透明な気圏の中から

日々の生活の中で感じたこと、好きな作家についての思いなどを書いてみたいと思います。

「誠実なる他者」

2014-06-25 22:17:22 | 日記

晴れ。最低気温12.9℃、最高気温24.8℃。

温泉に行くと心身共にリラックスできることもあり、今日も地元の温泉にでかけた。お母さんとやってきた3歳くらいの男の子は小さな青いプラスチックのコップの口を逆さにしてお湯の中に入れては上げを繰り返していた。きっと、入れた後にぽこっと泡がでてくるのが面白いのだろうと思った。タオルに少し空気をいれて水面にくぐらせると細かな泡がしゅーっと吹きあがってきて、楽しかったのを思い出す。あの男の子は他にも何か不思議な気がして、実験をしていたのかもしれない。お母さんが、取り上げずに見守ってあげていたのでホッとした。

幼児期には幼児期にしかできないことをしてほしいと思う。これまで、何度か読み返している本に、岡本夏木著の『幼児期ー子どもは世界をどうつかむかー』(岩波新書、2005年5月20日・第一刷発行、2010年7月15日・第10刷発行)がある。この中で「誠実なることばの基盤は、幼児期に築かれます。」とあった。そのためには「誠実なる他者」の存在が不可欠だと。

「誠実なることば」とは「他者に向けて語りかけながら、そのことばが、より強く本人自身に語りかけることば」であり、「子どもが自己の内的世界を作っていくのは、誠実な対話の相手のことばがまず自分のことばとして取り入れられ、さらにそれを通して相手の人そのものが自分に取り入れられることによ」るのだと。だから、対する相手がどういう人間かということが、子どもの内的世界、さらには人格の形成の中核に深く影響を与えることになると。 誠実な人、誠実な他者と接する機会をどれだけ持つかが、幼児期に限らずその後の生涯においても重要だと述べている点が印象深い。

さらに、続きがきっちりしている。「幼少期から自分に取り入れる対象として、権威をもってしか人に語りかけない人、他者を律するに道徳を説きながら、自己を律する良心をもたぬ人しか周囲にもたずに育つ場合、どういうことばを使う人間ができてゆくのか、先にあげた社会の指導者を自認する政治家や道徳論者たちの姿が浮かんできます。しかも誠実なることばの基礎となるべき人間関係と言語環境が、時代とともに侵蝕されていることが危惧されます。 ことばの乱れ論や、ことばのしつけ論も、それに先立つ、こうした幼児期からの『誠実なる他者』の存在に目を向けるところから出発し直すべきでないかと、切に思います。」と。2005年初版のこの本もまた、いぶし銀のような光沢を放っている。

 

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