透明な気圏の中から

日々の生活の中で感じたこと、好きな作家についての思いなどを書いてみたいと思います。

来客と新北のうた暦と

2024-10-02 18:49:52 | 日記

曇り時々晴れ。最低気温15.2℃、最高気温21.3℃。

義母のお部屋の契約更新に見えた方に紅茶で一息ついて頂くことに。

せっかくなので、今までただの1度も使ったことがなく、茶箪笥に眠っていた食器を使おうと決意したワタクシ。

先日、思いまどう暇なく、1度も使わずにクリーンセンター行きとなった有田焼の大皿が頭の隅に残っていたようです。

どうせなら、頂いた美しい食器を使ってみなくては食器にも申し訳が立たたないと思った次第。

手続きにいらっしゃったのは女性の方で、アフタヌーンティーもどきとなったいきさつを告げると笑い転げて、紅茶のお代わりにも応じて下さいました。有難かったです。

これからも機会があれば、茶箪笥などにしまいこんだものを意識的に使ってみようかなと・・・・。

 

本日の北のうた暦の掲句については、解説がくわしく紐解いて下さっています。

「修羅の顔がそこにあらわれていなかったか」と。

『源氏物語』に登場する六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)を思い浮かべてしまいました。

生霊となって葵の上を苦しめる場面です。御息所自身は自覚がないまま、いつの間にか怨霊が抜け出して悪さをするのです。

後に髪や着物についた芥子の匂いなどで自分の仕業と知ることになり、さらに彼女は苦しむことになるのです。

気高い御息所の所作とは思えないことで、理性で抑えられない心というものの厄介さが語られています。

心理学でフロイトが扱っている無意識の分野でもあり、ヒトって分からないと言わせしむるものでもあるなと思います。

この作品と解説を通して、心層の深い部分については、まだまだ分からないことがたくさんあると改めて考えさせられました。

 

それでは今日はこの辺で。

明日が皆様にとって良い一日となりますように・・・・・。

コメント
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