もらい柿 つやつや赤く 並びたる
中村 梅士 Baishi
今年も立派な富有柿の贈り物が届いた。
なんとも律儀なことだ。
わざわざ贈答用を買って送ってくれているらしい。
高校時代の友人である。
年賀状も出さないと言うのに。
それで、写真俳句をハガキに印刷した。
ハガキは62円もするという。
80円切手を貼って、ジョギングにでかけた。
ところが、コースにはポストがない。
買い物をして、近くのポストにと思っていたら、出し
忘れて持ち帰ってしまった。
仕方ない、明日出すとしよう。
全く不精なことだ。
電話をするのが億劫なのである。
かつて、毎年電話をくれていた山形の友人は、突然、
死んでしまったらしい。
大学時代の友人との縁も切れてしまった。
パスカルは、パンセの中で、「人は一人で死んでゆく。
故に、一人であるかのように生きなければならない」と
書いていた。
人は人間関係を生きている。
だから、その意味では間違っていると思う。
だが、他人をあてにして生きるべきではない。
他人のために生きるのが人の生きがいという物だから
である。
しかし、目標を同じくする仲間というものは欲しいの
ではないか。
どういう仲間が欲しいだろうか。
もちろん、情報源という実用性は人脈の価値である。
しかし、友と言うなら、戦友ではないかと思う。
日本独立運動を展開したいものだ。
幸福実現党の釈党首の涙が切なく伝わってくる。
フィリピンのドゥテルテ大統領も命がけで覚せい剤マ
フィアと戦っている。
フィリピンの善良はそのことを支持している。
覚悟を決めれば、できないことはないだろう。
映画『潮風とベーコンサンドとヘミングウェイ』の老
船長のように死にたくはない。
暖かな人間関係の中でのピンピンコロリだから、幸せ
だったのかもしれないが、あまりにも平凡すぎる。
人は、正義を感じて戦っている姿が一番美しいと思う。
日本の政治家には感じられない美徳である。
スキャンダルを嗅ぎつけて追及するのが正義だとでも
思っているのだろうか。
福祉と称して公金をばら撒くのが正義なのか。
日本にもドラゴンの破壊力が求められている。
ゆでガエルの日本鍋をひっくり返したいものだ。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party