に戻りたい、と。








たぶん、世の中の、二十歳ぐらいの子って、その存在価値を、今のオジさんほどにはわかってないと思う。

二十歳、実績も経験も乏しいかもしれないけれど、不満ばかり抱えているかもしれないけれど、でも、
なんといっても未来がある。

オジさんには無い未来がある。


何でもできる、その気になれば。




3、40年後、過去を振り返った時、後悔の少ない人生を歩んだと言えるように、若い人には頑張ってほしい。
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移植後、薬と体調~その2

病院内で、薬の管理を自分でするようになったのがいつ頃なのか、たぶん自己管理表を付け始めた頃だから
12月の初め頃だったと思います。

移植手術が10月4日だから、順調にいけば年内に退院できるぐらい、一般的には。





とにかく、数値が良くならなかったのと、肝性脳症が長く続いたので、通常よりも全てが遅れ気味だった
ので、いきなり薬の山(まだまだ薬の量が多かったので、本当に山のような感じ)を渡されて、さあ、
さあ、と言われても、脳がまともに働いておらず、かなり戸惑ったのを覚えています。




それでも、早く退院したい一心で、提案されたことは何でもハイ、ハイ言って受け入れてしまっている状態。



薬の中にはラクツロースやファンギゾンシロップのように冷蔵庫に保管しなければならないものもあって、
服用前後の往復や、服用ケースの洗浄や、とにかく薬を全部飲むのが一苦労。



でも弱音は吐けず、頭の中は早く何でも自分でできるようになって、一刻も早く病院を脱出すること。




意欲、という面では、結構いい患者だったと思います、この時期は。






年内に退院、これが第一目標でありながら、これが無理なことが言われなくても雰囲気でわかり、ならば
一月末にはなんとか、と気持を切り替え、せめて一時退院でも、と、現実的な感覚が戻りつつあったのは
脳症の影響が薄れてきていた証拠だったのかもしれません。






【2005年12月26日(移植後83日目)1日の服薬量】

(免疫抑制剤)
・ネオーラル~50mg×2回
・プレドニゾロン~5mg×8錠
・セルセプト~250mg×6錠

・ファンギゾンシロップ~5mg×3回(カビ等抑制)
・ゾビラックス~200mg×2回(ウイルス発育抑制)
・バクタ~週に3回(細菌抑制)
・ゼフィックス~100mg×1回(B型肝炎ウイルス抑制)
・オメプラール~20mg×1回(胃酸分泌抑制)
・ラクツロース~30mL×3回(アンモニア減、排便促進)
・カナマイシン~250mg×2錠×4回(腸内細菌抑制、アンモニア減)
・スローケー錠~600mg×2錠(カリウム補填)







血糖値は夕方になるにつれて高くなり、インスリン投与は必須。

免疫抑制剤は、セルセプトは朝8時3錠、夜8時3錠が基本、ネオーラルは朝と夜、その都度指示された
容量、75mgであったり100、150mgであったりを服用、そして28日からは、ネオーラルをプログラフ
に変更、これもその都度指示された容量を服用することになり、そのたびナースコールで確認するという
状態。

体調は、ダルさはおそらく一般的な移植後患者のそれ。
頭痛は、そうでもなかった様な気がします。
自己管理表に記入している文字を今見ても、かなりしっかりしているので、一時期ほどの手のふるえも
なかったように思います。

辛かったのは、相変わらずの足のむくみ、夜中、何度も目覚めること、早朝(4時とか)に決まって目覚める
こと、食欲がないこと、水分を多く摂らなければならないこと、薬の量が半端ないこと、そしてなんと言って
も先が見えないこと。




そして、薬は、やはり移植患者にとっては命綱、これを強く感じる毎日でした。
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タイムリミット





最後まで、迷いに迷い、そして手元にはまだ応募ハガキ、「な~にやってんだ」という言葉が、どこから
ともなく聞えてくるようで、心が・・・・痛い。嗚呼。


どんなに悩んだって、ハガキ選考にもれたら何の意味もなく、さらに言えば、こうして毎回々、バカみたいに
盛り上がっている自分以外には何の関わりもなく。嗚呼。





きょ、曲が。








南幌町ののど自慢予選会の応募締め切りまで、あと、3日。

仕事にあっぷあっぷで、選曲する暇も、練習する暇もなく、ここまで来て、でもなんとか今日、応募ハガキ
を送ろうと思います。


もうね、色々迷ったけど、またまた木山裕策さんの曲にしました。


『 永遠 』



思えば、過去2回、予選会に呼んでもらえたのはいずれも木山さんの曲。

それにあやかって、ではないけれど、カラオケに行く暇さえ無いんだからしょうがない。




でも、過去の2曲に、負けず劣らず、難しい。

たぶん、外す。撃沈する。




って、

そんなことは、予選会に呼んでもらってから考えることでした。






N※Kのど自慢 ~ 南幌町120年、町制施行50周年記念~

平成24年4月29日(日)予選会28日

南幌町スポーツセンター
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寝る子は育つ

春休みで帰省中の長男くん、昨夏からの自動車教習場通いも終わり、先日、無地免許証を取得。


ちょうど路上教習が雪道だったので、気温の上昇とともにアスファルトが見え始めた今ごろは、
運転が楽しくてしょうがない様子で、昨日も夕方、近所のゲオに行くと言って出掛けたのに、帰り道、いろんな所を周ってきたと、小一時間経って帰ってきた。



去年の今ごろは、初めての大学生活、初めての東京暮らしを控え、慌ただしい毎日を送っていたこと
を思えば、あんなダメダメくんでも成長するもんだと、妙に感慨にふけったりするのです。





さて、成長ついで、ではないけれど、長男くん、免許取得も終わり、今日からは、人生初の
アルバイト。

よくこっち(札幌)で見つけたもんだと思うけれど、これも教習場通いが終わると同時に、これも
また現代っ子らしく、ネットで仕事先を見つけ、面接の段取りを付け、これまたネットで、履歴書
の書き方から電話の掛け方、面接方法まで調べ、って、ネットがなきゃどうするってなもので。



少し前、教習場に出掛けた長男くんのPCの画面がちらっと目に入り、カバーを閉めてやろうと
近づくと、そこには、



『yahoo! 知恵袋』



面接時の電話の掛け方が丁寧に説明されていました。







便利、というか、時代は変わったな、と思います。

アルバイト情報買ってきて、10円玉握りしめ緊張しながら公衆電話のダイヤルを回していた学生
時代が懐かしい。





妻の、

「履歴書の用紙どうする」とか「履歴書の写真が無い」とか、無用な心配をよそに、免許証をもらい
に行った試験場の帰り道、しっかりと履歴書を購入して写真を撮って帰ってきた長男くんでした。





都会での一人暮らし、どんな子でも変わって帰る、というけれど、あの、寝てばっかりいて、な~ん
も考えてなくて、向上心など微塵も感じさせなかったボンクラがねぇ。


【可愛い(可愛くないけど)子には旅をさせよ】


正解、です。
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挑戦できるって、素晴らしいことだと思います

録画しておいた、のど自慢チャンピオン大会を見て、意味なく感化されつつも、まだ曲を決めかねている
ところです。


そもそも、カラオケに行く時間さえ無い。


応募締め切りが26日、今週中にどうにかなるものか、甚だ疑問。




こうなると、色んな意味で余裕がなく、楽しくない。

今年は7月にも室蘭で行われるので、今回は見送ろうかななどと思いながらも、しっかりと往復ハガキを
買ってきたのでした。





小林シシ子みたいに、アレみたいなやつに乗って歌うとか、笑っちゃう。





しかしねぇ~、入院していた頃には到底考えられなかったですねぇ~。

のど自慢に挑戦、とかって。


だって、病院のベッドの上でひぃひぃ言ってたんだから。

普通に生活できるようになるんだろうか、とか、仕事なんて全然無理、って考えていたんだから。



人間、諦めるものじゃぁないですね。



なんとかなる、って思っていたら、なんとかなる、こともある、それが闘病、そして諦めたらそれで
終わり、これも病気。





誰の為でもなく自分の為、頑張るのは自分、辛いのも苦しいのも、痛くて痛くてしょうがないのも自分。




でも、頑張れるのは、家族がいて、友がいて、応援してくれるたくさんの人がいるからですね。









だからかなぁ~、目指せのど自慢、って言っても、誰も応援してくれないや。
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変わる

昼休み、TVで山田優さんの結婚報告会見を見ていて、人は環境で随分と表情が変わるもんだと、なんだか
とても幸せな気分になってしまいました。



すごくいい笑顔でしたね。



たぶん、どんな人も、産まれた時から悪人って、そんな人いないと思うけど、周りが人を変えることも
当然あるだろうし、幸せな時はみんな笑顔だろうし、なんかちょっとでもいいことあって、みんなが笑顔
で接することができたなら、この世の中どんなに素晴らしいだろう、などと思いながら、お前はどうなんだ
と、自分突っ込みを入れざるをえないかんぞうだったのです。






年度末、春、季節の変わり目、入学、卒業、それでなくても色んな事が変わる時期、自分の周りでも
たくさんの変化が。

その中には予想もしないような変化もあったりして、50年も生きていると大概のことには慣れてくる
けど、それでもどぎまぎしたりする。




変わる、といえば、変化にはかなりのエネルギーが要る。

なので必然、変化を求めようとしなくなる。


病気をしてからはなおさらだ。




変化に対するパワーがなくなっているから。




弱くなったなぁ、と、つくづく思います。

もう今や、肉体年齢80歳、精神年齢80歳。


辛いわぁ、日々。



笑顔もねぇ、最近、心の底から笑ったこともないし。




もうねぇ、目の前の仕事、コツコツやるしかないわ~。


山田久志優しさの配球、強さの制球―21世紀型人材活用
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海拓舎
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移植後、薬と体調~その1

10月4日の移植手術の後、11月末まで、自分が自分ではない期間が2か月弱続いてました。

アンモニア値が高く、肝性脳症で幻覚(?)と現実を行ったり来たりしているので、その間の記憶自体が
曖昧なままなのです。


今振り返っても、何が現実で何が非現実だったのかよくわからないのです。

なので、このブログの大きな元となるデータも、紙として残っているのは、その脳症から醒めつつあった
11月末からのものが多いのです。








8cmファイル1冊分のこのファイル、その中で服用薬のデータが残るのは11月25日から。


移植手術から50日、状態としては、肝性脳症の終末期、残念ながら採血データはありません。

ただ、この頃既に、回診にくる先生のデータ表が分厚くなりかけていたのを覚えています。



そして先生、「・・・・・・、・・・・・・。」


+7の計算と前夜の食事メニューを答えさせる質問をされる以外、結果についての答えは殆ど無し。



先生方の表情は疑問と怪訝、手詰まり感ありありの顔、顔、顔。






ただ、薬、特に免疫抑制剤については試行錯誤の末、ようやく落ち着き始めた頃。

ところが今改めてデータを見ると、ネオーラルとプレドニゾロンとセルセプト。


セルセプトを止め、プログラフに替え、数値に改善がみられたのが12月末なので、まだまだ覚醒には
ほど遠い頃だったということです。





それでも体重は57、8kg前後、体温は常に平熱、ただ両足にむくみ有り。

食欲はなく、ほとんど食事に手を付けられない状態。




移植後2か月をもう少しで迎え、通常であれば、そろそろ退院時期を考慮されても良い時期。


でも、そんな事は到底考えられない状態であることは、回診のたびの先生方の表情がなによりも語っていま
した。





【2005年11月25日(移植後51日目)1日の服薬量】

(免疫抑制剤)
・ネオーラル~50mg×2回
・プレドニゾロン~5mg×8錠
・セルセプト~250mg×6錠

・ファンギゾンシロップ~5mg×3回(カビ等抑制)
・ゾビラックス~200mg×2回(ウイルス発育抑制)
・バクタ~週に3回(細菌抑制)
・ゼフィックス~100mg×1回(B型肝炎ウイルス抑制)
・オメプラール~20mg×1回(胃酸分泌抑制)
・ケーワン~5mg×2回(ビタミンK補給)
・ラックビー~1g×3包(整腸)
・ラクツロース~20mL×3回(アンモニア減、排便促進)
・カナマイシン~250mg×2錠×4回(腸内細菌抑制、アンモニア減)
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3.11を思う時

あれから1年、経ってしまいましたね。

一瞬にして多くの命が奪われるという、しかもその人たちには何の罪もなく、過去を振り返る間もない
ような状況で、親兄弟の前で、共に、中には子供まで巻き込んで、死に逝くことの非情さをまざまざと
見せつけられてしまいました。




ちょうどあれは長男の大学合格が決まった直後、喜びもつかの間、初めての一人暮らしの為の準備も
満足にできなくなることになるとは。

大変な事態である事は理解するものの、でも長男にとっても人生の大きな分岐点のはず・・・。





当時は自粛、自粛の嵐で、それで日本大丈夫か、と思いつつ、苦境の中の冷静かつ前向きな少数意見は隅に
追いやられる状況だったと思います。かつての9.11後の米国のように。








今も生活の先行きの糸口さえ見つけられない人たちがたくさんいます。

それなのに復興、復興と盛り上がり、終息、終息と、騒ぎたがる、無策な政治家たち。



国民が、とか、国民こそ、と言う。

全てを政治に押しつけても、とも言う。

あげく、その、でき損ないの政治家を選んだのは国民、とまで言う。



そうかぁ~?

たしかにそれも一理はあると思うけど、いい時の権力と利権と、決定権を存分に保持しつつ、非常時に
なったら突然、国民が、では道理に合わない。無責任極りない。



だって、今だって、最終決定権を持つのは国でしょ。



まっ、でもこんな時でも党利党略しか考えてないんだから、はなっから期待するのがダメなんでしょうね。






自分自身、生か死か、の瞬間的な経験をして、自分の死に対して冷静に考えられる術が身についたと思う。



病院で、これもまた無常にも亡くなる人たちと接し、また、一緒に闘病した大切な友人が亡くなっていくの
を見て、他人の生死についても、以前とは違った感覚になっている自分に気付く。





一度に多くの命が失われるのも、大切な仲間が一人死に逝くのも、自分にとっては同じように悲しいこと
なのです。

3.11があるなら10.11があるし、2.24がある。


どちらも、まだ逝ってはいけない命が失われた日です。
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免疫抑制薬「グラセプター」

血液検査の結果はいつものように安定、ただ、抗体値はやはり下がり、ビームゲンの効果はまだ出ないようだ。




先月の発熱の原因は、おそらく何らかの感染症、らしい。

38度以上の熱が出た時は、とにかく一度連絡するよう言われた。


あんまり一々連絡するのもどうかと思い遠慮してきたのもあって、というか、そんなふうな通達がH大病院
の方からあったような気がして、意外な気がした。



でも晴れてお墨付きが出たので、これからは心配な事は連絡してみて判断を仰ぐことにしようと思う。





さて、今まで、ここ数年服用してきた免疫抑制剤は、FK506(プログラフ)。

これが今日から「グラセプター」に替わった。


「グラセプター」、2008年に承認されたこの免疫抑制剤、効用、副作用共にプログラフと同じという。



ただ、プログラフは一日2回の服用が必要なのに対して、グラセプターは1回で済む。



でも、自分の場合、今はそもそもプログラフを一日1回しか服用していない。





ならば変えなくても、と思うが、副作用、特に腎臓に対する副作用が、プログラフの場合、服用直後の作用
が特に強く、それが腎臓等に悪影響を与えているかもしれないということで、比較的平均的に作用する
グラセプターの方が、そういった面での影響が少ないのではないか、ということだ。




免疫抑制剤が、腎機能に副作用を及ぼす事は知られた話しで、そこはやはり気になるところ。




今の処方で良い結果が出てはいるものの、こんな、副作用の説明をされると、「はい、替えます。」
と言うしかない、かんぞうでした。
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通院と入院

今週はまた定期検診でH大病院に行かなければならない。


ようやく道路の雪も解け始め、R36は舗装が出ている。



H大までの車で約40分の道のり、市外から通院されている人には申し訳ないが、やはり遠い。特に冬は。

いくつまで通えるのだろう、などと考えてしまう。



妻とは、

「もし最後、2人きりになったら、家売って、札幌駅北口(H大病院近く)に中古のマンションでも買うか。」

なんてことを話したりしている。




その実現性はともかく、きっとこうして、頭も体も病院中心に回っていく生活になるのだろう。

歳と共に。






考えてもみると、自身の入院中、この短くはない道のりを、妻と父はほぼ毎日、交互に通ってくれていたのだ
から凄いことだ。

何が凄いって、それが一年間に及んだこと。


ドナーになってくれた姉も事ある毎に来てくれたし、もう一人の姉に至っては、平日ほぼ毎日、会社帰りに
寄ってくれていた。








あれだけ病院に居ると、とにかく人が恋しくなる。

話し相手が欲しくなるのだ。


誰彼につけ、来る日と来ない日と、気持ちの持ちようが違う。朝から。






検査やら診察やら、病人とは思えないぐらい毎日忙しいのだけれど、気持ちはずっと暇なんだよね。





通院と入院の違いは大きい。

通えるうちが花。

贅沢は言えないか。
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女子力

最近、お出かけしてないなぁ~、と。

お出かけ、って言っても、家族でちょっとそこまで、ではなく、仲間内でのお集まり~とか、ススキノで
みんなで一杯とか、そういうの。



そりゃぁさ、酒が飲めなくなってしまったんだから、交際エリアも自然と狭まる。

しょうがいない、こればっかりは。



あ~ぁ、いったん呑み始めたら、最後の一人になるまで、頑として帰ることなく居座っていた頃が懐かしい。







昨晩、妻は女子会。

昔からのお友だちと。お友だちの新居で。



女子会、楽しそう。

羨ましいったらありゃしない。

送りの車ににっこにっこ顔で乗り込んできた友人Mさん、元気パワー全開、これだよこれ。

日本を救うもの。



やっぱりこれから大事なのは「女子力」だね。





「女子力」に「母力」。

お母さんが元気だとお父さんも元気(たぶん。?)

お母さんが機嫌いいとお父さんも幸せ(かな。?)






そもそも、行動力、発言力、生命力、さらに忍耐力、全てにおいて女子の方が上なんだから(きっと)、
男子が女子に逆らえるわけがない。に違いない。


なのにいまだに、男が色々牛耳ろうとしているからうまくいかない。





日本が元気になる為に、そう、今こそ女子力に期待しようではありませんか。




女子会
クリエーター情報なし
DOCOMO Mobile Inc.




以上、軟弱男子の主張でした。。
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病人の証明

3月、春はまだ遠い・・・。



自分と、自分の家族の将来について考えることが多くなった。

日常が忙しいと、大事なことが大事でないことにかき消されてしまいそうになるが、でもそこだけは何とか
線引きして忘れないように、努力はしている。



病人は病人で、やらなければならない事や覚えておかなければならない事が多い。



病人の証明(?)となるものでも、

・健康保険証

・重度心身障害者医療費受給者証

・特定疾患医療受給者証

・障害者手帳


とあり、更に、



「健康保険証」は春になると、また、保険料の相談に行かなければならず、これが結構大変でエネルギー
が必要。

健康で元気でなければ難しいのがなんとも皮肉だ。



「重度心身障害者医療費受給者証」は、健康保険証さえもらえれば自動更新なので問題はないが、



「特定疾患医療受給者証」は、少し前の1月末の期限切れで、またいつものようにすったもんだあり、
結局期限が過ぎて受給できたという顛末。

そして今度は7月の期限切れでおそらく同じことが・・・もう6年繰り返えされている。

検診の日を、そろそろ調整してもらわなければだめかなぁ~。




「障害者手帳1級」、黄門さまの印籠とも言えるこれは、なんだかんだ言って役立っている。

最近、高速道に乗る事が多いが、全線半額は大きい。

交通助成券(ガソリン兼をもらっている)は、今年ももう、申請しに行けばもらえる。

車税も免除だ。

携帯基本料も割引になる。






一つ一つの手続きは面倒だけど、かなり助けられている。

でも、助けられているのは確かだけれど、権利を得ようとするのは、はっきり言って大変だ、とも言える。


これら、本人が動けるうちはいいけど、それは少数だろう。

家族とか親戚とか、友人とか、結局周りの協力がないと、「絵に描いた餅」となりかねない制度だ。



なんとか・・・



一個の声じゃぁ、限界だろうなぁ。





限界、といえば、


「障害年金」


一昨年、各種準備を済ませ、医師に、診断書等を申請する直前までいって、ある理由から断念。その時は。

ブログの記事もそこでストップ。


でも諦めたわけではなく、今年は違うアプローチで再度挑戦しようと考えている。





もう一つ、これも一度断念したもの、

「B型肝炎訴訟」

このキーワードさえ、ブログに初めて書くのだけれど、これも障害年金と同様、準備だけは進めてきたもの。


最大の障害があるのだけれど、でも間違いなく該当する立場。

これも・・・







「社会保障」というと、時に、得る立場が悪者かのように言われるけれど、冗談言っちゃいけない。

おそらく誰もが、真っ当な権利を得る為に働き、納税し、社会貢献してきているわけで。

それは必ずしも、「会社で働く」という事ばかりでなく、将来を背負って立つ子供にも、家庭を守る
主婦にも、また主夫にも、義務は義務、権利は権利、みな同じ。



「社会保障」は、

与えられるもの、ではない、自ら勝ち取るものだ。

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