連休の 明けて年度を 引き締めり
中村 梅士 Baishi
大学部のオリエンテーション講義を終えた。
情報不備の中、必要な情報を探索し、計画を練り、やっと
道筋が見えてきた。
尻に火がついて悪戦苦闘すると連休気分がぶっ飛んで気合
が入ってきた。
山中で道が途絶え、藪の中を強引に突っ込んでゆくときの
気分である。
そうなると、気味の悪い藪でも倒木でも、蛇が出るか蜘蛛
の巣がかかっているかなど、もう論外、鬼のように突き進む
のである。
「緊急事態宣言が出たので、来週からオンライン授業にな
るかもしれませんが、いいでしょうか」なんて変な承諾を求
められた。
「良いわけがないでしょ。リアル授業を最優先にしてくだ
さい。業務命令というなら致し方ありませんが」、と答えた。
コロナだ、緊急事態宣言だといえば行動規制はやむを得な
いという条件反射で事なかれ主義への同調を求めてくる。
「私たちも嫌なんですけど」と言いながら、抵抗する訳で
はないのだ。
道を歩いたりチャリンコしたりしている人々の99%がマス
クをしている。
銀行強盗でもあるまいに・・・。
「要請」に応えるのが日本人であるらしい。
変な日本人だ。
行政命令を出し、業務命令を出している者たちは、その責
任を取らされるのだということを覚悟するがよい。
神の目も、鬼の目もごまかせないと知るがよい。
モーゼになったかのように、言い放ちたくなる。
まあ、とにかく気合が入って今日一日が闇に覆われた。
ジャズタイムはキース・ジャレットのケルンコンサートで
ある。
定番と言うのは、飽きないものである。
気温が上がってくると、麦焼酎「百助」のロックが定番に
なる。
ディナーは、湯葉豆腐とイワシの刺身である。
ご飯を炊くのを忘れたが、夜はご飯なしで構わない。
近距離的生活には満足である。
しかし、地球文明の危機であることは人生の大問題である。
臨機応変に生きるとしよう。
e-sports と言うが、スポーツと言ってほしくない。
語源としては単なる競技であって、運動競技に限定されない。
しかし、運動としてのスポーツと一緒にしてほしくはない。
アスリートとしては、賞金が出ること、競争心を掻き立て
られることで満足なのかもしれないが、運動競技ではありえ
ない。
そもそも教育的でもない。
夜中に生活リズムを壊しながらPCゲームに夢中になってい
る青年を見て良しとはしないだろう。
もし、運動競技としてのe‐sportsを成立させたいというな
ら、身体運動をオンライン上で反映して戦うゲームにするべ
きである。
しかし、霊言にもあるように、仮想現実を取引するような
IT産業は長くは続かないだろう。
仮想通貨にせよ、デジタル通貨にせよ、オンラインでする
証券取引や為替取引にせよ、本来投機的な手段として使われ
てはならない分野である。
物流を伴わない金融取引はバブル経済そのものである。
株式取引でも、株券を伴ってこそ、健全性が担保されるの
ではないのか。
株券がなくなって、バーチャルな数値取引になると、健全
性を見失うものである。
デジタルデータは偽装されやすいものである。
デジタル禍というべきではないか。
CD音楽はデジタル情報だが、演奏家が実際に演奏している。
そうした、リアルな努力や創作を見失ってはならない。
eーsports のまやかし性は、リアルな身体運動の裏付けが
ない所にある。
重力を伴わない利便性は欺瞞である。
コロナから行動を規制し、非現実を表に出す動きは極めて
欺瞞性の高い悪魔性があるというべきではないか。
悟りなき空想に警告を発したい。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party