あったかくなって庭仕事。折れた枝や、竹のもの干し竿をのこぎりで切ってゴミ袋へ。枯れてしまったラベンダーの穂は、じか植えした穂に取り換える。折れてしまったベランダを脚立にのって、雨樋をどうやってなおそうか?息子がなんとかするというので、見てるだけだ。出来るだけ自分でなおすそうだ。
確定申告前の計算と入力が終わったので、もう一度確認して、転記して終わりにしたい。
きのうは、鮭と梅干のおむすびだけ作ってでかける。タッチングの裁断機などいれたので、リュックが重い。帰りはおむすびがなくなるから大丈夫でしょう。
手話サークル
23日の「聖書と典礼」を神父さまが解説してくれる。担当者は手話通訳して行く。3月から昼間になって椅子席になったので動きやすい。私の担当は「出エジプト記」モーセがホレブの岩をたたいてイスラエルの人に水を飲ませるというところ、登場人物の位置関係の表わし方が難しい。ヨハネの福音は井戸にいる女に水をくんでほしいとイエスさまが頼むところ。私が渇くことのない生きた水をあげようという話です。
今回の福音の内容も、要約すると、信仰の根本定義だから、前回要約した内容に似ている。生きた水は、命の水だから、飢え渇くことのない水、永遠の命をいただくという意味です。「因果応報じゃないんだよ」と神父さまがおっしゃったように、良いことを沢山したから天国にゆけるのでもないし、悪いことをしたら悪い報いを受けると言うことではない。どんな時も神さまは一緒にいてくれることを忘れちゃいけないということです。
通訳をする時は、文章を見ないで、聞こえない人の顔をみながら通訳する必要がある。わからない単語は指文字と口形が必要。私はTさんに、通訳しながら、これでいいの?なんて聞きながら通訳しちゃったり、解った?なんて確認したりする。内容が伝わっていないと、神父様が説明したのに、Tさんが同じ内容の質問をすることになる。偉そうに書いているけれど、私はまだまだです。未熟なりに内容をつかんで知っている手話表現で表わすことが必要です。
ちかごろ鏡の前で練習することがなかったが、鏡の前で表わすと、手の位置など、こう表わした方がいいなと思うこともあるので、たまには鏡の前で練習するのがいいみたい。変な形で表わして、よく笑われることがある。
タッチングレースの会
手話のすぐ後に、急いでおむすびを食べてと思ったけれど、おしゃべりも楽しかった。八王子教会が出来た当時の古いお話を聞きました。復活祭のカードを作り。タッチングのしおり作り。小さいタッチングをブックカバーに付けたりしました。2時半位で終了。人数少なかったのですが、昼間に終わるのって、なんか楽しい。
帰宅して、カードの中紙を入れたり、カットしたり、売れる形にするには、けっこう手間がかかります。夜までかかって、なんとかめどがついてきました。