雨時々曇り。最低気温15.5℃、最高気温18.9℃。
午前、野幌森林公園、百年記念塔経由ふれあいコースを散歩する。細かな雨が時折降る中の散歩もまた、楽しいものだった。歩きながら、賢治の詩作品を思い浮かべていた。四月に「おれはひとりの修羅なのだ」と「唾し はぎしりゆきき」していた彼は、その後どういう心情の展開をみせていたのだろうと。
《ムラサキツメクサ(紫詰草、Trifolium pratense) 和名アカツメクサ ふれあいコース》
《ふれあいコース》
《トケンラン ふれあいコース》
《大沢口》
我が家に戻り、『春と修羅 第一集』を手に取る。『春と修羅 第一集』中の「春と修羅」では「四月の気層のひかりの底を 唾し はぎしりゆききするおれはひとりの修羅なのだ」(一九二二、四、八)とあった。それから約二か月後の日付を持つ「青い槍の葉」(一九二二、六、一二)では「りんと立て立て青い槍の葉 そらはエレキのしろい網 かげとひかりの六月の底 気圏日本の青野原」と綴られていた。「りんと立て立青い槍の葉」というフレーズからは育ちゆくものへのエールを感じる。六月はひかりが強まる分、影も深みを増すであろう。そのひかりとかげが織りなす気圏日本の底を青々とした槍の葉の野原が広がっているのであろうか。「唾し はぎしりゆききするおれはひとりの修羅なのだ」という自己へ向けられたデモーニッシュなエネルギーは「りんと立て立て青い槍の葉」と他者へ向かう。デモーニッシュなエネルギーはこの時点で瞬間的かもしれないけれど、質的な変換がなされたといえるのではないだろうか・・・・・・などと思った。