「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

若き日の 「ジャン・クリストフ」 (2)

2008年12月02日 21時50分40秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 「ジャン・クリストフ」 からの 引用の続きです。

(クリストフは対社会、 僕は対同人誌の 構図でした。)

「 人々は待ち受けていた。

 クリストフは 自分の感情を もったいぶって隠しはしなかった。

 あらゆるものにたいして、

 絶対的な 一徹な 不断の誠実を 事とするのを、 ひとつの掟としていた。

 そして何をするにも 極端に走らざるを得なかったので、

 法外なことを言っては、 世人を憤慨させた。

 彼はこの上もなく 率直であった。

 あたかも 価値を絶する大発見を 一人胸に秘めたく 思わない者のように、

 ドイツの芸術にたいする 自分の考えを だれ構わずに もらしては満足していた。

 そして 相手の不満を招いてるとは 想像だもしなかった。

 定評ある作品の 愚劣さを認めると、 もうそのことで いっぱいになって、

 出会う人ごとに、 専門家と素人とを 問わず、

 だれにでも急いで それを言って聞かした。

 顔を輝かしながら 最も暴慢な批評を 述べたてた。

 自分がまさに 批評にのぼせられようとしている時に、

 他人を批評するくらい 無謀なことはない。

 もっと巧みな芸術家なら、 敵にたいしても もっと尊敬を示したであろう。

 しかしクリストフは、 凡庸にたいする軽蔑と

 自分の力を信ずる幸福とを 隠すべき理由を、 少しも認めなかった。

 そして その幸福の情を あまりに激しく示した。

 彼は近ごろ、 胸中を披瀝したい 欲求に駆られていた。

 自分一人で味わうには あまりに大きな喜びだった。

 他人に喜悦を 分かたないならば、 胸は 張り裂けるかもしれなかった。 」

〔 「ジャン=クリストフ」 ロマン=ロラン (岩波文庫) 豊島与志雄 訳 〕

(次の記事に続く)
 
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若き日の 「ジャン・クリストフ」 (1)

2008年11月30日 19時15分07秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 若きクリストフは、 自らの芸術に 新しい価値を発見し、

 歓喜に満ちていました。

 それを力一杯 表現し、 主張していったのです。

 当時の僕も クリストフと同じ道を 辿っていました。

 マンガ同人誌の会誌に、 自分の芸術観などを 毎月 書き続けていました。

 長くなりますが、 「ジャン・クリストフ」 の一節を そのまま引用します。

 僕は当時 何回も何回も読み返し、 ある部分は 完全に暗唱していたものです。

「 ジャン・クリストフは 過去にも未来にも

 ただ1度しか 存在しないということを、 彼は傲慢にも信じていた。

 青春の素敵な無遠慮さで、

 まだ何物も できあがったものはないように 思っていた。

 すべてが 作り上げるべき--もしくは作り直すべき--もののように思えた。

 内部充実の感情は、 前途に 無限の生命を有するという 感情は、

 過多な やや不謹慎な 幸福の状態に 彼を陥れていた。

 たえざる喜悦。

 それは 喜びを求める要もなく、 また 悲しみにも順応することができた。

 その源は、 あらゆる幸福と美徳との 母たる力の中にあった。

 生きること、 あまりに生きること……!

 この力の陶酔を、 この生きることの喜悦を、

 自分のうちに--たとい 不幸のどん底にあろうとも--

 まったく感じない者は、 芸術家ではない。

 それが試金石である。

 真の偉大さが 認められるのは、

 苦にも楽にも 喜悦することのできる 力においてである。

 クリストフは その力を所有していた。

 そして 無遠慮な率直さで 自分の喜びを見せつけていた。

 少しも 悪意があるのではなかった。

 他人とそれを 共にすることをしか 求めていなかった。

 しかし その喜びをもたない 大多数の人々にとっては、

 それは 癪にさわるものであるということを 彼は気づかなかった。

 そのうえ彼は、 他人の 気に入ろうと入るまいと 平気であった。

 彼は おのれを確信していた。

 自分の信ずるところを 他人に伝うることは、

 わけもないことのように 思われた。

 そして 自分の優秀なことを 認めさせるのは、

 きわめて容易なことだと 考えていた。

 容易すぎるくらいだった。

 おのれを 示しさえすればよかった。

 彼はおのれを示した。」

(次の記事に続く)

〔 「ジャン=クリストフ」 ロマン=ロラン (岩波文庫) 豊島与志雄 訳 〕
 
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「ジャン・クリストフ」 前書き

2008年11月29日 19時19分48秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 次に、 ロマン・ロランの 「ジャン・クリストフ」 の 前書きから抜粋します。

 クリストフの生きざまを 表したものであり、

 当時の僕は これを読んだだけで、 涙が止まりませんでした。

「 彼は 故国にある時、 またパリにある時、 幾多の恋愛を経験した。

 あるいは やさしい心の愛情であり、 あるいは 強い肉体の欲情であった。

 そして それらの迷執に、 幾度か傷つきながらも、

 幾度かつまずきながらも、 彼の魂は かえって鍛えられ つちかわれた。

 真実と芸術とに 奉仕する彼の心が、

 息苦しい 異性の香りの方へ 引きずられたのは、

 また それらの事件から、 憂鬱でなしに力を、 精神の頽廃でなしに 緊張を、

 たえず摂取していったのは、 彼の強烈な 生命の力の故に ほかならなかった。

 生命の力と その闘争、

 それが ジャン・クリストフの生涯を 彩るものであった。

 絶食を余儀なくせらるるまでの 貧困、 愛する人々の死より来る 無惨なる悲哀、

 愚昧なる周囲から 道徳的破産を 宣告せらるるの恥辱、

 すべてを巻き込まんとする 虚偽粉飾の生温かい空気、

 あらゆるものに 彼の霊肉はさいなまれた。

 しかしながら 彼は、 自分の信念を道連れとして

 勇ましく 自分の道を 切り開いていった。

 いかに つまずき倒れても、 ふたたび猛然と 奮い立つだけの力が、

 彼の内部から 湧き上がってきた。

 苦しめば苦しむほど、 障害を 突破すればするほど、

 その力は ますます大きくなっていった。

 そして 彼の苦闘の生涯は、 洋々として流れていった。 」

〔 「ジャン・クリストフ」 ロマン・ロラン (岩波文庫) 豊島与志雄 訳 〕

(次の記事に続く)
 
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僕が追及していた 芸術観

2008年11月28日 21時12分39秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56810877.html からの続き)

 当時の僕が 天才的友人の影響を受けて、 創作上で求めていたことを、

 以前 ある冊子に 掲載したことがあります。

 それを紹介します。

「 僕が学んできたものは、 既成概念を否定すること、

 自分達が 無反省に受け入れているものを もう一度 疑いなおすことによって、

 隠された真実を 見いだそうとする姿勢だった。

 物書きに限らず、 真理を追究したいと 望む人間は、

 批判精神を研ぎ澄ましていかなければならない。

 常に 『これでいいのか』 という問いを 発しつづけなければならない。

 それは時に 苦渋に満ち、 残酷ですらある。 」

 例えばそれは、 哲学の基本的な態度と 共通します。

 哲学というのは、 誰もが 常識と思っていることを 見つめなおして、

 本当に正しいことは 何なのだろうかと 追求していくことです。

 でもそれは、 常識通りに生きている 人との間では、

 トラブルが 生じることがあります。

 若いときには、 真実を追い求める姿勢と 日常のコミュニケーションを、

 使い分けるなどという 柔軟さや賢明さは、 とても持ち合わせていません。

 本音と建前が 別だなどということは、

 むしろ とんでもなく不誠実で 卑怯な態度だったのです。

 ありのままの自分を 表現することが、 僕にとっての誠実さ, 正直さでした。

「 かつての政治的な青年が 共産主義思想の 洗礼を受けたように、

 芸術を目指した僕は、 当時 アバンギャルド (前衛芸術),

 または 表現主義に傾倒していきました。

 自分の生活の 全てを占めるのは 創作であり、

 僕は自分の 価値観を探究し、 日々 自分の創作世界を 構築していきました。

 そして それを幼い傲慢さで、 マンガの同人誌仲間に 主張していました。

 その結果 周囲との軋轢, 無理解, そして それによる失恋で、

 僕は致命的な挫折に 陥りました。 」

「 僕が成してきたことは 正に、

 若き日のクリストフが やってきたことそのままでした。

 たったひとつ 違うことは、

 クリストフは天才であり、 僕は凡人であった ということです。 」

(次の記事に続く)
 
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「ジャン=クリストフ」 および 友人との出会い

2008年11月24日 22時27分17秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 僕は20代の中頃、 マンガ家を目指して、

 あるマンガ同人誌に加わり、 自分の創作を 模索していました。

 当時 僕はマンガ同人誌とは 別の場で、

 ある天才的な友人の 影響を受け、 特殊な芸術観を 構築していきました。

 同人誌のメンバーは皆 僕より年少でもあり、

 その価値観は 彼らのそれとは 異なっていました。

 しかし当初は、 僕はメンバーに影響も与え、

 仲間として数年間 親しく活動していました。

 恋愛もありましたが、 そのうちメンバーとは 次第に隔たりが大きくなってきて、

 厳しい批判も受け、 軋轢が増していきました。

 傾倒した友人の芸術観は、 高度で難解であり、

 あまりに特異な 世界であったのです。

 二人の女性に 恋愛を抱きましたが、

 特に二人目の女性は 僕とは全く 別の世界の人でした。

 やがて 痛ましい失恋が訪れて、 僕は 自分の創作観も否定され、

 それまでの 自分の全ての価値観が 崩壊して、

 生き地獄へと 落ちていったのです。

 価値に生きる人間が、 「価値そのもの」 を 失ってしまったとき、

 その苦悩は 奈落の底を 遥かに超えています。

 そして、 最も理解してほしい人に 理解されないこと、

 それは人間にとって 最大の苦しみです。

 ボーダーの人が、 愛する人の愛を 得られない苦痛と 通じるでしょう。

 そんな 阿鼻叫喚のなかで出会ったのが、 同じアパートの 友人の存在と、

 ロマン・ロランの 「ジャン=クリストフ」 でした。

 「ジャン=クリストフ」 は、

 ベートーヴェンをモデルとした 天才音楽家・ ジャン=クリストフの、

 苦悩と歓喜の 生涯を描いた ノーベル文学賞作品です。

 クリストフの挫折と苦悩は、

 まさしく 当時の僕のそれと 全く同じものでした。

 友人は、 「ジャン=クリストフ」 は

 ロマン・ロランが 僕のために書いた小説だ と言ってくれたほどでした。

 そして アパートの友人は、 苦しみもがく僕の 出口のない話に、

 毎晩毎晩 何時間も一生懸命 耳を傾けてくれたのでした。

 そのことによって僕は、 地獄の底から 長い時間をかけて ようやく這い上がり、

 やがて 豊饒なものを 育んでいくことができたのです。

 少々長くなりますが、

 当時の僕の日記や  「ジャン=クリストフ」 などからの抜粋で、

 僕が歩んできた 茨の道と、 そこから体得していったものを 綴っていきます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56858392.html
 
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無差別殺傷衝動は 僕にもあった……

2008年11月23日 14時05分45秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
 「 元厚生次官を殺した 」と、 男が警視庁に 出頭してきました。

 この男が 本当に犯人か、何かに対する 怨みが動機なのか、

 まだ分かりませんが、 6月の秋葉原での 無差別殺傷事件が彷彿させられます。

 秋葉原の加害者は、 自分の不運な境遇や、

 周囲から疎外されたことに対して、 社会全体への怨みを 募らせていきました。

 孤立が あまりに高まると、 直接の引き金は 身近な出来事だったとしても、

 怒りや憎しみの対象は 不特定多数の世の中に なっていってしまいます。

 自分対社会という 対立の構図になってしまうのです。

 実は僕は、 この加害者と 同じような感情を 抱いたことがあります。

 道行く人を、 無差別に殺傷したい という衝動を……。

 それは 僕が27才のときのことでした。

 拙著 「境界に生きた心子」 でも 少し触れましたが、

 僕は人生最大の 挫折の危機にあり、 泥沼の底を のたうち回っていました。

 失恋と 創作上の価値観の崩壊が 相まって、

 それまで自分を支えていた 全てを失い、

 苦しみと憎しみに 長いあいだ 責め苛まれていたのです。

 苦悶のあまり 胸が押しつぶされて 呼吸もままならず、

 一刻も早く この場からいなくなりたい, 存在をなくしたい

 という欲求に駆られました

 道の両側の建物が 赤錆びた廃墟となって、

 僕にのしかかって来る 妄執に襲われます。

 街を歩いている 人間たちは、 無機質の塊のように 感じました。

 正に 異常な精神状態でした。

 自分がこれほどまで 苦しんでいるのに、

 安穏と過ごしている 人間たちを見ると、 激しい憎悪が 沸き上がってきました。

 道ですれ違う人 (塊) を 殺傷したいという 恐ろしい衝動と、

 僕は 闘わなければなりませんでした。

 実際に刃物を手にして 実行するには まだ距離があったものの、

 その妄動を 僕は現実に抱いたのでした。

 上記の加害者が、 僕ほど異様な 地獄の中にいたとは 思えませんし、

 彼らの行為は 言うまでもなく 決して許せない犯罪です。

 しかし、 不特定多数の人間に対する 殺意というのは、

 僕には 理解できてしまうのでした。

 この機会に 当時の僕の体験を、 今日から 書いていってみようと思います。

( 昔、あるセミナーで発表したときの 原稿を元にしています。 )

(次の記事に続く)
 
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