すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 小浜温泉の鯉のぼり・・・ 武士道と商業道  「富貴貨殖」と「仁義道徳」  スポーツの文化性

2012年05月10日 08時16分24秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

   

 

 鯉のぼり  湯気立てており  小浜宿 

    梅士 Baishi

  

 

 

 

   

   

 まだ真っ暗な五時前に目が覚めてそのまま起き出した。

 早起きは一文の得といっても、ぼ~っと1時間が過ぎた。

 庭木に水遣りをする。

 ジャスミンの香りがふっと香る。

 その爽やかさが一文の得であった。

 

 融通の利かない無骨一本だったという赤穂浪士四十七士の一人、

大高源吾が大石の度重なる訓戒を受けて俳諧を習い、初作を改訂

して読んだ一句がある。

 

 武夫(もののふ)の  鶯聞いて  立ちにけり

 

 風流と忠義は両立するものだという大石のアドバイスを受けての

一句であるという(渋沢栄一「人格の修養」)。

 渋沢は、「富貴貨殖」と「仁義道徳」とは相容れないという従来の儒

教解釈に異議を唱えている。

 

 キリスト教に言う「富者が天国に入るのは、駱駝が針の穴を通るよ

りも難しい」という解釈にも通じることである。

 教育と商業は別物だという考えも同様であろう。

 

 商業とは利潤追求が目的だという誤解が根本にあると考えられる。

 「企業とは営利追求団体である」という定義も同様である。

 

 しかし、渋沢は断言する。

 武士道は、商業道でもあると。

 商業は、為世為人の志なくしては大成しないものである。

 兵站、営利は手段ないし結果であって、目的ではない。

 

 教育ビジネスもまた、発展的経済観念をもって教育変革の志を立

てる事業である。

 教育を文科省認可なしに企業が行えば学校教育ではないという。

 そのような不合理な差別がまかり通っている。

 

 学校教育は、公務員が行うべきではない。

 経済とは継続発展の責任と創意工夫である。

 そこに身をおかない公務員が、経済社会の人材教育をするべきで

はないからである。

 

 宗教も教育も慈善事業も、金銭を得て事業継続する努力を卑しん

ではならない。

 聖業と企業は矛盾しない。

 むしろ、企業努力なくして聖業なしというべきであろう。

 公務員もまた、公務サービスの対価が税収であり、税収の1割程度

で人件費を賄うという企業原理を入れるべきであろう。

 

 幸福とは、他人に喜んでもらえること、他人の幸福に一因を与える

ことというべきだろう。

 他人の一瞬の喜びのために、日々、努力するのが人生ということ

である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 競技スポーツに美意識を!  

 

 美を競うスポーツとして、体操、シンクロナイズドスイミング、フィギュ 

アスケートなどがあるが、格闘技スポーツであっても華麗な表現とし 

ての美意識が大切である。

 

 なぜなら、スポーツの本質は、身体の躍動をとおして表現する精神 

世界の美意識にあると考えるからである。 

 そこにスポーツの文化性がある。 

 

 一流選手の競技は、兵器的な美しさ、機能美を伴うものであるが、

表現者としての美意識が貫かれなければならないといいたいのであ 

る。 

 蝶のように舞い、蜂のように刺すというアリのボクシングの魅力は 

そうした美的な表現にもあった。 

 その入門が、礼の精神であり、武士道精神でもある。 

 

 今年は、7月27日から8月12日まで、オリンピックロンドン大会が 

開催され、選手最終調整の時期を迎えているが、表現者として、感 

動的な競技に専念し、結果としてメダリストの栄光にも輝いて欲しい。 

 スポーツを躍動する芸術の領域にまで高めて欲しいと願う。 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

          

 

 

 

  

  

  

  

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする