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+ 忘れ芍薬・・・ 社会貢献か営利か~営業本質論  幸福の科学債・幸福の科学ファンドの提案  

2012年05月12日 20時46分08秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

   

 

 芍薬の  客なき花の  客になり          

    梅士 Baishi

  

   

   

 

 

 

 

 「立てば芍薬座ればぼたん、歩く姿はユリの花」というが、芍薬は

大半の花を終わって旗もなく、庭園の入場料は無人の100円だった。

 遅かったか・・・と思いつつ、芍薬の忘れ花が意外と美しかった。

 いかにも、離宮の花という風情である。

 

 どの花も芸術表現であるが、銭の取れる花というものもある。

 そりゃあ、ひよこ草の花よりも、芍薬をいただいたほうがうれしい。

 それだけ、人の手間がかかり、希少価値があるからである。

 かといって、花鳥風月、俳諧の花は野の花と戯れることが多いので

はあるが。

 何しろ、俳諧というものが、ひよこ草の花のようなものであるから。

 

 そうした、日常のひよこ草の花から大そうな庭園に迷い込んで、非

日常の芍薬や牡丹の花にため息をつくというのも、花と風との非日

常的感銘を生み出すものである。

 子沢山のひよこ草、難産の芍薬・・・、まあ、それなりの幸せと言う

ものではありましょうなあ・・・。

 

 

 

 

  

  

 

 

 

【 伝道論~ 営業とは何か 】

 

 「企業にとって大切なのは社会貢献か、営利か」というタイトルで入

社試験のグループディスカッションがあったそうである。

 結局、社会貢献が一番で、次が営利、そして、社員の成長という順

番で結論が出たという。

 これに対して、試験担当者は、「う~ん、営業としましてはねえ、売

り上げとか利益というものに価値を認めることも大切なんですがね

え・・・」という評価だったとか。

 

 営業会議で、売り上げ計画を達成できなければ当然反省を迫られる。

 さて、社会貢献と言う観点から言い訳できるのだろうか。

 商品が悪いからというのは責任転嫁である。

 商品改良案は別の機会に提案すれば良い。

 問題は、売り上げ目標と社会貢献は対立的なのかということである。

 

 営業そのものが社会貢献であって、その結果が売り上げ実績に反

映するという因果関係があるというべきである。

 そもそも、社会貢献とは、営業活動そのものの課題なのだ。

 商品の付加価値とは、営業の努力と工夫にあるのである。

 まずは、営業マンが、顧客にたいして、日常の人間関係にならなけ

ればならない。

 

 営業マンの情報力、提案力、コンサルティング能力、そうしたものが、

商品価値を無限に高めるのである。 

 だからこそ、売り上げ目標数値が営業活動基準として追求される

のである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 伝道もまた同じだと思う。

 幸福の科学の素晴らしさを力説するよりも、社会貢献としての信頼

関係を構築する努力が大切である。

 

 商品の素晴らしさに依存しすぎては、マーケティングの努力が見失

われる。

 営業といっても、動機付け程度のことであるが、伝道もまた同じだ。

 教えのすばらしさは、本人が発見してこその喜びであろう。

 本人の喜びを先走りして奪うべきではない。

 

 そうしたことを、反省的に考える次第である。

 伝道がうまく行かないのは、幸福の科学の教えに問題があるので

はない。

 難しすぎるとか、エリート主義だとか。

 しかし、動機付けのためのティーアップ程度しかできないのだと思

えば、誠実にお客様担当の努力をするしかないのである。

 

 もっとも、お呼びでない人をお客様と言うべきかどうかは別であるが、

見込み客であるならば、その潜在的求めに応えるべく努力するばか

りである。

 マーケティングとしての伝道、さらには、ベンチャー起業としての伝

道拠点作りにまで展開できる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、「植福」とは経済的信仰告白、信仰の表現という意味が

ある。

 しかし、経済とは同時にこの世の生活を支える兵站でもあるから、

その経済観念は十分に指導する必要がある。

 「任意ですから」というだけで済ませてはなるまい。

 信仰の熱い思いから経済観念もなく浪費的「植福」をするようなこと

は避けなければならない。

 

 この世的に成り立たない経済観念は宗教に対する不信を生む原

因となる。

 魂のよって立つべきものが信仰である。

 「自己実現」に根拠を与えるのだといえる。

 しかし、霊肉一体のバランスを失してはならない。

 この世の兵站を失わせてはならない。

 

 そうした経済のバランスを失した人の救済もまたセーフティーネット

として考えておかなければならないだろう。

 高齢者が信仰とこの世の生活を委ねる出家のサンガーを作るのも

一つかもしれない。

 死ぬまで信仰と生きがいを追求して生ききることができるというの

が、老人ホームの究極であろう。

 

 もう一つの植福形態は、「幸福の科学ファンド」というべき一種の財

団づくりであろう。

 究極の信託というべきスタイルも考えられる。

 請求があれば元本は返済するが、植福することもできる。

 働いていない資産を、魂の救済、国家の救済、人々の幸福作りに

役立てる「幸福の科学債」である。

 

 余剰資金を幸福の科学に預け、天国に倉を建てるという、次元を

超えた資産運用、それが、「幸福の科学のファンド」スタイルでの伝

道であり、救世事業である。

 

 さて、幸福の科学職員はそうした伝道努力をされておりますのか。

 是非、新文明を開く力強いトップ伝道をして、この世の繁栄とあの

世の繁栄のための事業を推進して欲しいものである。

 

 であるから、外に出よ!

 幸福の科学支部・精舎よ、役所にはなるな!

 いつも賑わいと祈りのある場所にせよ。

 企業的に外から見ていると、いかにも努力が足りないと思う。

 

 法人向けの伝道体制が見えるほどに働いていただきたいと思いま

すがねえ。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

          

 

 

 

  

  

  

  

  

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