名月を 物語りして けごし咲き
馬糞 Bafun
10月も半ばになった。
菊が咲き、木の葉も色づこうかという季節なのに、朝顔が、
これほど長く咲いてくれるとは思いもしなかった。
琳派の屏風絵のように、何とも美しい青い花である。
【人は何のために存在しているのか】
さて、人は皆、障害を負って生まれてきたようなものである。
あまりに不完全、あまりに未熟、目明きにして見えず、聞こえ
ても分からず、こけつまろびつ老いて、病気をして、がたがたに
なって死んでゆく。
人生は、背負った障害に耐え、乗り越えんとして生きているよ
うなものである。
何のための人生かと悩む者があるが、重石に耐え、未熟と向
き合って、それでも人のために、世の中のために役立とうとして
けなげに努力する。
それが、人生の美学というものだ。
人は美のために生きているといってもよい。
悲壮に見えた試練も、智慧と勇気で工夫をすれば、幸運にも
思えることがあるだろう。
その試練があったからこそ、今の私があると語る成功者は少
なくない。
そのようにして、鍛錬している。
そのようにして、神の深い愛をたどって学んでいる。
偉大な光を辿って努力すること、それが、信仰である。
信じる力と、努力と、勇気である。
人は信仰によって強くなる。
信仰は幸福への道標である。
信仰は大切だ。
人は多くの過ちを犯す。
人を傷つける。弱いものいじめをし、その罪を他人のせい、世
の中のせいにしながら、結局は自分が悪びれている。
悪行は、「天知る、地知る、我知る、人も知る」である。
自分の良心をごまかすことはできない。
(四知⇒ http://homepage1.nifty.com/moritake/doutoku/siti.htm)
人生の試練を恨んではいけない。
試練は、自分を鍛えるために与えられる天の配剤である。
試練があるからこそ、感動の人生ドラマが始まるではないか。
その努力に感動し、尊敬もできる。
試練の大きさは、その人の人生の規模を示してもいるのであ
る。
なぜ人は罪を犯すのだろうか。
罪とは、他人を傷つけることである。
大小の試練の中で自己中心の欲望から他人を差別するので
ある。
差別とは弱いものを苛めることである。
その結果、自分も他人も苦しむのだ。
しかし、自分の罪に気づけば反省ができる。
そして、目覚める。
そんな自分であっても、人助けができないものだろうかと努力
する。
そのようにして輝き、幸福が増産される。
神の愛が人に花を咲かせる。
その花を楽しみに育てているのが神というべきかもしれない。
それが、人間の存在理由でもあろう。
神とは人間の起源であり、存在の理由である。
存在の法則と言っても良い。
法則に適すれば輝き、反すれば闇に迷う。
人は、成長するために存在している。
だから、未熟である。
人は人間関係として生きている。
だから、調和することが大切である。
憂鬱な悩みの多くは、自己保存的な欲望の挫折であり、自己
中心から生まれる自閉と無責任である。
あるいは、競争を弱肉強食と見誤って疲れているのか、裁き
心のあまり、自分の努力を怠っているのではないか。
憂鬱は自己中心の不幸である。
憂鬱が不幸であるならば、人助けを考えて、憂鬱とは決別する
べきである。
信仰は幸福への道標であり、努力目標である。
ところが、信仰には偽物が少なくない。
いつの間にか、他力本願になり、努力を省略して魔法や超能
力の類で幸せになりたいというご都合主義に摩り替わる。
弟子に取り立てられて偉くなりたいという出世欲に摩り替る。
幸福とは、地道に努力して他人を幸福にすることなのである。
これを忘れてはならない。
やはり、謙虚に学ばなければならない。
仮の世ではあっても、この世の努力を尽くさなければならない。
魔法で勝とうなどと思ってはいけない。
【マルチ商法の罠】
ところが、世のため人のためだと虚飾して欲望の連鎖を仕掛
けているのが、マルチ商法(連鎖販売法ないしネットワークビジ
ネス)である。
世の中にすばらしい貢献をするんだということをことさらに
まくし立てる。
集まってくるものは、お金に困っているものが多い。
魔法のように貧乏から抜け出したくて誘われてくる。
その欲望を人類救済事業でもあるかのようにすりかえてごま
かそうとするのだ。
しかし、プロは、人に恨まれると言うことを承知している。
それでも儲けようではないかと開き直っているのだ。
購入者が販売者になって、それで利益が出るわけがない。
仕掛けた一部の者が元締めのように利益を吸い上げる仕組
みである。
物がいいから買ってくださいではない。
一緒に儲かりましょうと近づいてくる。
そこに、詐欺というべき狡猾さが潜む。
販売者は沢山の消費者に信頼され、喜ばれなければ商売
にはならない。
商業道徳を知らなければならない。
連鎖販売は、欲を駆り立てて、人脈を裏切るところに罪深さ
がある。
素人さんがやってはいけない。
香具師(やし)と言われる人々の、いわば博打のようなものだ。
封殺するべきであろう。
マルチ商法は人間関係に有害である。
法的に禁止して欲しい。
多くの若者が巻き込まれている。
人の善意と未熟に付け込むのは悪いことだ。
心の問題は、国家の基礎である。
聖徳太子はそのことを十七条憲法にしるして、日本の家訓と
したのである。
もう一度、この家訓の原点に戻ろうではないか。
Bafun