雁木 福本渡船の横(1円ぽっぽ)
村長の住んでいる尾道市や向島には、もう稼働していないのでは?と感じてしまう紡績
工場や え!これどうゆう意味と考えてしまう看板がある。
尾道帆布工場
紡績工場とは向東町の尾道帆布株式会社、チョット外見からみると倒産(失礼な)?し
ているのかと思ってしまうほどだ、しかしレッキとして紡織機は動いており今や市内で
ただ一軒の帆布屋さんだ。
この工場そのものは昭和9年の創業だそうだが、北前船の寄港地として発展した1600年
台から帆・錨や畳表、塩等と共栄たのでしょうが、戦後化繊におされ急速に衰退したので
しょう。
それが今、帆やテント以外の活用方法が見いだされ息を吹き返しつつある。手提げ袋や
ランドセルはもちろん、百花の祭りにお餅を背負わす背負い袋まである、尾道郵便局のす
ぐ横にNPO法人 工房尾道帆布があるので寄ってみては。
「ろ」
変わった看板は、尾道渡船を向島に向けて渡ると右手の二階の壁面に「ろ」なる文字が
一つ、他の文字が取れているわけではなくこれは船の魯のことだ、現在も作っているかどう
か確認してないがその看板。
舟というか北前船の関連でいえば、尾道市内にある福善寺や常弥寺等の古いお墓は「舟
」の形したものが沢山、北前船で賑わった名残でしょう。
舟形のお墓
更に港といえば雁木、今のように浮き桟橋も10万トンバースも無い時代、古き時代は皆
雁木で階段状に船着き場が作ってあった、村長の記憶では住吉神社の前の浜も、今の尾道
渡船の左手の浜も、駅前桟橋から500メートルほどの通称1円ぽっぽの横の浜も雁木だった。
今はコンクリートの雁木でかろうじてその面影を保っているが、その昔は字のとおり木
だった。
余談ですが1円ぽっぽのぽっぽはポンポン船つまり焼玉エンジンの名残だ、そして雁木の
あるところ昭和40年代の始めまで多くが青果市場だった、近郊の島々から野菜やミカンが
市場に降ろされ、帰り船で日用品を島に持って帰る。
横道にそれたが、打ちながら思ったのは港街・寺の街尾道として有名ではあるが、村長
の無知識・無勉強ではかなりキツイ、少し勉強しながら紹介します。