天空に 白刃打ちて 落雷し
馬糞 Bafun
ちょっと錆の入った北のミサイルが飛んできそうな雨
雲の日暮れである。
雷の光跡は芸術であるが、錆びたミサイルの弾道は、
世紀末のドラマのようであろう。
神も仏もない不信仰の国の狂気が、アジアの地表に皮
膚病のような地獄をなしている。
北朝鮮とそのスポンサーのことである。
神を畏れず、信仰が成り立たないという人間を信頼し、
敬うことなどできない。
信仰無き者は、危険である。
ましてや、神仏を追放した国の危険さは、人類の悲劇
を招きかねないものである。
ワールドカップサッカーのブラジル戦は、惜しかった。
しかし、ブラジルの選手は神とともに戦っているとい
う印象だった。
日本の選手には、祈るべき神も感謝すべき神もなく、
神風が吹くはずもなかったのではないか。
神なき国はおぞましい。
神なき戦もまたおぞましい。
思えばアメリカは、ベトナム戦争で神なき戦争のおぞ
ましさに震え上がったのではなかったか。
チャイナやコリアとの戦争は、そのようになることを
覚悟しなければならない。
地上戦は、避けなければならないということである。
イラクには神がいた。
その神を追い出してはならない。
国を治める意思と力は、神仏に由来してこそである。
そうでなければ、民主主義もアメリカの支配を離れて
は成り立たないことであろう。
やっと、日本軍もイラク駐留から開放されるようだが、
いやな役目であったろう。
他国の神の領域を侵すなど、思いもよらぬことである
から。
イスラム諸国に必要なことは、革新する人を育てる教
育にこそあるだろう。
信仰心を育てることは教育の柱である。
ただし、世界には、沢山の神がいることをも理解しな
ければならない。
優劣はあっても、他国の神を畏れてこそ、国際の平和
が根拠を持つのである。
アメリカもまた、王者たらんとするまえに、他国の神
を畏れるべきである。
願わくば、神なき国は、天変地異によって滅んで欲し
いものである。
Bafun
マルチンルター信仰問答集
⇒ http://www.hyuki.com/trans/smallct.html#c1
世界史講義録(金岡新 著作)
⇒ http://www.geocities.jp/timeway/index.html