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+ アザミ咲き・・・ 新日英同盟のすすめ

2006年06月09日 20時01分31秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 棘を刺す   野辺の孤高に   アザミ咲き

  馬糞 Bafun

 

 

 

 

 藪中にアザミは咲いている。

 手折りたくなるほど美しいが、

 棘があるので触れない。

 人の触れない新鮮が

 アザミの紫に秘められている。

 

 ブリテンの百科事典で有名な出版社ブリタニカの商標

がアザミだった。

 英国好みの花のだろうか。

 孤高の精神を彩る紫が印象的である。

 

 そのブリテンも、日本から見れば新しい国である。

 しかし、同じ島国であり、王室をもち、独自の文化と伝

統を誇って海の王者となった国柄である。


 英国紳士の伝統に対して、日本は武士道の精神文化

を持っていた。

 今、孤高の鷲や鷹と同じように、失われつつある美意

識である。

 

 英国は、日本が紳士的に友好を深めるべき国である。

 アメリカ民主主義の原点であり、アメリカが及ばない

伝統と文明文化を持つからである。

 世界一のアメリカに対していさめる権威を持つのが英

国であるといえる。

 

 その英国に同質性をもつ日本が、伝統と精神と、気品

をもって友好関係を持つことは、今後のアメリカ主導型国

際政治を平和的に発展する鍵となる。


 それなのに、チャイナ、チャイナ、チャイナと朝貢貿易の

卑屈外交を続ける獅子身中の虫、日本外務省・・・。

 

 政治家よ、武士道精神に恥じよ!

 武士は、金や食い物のためには生きなかった。

 茨の道であっても、孤高の空腹にも耐えたのだ。

 

 子供たちに、英国紳士に負けない、文武両道の武士道

を教えなければならない。

 そうした教育改革は、官僚である文部科学省の許認可

行政ではできないことである。

 だからこそ、教育企業法人の学校が求められる。

 

 これに対して、交通事業企業は、通学定期の支援を拒

んでいる現状を改めるべきではないのか。

 教育は、国家百年の計であり、民主主義の教育は、民

主導で開拓されるべきことである。

 民主主義の国に咲くアザミは、大衆迎合の花ではない

ことに学ぶべきであろう。

                              Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 山桜の実り・・・ 田舎の都会村という構想を

2006年06月09日 14時31分31秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 満天の   山桜んぼ   色づきぬ

  馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

  ああ、今頃は、田んぼで蛙がないているんだろうなぁ。

 蛍もそろそろなんだろうか・・・。

 旧暦5月11日は芒種、田植えも終わり、梅やさくらんぼが色づいてそろそろ入

梅という季節である。


 日本の春はみずみずしく、生命力にあふれている。

 生命力の本質は、美と繁栄である。

 そう、実感する季節である。

 

 都会から見ると田舎は癒しの宝庫である。

 田舎から見ると、都会は仕事の宝庫である。

 2007年問題に象徴されるように、豊富な資金と夢が、都会ではない都会を

求め始めている。

 

 田舎の豊富な自然と、都会の豊富な意欲を結びつけるにはどうしたらよいの

だろうか。

 

 自由を得た都会の意欲とは、思考する時間であり、耕す時間であり、創造す

る時間であり、自然を散策する時間であり、田舎でパソコンを使う楽しみだあっ

たりする。

 

 しかし、田舎には、そうした利便を提供するところがない。

 旅館という発想を変えて、短期の貸し書斎、貸し工房、貸し事務所という賃貸

があってよいのではないか。

 

 そういう都会村ができれば、温泉や料理店がなりたつであろう。

 ただし、料理人は一流でなければならない。


 田舎の旅館は、たいていがサービスも料理も三流である。

 これでは、観光というべき光はない。

 

 田舎に必要なのは、都会の意欲と発想である。

 都会に必要なのは、田舎の四季である。

 

 田舎と都会を結ぶには、交通革命が必要である。

 田舎に泊まって、午後出勤という勤務形態も奨励されるべきであろう。

 

 クリエイティブな仕事のソースが田舎にはある。

                                      Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 銀河も咲けりシヨウ花(紫陽花)・・・ 公務員リストラ制度の必要

2006年06月09日 11時45分33秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 葉を広げ   銀河映すか   紫陽花shiyoubana


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 お遍路道で知られる篠栗の山は、休日のウォーキングにうってつ

けのところである。

 そこに、紫陽花の名所がある。

 花を見ても銀河であり、紫陽花の花群を見ても銀河のようである。



 季節の楽しみは、歴史あり、海あり山ありの博多の魅力でもある。

 因みに、福岡というよりも、博多という地名の方が伝統の味わいが

あってよい。

 もともと、中洲をはさんで西部を武家の福岡、東部を商家の博多と

住み分けていた。


 商業の博多を復興したいものだ。

 東南アジア物産の一大拠点にしたいものである。

 

 ウォーキングは最も手近で効果的な健康運動である。

 生涯スポーツ振興策として、総合地域スポーツクラブの新設などが

議論されているようだが、ウォーキング環境を整備することのほうが

最優先であろう。

 

 町並みも、歩いて楽しく安全な街づくりをしなければならない。

  観光地も、ウォーキングの魅力を復興戦略とせよ、ということである。

 

 

 

 

 

                                                          

 さて、本題は、オリンピック招致問題であった。

 これは、官主導で企業が踊らされていることに問題がある。

 官というのは、責任を取らないシステムである。

 杓子定規の「先例主義」を金科玉条とする。

 公務員制度の致命的欠陥は、無用無能の公務員をリストラする仕

組みである。

 

 彼らは、どういうわけか、税金消費の権力を与えられている。
 
 その驕りのせいか、私企業に対して「金儲けの私利私欲に奔走す

る卑しい町人フゼイが・・・」と見下すのが本音である。

 天神にある企業立の総合学園がオリンピック招致PRのイベントを

やろうと奔走しているとき、市役所前広場を貸してやっただけでもあ

りがたく思え、といっているらしい。

 

 その理由は「学校法人ではないから名義後援以上には協力できな

い」というらしいのだ。

 学校法人なら公益で、企業だったら私利私欲だというのである。

 これが、役人の民卑の価値観である。

 民卑の下僕が公務員ではないのか。

 

 自治体の企画事業を木っ端公務員にやらせるべきではない。

 そこにこそ、企業団体が中心に入って、主導するべきなのだ。

 

 企業経営者といっても、所詮金ずるとしか考えられていないという

ことにふがいなさを感じないのか。

 私企業の経済活動は、公益活動に他ならないのである。

 そうでなければ、経済は、拝金主義に堕落する。

 経済とは、経世済民、世のため人のための智慧と努力である。

 公務員の再教育を、企業立の学校に委ねてはいかがか。

 

 経営者よ、民間のリーダーよ、地方自治もまた、民営化するのが民

主主義ではないのか。

 民間主導の責任を反省するべきである。

                               Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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