「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

ユングの 「あの世」 観 (2)

2009年02月26日 19時33分46秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57927416.html からの続き)

(白田氏のレジュメより)

「 この世は 意識の世界であり、

 時間と空間に区切られた 物質的な世界である。

 あの世は 無意識の世界, 時間と空間を 超えた世界,

 この世に現れるものを支える 元型の世界であり、 我々がそこから生まれ、

 死によって還っていく  『一なる世界』 でもある。」

「 私がこの人生で 実現したことは、

 死によって 世界に還元され 世界を変えていく。

 私が実現できなかった課題や 新たに生まれた課題は、 それが解決されるまで、

 この世に別の人間として  『再生』 され続けていく。

 私がなすべきことを 全て成し遂げたとき、

 私の魂は 三次元の世界から消え失せ、

 仏教で言うところの  『涅槃』 に到達する。」

 これは 先日の日記 「宗教体験」 に書いた、

 下記のことと 通じると思います。

「 もし僕が ここで死んでも、 自分と同じ魂を 持った人達が、

 僕のできなかったことを やっていってくれる。

 僕は魂によって 彼らと繋がっている。

 自分は 一人ではないのだ。」

 また これから書く予定の、 以下のこととも合致します。

( 「あるもの」 は 「一なるもの」 と同じです。)

「 『死』 は、 『あるもの』 と一体化する

 『成就』 であると 言えるのかもしれない。

 個々の命は この世での役割を終えたとき、

 『あるもの』 の許へ帰っていく、 と 僕は思っている。

 死は終焉なのではなく、 人間が本来 抱かれるべき場への 回帰であり、

 そして 再生への希望であるのかもしれない。」

(次の記事に続く)
 
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ユングの 「あの世」 観 (1)

2009年02月23日 21時36分57秒 | 心理
 
 僕が参加している 「ユング心理学研究会」 で 先日、

 「死のイメージとユング思想」 と題する セミナーがありました。

(http://mixi.jp/view_community.pl?id=1454900

 追って、 セミナーのレポートが 掲載されると思います。)

 ユングの来世論は あまり語られることがありませんが、

 実はユング思想の 中核そのものなのだそうです。

 ユングの死後の生命論は、

 イメージ論, 元型論, 「一なるもの論」 と表裏一体であり、

 ユング思想の神髄だと言います。

 講師の白田さんの話は とても興味深く、

 実際の生き方にも 貢献するものだと感じました。

 また 先日来の日記に書いている、

 僕のかつての体験にも 通ずるものがあるので、 ここに紹介させてもらいます。


 ユングはオカルト的だと 思われる向きがありますが、

 確かにそういう面が あるようです。

 ユングは 心霊的なものと近代科学の 統合を試み、

 まず 霊の存在については保留して、

 心霊の言葉を 科学の言葉に置き換えて 説明しました。

 後年は 霊について直接語り、 臨床心理学であると同時に、

 霊的なものの集大成としての ユング心理学が成立したのです。

 一般的に考えられているあの世は この世とは別のもので、

 この世の 「私」 は 死んであの世へ行く というようなものでしょう。

 しかし ユングの 「あの世」 は  「この世」 と一体のものです。

 この世は あの世の中の 一部分に過ぎず、

 我々が知っている部分  (我々に意識されている部分) です。

 残りの大部分は、 我々に意識されていない、

 無意識の世界である  「あの世」 なのです。

( ユングによれば、 人間の心も大部分は 無意識に占められていて、

 我々が意識しているのは ほんの一部分でしかありません。

 例えると 意識は、

 無意識という大海に浮かぶ 小さな島のようなものだと言います。 )

 人間は生きているときは 意識の存在で、

 死ぬと 無意識の世界に戻っていきます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57959794.html
 
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「フラット革命」 第四章 「公共性をだれが保証するのか」 (2)

2007年12月12日 20時58分21秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51657504.html からの続き)

 インターネットは マスコミにフィルタリングされず、

 世界をダイレクトに 生々しく 見ることができる世界です。

 それは 人々が浮遊し続ける 世界でもあります。

 そのような社会では、誰が 「公」 として 責任を取るのか? 

 公共性とは、異なる意見や立場の 人たちを取りまとめ、

 民主主義の中へ落とし込む 社会の機能です。

 浮遊する 「わたし」 の 膨大な集合体は、ネットによって 互いに直接つながり、

 情報を交換し合う、相互システムとして 形成されつつあります。

 そのやり取りそのものが、「公」 としての 責任を実現していく

 枠組みとなりうるのでしょう。

 ネットの世界では 肩書きではなく、言論の中身のみが 評価の基準となります。

 ネット上での評価が そのまま、

 現実社会での評価になる時代が やってこようとしています。

 一般の人々が ジャーナリズムを批判し、

 それにまた ジャーナリズムが答えていくという 構図そのものが、

 公共性を保証していくのでは ないだろうか? 

 様々な価値観や生き方,宗教などを持った人々が、

 常に議論を 戦わせていくことによって、

 本来的な民主主義を 実現していくのではないか。

 未来はまだ見えない。

 しかし、もう後戻りはできない。

 我々は目を見開いて、先へと 進んでいくしかないのだ。

(以上、「フラット革命」より)
 
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「フラット革命」 第四章 「公共性をだれが保証するのか」 (1)

2007年12月11日 23時14分16秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51621682.html からの続き)

 これまでの日本社会では、「公」 を保証していたのは マスメディアでした。

 しかし、「わたし」 が浮遊して 「われわれ」 が消失した 現代の社会では、

 新聞の「公」 は 世論を代表していると 言えなくなってきました。

 インターネットの世界の ジャーナリズムでは、記者の取材の内容や、

 取材相手との間で やり取りされたメールなどが、掲示板に公開されるといいます。

 それを見た人が 様々な感想を書き込み、後日

 週刊誌などに発表された 記事を読んで、再び掲示板に 意見や批判を書き込みます。

 そのようなお互いのやり取り、相乗効果こそが、

 インターネットにおける ジャーナリズムだというのです。

 それはプロセスではなく、「場」 なのです。

 新聞社やテレビには 固有の意志がありましたが、

 インターネットは 何かを推し進めるための、統合された機関ではありません。

 ネットに投げ込まれた情報は、融合することなく、

 差異はそのまま残されて、混沌として 存在しているだけです。

 従って、時に誤情報が 瞬く間に伝播して、暴走してしまうこともあります。

 群衆行動が先鋭化して、衆愚を極端にした ファシズムのような方向に

 走ってしまいかねません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51670562.html
 
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「フラット革命」 第三章 「組み換えられる人間関係」 (3)

2007年12月09日 20時30分17秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51609716.html からの続き)

 荒野のような インターネットに対して、

 マイミクシィ (友だち) で つながっているミクシィは、関係が絞られています。

 自分のページには プロフィールや日記が 載っているため、

 それに紐づけされる形で、自分の発言に 責任を持たなければならなくなります。

 そこが匿名掲示板などと 異なるところです。

 ブログでも そういうやり取りはできますが、ミクシィでは、

 パーティーで知り合った人に 声をかけられ、

 意見を交わすような 感覚があるといいます。

 ミクシィの日記で 話題を投げかけると、連鎖反応のように 対話が発展していきます。

 そこでは テーマが中心ではなく、人間が中心になって、

 パブリックとプライベートの 中間の状態ができています。

 日記で生まれるものは プロセスそのものであり、目的は重要ではありません。

 プロセスに参加することが 重要ということです。

 ネットの世界では 読む側と書く側が融合し、作者に読者がコミットし、

 読者は同時に 作者となっています。

 作者と読者の フラット化です。
 

 また、ミクシィでは 「人間関係の相対性理論」 と 称するものが起こります。

 昔の同級生と再会したり、

 マイミクのマイミクを通じて、実社会では 決して関わらない人たちが つながったり、

 空間も時間も超えた 人間関係が生まれるのです。

(佐々木氏は書いていませんが、“時空のフラット化” と言えるのかもしれません。)

 こうしたソーシャルの仕組みは、仮想空間だけだった ウェブ世界でなく、

 リアルの世界への接点を 実現していきます。

 バーチャルとリアルが融合する、新たな世界なのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51657504.html
 
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「フラット革命」 第三章 「組み換えられる人間関係」 (2)

2007年12月08日 23時31分54秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51592751.html からの続き)

 これは 本やDVDなどだけでなく、

 ネット上のあらゆる現象に 当てはまるといいます。

 消費者と商品に限らず、視聴者とテレビ、個人と個人などが、

 ひとつひとつの 縦軸は小さくても 横軸が膨大という ロングテールによって、

 新たなマッチングが生じ、社会を再編成していると。

 例えば、今まで マスコミというフィルターによって 世間と隔絶されていた視聴者は、

 ブログやBBSで 多くの知見を持った人と、

 ダイレクトにつながることが 可能になってきました。

 これが、マスメディアの秩序を 崩壊させる要因になっています。

 個人と個人の 出会いも同様で、これまでは 出会えなかった人たちが、

 ネットを通じて 時間や空間を超えて つながるようになっています。

 そこでのキーワードは、「セレンディピティ」 です。

 「セレンディピティ」 とは、偶然を捉えて 幸運に変えてしまう 能力のことです。

 いかなる権力や組織にも コントロールされない、人と人との知識が出会い、

 ぶつかり合い、新しい知--集合知を 生み出していくのです。

 ネットの本質は、単体の記事に あるのではなく、記事と記事が 互いに影響しあい、

 新しい価値を生み、変化していく、その共鳴の中にあります。

 その作用が、「ミクシィ」 にあるといいます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51621682.html
 
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「フラット革命」 第三章 「組み換えられる人間関係」 (1)

2007年12月07日 21時20分11秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51578986.html からの続き)

 インターネットの本質が あらわになってきたのは、2004年頃だといいます。

 双方向性やフラット性などが、技術の進歩によって

 ようやく 実現できるようになったのです。 (「ウェブ2.0」)

 そのキーワードとして、「ロングテール」 を挙げています。

 これは拙著 「境界に生きた心子」 のような、

 弱小本も 恩恵にあずかっているものです。

 あらゆる本の 売り上げ数を、それぞれの本ごとに グラフで表すとして、

 縦軸に売り上げ冊数、

 横軸には ベストセラーから売れている順に 本を並べていきます。

 すると 横軸の右の先の方には、

 売れ筋でない本 (縦軸のグラフが低い本) が 延々と続いていきます。

 その様子が、まるで 長い尻尾のようであることから、

 ロングテール現象 と言われます。

 そのような本は これまでは、宣伝もされず、書店にも置かれず、

 人目に触れる機会もなく 埋もれていった商品です。

 ところが現在では、ネット書店で検索すれば

 簡単にそれが 入手できるようになりました。

 それらが、塵も積もれば山となる で、

 ヒット商品に匹敵するほどの 売り上げを達成するように なってきたというのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51609716.html
 
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「フラット革命」 第二章 「よるべなく漂流する人たち」 (2)

2007年12月06日 22時29分55秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51562845.html からの続き)

 90年代後半から 2000年にかけて、瑞穂さんが 苦しんでいた時期は、

 戦後日本が 崩壊していった時期と 重なるといいます。

 戦後日本の 組織・経営は 「家」 であり、

 そこには 「安心」 と 「隷属」 が 同居していました。

 しかし 90年代にこれらが瓦解し、等質な社会から 格差社会へとなっていきます。

 優れた能力を持った 一部の人は、家的な会社組織から 飛び出して

 活躍できるようになりました。

 一方で、フリーターや ニート,ホームレスなど、

 居場所をなくし、社会との糸が 切れてしまった人々がいます。

 しかし どの立場の人も、同じ状況に 巻き込まれているといいます。

 自分の立ち位置は どこなのか? 

 様々なコミュニティと どのように繋がればいいのか? 

 自分自身で 確認していかなければならないのです。

 瑞穂さんと社会を結ぶ 「糸」 が インターネットでした。

 出会い系は 体の関係だけでなく、安心感や安らぎを感じたり、

 尊敬できる相手にも 出会える。

 彼女は、出会い系に対する 世間の誤解を修正していきたい、

 そのために サイトから発信しています。

 瑞穂さんは ふたつのことを願っていました。

 インターネットの出会い系を通して 自分の存在を確認すること、

 そしてそこから、人とのきずなを 復活させること。

 そのために彼女は、出会い嬢としての 〈わたし〉 を ネットで公開しました。

 その先に 「個」 の確立された 自分を発見し、

 社会の中での 自分の位置を 特定できるのではないか? と。

 そこで彼女は、普通では得られないような 「人脈」 を得ました。

 これからの世界は ネットによって、

 〈わたし〉 が 〈公〉 に 繋がるようになるでしょうか。

 ネットによって、人は救済されるでしょうか。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51592751.html
 
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「フラット革命」 第二章 「よるべなく漂流する人たち」 (1)

2007年12月05日 22時26分08秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51529389.html からの続き)

 拙著を 佐々木氏に紹介してくれた 瑞穂さんは、この章に登場します。

 平凡な家庭に 生まれ育った彼女は しかし、

 両親の愛情には 恵まれていませんでした。

 母親は口やかましく、父親は酒好きで 不在の家庭だったようです。

 25才になるとき結婚し、二人の息子を もうけましたが、

 夫の借金のため 離婚に追い込まれることになりました。

 その間の騒動で 心は病み、逃避できる場所を求めて、

 出会い系サイトに はまるようになっていったそうです。

 メールを交わした男性に 好意を持つようになった彼女は、

 遊びではなく 純粋な恋愛を 切望していたのです。

 そして 枕を共にし、「愛してる」 という言葉を 聞いたときは、

 嘘でも嬉しかったといいます。

 瑞穂さんは 出会い系という虚構の世界に 何か本当の真心があると、

 ひたすら 信じようとしていました。

 しかし、その男性は 遠ざかって行ってしまいます。

 彼女は 二人の子供を抱え、精神状態はぼろぼろになり、職も失いました。

(のちに彼女は、ボーダーの診断を 受けることになります。)

 そんなとき 友人から勧められたのが、

 出会い系サイトの サクラのアルバイトでした。

 電話で 男性の相手をする仕事です。

 彼女はそこにも 純粋な出会いを求めていました。

 実際、何人かの男性と会って 体を重ねたこともあり、

 ひとときの幸福を 感じたといいます。

 しかし、どこにも 帰属感はありませんでした。

 本当に 身の置き所がないくらい、独りでいるのが辛かったと 彼女は言っています。

(それがボーダー故の 心情でしょう。)

 離婚したことで 糸が切れてしまった。

 その糸を どう取り戻せばいいのか? 

 出会い系が、彼女と社会を結ぶ 唯一の糸でした。

 彼女のこの苦しみ,願いは、「世界と どう繋がっていけばいいのか?」 という、

 人間の根源的な 問いかけです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51578986.html
 
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「フラット革命」 第一章 「フラット化するマスメディア」 (3)

2007年12月03日 21時37分56秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51510325.html からの続き)

 新聞記事というのは 記者の一時取材で 得られた情報に、

 分析や解説を加えて でき上がります。

 しかし インターネットの世界では、一時取材の術を持たなくても、

 優れたリテラシーがあれば 膨大な情報の中から 光る石を選んで収集し、

 自分の分析・論評を行なって、新聞以上の記事を 書くことができるのです。

 新聞は 百貨店にはなれても、専門店にはなれません。

 新聞は一時取材、ブロガーが分析・論評という、

 役割分担も 起きてくるというのです。

 以上が マスメディアの危機の3つ目です。
 

 また、社会の 「われわれ」 が喪失し、

 無数の 「わたし」 が 出現してきました。

 従来新聞記事は 無意識的な前提として、

 社会の代弁者たる 「われわれ」 を 主語にして主張をしてきました。

 しかし 「総中流」 時代は崩壊し、

 社会全体が 「われわれ」 と称して ひとつの意見を持つことはなくなりました。

 様々な立場の人が、それぞれの立場から マスコミに異議を唱えだしたのです。

 「われわれ」 は分断され、数多くの 「わたし」 が、

 自分の信じるところを 容赦なく書き込んでいきます。

 牧歌的な正義感による 建前論ではなく、タブーなき言論を 展開するのです。

 ノイズや中傷、友愛と秀逸な言論、あらゆるものが ごった煮となって渦巻く

 インターネットの世界は、生々しい人間社会 そのものではないか。

 その先にやってくるものは 何でしょう? 

(続く)
 
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「フラット革命」 第一章 「フラット化するマスメディア」 (2)

2007年12月02日 19時55分02秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51497908.html からの続き)

 インターネットによる 3番目のマスメディアの危機は、ブログ論壇の登場です。

 新聞記者といえど、全ての分野に 専門的な造詣が あるわけではありません。

 ブログの出現によって、各分野の専門家が 自由に意見を 発せられるようになり、

 新聞よりも レベルの高い論評が、簡単に行き渡るようになりました。

 新聞にはよく 「識者の意見」 というのが 載るわけですが、

 その 「識者の意見」 がいくらでも ブログにアップされるのです。

 新聞記事が ブロガーによって批判され、

 マスコミと個人の フラット化が起こってきました。

 そして 検索エンジンを活用して、それらの記事を 容易に読むことができます。

 充実した内容の記事は アクセス数が増えて、検索の上位に出てきます。

 それらの記事を見て、また別の人が 新たな記事を書きます。

 さらに、トラックバックによって 記事と記事がつながり、

 低次元の書き込みは 排斥されていき、質の高いデータが 集まってきます。

 そうして次第に、専門家の英知が 積み重ねられた

 「集合知」 が 生まれてくるのです。

 そのメカニズムは ウィキペディアでもすでに証明されており、

 サイエンス部門では ウィキペディアは

 世界トップクラスの 辞書となっているといいます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51529389.html
 
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「フラット革命」 第一章 「フラット化するマスメディア」 (1)

2007年12月02日 09時57分21秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51480614.html からの続き)

 「フラット革命」 は 全体的には面白い本でした。

 インターネットによって 世界がどう変わっていくかを、論じているものです。

 4つの章からなり、まず第一章では 次のようなことが述べられています。

 これまでの社会は 新聞やテレビなどの マスメディアが、

 情報発信を牛耳っていましたが、

 インターネットによって その権威が 脅かされるようになってきました。

 マスメディアにとっての危機は 3つあります。

 匿名言論の登場、取材の可視化、ブログ論壇の登場です。

 まず匿名言論。

 著名人や作家なら、実名での言論は 自らの実績になります。

 しかし ネットで発言する 大半の人々は、無名で社会的地位もなく、

 実名を出すメリットは ほとんどありません。

 匿名だから、社会への告発や 自分の思いを つづることができます。

 また 匿名のブログは、その内容でのみ 判断されます。

 従来は 発言内容が肩書や地位で 判断されていましたが、

 「誰が言ったか」 ではく、「何を言ったか」 だけが求められるのです。

 次に取材の可視化。

 取材を受けた人が 不当な記事を書かれてしまった場合、

 従来なら泣き寝入りするしか ありませんでしたが、

 掲示板やコミュニティなどで 異議を唱える事が できるようになったのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51510325.html
 
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抗うつ剤で 自殺願望

2007年09月09日 18時24分32秒 | 心理
 
 読売新聞に、抗うつ剤のSSRIを服用すると、

 若い世代では 自殺の衝動を 引き起こすことがある、という記事がありました。

 因果関係は まだ不明だそうですが、

 副作用に注意しつつ 適切に服用することが大切とあります。

 SSRIは 従来の抗うつ剤に比べて 副作用が少ないため 普及しましたが、

 米英で 服用により自殺願望が起きた という報告がありました。

 65才以上では 自殺願望は低下するが、

 18~24才では 危険が高まると 警告されたといいます。

 うつ病は 脳内の神経伝達物質の バランスが崩れて、感情や思考が 低減しますが、

 抗うつ剤は このやり取りを円滑にして 活力を高めます。

 しかし 元々自殺願望がある場合、薬で気力が亢進して、

 実際に 行動に移してしまう 危険性があるというのです。

 特に若者は 脳が発達途中なので、

 衝動を抑える働きが 弱いのかも知れないということです。

 そのため、服用は 医師の指示に従って 少量から始め、

 少しずつ増量して、適量を見つけていくことが 大切と書かれています。

 特に 初めの数日が要注意で、1ヶ月過ぎれば 落ち着いてくるそうです。

 誰もが自殺願望を 起こすわけではなく、

 SSRIは患者によって 治療に不可欠なので、

 勝手に飲むのをやめて 症状を悪化させたりしないよう、

 医師と充分 相談することが大切 だということです。

 研究は日々進んで 色々な情報も出てくるので、

 惑わされず 慎重に対処していく 必要がありますね。
 
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解離性障害、朝青龍が? 

2007年08月30日 12時59分06秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49772381.html からの続き)

 朝青龍が モンゴルに帰国する際、1ヶ月ぶりに その姿を公にしました。

 素人目に映像を見る限り 病気とは思えませんし、

 TVで 複数の精神科医 (町沢静夫,小田晋ほか) もそのように述べていました。

 昏迷状態なら 一人では歩けないと。

 朝青龍の診断名である 解離性障害は、

 大きなショックや トラウマなどによって生じるものです。

 例えば、強姦など 心身の危険が脅かされる体験をした、

 犯罪被害者にも起こる症状です。

 あまりにも恐ろしいできごとから 自分の意識を切り離すことによって、

 自分の精神を守ろうとするのです。

 そして、ボーダーの診断基準の一項目としても、

 アメリカ精神医学界の精神科診断基準 DSMに挙げられています。
 

 解離性障害には、次のような症状があります。

・感覚や感情の麻痺

 痛みや暑さなどを 感じなくなる。悲しくも嬉しくもない。

・現実感の喪失,離人感

 自分が今ここにいるのか 分からない。ベールをかけたようで 実感がない。

 自分が体から抜け出して、自分を見下ろしている。

・心因性健忘

 物理的な原因でない 記憶喪失。

・昏迷状態

 心因性のもうろう状態。

 発語や行動,刺激に対する反応が 減退・消失する。

・心因性遁走

 無意識で どこかへ行ってしまう。その間の記憶がない。

・夢中遊行

 いわゆる夢遊病。

[参考文献 :「犯罪被害者の心の傷」 小西聖子 (白水社)]
 

 朝青龍は 昏迷状態だと言われましたが、上記のように 異論が示されています。

 朝青龍は モンゴルに到着して 飛行機から降りるとき、

 キャビンアテンダントに向かって、

 他の人をさえぎってもらうよう 自ら耳打ちもしています。

 フライト中の5時間 無言だった朝青龍は、

 強い意志で 黙秘を貫いているようにも思えます。
 

 それから、何よりも驚いたのは、朝青龍に同行した医師というのが、

 あの 「神経衰弱」 という 戦前の診断名を口にした、本田医師だということです。

 これを承諾した相撲協会は 一体何も考えているのか、全く理解できません。

 そもそも協会は、腰の疲労骨折のレントゲン写真さえ 確認していないといいます。

 正しい診断が 全ての出発点なのに、それが置き去りにされたまま、

 事態は 国際問題として “昏迷状態” を呈しています。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49869915.html
 
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切ない……

2006年11月28日 11時09分05秒 | 心理
 
 先日、僕が書いた記事に あるトラックバックがされました。

 記事の内容と 全然関係のないもので、

 かといって アダルトサイトや 出会い系などの 悪質なものでもなく、

 何だろうと 思っていました。

 後日、このTBの主は 他のブログにも 大量のTBやコメントを付けていて、

 一部の人達から 厳しい批判を受けていた ということが分かりました。

 実はこの人は うつ病で通院している人で、

 働くことができないため お金がなく、

 医療費の支払いだけで 汲々としているのでした。

 そこでこの人が考えたのは、自分のブログのアフィリエイトで

 少しでも 収入を得られないか ということでした。

 それで 多くの人に ブログへやって来てもらうために、

 TBやコメントを あちこちに付けていた というのです。

 でも、非難されて 本人は反省しきりで すっかり落ち込み、

 体調も崩してしまったようです。

 アフィリエイトで いくらの収入に結びつくのか 分かりませんが、

 こんなことまで せざるを得ないなんて、

 本当に切ない 思いがしました……。

 病に苦しむ人が、経済的にも さらに逼迫されたり、

 周囲の無理解で 肩身が狭い思いを したりしないよう、

 社会のシステムや 人々の理解が 進んでいってほしいものです。
 

 下記は その人の書いた記事です。

(多くの励ましのコメントが 付いているのが救いです。)

http://yury.blogzine.jp/blog/2006/11/tb_63ff.html

http://yury.blogzine.jp/blog/2006/11/post_0620.html
 

(ところで、この人の場合 精神保健法32条の適用で

 通院医療が無料にならないのか、コメントを付けてみました。)
 
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