透明な気圏の中から

日々の生活の中で感じたこと、好きな作家についての思いなどを書いてみたいと思います。

わたあめのような雲

2017-02-19 20:33:27 | 日記

晴れ。最低気温-9.7℃、最高気温-3.3℃(江別)。最低気温-15.3℃、最高気温-3.0℃(生田原)。

16:40

16:41

【夕暮(ゆふぐ)れは雲のはたてにものぞ思(おも)ふ天(あま)つ空(そら)なる人を恋()ふとて】よみ人しらず〈古今集・一一・恋一・四八四〉

〔訳〕夕暮れになると、雲の果てをはるかに眺めてはもの思いをすることだ。雲の向こうにいるような自分の手には届かないあの人を恋いしたうというので。

                                                『古典文学/名歌名句事典』

ふわふわの薄桃色の雲は、真冬日だったことも、だからそれなりに冷えていたことも忘れて、暖かな部屋の中から眺めていたためかもしれないけれど、わたあめのようでもあり、優し気に見えたのでした。

ふと思い出したこの歌はいつの頃からか、私のお気に入りでした。

最近、言葉に以前より興味が増してきたようで、今日も新聞の日曜文芸欄に一通り目を通したところです。

オホーツク管内出身の私は「オホーツク」という言葉に過敏なようで、「オホーツクの海より生まれる日輪に孫子のためにと不戦を誓う」という歌に目がとまりました。

ぎくりとしたのは「近所での茶飲み話が特高の監視対象それが間近か」という歌で、肌感覚で今の風潮を詠んでいると感じました。

また、詩のコーナーでは、「便利」という詩について書かれた若宮明彦氏の選評に惹かれました。

 19世紀の米国詩人でナチュラリストのソローは「僕が森に行ったのは、ゆっくりと慎重に生きたいと思ったからだ」と書いた。

 シンプルにもっとゆっくり暮らしたい。雑事を減らして、心豊かに人生を楽しみたい。慌ただしい日々の中で、多くの人がそう思っていることだろう。科学の進歩や社会の発展は、むしろ人から自由を奪っているのではないか。一度立ち止まって考えたい。この作者のように「便利」の意味を再考してみたい。

 こちらも同感で、全文を引用させていただきました。 

コメント
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