百日紅 聖火のように 萌え始め
中村 梅士 Baishi
夏を彩る数少ない花に百日紅がある。
秋口まで咲き続けるロングランの花である。
五月連休前から、さるすべりが新しい花を咲かせ始めた。
とても新鮮に感じられる。
聖火といえば、去年の東京オリンピックを清めて次に備え
ているはずであった。
ところが、今やコロナロードを迷走している。
もはや聖火に似て非なるものであろう。
欲望の炎と化したのだ。
今日も冷たい強風が吹き荒れている。
今朝の気温は14℃だった。
気圧配置は西高東低の冬型である。
足元から寝袋を外したので足先が冷たい。
それで、ストーブに火を入れた。
そんな季節だっただろうか。
今朝はLPレコードでドビュッシーを聴いている。
レコードは、命を削って音楽を再現する切れ味がある。
ターンテーブルの回転と言い、針の具合といい、絶妙なバ
ランスの上に繊細な音楽を再現するのだ。
さて、今日も南北朝の時代を探索するとしよう。
東京オリンピックは無観客で実施するという。
見せるスポーツの最高峰であったはずのオリンピックがそ
の形骸を晒す結果となるのだ。
この一年あまり、無観客で行われた競技をみて、プロスポ
ーツも国際スポーツも、観客なくしては成り立たないことを
実感させられたのではなかったか。
もう、大相撲を見たいとは思わないし、無観客の野球やサ
ッカーなど、縁起が悪いとさえ思ったものだ。
無観客実施で獲ったメダルなど、賞金が付いているとして
も名誉はついてこない。
テレビ観戦したとしても、無観客のオリンピックを見せら
れたのでは幻滅するばかりであろう。
東京は呪われたように感染拡大し、選手団を派遣する国は
激減するだろう。
ましてや、世界制覇をアピールする中共の大選手団を見る
こと自体が不愉快であろう。
オリンピック代表選手たちも、オリンピックの正義につい
て考えるべきである。
そこに正義がなければ、メダルを獲ったとしても、その実
質は不名誉である。
勇気ある出場辞退を決断していただきたい。
これも、スポーツマンシップであり、武士道である。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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