「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

極刑抑制の流れ 変わる -- 選択の重さ (6)

2009年06月04日 22時01分05秒 | 死刑制度と癒し
 
 97~98年、 検察は5つの事件で、

 無期懲役の判決を量刑不当として 異例の連続上告を行ないました。

 83年に 永山基準で示された 9つの判断基準のうち、

 「被害者の数」 を 特に重く捉える傾向が、 当時の下級審にありましたが、

 検察はそれに 一石を投じようとしたのです。

 92年に起きた 主婦殺害事件もそのひとつです。

 岡敏明被告 (52) は、 主婦を強姦したうえ 千枚通しや牛刀で刺殺。

 10歳と6歳の姉弟が、 血の海に倒れている 母親を最初に発見しました。

 一審 東京地裁の判決は死刑。

 けれども 二審の東京高裁は、 永山基準を根拠に 無期懲役に減刑しました。

 上告を受けた最高裁は 合議を重ね、 上告を棄却します。

 ただし判決には、 「 殺害された被害者が1人でも、

 極刑がやむを得ない場合が あることはいうまでもない 」

 という文言が 盛り込まれました。



 検察が連続上告した もうひとつの事件があります。

 強盗殺人罪で 無期懲役の判決を受け、

 仮釈放中だった 西山省三被告 (56) が、

 一人暮らしの女性を殺害し、 現金を奪った事件。

 一審, 二審とも 無期懲役でした。

 合議に当たった 最高裁のある判事は、 こう明かします。

「 無期懲役を破棄するのは、 断崖絶壁を跳び越えるようなもの。

 判断に悩む、 本当にしんどい事件だった 」

 けれども 被告の反社会性は軽視できず、

 99年最高裁は 高裁に差し戻して、

 07年に 西山被告の死刑が確定しました。

 検察が連続上告した 事件のうち、

 結論が死刑に変わったのは この事件だけでした。

 しかしこれ以降、 極刑に慎重な流れが 変わります。

 永山基準以後、 死刑判決は 年間4~15人。

 2000年以降は 8年連続で20人を超えています。

〔 読売新聞より 〕
 
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「永山基準」 最高裁の答え -- 選択の重さ (5)

2009年06月03日 20時57分55秒 | 死刑制度と癒し
 
 1983年、 最高裁は 二審の無期懲役判決を破棄し、

 東京高裁に差し戻しました。

 被告の名は 永山則夫。

 19歳だった68年秋、 東京,京都などで 警備員や運転手ら 4人を射殺し、

 強盗殺人などの 罪に問われました。

 83年7月の最高裁判決は、

 のちに 「永山基準」 と呼ばれる、 死刑適用の基準を示します。

 犯行の罪質, 動機, 殺害方法, 被害者の数, 遺族感情,

 社会的影響, 被告の年齢, 前科, 犯行後の情状。

 これらを総合的に考慮し、 やむを得ない場合は、 死刑の選択も許される。

 (死刑適用は) いかなる裁判所でも 死刑を選択したであろう程度の、

 情状がある時に 限られるべきだと。

 背景には、 死刑存廃論議の高まりがありました。

 イギリスやフランスで 死刑が廃止され、

 財田川事件, 免田事件, 松山事件で 再審が決定が出され、

 冤罪問題も クローズアップされていました。

 9項目のうち ことに重視されたのは、

 殺害方法の執拗性・ 残虐性と、 被害者の数だと言われます。

 そして 被害者が1人の場合、

 よほどの事情がなければ 死刑に出来ないという 傾向が生まれます。

 無学だった永山被告は、 拘置所で 哲学書を読むまでに成長し、

 獄中記 「無知の涙」 はベストセラーに。

 東京地裁の陪席裁判官は、

「 何度も 『極刑で 責任を取らせるべきなのか』 と悩んだ 」

 と振り返ります。

 それから14年後、 永山死刑囚の刑が 執行されました。

 奇しくも この年から、

 検察は 無期懲役とされた5つの事件で 上告を続けました。

 「 永山基準とは何か 」を 改めて問うことになります。

〔 読売新聞より 〕
 
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主文を後回し 「無期」 -- 選択の重さ (4)

2009年06月02日 20時12分15秒 | 死刑制度と癒し
 
 1995年1月、 鶴田小夜子検事 (57) は

 宮川豊被告 (54) に 死刑を求刑しました。

 三浦力裁判長 (74) は、 身の引き締まる思いがしたといいます。

 93年8月に起きた 甲府信用金庫OL誘拐殺人事件。

 借金に追われていた 宮川被告は、 雑誌記者を装って

 行員の内田友紀さん (当時19歳) を おびき出して殺害、

 信金に身代金を要求しました。

 事件は 全国的な注目を集めており、 三浦裁判長は

 「 死刑判決の方が 理解を得られるかもしれない 」とも 感じていました。

 しかし 宮川被告に前科はなく、 犯行前は 普通に勤務していました。

 自ら警察に出頭し、 犯行内容を 詳細に供述しています。

 無期懲役の判決文を 書き上げたのは、 判決公判の約1週間前でした。

 三浦裁判長は、 主文の言い渡しを 後回しにしました。

 「 冒頭で 『無期懲役に処する』 と告げると、

 被告は 死刑を逃れられたと思って ほっとしてしまい、

 判決理由をきちんと 聞いてくれないかもしれない。 」

 それは避けたかったのです。

 翌年4月、 東京高裁は無期懲役を維持。

 検察側は上告を断念して、 刑は確定しました。

 1審判決から14年。

 宮川受刑者は服役中ですが、 友紀さんの父親・ 邦彦さんは言います。

「 無期懲役は 仮釈放で社会に出てくる 可能性がある。

 それだけは絶対に許せない。 」

 鶴田検事は 遺族の思いに応えられなかった 無力感を忘れたことはありません。

「 被告が更生するかどうかは、 誰にもわからない。

 刑罰というのは、 被告がどんな犯行をしたかで 決めるべきではないか。 」

 退官した三浦裁判長は こう語ります。

「 少しでも被告に  『立ち直ってほしい』 という思いが伝われば

 と念じながら、 言い渡しを終えました。

 私は 法廷の力を信じています。 」

〔 読売新聞より 〕
 
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検察審査会

2009年05月29日 20時44分46秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 市民が司法に 参加する制度が、 裁判員制度の他に もうひとつあります。

 それが検察審査会。

 検察が不起訴にした事件で、 不起訴が妥当かどうかを、

 国民からくじで選ばれた 11人の検察審査員が 審査するものです。

 昭和23年に設置され、 これまで54万人が 審査員を経験してきたそうです。

 任期は6ヶ月です。


 02年、 斎藤猛さんは 

 自分が店長を勤める 焼肉店の 売上を横領したとして、

 業務上横領で 逮捕・起訴されました。

 状況証拠の積み重ねで、 一審は 1年6ヶ月の有罪判決。

 1年3ヶ月の 勾留生活の後、 売上金と共に なくなっていた書類が、

 店員の女の 家から見つかり、 斎藤さんは控訴審で 逆転無罪になりました。

 その間に 斎藤さんの母親は亡くなり、 釈放直後に 父親も亡くなりました。

 斎藤さんは 店員の女を告発しましたが、 検察は不起訴処分に。

 そこで斎藤さんは、 検察審査会に不 服申し立てをしました。

 そして審査会は、 女を起訴するべきだと  「起訴相当」 の議決をしたのです。

 これに基づき、 検察は女を起訴しました。

 その斎藤さんに、 裁判所から 封書が届きました。

 それは何と、 斎藤さん自身が 検察審査員に選ばれたという 通知でした。

 斎藤さんは、 検察の判断を覆す 市民の目の重要性を 強く感じています。

 国の機関である検察を 裁判官が否定するのは 難しいが、

 市民ならば それが期待できると思うのです。

 市民の常識があれば、 自分のような冤罪を 生み出すことはなかったと。

〔 「報道特集NEXT」 より 〕


 これまで、 検察審査会は 検察に対して 法的拘束力は持ちませんでした。

 しかし 裁判員制度を含む 司法改革により、

 検察審査会が 不起訴不当 (または起訴相当) と

 2度 決議した案件は、 検察は起訴する義務があると 改められました。

 つまり、 検察が不起訴にした事件を 検察審査会が不当とすると、

 検察は捜査をしなおし、 再び 起訴か不起訴かを決めます。

 それに対して、 検察審査会がもう一度 不当と判断すれば、

 検察は無条件に 起訴しなければなりまん。

 検察官の上に、 国民の良識を 反映させるものなのです。
 
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ウソの自白

2009年05月28日 22時08分58秒 | 死刑制度と癒し

(前の記事からの続き)

 そもそも冤罪は、 警察による 洗脳のような取り調べによって 起こります。

 1993年、 ゴーガーさんは 両親を殺害した疑いで、

 18時間連続の執拗な 取り調べを受けました。

 ゴーガーさんは、 大変なことをして その記憶をなくしたのかもしれない

 と思い、身に覚えのない 自白してしまいます。

 両親が亡くなって 混乱している最中で、 誘導に乗ってしまったのです。

 陪審員は 最初の自白を下に 有罪の判定をしました。

 密室での取り調べが 冤罪の温床になっているとして、

 全過程の録画・ 可視化が アメリカでは進んでいます。

 全録画がなければ 自白を証拠として認めません。

 警察も、 供述が裁判で 覆されにくくなると、 おおむね肯定的です。

 因みにイリノイ州で、 全米に先がけて 録画の立法化に 尽力したのは、

 州選出の上院議員だった バラク・オバマ氏です。

 ノースウェスタン大学の ドリズィン教授は、

 死刑があり得る 重大犯罪こそ 取り調べの圧力が強まり、

 ウソの自白が 起きやすいと指摘します。

 記録に残る ウソの自白の大半が、 殺人関連だそうです。

 教授は 日本の 「名張毒ぶどう酒事件」 についても、

 最高裁に 意見書を提出しています。

 捜査段階で自白し、 後に無罪を主張した 奥西勝死刑囚。

 裁判所は 再審を拒んでおり、 その理由は、

 自分に不利な自白など するはずがないというものです。

 しかし、 5月14日の記事でも 分かるように、

 虚偽自白が無理矢理 引き出されているのが現実です。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/58779610.html

 奥村被告は、 事件で 自分の愛する妻と 愛人を失って、 動揺していました。

 そういう人は ウソの自白をしやすいといいます。

 日本の裁判員にも、 調書を鵜呑みにしないようにと 忠告しています。

(次の記事に続く)

〔 「報道特集NEXT」 より 〕
 
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無実プロジェクト

2009年05月27日 21時16分05秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 ウィスコンシン州のロースクールで、

 無実の囚人を 救おうという活動があります。

 弁護士資格を持つ教授と 学生たちのこの活動は、

「 無実プロジェクト 」と言われます。

 23年前、 ピザ店の店員を 強姦殺人したとして、

 クリストファー・オチョアさんは 終身刑に処せられました。

 警察の強引な取り調べで、 当時二十歳そこそこの オチョアさんは恐くなり、

 自白してしまったのです。

 オチョアさんは 刑務所から無実プロジェクトに 手紙を送りました。

 学生たちは 被害者の体に付いた DNAから、

 別の事件で逮捕されている 真犯人を割り出したのです。

 防犯カメラの映像を より高度に解析できるようになったため、

 真犯人が分かった ケースもあります。

 それを導く NASAの技術を 見つけてきたのも学生でした。

 学生は 教育の一環として 活動をしています。

 つまり 刑務所の受刑者は、 無実プロジェクトに 無料で依頼できます。

 受刑者の多くはお金がなく、 優秀な弁護士を雇えないのです。

 この無実プロジェクトは 11年間で10人の 冤罪者を救い出しました。

 同様の活動をしている大学は、 全米で152に上るそうです。

(次の記事に続く)

〔 「報道特集NEXT」 より 〕
 
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陪審員による冤罪死刑

2009年05月26日 14時58分16秒 | 死刑制度と癒し
 
 TBSの 「報道特集NEXT」 で、

 アメリカの陪審員制度での 冤罪について放送していました。

 この25年間に、130人が 冤罪で死刑判決を 下されているというのです。

( 5月14日の記事には、

 「71~02年に125件 (31年間)」 と書きましたが、

 近年のほうが 増えていることになります。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/58779610.html )


 23年前、 二人組の強盗が 住人二人を 射殺した事件。

 被告の一人 ウィリアムズの衣服に、

 被害者の血痕が 付いていたという証拠を 検察は提出していました。

 陪審員のグナイエフさんは これを殺人の証拠と確信し、

反対する他の陪審員を説得し、 有罪に導きました。

 ところが17年後、 最新のDNA鑑定によって、

 血痕は被害者のものではない ということが判明しました。

 ウィリアムズは 強盗と発砲の 事実はあるものの、

 殺害の証拠はなくなりました。

 グナイエフさんは一転して、 死刑執行の停止運動に 奔走します。

 州知事によって 死刑停止が実現したのは、 執行のわずか数日前でした。

( もっとも、 被害者の血痕が付いていても 殺害の証拠にはなりませんし、

 付いていなくても 殺していないという証拠にも ならないでしょう。

 これだけでは 事実は分かりませんが、

 疑わしきは被告人の利益に ということです。

 まして 死刑の場合には。)

 また、 被害者の証言が 冤罪を生む場合もあります。

 レイプ事件の被害者・ バーンツェンさんは、

 警察から 9人の男の 写真を見せられ、

 そのうちの一人を 犯人だと証言しました。

 ところが17年後、 やはりDNA鑑定で この男性の無実が判明します。

 バーンツェンさんは 写真の中に 犯人がいると思い込み、

 男性を選んでしまったのです。

 捕まった真犯人の顔は、 この男性とは 全く別人でした。

 この間に真犯人は、 10件のレイプ事件を起こし、

 被害者の人生を 狂わせています。

 刑の執行前に 助かった人はまだしも、

 真証拠が見つかったときには 既に処刑されてしまった 人もいるのです。

 そして今も 真実が分からないままの冤罪が、

 一体どれほどあるのか 分かりません。

(次の記事に続く)

〔 「報道特集NEXT」 より 〕
 
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被告の行為 見合う責任を -- 選択の重さ (4)

2009年05月25日 21時55分02秒 | 死刑制度と癒し
 
 07年 東京高裁。

 高橋裁判長は 書き終えた判決文を 机の引き出しにしまい、 鍵をかけました。

 言い渡しは 2週間後。

 時間を置き、 判決直前に冷めた頭で 最終確認をします。

 通常の事件は 1週間ほど。

 重大事件は それより長めに 寝かすことにしています。

 過去に7回服役した 熊谷被告は 出所翌月に、

 横浜の料理店主の顔面に 銃を押しつけて射殺し、 現金40万円を強奪。

 さらに 地下鉄渋谷駅で、売上金を奪うため 駅員を銃撃し、

 右足が動けなくなる 後遺症を負わせました。

「 刑事事件というのは、 被告の行為に見合う責任を 判断することに尽きる 」

 高橋裁判長は そう思っています。

 2件の犯行とも、 至近距離から発砲しています。

「 死者は一人でも、 限りなく 二人殺害に近い。

 拳銃を使った残虐性も 見逃せなかった 」

 一審の無期懲役を破棄し、 死刑判決を出したのでした。

「 いったん 無期とされた被告に、 死刑を言い渡すのは 重かった。

 だが、 死刑を選択せざるを得ない 事件はある 」

〔読売新聞より〕
 
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被害者の言い分 くみ取る -- 選択の重さ (3)

2009年05月24日 22時17分33秒 | 死刑制度と癒し
 
 死刑判決に至るまでの 裁判官の心の動き、 その記事の続きです。


「 (被害者の女性とは) お互いに愛し合っていた 」

 2000年浦和地裁で、 中国人のセッショウ被告は そう述べました。

「 夫のいる被害者に 求婚したが断られ、

 被告は絶望のあまり 激しい興奮状態に陥り、 判断能力が著しく減退していた 」

 弁護士は 犯行時の責任能力を 争点に据えました。

 中国人夫妻が 殺害された事件。

 二人ともサバイバルナイフで 首を大きく切り裂かれていました。

「 命を奪われた被害者は、 生きている被告の言うことに 何も反論できない。

 客観的な証拠から 被害者の言い分を できるだけくみ取っていく 」

 川上裁判長は そう心に決めました。

 被害者は 被告から好意を持たれて 困っていたという、

 知人の証言がありました。

「 被告と女性が交際関係にあったことを 示す証拠は何もない 」

 被告は犯行前、 サバイバルナイフを2本購入。

 女性と夫を 車ではねてから 刺すという計画を立て、 実行しました。

 冷静な判断力を持ち、 目的を果たす 強い意思が感じられます。

「 被害者には 何の落ち度もない。

 計画的犯行で 被告に責任能力もある。

 ひとつひとつ 証拠を判断した積み重ねが、 極刑という結論になった 」

 川上裁判長は、裁判長として 初めて言い渡した 死刑判決を、

 そう振り返りました。

〔読売新聞より〕
 
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反省見極め 無期に -- 選択の重さ (2)

2009年05月17日 23時51分52秒 | 死刑制度と癒し
 
 「 自分は…… 死刑になった方が いいと思ってます 」

 2003年 札幌高裁。

 及川被告の言葉に、 仲宗根裁判長は 身を乗り出しました。

 及川被告は前年、 盗み目的で 家宅に侵入し、 二人の幼児を 包丁で刺殺。

 一審で死刑を 言い渡されました。

 控訴審で弁護士は、 死刑回避のため

 被告の更生意欲を 示す方針を決めました。

 1ヶ月前の公判で、 口数の少ない被告から

 「 一生償っていきたい 」という言葉を 引き出していました。

 裁判長が、 前回と今回の 言葉の関連を訪ねると、 被告は答えます。

 昨日弁護士から 被害者が刺されている写真を 見せてもらい、

 自分がやったことは 死刑だと思うと。

 裁判官は 量刑を判断する際、

 被告の 反省の態度を見極めるのは 非常に難しいと言います。

 法廷では 被告の表情や雰囲気、 言動の全てに 注意を払います。

 反省を装う 可能性もありますが、

 最初から演技と 決めつけないようにします。

 及川被告の姿は、 自責の念の 自然な流れに見えました。

 及川被告は遺族に 謝罪の手紙を送っていました。

 2000万円の損害賠償も 60年かけて分割払いすることに。

 仲宗根裁判長は、 及川被告が 反省の念を抱き、 矯正の余地も あると考え、

 一審判決を破棄して 無期懲役を言い渡しました。

 検察が 上告を断念したため 確定。

 及川受刑者は現在、 関東の刑務所にいます。

 無期懲役確定を堺に 遺族への手紙は途絶え、

 損害賠償の分割払いも 3年前から止まっています。

〔読売新聞より〕
 
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裁判長 「自分が遺族なら……」 -- 選択の重さ (1)

2009年05月16日 14時15分21秒 | 死刑制度と癒し
 
 読売新聞の 死刑の連載第3部です。

 裁判官が 死刑という究極の結論に 達するまでの道筋をたどります。


 静岡県三島市で02年に起きた 女子短大生焼殺事件。

 当時19才だった被害者は、 見ず知らずの男に 車で拉致され、

 乱暴されたあげく、 山中の路上で 体を縛られて、

 灯油をかけられ 火をつけられました。

 一審では 死刑求刑に対し、 無期懲役が選択されていましたが、

 高裁の田尾裁判長は、 「あまりにひどい」 と思いました。

 まじめに生きてきた人の命が こんな形で奪われる 不条理さ、やりきれなさ。

 遺族感情は峻烈でした。

「 同じように火をつけて (被告を) 殺してやりたい。

 どれだけ熱いか、 どれだけ怖いか、

 どれだけ苦しかったか 思い知らせてやりたい。 」

 田尾裁判長は 一審での死刑回避の理由を、 ひとつずつ検討していきました。

 「 周到な計画に基づく 犯行ではない 」

 「 被告の前科に 殺人などの犯罪は見当たらない 」

 しかし被告は 少年院や刑務所に入り、 仮出所中に犯行に及んでいます。

 一審が悩んだことは 分かりましたが、

 それでも 犯行の残虐さは余りあります。

 3人の裁判官の合議で、

 被害者が一人でも 極刑しかないという 結論に到達しました。

 死刑は 最も強烈な 権力の執行です。

 判決はあくまでも 客観的な根拠に 基づかなければなりません。

 今は退官した田尾氏も、 遺族感情はそれほど 重視しなかったと明かします。

 判決文も 感情的な言い回しを 極力避けました。

 ただ一言だけ、 自身の心情を入れました。

「 苦悶のうちに 命を失うこととなった被害者の 短い一生を思うとき、

 深い哀れみを 覚えざるを得ない 」

 読み上げ中、 胸に込み上げるものがあり、

 悟られまいと 必死でこらえました。

〔読売新聞より〕
 
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裁判員制度での 死刑判断

2009年05月15日 22時35分42秒 | 死刑制度と癒し
 
 自供の信用性, 責任能力の有無など、 判断が難しい問題を 抱えながら、

 裁判員が 死刑を選択するかもしれない 事態に直面します。

 裁判員制度では、 裁判員と裁判官 計9人の意見が 一致しないときは、

 多数決で判決を決めます。

 制度設計の段階では、 日本弁護士連合会は

 「 死刑は全員一致 」と 求めていましたが、

 制度実施の延期を 懸念され、 議論は広がりませんでした。

 プロの裁判官でも、 死刑を選択するときだけは

 「 3人のうち一人でも 疑問を持てば、 死刑は回避してきた 」

 という人が多くいます。

 陪審員制度は 全員一致がルールですが、 裁判員制度では死刑であっても、

 まとまらなければ 多数決を採らざるを得ないだろう、 とも予想されています。

 裁判員の精神的負担も 重大になるでしょう。

 「 絶対死刑を選ばない 」と 決めている裁判員候補は、

 面接の段階で 排除される可能性があります。

 法律に従わないことになり、 不公正な裁判をする 恐れがあるからです。

 「 死刑に反対 」というだけでは 裁判員辞退は認められませんが、

 死刑を適用すべきか 議論することすら 精神的な苦痛に 感じる人については、

 認めることもありそうです。

 ただし 裁判員になりたくない人が、

 「 死刑を選ばない 」と 口実に使うことも考えられます。

 裁判長が面接で 質問を重ねることにより、

 ウソを見破っていくしか ないようです。

 なぜ市民が、 死刑に関わるかもしれない 重大な裁判に

 参加しなければならないのか、 という疑問も呈されます。

 法務省は、 「 重大事件ほど 社会正義が大きく損なわれ、

 社会の主人公である国民に 正義を回復してもらうことに 意義がある 」

 と説明しています。

 裁判員制度が始まっても、 幅広く議論していくことが 欠かせないでしょう。

〔朝日新聞・読売新聞より〕 
 
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虚偽の自白

2009年05月14日 22時37分32秒 | 死刑制度と癒し
 
 やってもいない殺人を、 「私がやりました」 などと 言うはずがない。

 そう思うでしょうか? 

 アメリカでは 罪を自白した人が、 後にDNA鑑定や 真犯人の登場などで

 無実となった例が、 71~02年に 125件ありました。

 81%が殺人で、 有罪となった事件では 43%が死刑か終身刑でした。

 捜査官は まず 「犯行現場から お前の指紋が出た」 などと、

 見せかけの証拠で 動揺を誘います。

 次に 「家族に食べさせるために やったんだろう」 と、

 罪を認めやすくする シナリオを展開するのです。

 疑われた人は、

 「 この場から 一刻も早く逃れたい 」という 気持ちに駆られ、

 「 捜査官のシナリオを 受け入れるのが唯一の道 」と

 考えるようになります。

 身も心も 疲れ果てた末、

 「 覚えていないが 自分がやった 」と 思い込んでしまうこともあります。

 虚偽自白の62%は 24才以下の若者です。

 精神障害や知的障害の人も 陥りやすく、

 取り調べ時間が延び、 睡眠時間が短くなると 誰でも確率は高まります。

 自白した人は、 「 本当はやっていないのだから、

 陪審員は分かってくれるだろう 」と 法廷に希望を託します。

 ところが 虚偽自白が判明した 事件の8割で、

 陪審員が全員一致で 有罪判決を下しています。

 だからこそ 自白に至る 全過程を録画し、 法廷で見せることが大切です。

 また心理学者が、 被告の 誘導されやすい性格などの リスクを、

 陪審員に説明する州もあります。

 日本では こうした仕組みがない中で、 裁判員制度が始まります。

 自白は 捜査のきっかけに過ぎない ということを、

 かみしめておく必要があるでしょう。

〔朝日新聞より〕
 
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自ら望む執行 反省なく (その2) -- かえらぬ命 (11)

2009年05月05日 20時18分57秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 最近5年間で 79人の死刑が確定しました。

 その中で12人は、 自ら 控訴や上告を取り下げ、

 うち3人の刑が すでに執行されました。

「 死刑になりたかった 」

 昨年3月、 JR荒川沖駅で起きた 8人殺傷事件の

 金川真大 (かながわ まさひろ) 被告 (25) は、

 動機を供述しました。

 反省なく 自ら死を望む 死刑囚の存在は、

 究極の刑の意味を 問いかけています。

〔読売新聞より〕

-------------------------------------

 大阪池田小学校事件の 宅間守, 秋葉原無差別殺傷事件の 加藤智大も、

 死ぬために できるだけ多くの人を 殺そうとしました。

 死刑になりたいという 動機の犯罪は、

 死刑制度の存続に 大きな命題を突きつけます。


 なお、 昨日の記事の 山地死刑囚のような人間は、

 もしかすると 反社会的人格障害の可能性があります。

 仮にそうだとした場合、 死刑が 苦痛にも償いにもならない 人間に対して、

 死刑はどういう意味があるのか 考える必要があるでしょう。

 反社会的人格障害は 治療が極めて困難だということも、 難しい問題です。

 ただ 重症でなければ、 「反社会的パーソナリティ・スタイル」 として

 落ち着いていく可能性が あるかもしれません。

 「パーソナリティ・スタイル」 は、

 「パーソナリティ障害」 が その特徴を持ちながらも、

 バランスの取れた人格に 成熟していく考え方です。

(参照)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43890362.html
 
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自ら望む執行 反省なく (その1) -- かえらぬ命 (11)

2009年05月04日 10時22分02秒 | 死刑制度と癒し
 
< 今回の事件について 反省しているかと言えば、 答はNOです。

 後悔しているかと言えば、 その答もNOです >

 山地悠紀夫 (ゆきお) 死刑囚の供述調書には そんな言葉が並んでいます。

 2005年、 山地死刑囚は マンションに押し入り、

 上原明日香さん (当時27才),

 妹の千妃路 (ちひろ) さん (同19才) に 性的暴行を加え、

 ナイフで胸などを刺し 殺害したうえ、 部屋に火を放ちました。

 公判では、

「 当然、 死刑になると思います 」

「 死に対する恐怖はない 」

 などと、 表情を変えずに 語りました。

 明日香さん, 千妃路さんの父・ 和男さんは、

 意見陳述で 涙声を振り絞りました。

「 ナイフを刺される恐さ、 痛さ、

 意識がなくなっていくつらさを 分かってほしい 」

 しかし、 何を言っても 被告には届かない とも感じていました。

 山地の弁護士は、 こう考えます。

「 生きることに執着がなく、 他人の命にも 思いが至らない。

 心底反省するのは 無理だろう 」

 死刑判決が言い渡され、 弁護士は控訴しましたが、

 山地死刑囚は 自らそれを取り下げました。



 05年、 ネットの自殺サイトを使って 3人の男女を誘い出し、

 口や鼻をふさいで 窒息死させた 前上 (まえうえ) 博死刑囚。

 人が窒息するときの 表情を見て、 性的快感を得ようとした 犯行でした。

「 社会に戻っても、 再び人を襲うのではないかという 不安を抱えている 」

 自らそう明かし、 死刑判決を受けて 弁護士が控訴しても、

 それを取り下げました。

 被害者の母は、 次のように感じ始めています。

「 彼の場合、 死刑になることは 現実からの逃げでしかない。

 遺族だけが 苦しみを抱えて 生きていくことになる。

 死へ逃避するくらいなら、

 一生 悔やんでもらった方が いいのかもしれない 」

(次の記事に続く)
 
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