奥さんの連休初日、是非にということで雨予報にもめげずに出かけました。
メインは"皇居東御苑散策" 予報適中の雨風中散策。
入苑料無料。
皇居には本当に珍しい草花樹木が豊富、これをカメラに納めずして何とする、とリキんでも闘志は虚しく空回りで、ピントもアングルもズレまくり。
雨風の中で傘をさしての撮影はことのほか集中力を削ぐもの。
以下、皇居東御苑/雨の中撮って歩記(あめのなかとってあるき)
皇居東御苑は、旧江戸城の本丸と二の丸、三の丸を中心とした、面積約21万平方米の一帯。
明治初期には東京鎮台工兵作業場等に、皇居造営後には宮内庁の書陵部と楽部の庁舎、馬場、内親王の呉竹寮などに使われていた。
戦後昭和35年閣議決定により皇居附属庭園として整備開始、昭和38年国の特別史跡に指定され昭和43年から開苑となった。
「大手門」9:27am
旧江戸城の正門で、明暦の大火で焼け1956年に再建。
明暦の大火は別名「振袖火事」で有名。(下線をクリック)
<渡櫓門>9:29am
大手門を入ってすぐの第二の門。
昭和20年の戦災で焼け、昭和42年に復元工事で再現された。
「三の丸尚蔵館」9:48am
ここから庭園の向こうに霧雨に包まれたパレスホテルなどの高層ビルなどが見える。
「同心番所」10:10am
大手門から入城した大名が最初に通る番所。
与力同心が詰めて警護にあたっていたところ。
「百人番所」10:10am
約50mもある長い建物。
常に100人の同心が、昼夜警備に当たっていた。
「大番所」10:15am
他の番所より格上で、位の高い与力同心が詰めて警護にあたっていたところ。
「二の丸庭園-1」10:45am
二の丸庭園:徳川家光の命令で小堀遠州が作ったという回遊式庭園を復元。
「二の丸庭園-2」
ツツジはほぼ終わり。
最盛期には一面真っ赤に覆われる。
「諏訪の茶屋」10:55am
明治45年に吹上御苑に建てられたものを東御苑の整備にあたり移築された。
「都道府県の木の石碑」11:02am
都道府県の木:昭和43年東御苑の整備・公開に合わせ各都道府県から寄せられて植樹したもの。
「平川門」11:10am
江戸城の艮(うしとら)の方角(東北)、即ち鬼門にあたるため「不浄門」とも呼ばれ城内の死者や罪人を出す特殊な用途の門でもあった。
「御局御門」とも呼ばれ大奥女中の通用門としても使用された。
元禄14年の浅野内匠頭、正徳4年の江島などもこの門を出た後に処罰を受けた。
「平川濠」11:15am
「梅林坂」11:20am
本丸と二の丸をつなぐ梅林がある坂。
「北桔橋門(きたはねばしもん)」11:27am
江戸城本丸防御の為に、橋をはねあげて遮断し、周辺の堀も深くなっている。
「天守台跡」11:29am
江戸城の天守閣は慶長12年に完成。
金色の鯱を載せた日本最大の5層の天守閣であった。
明暦3年の大火で焼失した後は再建されず、基礎石である石垣だけが残った。
「本丸跡地」11:38am
江戸城の本丸のあった場所で一周500mほどの芝生となっている。
「松の廊下跡-1」11:48am
元禄14年3月14日赤穂藩主浅野内匠頭長矩が殿中で刃傷沙汰を起こした場所。
「松の廊下跡-2」
障壁画に「松と千鳥」を主題にした絵が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれていた。
展望台から見た「白鳥濠」0:12pm
少し向こうに汐見坂。
更に遠くに毎日新聞社屋が見える。
「汐見坂」0:35pm
昔この坂から海が見えたのが名称の由来。
かなりの急斜面。
このころやっと雨が止む。
北桔橋門を出たところに「乾濠」1:15pm
大まかには以上のような順序でコースを回りました。
苑内の草花木はまた明日以降とします。
ちょっと(イヤ、かなり)後悔しているのは東御苑とは別の、桔梗門→坂下門→宮殿東庭→二重橋→宮殿→宮内庁舎のコースに気が付かなかったこと。
いつかはぜひ。
メインは"皇居東御苑散策" 予報適中の雨風中散策。
入苑料無料。
皇居には本当に珍しい草花樹木が豊富、これをカメラに納めずして何とする、とリキんでも闘志は虚しく空回りで、ピントもアングルもズレまくり。
雨風の中で傘をさしての撮影はことのほか集中力を削ぐもの。
以下、皇居東御苑/雨の中撮って歩記(あめのなかとってあるき)
皇居東御苑は、旧江戸城の本丸と二の丸、三の丸を中心とした、面積約21万平方米の一帯。
明治初期には東京鎮台工兵作業場等に、皇居造営後には宮内庁の書陵部と楽部の庁舎、馬場、内親王の呉竹寮などに使われていた。
戦後昭和35年閣議決定により皇居附属庭園として整備開始、昭和38年国の特別史跡に指定され昭和43年から開苑となった。
「大手門」9:27am
旧江戸城の正門で、明暦の大火で焼け1956年に再建。
明暦の大火は別名「振袖火事」で有名。(下線をクリック)
<渡櫓門>9:29am
大手門を入ってすぐの第二の門。
昭和20年の戦災で焼け、昭和42年に復元工事で再現された。
「三の丸尚蔵館」9:48am
ここから庭園の向こうに霧雨に包まれたパレスホテルなどの高層ビルなどが見える。
「同心番所」10:10am
大手門から入城した大名が最初に通る番所。
与力同心が詰めて警護にあたっていたところ。
「百人番所」10:10am
約50mもある長い建物。
常に100人の同心が、昼夜警備に当たっていた。
「大番所」10:15am
他の番所より格上で、位の高い与力同心が詰めて警護にあたっていたところ。
「二の丸庭園-1」10:45am
二の丸庭園:徳川家光の命令で小堀遠州が作ったという回遊式庭園を復元。
「二の丸庭園-2」
ツツジはほぼ終わり。
最盛期には一面真っ赤に覆われる。
「諏訪の茶屋」10:55am
明治45年に吹上御苑に建てられたものを東御苑の整備にあたり移築された。
「都道府県の木の石碑」11:02am
都道府県の木:昭和43年東御苑の整備・公開に合わせ各都道府県から寄せられて植樹したもの。
「平川門」11:10am
江戸城の艮(うしとら)の方角(東北)、即ち鬼門にあたるため「不浄門」とも呼ばれ城内の死者や罪人を出す特殊な用途の門でもあった。
「御局御門」とも呼ばれ大奥女中の通用門としても使用された。
元禄14年の浅野内匠頭、正徳4年の江島などもこの門を出た後に処罰を受けた。
「平川濠」11:15am
「梅林坂」11:20am
本丸と二の丸をつなぐ梅林がある坂。
「北桔橋門(きたはねばしもん)」11:27am
江戸城本丸防御の為に、橋をはねあげて遮断し、周辺の堀も深くなっている。
「天守台跡」11:29am
江戸城の天守閣は慶長12年に完成。
金色の鯱を載せた日本最大の5層の天守閣であった。
明暦3年の大火で焼失した後は再建されず、基礎石である石垣だけが残った。
「本丸跡地」11:38am
江戸城の本丸のあった場所で一周500mほどの芝生となっている。
「松の廊下跡-1」11:48am
元禄14年3月14日赤穂藩主浅野内匠頭長矩が殿中で刃傷沙汰を起こした場所。
「松の廊下跡-2」
障壁画に「松と千鳥」を主題にした絵が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれていた。
展望台から見た「白鳥濠」0:12pm
少し向こうに汐見坂。
更に遠くに毎日新聞社屋が見える。
「汐見坂」0:35pm
昔この坂から海が見えたのが名称の由来。
かなりの急斜面。
このころやっと雨が止む。
北桔橋門を出たところに「乾濠」1:15pm
大まかには以上のような順序でコースを回りました。
苑内の草花木はまた明日以降とします。
ちょっと(イヤ、かなり)後悔しているのは東御苑とは別の、桔梗門→坂下門→宮殿東庭→二重橋→宮殿→宮内庁舎のコースに気が付かなかったこと。
いつかはぜひ。
・月、金曜日
・12月28日~1月3日
・行事の実施、その他やむを得ない理由のため支障のある日
また宮内庁に参観申込みが必要なコースが、皇居・京都御所・仙洞御所・桂離宮・修学院離宮があるそうです。
Reiさんが6月に予定されているのも、これですね。
写真はまあ何とか撮れたかな、という程度のものしか掲載できませんでした。
悪いのは雨のせい、と言いたいのですが、Reiさんにお褒めを頂けたのも雨のお陰ですね。
雨に濡れてしっとりと・・・かえって晴天より風情があります。どの写真も見事です!
「大手門」の写真雨ならではの雰囲気がよく出ています。
確かに傘さしてシャッターはやり難いですが・・・
NHK「篤姫」をみてすぐ、このお写真拝見、余計に当時が偲ばれました。
無料とのことですが、いつでも入れるのですか?
6月はじめ友人に誘われて京都桂離宮見学に行く予定ですが、こちらは事前の申し込みで(宮内庁へ?)許可証が要るようです。 「眼福」感謝!