「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

宗教体験

2009年02月17日 21時21分00秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 僕もクリストフと同じように 苦しみの中から あるとき突然、

 いかずちに打たれたように 凄まじいインスピレーションが 降りてきました。

 苦しんでいるのは 自分だけではない、

 自分は 全ての魂と繋がっていると 体得したのです。

「 もし僕が ここで死んでも、 自分と同じ魂を 持った人達が、

 僕のできなかったことを やっていってくれる。

 僕は魂によって 彼らと繋がっている。

 自分は一人ではないのだ。 」

 それは啓示であり、 宗教体験と 言っていいものでした。

 思想や理論ではなく、 明確なイメージで 感知することができたのです。

 手塚治虫さんの 「火の鳥」 の コスモゾーンのようなものかもしれません。

 本当は 決まった形などないのでしょう。

 ただ人間は イメージがないと理解できないため、

 自分に捉えられる形で 認識するのだと思います。

「 あらゆる魂は ひとつに繋がっている。

 全ての命は ひとつのものである。 」

( 「ジャン・クリストフ」 )

「 悲しみも その極度に達すれば、 救済に到達する。

 人の魂を 挫き悩まし 根底から破壊するものは、

 凡庸なる 悲しみや喜びである。 」

「 よしや我、 神の御手に 殺さるるとも、

 我はなお、 神に希みを かけざるを得ざるなり。 」

 この一節の 「神」 を、 僕は 「人生」 に置き換えました。

「 もし僕が 人生に殺されたとしても、 それでもなお、

 僕は人生に 希みをかけずにはいられない。 」

「 人生はいつかまた 僕を裏切るだろう。

 しかし、 僕こそはもはや 人生を裏切ってはならないのだ。 」

「 幸福なときにではなく、 最も苦しいときに、

 それを感じ取ることができた。

 感じ取れるものが 自分の中にあった。

 自分はもう 生涯幸せになることはできないだろうと 苛まれていたなかから、

(正にそのとき) 絶望ではなく希望が、 憎しみではなく愛が、

 自らのうちに甦ってきた。

 この底知れない希望は、 果たして何なのだろうか?

 一体どこから やって来たものなのだろうか?

 これはもはや 『あるもの』 から 自分のうちに与えられたのだ、

 としか、 僕には思えない。

 与えてくれたもの、 信じさせてくれたものの 存在を、

 僕は 渇仰しないわけにはいかない。 」

(次の記事に続く)
 

クリストフと 神との邂逅

2009年02月16日 21時37分30秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57575265.html からの続き)

 クリストフは限りない 挫折と絶望の中で、 神と邂逅します。

 以下は クリストフと神との会話です。

( 最初の 「汝(なんじ)」 は神、

 「われ」 はクリストフ、 「予」 は神です。 )

「 『 汝はもどってきた。

 わが失っていた汝 …… なにゆえに汝は われを見捨てたのか。 』

『 汝が捨てた 予の仕事を やり遂げんがためにだ。 』

『 なんの仕事か。 』

『 戦うことだ。 』

『 なんで 戦う必要があるのか。

 汝は 存在するすべてではないか。 』

『 予は 存在するすべてではない。

 予は虚無と戦う 生である。 』

『 われは打ち負かされている、 われはもはや なんの役にも立たない。 』

『 汝は 打ち負かされたというか。

 汝自身のことを考えずに、 汝の軍隊のことを 考えてみよ。 』

『 われは一人きりである。

 われに軍隊はない。 』

『 汝は一人きりではない。

 そして汝は 汝自身のものでもない。

 汝は よし打ち負けるとも、

 けっして負けることのない 軍隊に属しているのだ。

 それを覚えておくがよい。

 さすれば 汝は死んでも なお打ち勝つであろう。 』

『 主よ、 われはこんなに 苦しんでいる! 』

『 予もまた苦しんでいると 汝は思わないか。

 幾世紀となく、 死は予を追跡し、 虚無は予をねらっている。

 予はただ勝利によって 己が道を開いているのだ。 』

『 戦うのか、 常に戦うのか。 』

『 常に戦わなければならないのだ。

 神といえども戦っている。 』

(中略)

『 われを見捨てた汝、 汝はまた われを見捨てんとするのか? 』

『 予は汝をまた 見捨てるであろう。

 それを ゆめ疑ってはいけない。

 ただ汝こそ もはや予を 見捨ててはならないのだ。 』

(中略)

 クリストフはまた 崇高な戦いのうちに加わった……。

 彼自身の戦いのごときは、 人間同士の戦いのごときは、

 この巨大な 白熱戦の中に 消え失せてしまった。

 彼の闘争は 世界の大戦闘の 一部をなしていた。

 彼の敗北は些事であって、 すぐに回復されるものだった。

 彼は万人のために 戦っていたし 、万人も彼のために 戦っていた。

 万人が彼の苦難に 与かっていたし、 彼も万人の光栄に 与かっていた。 」

〔 「ジャン=クリストフ」 ロマン=ロラン (岩波文庫) 豊島与志雄 訳 〕

(次の記事に続く)
 

執着

2009年01月26日 22時48分37秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

(9/22)

「 おまえは 自分にばかりこだわっている。

 だから 他のものが見えない。

 そんなうちは 人が理解してくれるはずがない。

 おまえが 自分にこだわるほど、 人はおまえに 興味を持ってはいない。

 人の評価を得られないと おまえが悶え苦しむほど、

 人はおまえを 評価してはいない。

( と、書いているうちにも 疑問が湧いてくる。

 評価されたいという こだわりが湧いてくる。

 僕が苦しむに値するほどの 評価を。)

 自分へのこだわりは 捨ててしまえ。

 そして 人に目を向けろ。

 人の心の悲しさに、

 おまえが 自分に持つのと同じくらい こだわりを持ってみろ。

 その時 おまえは初めて 人を理解できよう。

 評価はやがて それに伴ってくるだろう (か?) 」

(10/11)

「 自分の苦痛ばかりを 表そうとしていても、 いい作品は描けない。

 客観的にならなければ、 人に伝えることはできない。

 だがしかし、 苦しみがなければ

 どうして僕の表現欲求は かきたてられるのだろうか?

 いや、 苦しみは 表現の温床であり、

 欲求とするのは 子供っぽい自己顕示欲だろうか。

( 何という揺れ動きだろう) 」

 僕は苦しみに執着し、 そんな自分は 異常じゃないのかとも 苦悩しました。

 しかし 「ジャン・クリストフ」 の言葉に 救われます。

( 「ジャン・クリストフ」 )

「 大多数の人間は、

 なんらかの情熱に 全身をささげるほど 充分の活力を持っていない。

 彼らは 用心深い吝嗇 〈りんしょく〉 さで 己を倹約している。

 万事に 少しずつかかわって、 何事にも 全身を打ち込みはしない。

 すべて自分のなすことに、 すべて自分の苦しむことに、

 すべて自分の愛することに、 すべて自分の憎むことに、

 無制限に没頭する者こそ、 驚異に値する人であり、

 この世で出会いうる もっとも偉大な人である。

 情熱こそは 天才のごときものであり、 一つの軌跡である。」

 しかしそれは 両刃の剣でもありました。

 猛烈なエネルギーが 人には重圧にはなります。

 でも 「ジャン・クリストフ」 は言います。

( 「ジャン・クリストフ」 )

「 決して誤ることのないのは、 何事もなさない 者ばかりである。

 生きた真理の方へ 向かうときの過ちは、 死んだ真理より 一層豊かである。 」

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57841018.html
 

苦悩の中の愛

2009年01月25日 21時23分55秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57332523.html からの続き)

 当時、 僕は毎日 苦衷の日記を、

 何頁にもわたって びっしりと書き連ねていました。

 分厚い日記帳を 2冊書きつぶしました。

 一方 クリストフは、 故国のドイツから 新天地パリへと移りました。

 今度こそ 自分の芸術を理解してもらえると、

 クリストフは 希望を抱いていました。

 しかし彼は、 ここでも再び その期待を裏切られるのです。

 彼に対する非難は、 沈黙へと変わりました。

「 クリストフは またもや、 敵意を含んだ 他国の大都市の中で 孤立した。

 今までになく ひどい孤立だった。

 しかし彼は もはや気にしなかった。

 これが 自分の運命である、 生涯この通りだろう、 と

 彼は信じ始めていた。

 彼は知らなかった、

 偉大な魂は 決して孤独でないことを、

 時の運によって 友をもたないことがあるとしても、

 ついにはいつも 友を作り出すものであることを、

 それは 自分のうちに満ちてる愛を 周囲に放射することを、

 また、 自分は永遠に孤立だと 信じてる現在においても、

 彼は 世の最も幸福な人々より さらに多くの愛を 他から受けていたことを。 」

 当時の僕は、 それを必死になって 自分に言い聞かせていました。

 僕を最も救ってくれた 言葉のひとつです。

〔 「ジャン=クリストフ」 ロマン=ロラン (岩波文庫) 豊島与志雄 訳 〕

(次の記事に続く)
 

自責

2009年01月06日 21時22分54秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

(9/14)

「 人間の成長とは 何だろう?

年をとるにつれて、 本当に物事が 分かっていくのだろうか?

それは一体 どれほどの早さなのだろう?

どれほどの部分に おいてのなのだろう?

そしてそれは 外面的にどれほど 現れるものなのだろう?

性格 (人格) とは、 年齢とともに 果してどれだけ 成長するのだろう? 」

(9/6)

「 畢竟、 人は一人なのだ。

 誰も助けてくれはしない。

 求めても求めても、 ついに裏切られる。

 人が人を理解しつくすということは 不可能なのだ。

 それを望んでも ただ悲しみがあるだけだ。

 ああ、 人に頼ろうとしてはならない。

 ならば、 自分を頼むのみだ。

 全ては自分の責任だ。

 人を憎むことも、 妬むことも、 怒ることもない。

 ただ、 自分に祈れ。

 自分のことさえ 気にすればいいのだ。

 お前は自分が 不器用だと公言しつつ、

 実はいつもうまくやろう、 器用にやろうとばかりしている。

 結果にとらわれている。 」

(9/17)

「 人を頼ってはいけない。

 ああ、 理解されようとしたのが 愚かだったのだ。

 信じている人には、 信じてもらえていると 思っていたのが甘かったのだ。

 人は全てを 理解することはできない。

 しかし、 好きになることはできる。

 愛することはできる。

 しかし、 それでも人は孤独なのか。

 結局 自分の力で歩いていくしかない。

 同情してくれる人はいるだろう。

 しかし、 解決してくれる人はいない、 自分以外には。

 自分の中にあるものだけを よすがとして 生きていかなければならない。

( しかし、 ひとつの愛情も 得られていない時に、

 人間にそれが できるだろうか。) 」

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57561067.html
 

話を聴いてくれた 友

2009年01月05日 21時13分07秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57246924.html からの続き)

 自分の無能に対する 怯え,

 人より以上のことを 成そうとしていたが故の 絶望。

 全てが間違っていた, もはや 何もできない,

 何の力もない、と 僕は思うようになっていました。

「 そんな 阿鼻叫喚のなかに、 ただひとつの (最大の) 救いがあった。

 同じ下宿に住んでいた 友人の存在だった。

 毎夜、 彼の帰宅を待ち焦がれて 僕は彼の部屋を訪れた。

 誰かに 一緒にいてほしかった。

 誰かに 聞いてほしかった。

 彼は耳を傾けてくれた。

 そのまま彼の部屋で 朝まで寝入ってしまうことも しばしばだった。

 そんなことが 何ヵ月も続いた。

 自分の苦しみに対する 利己心は、 彼に迷惑をかけるという 考えを一蹴した。

 彼は受け入れてくれた。

 年少である彼は、 僕の異状な懊悩に

 出口を示してくれるという わけではなかった。

 ただ、 聞いてくれた。

 彼は 僕の命の恩人といっても 過言ではない。

 死に瀕して 窒息している人間にとって、

 傍らに寄り添ってくれる 心の存在は、

 一体どれだけ 大きな救いとなることだろう。 」

(9/8)

「 ああ、 どうして 人の心は近づき、 離れるのだろう。

 どうして 嬉しいことと悲しいことが あるのだろう。

 どうして 善い人と 善くなれない人が いるのだろう。 」

「 僕は今、 苦しみを語るまい。

 悲しみを見せまい。

 いつか 我が作品で 己を表すまでは。

 ああしかし、 その日まで 誤解と嫌悪を 受けたままでいるとは、

 何と悲しいことだろう。

 もはや 理解されようとは望まない。

 しかしせめて ……… せめて、 友情だけでも………。

 苦しい時に 心の余裕を。

 それを僕に 要求するのか。

 それはあまりにも 酷だ。

 しかし、 しかし僕は 優れた人に なろうとしているのではなかったか。

 人並み以上のことを しなければならないのではなかったか。

 今こそ、 言葉ではなく、 実際の態度で、 それを示すべき時なのか。 」

(次の記事に続く)
 

恋愛の苦しみ

2008年12月31日 13時53分51秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

(12/23)

「 恋愛とは 何と不条理なものだろう!?

 理性も価値観も、 何の役にも立たない。

 人格は 恋愛に関係がない。

( 人格によって 人が愛されるなら、

 この世に 愛される人間は 一人もいない。)

 なんであんなものを 好きになってしまうのだろう。

 自分と合わない、 うまくいかない条件が整っていると 分かっているくせに、

 この感情はなんだ?

 この苛立ちは何だ!?

 何故あんなもののために 僕は苦しまなければならない!?

 何故こんな弱い立場に ならなければいけないのだ!?

 好きだという感情が 強ければ強いほど、 僕は弱いものとなる。

 泣かなければならない。

 人を愛するという、 この世で最も すばらしいはずであるものが、

 どうしてこんな 苦しいものでなければならないのだろう。 」


( 「ジャン・クリストフ」 )

「 クリストフのような人物は、

 自分のためになり得る者を 愛することはめったにない。

 むしろ自分の 害になり得る者を 愛することが多い。

( 相反するものこそ 互いに引き合う。

 自然は 自己の破壊を求める。

 できるだけ長く 生きることではなくて、 最も強く生きることを 掟としてる、

 クリストフのような 人物にとっては、 それが至当である。 )

 恋愛は 互いに相いれ得ない人々を 一緒にする。

 同じ種類の人々を 互いに排斥させる。

 恋愛が破壊するものに 比べれば、

 恋愛が鼓吹するものは ごくつまらないものである。

 幸いにも恋愛は 意志を溶かす。

 不幸にも恋愛は 心を破る。

 いったい恋愛は 何のためになるのか? 

 そして、 そういうふうに 恋愛をののしっているとき、

 彼の目には 恋愛の皮肉な、 また 優しい笑顔が見えた。

 その微笑は 彼にこう言っていた。

 『 恩知らずめ!』 」

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57319763.html
 

孤独

2008年12月29日 20時19分19秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

(’84. 1/10)

「 孤独-- 本当の孤独を 味わったことのある 人間は少ない。

 自分を 理解してくれる人がいない。

 必要としてくれる人がいない。

 愛してくれる人がいない。

 一人もいない。

 世界の全ての人間は、 自分を嫌っている人間か、 無関心の人間か、

 二種類しかしない。

 最も恐ろしいのは 憎まれることではない。

 無視されることだ。

 それは どんなに人間を 卑しくすることだろう。

 就中、 最も理解してほしい人に 理解されないこと、

 それは人をして 地獄の苦しみに落とし入れる。 」


( 「ジャン・クリストフ」 )

「 一般に 人は不幸を 本能的に嫌悪する。

 あたかも 不幸が伝染しはすまいかと 恐れているかのようである。

 かりに 一歩譲っても、 不幸は人に 嫌気を起こさせる。

 人は 不幸から逃げだしてしまう。

 苦しむのを許してやる者は きわめて少ない。

 真に悲しめる者は 至って少ない。

 悲しんでると言われるものは 多いけれど、

 本当に 悲しみに沈んでる者は あまりない。

 彼は そのまれな一人だった。

 ある人間嫌いの男が 言ったように、

『 彼は虐待されるのを 喜んでいるかのようである。

 こういう不幸な人間の 役を演じたとて 何の利益もない。

 人から 忌み嫌われるばかりである。』 」

(次の記事に続く)
 

理解されない苦しみ

2008年12月27日 21時51分00秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

(10/24)

「 僕は あまりに苦しかったのだ。

 だから エゴイストになっていた。

 僕は自分の 切実さを分かってもらうより、

 彼女に生きがいを与えることを しなければならなかったのだ。

 悲しみは 人を敏感にさせ、 苦しみは 人を執着させる。

 彼女の あまりに小さな悪意が、 わずかな 思いやりの欠如が、

 僕の全存在を打ち砕く 冷酷な言葉として 襲いかかってきた。

 同じ言葉でも、 誰の口から 聞くかによって、

 また 同じ人の言葉でも、 いつ聞くかによって、

 その浸食力は 甚大なものとなる。

 あまりにも人の、 就中 彼女の理解を 求めていた僕にとって、

 彼女の無配慮の言葉は、 どんなにか僕を 蹂躪したことだろう。

 ふみにじったのだ。

 自分の喜びも苦しみも、 人に知ってもらいたいと 欲求する人間にとって、

 その欲求こそが 彼をして 創作に向かわせる人間にとって、

 言葉が通じないという絶望は、

 いかに暗黒の苦しみに 彼を落とし入れることだろう。 」

 僕は 誤解される苦しみと、

 理解されたいという 底知れない欲求に 苛まれていました。

 「ジャン・クリストフ」の一節です。

「 (クリストフは) 裏切られたことを 恨んでいるのではなく、

 ただ一人 苦しんでるのだった。

 愛せらるる 者のほうには、 あらゆる権利がある。

 もはや 相手を愛さないという 権利さえある。

 人はそれを 彼に恨むことはできない。

 彼から見捨てられて、 自分がほとんど 彼の愛を受くるにも

 足りないということを、 みずから恨むだけである。

 それこそ 致命的な苦しみである。 」

(次の記事に続く)
 

価値の崩壊

2008年12月24日 07時18分40秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57111277.html からの続き)

 僕は 非常に弱くなっていて、 周囲のちょっとしたことに 大きく傷つきました。

 人間の愚かさを 無残に嘆きました。

(4/11)

「 何故 世の中には、 こうも 愚劣な人間が多いのか。

 彼らをさげすみ、 無視するか。

 怒り、 非難するか。

 悲しく沈鬱するか。

 自らも 彼らの間に伍するか。

 両者の相剋に 懊悩するか。

 見切りをつけ、 飄然と自適するか。

 清濁合わせ呑み、 全てを許容するか。

 それでもなお 自己を主張するか。

 世の愚劣な人々よ、 何故にあなたは 愚劣なのか。 」


「天才にできないことが 僕にできるはずがありません。

 その結果、 僕は深い懊悩に 悶えることになります。

 芸術家 (価値を求める人間) は

 人々に どんなに理解されなくても 耐えていけますが、

 ただ理解されたい人に 理解されない苦悶は、

 地獄の底をも はるかに越えています。

 心を寄せる人に 理解されないという

 居ても立ってもいられない 苦しみの末、

 僕は自分がそれまで 信じて生きてきたものを 根底から否定され、

 崩されていってしまいました。

 『価値』 に生きる人間が、 『価値』 そのものの意味を 失ったとき、

 これはもはや 自分を立たせる 何物をもなくしてしまいます。

 えも言われぬ焦燥、 自己に対する嫌悪、 他への嫉妬、 絶望、

 自分だけが 世界から隔絶された孤立感, 世に対する呪い……

 あらゆる負の感情に 苛まれる日々が続きました。 」

 僕は 物事の深遠さ, 崇高さ, 偉大さ, 真実, 真剣さ, 理想,

 生きる意味などを、 見失っていきました。

 何が価値あることか 分からなくなるのではなく、

 「価値そのもの」 の存在を 否定されてしまったのです。

 苦しみは 肉体的苦痛となって現れます。

「 呼吸が苦しい。 1秒でも早く ここからいなくなりたい 」

「 『居る』 のが苦しい……! 

 早く一日が 終わってほしい…… 」

(8/7)

「 何が何だか  さっぱりわからん

 世の中  さっぱりわからん

 人の心も  わからん………。

 自分のことも………。」

(次の日記に続く)
 

奈落の葛藤

2008年12月19日 20時21分18秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57052919.html からの続き)

(2/4)

「 何故、 人間はこんなにも 苦しまなければならないのだ?

 誠実な人間ほど。 正直な人間ほど………。

 そして、 これも………

 アンチヒロイズムに 陶酔しているだけにすぎないのか?

 自分は誠実な人間であり、 だからこそ 自分の不誠実に苦しみ、

 その苦しみを知らない 不誠実な人間より 優位に立とうとしているだけなのか。」

「 だが、 一体誰が 苦しまないか?

 誰が 完璧な不誠実者か?

 俺が彼の、 または彼女の、 不誠実さに傷つけられたとしよう。

 なるほど、 その時彼は、 彼女は不誠実だった。

 しかし それが彼の、 彼女の全てか。

 彼も彼女も 苦しんでいる。

 その誠実さの故に、 自らの不誠実さに 苦しんでいる。

 俺また、 その不誠実さの故に、 彼を、 彼女を傷つけた。

 ただ、 お互いそれを知らない。

 人は、 自分の苦しみばかりに 心を奪われ、

 自分を傷つけた 他人の不誠実さばかりを怨み。 嫉妬し。

 何という不安定さ! 

 愛と、 憎と。 力と、 絶望と。

 自分の位置が つかみきれず。

 比較優劣競争から どうしても抜け出せず。

 しかし、 それを 『描いていこう』 とすることで、

 前へ進もうとしている 自分に気付くのだった。 」

(2/22)

「 おまえが自分で 『あれは過ちだった』 と認め、

 後悔してみても、 他人はおまえを許さない。

 憎しみや怒りは消えない。

 おまえのそれが 消えないように。

 失墜した信頼を 再び得るのは、 零から出発するよりも はるかに難しい。」 

(3/5)

「 結局人は 他人のことなど 分かろうとしない。

 自分のことしか 頭にない。

 人を分かろうとして 食い下がるほど、 敬遠され。

 誤解を解こうと深入りすれば さらに嫌われ、 心は離れていく。 」

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57163597.html
 

失意

2008年12月14日 20時04分08秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 僕は 自分を失っていきました。

 それまで自分を支えていたものが 崩壊していったのです。

 当時の日記からです。

(2/4)

「 あの時、 俺は確かに 本当のものを 獲得したと思った。

 俺も成長したと、 ささやかな自信を持って つぶやいた。

 あれはウソか?

 あの時、 俺は確かに、 今度こそ本当の愛を つかんだと思った。

 心の底から 理解し合えたと信じた。

 あれは にせものだったのか……!?

 何だったんだ? 

 俺は今まで、 一体何をやってきたんだ?

 今までの努力は、 みんな無駄だったのか!? 

 俺のしてきたことは 何だったんだ? 

 みんな 俺の錯覚だったのか!? 

 独りよがりか!?

 ……………………

 ……………………

 また………… 一からやり直しだ…………

 ………………何もかも………………」

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57111277.html
 

自己否定への転落

2008年12月11日 21時48分14秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 僕もジャン・クリストフと 同じ過ちをしてきました。

 マンガ同人誌での活動は 2年ほど続きました。

 そして メンバーのそれぞれの事情で、

 同人誌はしばらく 休刊することになりました。

 僕が軋轢を起こしたことも 理由のひとつだったでしょう。

 心を寄せた女性の 気持ちが離れていきました。

 誤解や嫌悪が 増していきます。

 初めはお互い 同じものを求め、 敬愛してくれていたと、

 僕は思っていました。

 それが 辛辣な非難をするようになり、

 嘲笑さえ されるようになってしまいました。

 また、 彼女の書いたものは 皆の人気を集め、

 僕の作品は 理解されませんでした。

 僕は日増しに 自己否定に陥っていきます。

 それまで 外に向かっていた 僕の批判精神は、

 自分自身に向かうように なっていきました。

 それは今まで以上に 強烈な自己批判でした。

 この頃に 僕は 「ジャン・クリストフ」 に出会ったのです。

 むさぼるように 本にすがったと思います。

 僕は 苦しみから逃れようと、 死に物狂いでもがいていました。

 当時の僕の日記から 抜粋していきます。

( '83.1/20)

「 ああ、 僕は………

 けなされても、 嫌われても、 笑われても、 辱められても、 捨てられても、

 どんなに理解されなくても、 それでも 歩いていけるだけのものを、

 それでも 人を愛していけるだけの、 僕にとってほんとうのものを、

 つかみたい……!! 」

(次の記事に続く)
 

若き日の 「ジャン・クリストフ」(4)

2008年12月09日 22時07分07秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56935211.html からの続き)

 クリストフの作品は さんざんな酷評を受けて、

 演奏会は 大失敗に終わります。

「 クリストフは落胆してしまった。

 彼の失敗は しかしながら、 何も驚くには当たらなかった。

 彼の作品が 人に喜ばれなかったのには、 三重の理由があった。

 作品はまだ 十分に成熟していなかった。

 即座に理解されるには あまりに新しかった。

 それから、 傲慢な青年を懲らしてやることが 人々にはきわめて愉快だった。

 --しかしクリストフは、 自分の失敗が 当然であると認めるには、

 十分冷静な精神を そなえていなかった。

 世人の長い不理解を 経験することによって、 心の静穏を

 真の芸術家は 得るものであるが、 クリストフにはそれが欠けていた。

 聴衆にたいする 率直な信頼の念と、

 当然のこととして 造作なく得られるものと思っていた

 成功にたいする 信頼の念とは、 今や崩壊してしまった。

 敵をもつのは もとよりであると思ってはいた。

 しかし彼を 茫然たらしめたのは、

 もはや一人の味方をも もたないことであった。

(中略)

 彼は憤慨した。

 滑稽にも、 自分を理解させようとし、 説明し、 議論した。

 もとより なんの役にもたたなかった。

 それには時代の趣味を 改造しなければならなかったろう。

 しかし彼は 少しも狐疑しなかった。

 否応なしに ドイツの趣味を清掃しようと 決心していた。

 しかし彼には 不可能のことだった。

 自分の意見を 極端な乱暴さで 表白する会話などでは、

 だれをも 説服することはできなかった。

 ますます 敵を作り得るばかりだった。

 彼が なさなければならなかったことは、ゆっくりと 自分の思想を養って、

 それから公衆をして それに耳を 傾けさせることであったろう……。 」

(中略)

「 彼は人間の賤しさを どん底まで感じてみようとした。

『 俺は 遠慮する必要はない。

 くたばるまでは 何でもやってみなけりゃいけない。 』

 一つの声が 彼のうちで言い添えた。

『 そして、 くたばるものか。』 」

(次の記事に続く)

〔「ジャン・クリストフ」ロマン・ロラン(岩波文庫)豊島与志雄訳〕
 

若き日の 「ジャン・クリストフ」 (3)

2008年12月04日 20時12分57秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 クリストフは 自分が作曲した作品を 発表します。

 その初演の日です。

「 当日になった。

 クリストフは なんらの不安も いだいてはいなかった。

 自分の音楽で あまり頭が いっぱいになっていたので、

 それを批判することが できなかった。

 ある部分は 人の笑いを招くかもしれないと 思っていた。

 しかしそれがなんだ!

笑いを招くの 危険を冒さなければ、 偉大なものは書けない。

 事物の底に 徹するためには、 世間体や、 礼儀や、 遠慮や、

 人の心を 窒息せしむる社会的虚飾などを、 あえて 蔑視しなければいけない。

 もし だれの気にも逆らうまいと 欲するならば、

 生涯の間、 凡庸者どもが同化し得るような 凡庸な真実だけを、

 凡庸者どもに与えることで 満足するがいい。

 人生の此方に とどまっているがいい。

 しかし そういう配慮を 足元に踏みにじる時に 初めて、

 人は偉大となるのである。

 クリストフは それを踏み越えて 進んでいった。

 人々からはまさしく 悪口されるかもしれなかった。

 彼は 人々を無関心にはさせないと 自信していた。

 多少無謀な 某々のページを開くと、

 知り合いのたれ彼が どんな顔つきをするだろうかと、 彼は面白がっていた。

 彼は 辛辣な批評を期待していた。

 前からそれを考えて 微笑していた。

 要するに、 聾者ででもなければ 作品に力がこもっていることを 否み得まい

 --愛すべきものか あるいはそうでないかは どうでもいい、

 とにかく 力があることを。

 ……愛すべきもの、 愛すべきものだって!?

 ……ただ力、 それで充分だ。

 力よ、 ライン河のように すべてを運び去れ!……… 」

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56997746.html

〔 「ジャン=クリストフ」 ロマン=ロラン (岩波文庫) 豊島与志雄 訳 〕