大和なる 穂波を刈りて 鳥は舞ひ
馬糞 Bafun
身近に穂波を見ることができないのが都会の風景なのだが、都
会の貧困から少し離れると、田の風景を見ることができる。
神巧皇后がめでたと言う穂波はやまとの国の象徴でもあろう。
そこには季節があり、歌があり、技術の承継があり、祭りがあり、
収穫の喜びがある。
田の風景を、薬剤や怠慢やらで失いたくはないものだ。
【教育のたてなおしのために】
子供たちだけではないのだが、憂鬱、引きこもり、自殺という自己
喪失の地獄に堕ちている者たちがいる。
久しく、憂鬱になったことがないし、引きこもりというのも実感がない。
まして、自殺という陰鬱な気持ちは晴れて記憶にない。
引きこもりは病気なのだろうと思う。
病気は自己責任である。
いったいなぜ、そういうことになるのだろうか。
不思議である。
憂鬱とは何か。
潔く闘おうという気持ちが萎えている状態なのだろう。
壁にぶつかっても、どうやって乗り越えようかと苦心しているときは
苦しんではいても憂鬱ではない。
さらに、引きこもりとは何か。
嫌悪⇒ 対話の拒絶⇒ 失望⇒ 戦意喪失による怠惰⇒ 悪霊憑
依(自己喪失と悪霊支配)というプロセスを辿るのではないか。
自己中心と逃げ腰が魂を危機に陥れている。
対話の拒絶とは、口をききたくないという心理状態である。
嫌悪感は、裁き心でもある。
裁きの結果、対話を拒絶する。
しかし、そこから引きこもって怠惰なパラサイトに転落するのは、
自立心がないからだ。
なぜ自立心がないのかと言うと、親が子に代わって責任を持つか
らだろう。
干渉支配である。
子離れしていないのだ。
子も都合よく親に寄生して潜伏する。
《存在とは、永遠の変化発展である》
試練が他人の行為や社会の状況から発生するとき、その原因を
止める努力をするのはよいが、それを恨んで嫌悪しても、地獄への
転落を招くだけである。
試練を招いているのは、実は自分の私利私欲が原因だったりも
する。
憂鬱や引きこもりが自分の試練に対する消極姿勢の表れであっ
てみれば、これは間違っている。
間違いであるから、憂鬱であることを止めて試練を克服する努力を
するほかはない。
憂鬱とは自作自演の不協和音な感情である。
感情は自分がコントロールしなければならない。
裁き心を捨て、改善の努力をするほかはない。
たとえば、いじめが原因で・・・と言われることがある。
いじめとは、弱い者に嫌がらせをし、時に暴行を加える。
これを克服するためには、いじめている者よりも強い者に相談して
抑止する対策をとらなければならない。
学校にあっては、教師が秩序を護る権威でなければならない。
弱い者をいじめることが差別であり恥じであることを教えなければ
ならない。
弱い者は強くなれと教えなければならない。
倫理道徳教育は教育の根本である。
教職に倫理テストと刑法、刑事訴訟法、不法行為法、
十七条憲法
をいれるべきであろう。
刑法犯に到る事態については、刑事取締りが必要である。
犯罪を防止する能力を失った学校は、本来解体されるべきである。
教員、責任者を解雇、配転して、人材を総入れ替えするか、学校
を閉鎖するか・・・。
それまでは、警察に防犯を依頼することも必要であろう。
学校もまた、法治社会でなければならないからである。
【倫理道徳教育の根源にあるもの】
他人を害する卑劣な行いに対しては、「四知」の教育が大切だ。
「天知る、地知る、我知る、人知る」である。
事実からは逃れられようがない。
悪行を己の魂に刻むことになる。
汚すことになる。
天とは何か。
仏神の存在を示唆している。
倫理教育の原点には、仏神の存在があることを認めなければなら
ない。
悪行・悪想念の結果、地獄界に深い縁をもつことになる。
悪霊の影響は日常的に起こっている。死後は悪霊の世界で悪夢
を現実とする苦しみに耐えなければならなくなる。
悪霊の憑依ということを知るならば、心を汚す行いなど、到底できな
くなるはずだ。
これは、たとえ話ではない。
子供だましではない。
実在の世界のことである。
信じようが信じまいが、いわば存在の法則として現れる。
しかも、合理的である。
公平である。
存在の本質とはそうしたものではないだろうか。
倫理道徳の源は、霊界の法則にある。
天国があり、地獄がある。
悪い心には悪霊の憑依が不幸を増幅し、正しい行いには天使がさ
らに手助けをする。
そうした、見えない意思が「類は友を呼ぶ」という波長同通の法則
で働いてくるという事実がある。
天使の心を持つか、悪霊の心をもつかで、人間の幸不幸が決まっ
てくると言うことだ。
さらに、人生観において、「転生輪廻」を知ることが大切だ。
人生は博打ではない。
継続して永遠の向上を目指す存在である。
再チャレンジの連続だとも言える。
こうしたポジティブな合理性こそが存在の法則なのである。
霊界の実在と転生輪廻の法則が受け入れられ、理解できれば、
犯罪は抑止され、憂鬱も雲散霧消するであろう。
教育から失われた、倫理道徳の本質を回復しなければならない。
これからは、21世紀文明の教育が立てられなければならないという
ことである。
梅士 Baishi