藤を愛で 風を愛でたり 芦屋釜
馬糞 Bafun
わが茶室のように芦屋釜の里でくつろいだ。
藤が満開で、池の表を打つ風が風流だった。
つくづく、風流とは良いものである。
この世の絶景を全て我が物と支配しようとすれば悪魔になるが、
我が物であったものをわが国の民に提供したと思えば天国の心地
である。
所詮、あの世に持ってゆけるわけではないのだ。
人々に喜んでもらったほうが良いではないか。
それが、所有の悟りというものである。
村上ファンドの罪は、拝金主義を助長したことにあると批判され
ている。
確かに、デイトレーダーにせよ、ファンドマネージャーにせよ、仕事
の評価とは別の欲得づくの駆け引きで株価変動の差益を作って利得
しようとする。
短期売買になればなるほど、賭博性の高いマネーゲームになり、拝
金主義に通じやすくなる。
だからといって、株式売買を規制すると投資資金の流動性が失われ
る。
欲望は行過ぎるものである。
その行き過ぎを法の規制にかけるべきであろう。
自由市場といっても、マネーの量的支配者による寡占支配の実態
がある。
ファンドマネーによる支配を暴君のようにしないためには、所有と
経営の分離を徹底すべきなのではないか。
株主議決権の要件として、3年以上の継続保有条件と、議決権行
使後三年以上の継続保有義務課するなどである。
21世紀競争原理には、馬糞の風流が、良い肥やしとなろう。
Bafun