「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

コハダのシンコ

2010年08月29日 21時17分26秒 | 心子、もろもろ
 
 新聞をめくっていたら、 

 「コハダのシンコ」 という 小さな写真記事がありました。

 「シンコ」 は 「新子」 と書き、 コハダの稚魚のことだそうです。

(コハダは出世魚で、

 シンコ → コハダ → ナカズミ → コノシロ と名前を変えます。)

 新子は体長5センチほどの 小さな魚ですが、

 江戸っ子の寿司屋にとっては こだわりの粋 (すい) だということです。

 酢でしめて、 三枚におろすと 3センチくらいになるので、

 5~6枚はぎ合わせて やっと一貫になります。

 非常に手間がかかる上に、 新子の初物の卸値は、

 何と キロ3~5万円もするとのこと。

 一貫千円ほどにも なるのだそうです。
 

 僕は回転寿司屋に入っても コハダは食べませんが、

 心子と回転寿司に入った 思い出はあります。

 当時、 心子は回転寿司に まだ行ったことがないと言っていて、

 映画を観たあと 一緒に入ったのでした。

 心子は 寿司の食べ方は通なのか、 箸を使わず 手で食べていました。

 そのころ心子は 会社で苛めに遭っていたのですが、

 その日のデートが とても楽しかった, こんな日が 月に一回でもあれば、

 やっていけると思うの、 と 涙ぐみながら言っていたものです。

 ところで、 「三枚におろす」 には、 拙著にも書いたエピソードがあります。

 以下に引用しましょう。

「バイト先の喫茶店で、 魚を三枚に下ろしてくれと 言われたとき、

 心子はあっという間に  『できました』 と言った。

 店長が驚いて見ると、 魚が 頭, 胴体, 尻尾に切断され、

 心子はニコニコしていた。

 本人は大まじめだ。

 豚肉は水で洗った。

 友達からは 心子に料理を作らせるなと 言われている。

 呆れたことに、 心子は調理師免許を持っている。」
 
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今年は花冷え

2010年04月04日 22時22分53秒 | 心子、もろもろ
 
 今年も 桜が満開になりました。

 例年ジョギングをかねて 花見に行っていたのですが、

 今年は 新しい自転車に乗って 行ってきました。  (^^)

 今日は花曇りで、 人出も やや少なめだったようです。

 ダウンコートを着ていくほど、 肌寒い中での 花見でした。

 東京では今月2日に 各地で満開になりましたが、

 心子と花見をした 家の近辺は 今日あたりが見頃です。

 2日は 満開と同時に 強風が吹きまくり、

 花盛りになった途端に 散ってしまうのではないかと 危ぶまれたものの、

 ほとんど散ることなく 持ちこたえました。

 桜は咲き始めや 満開になった直後は、

 まだ花びらが とてもしっかりと 額に付いているということです。

 花びらを 手で引っ張っても、 枝がしなるばかりで 花弁は取れません。

 花は 虫によって受粉をするのが 目的ですから、 その前に散るわけにいきません。

 虫を呼び寄せ、 受粉を済ませてから、 役割を終えて、

 花弁は見事に散っていくのです。

 と、 テレビニュースでやっていましたが、

 実際はソメイヨシノは 接ぎ木や挿し木でしか 増えません。

 つまり ソメイヨシノは “クローン植物” で、

 全て同じ遺伝子 ということになります。

 桜には 「自家不和合性」 という性質があり、

 同一固体 (同じDNA) の花粉では 受精できないのだそうです。

 今年は、 桜の蜜をついばむ 鳥たちの姿を 見ることができました。

 でも結局、 桜の花は その元々の目的を 果たすことはできないのですね……。
 
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心子 46才

2010年02月21日 20時42分04秒 | 心子、もろもろ
 
 今日は 心子の誕生日でした。

 星和書店版  「境界に生きた心子」  出版1周年でもあります。

 数えてみると、 心子は生きてたら 46才になっているんですね。 (・_・;)

 さすがに いつまでも子供では いられない年齢ですが、

 どんな女性に なっていたことでしょうね? 

 う~ん、 やっぱり子供っぽい心子しか 想像できない。 σ (^^; )

 それにつけても、 今は 境界設定や弁証法的行動療法, ネットや家族会など、

 BPDの情報や居場所も 沢山増えているので、

 当時は分からなかった 色々な対応ができたはずです。

 生きていれば もっと望ましい展開が あったのではないかと、 思えてなりません。
 

 さて今日は、 新しく買った自転車で ケーキとワインを買ってきました。

 自転車がなければ、 わざわざ歩いて 出る気にはなりません。

 自転車があると 本当にフットワークが軽くなり、 稼動域が広がります。

 入浴介助用の短パン、 その他も 買いに行きました。

 最寄りのJR駅近くの 店にはなく、 次の駅にも 適当なのがなく、

 さらに次の駅まで 足を延ばしました。

 以前 自転車があった頃に 時々行っていた西友に、 とてもいいのがありました。

 この前 ユニクロで買えなかった スラックスも購入した次第です。

 では、 今晩は心子と ささやかに祝いたいと思います。
 
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僕の声が 心子に聞こえなかったこと

2010年02月13日 21時07分38秒 | 心子、もろもろ
 
 きのうの記事に、 電話で相手の声が 聞こえにくくなったと書き、

 思い出したことがあります。

 拙著にも書きましたが、

 電話で僕の声が 心子に全く聞こえなくなることがあった というエピソードです。

 心子が電話で、 僕の何でもない一言にキレ、

 さんざん僕を なじったあとのことです。

--------------------------------------

 そして、 一時間後。 またまた電話が鳴った。

 この時期、 どうしてか 電話の具合がおかしく、

 こちらの声が 心子に聞こえないことがあった。

 このときもそうだった。

 心子は 痛切に泣きすがった。

「絶対泣かないって思ってたけど、 あたし長生きできないから……!

 真剣に愛してたのに、 どうしてあたしのこと 傷つけるの……!?」

「しんこ?  聞こえる?  もしもし」

 僕がいくら声を出しても 心子には通じない。

 心子は泣きじゃくって 言い続けた。

「強くならなきゃ……

 あたし、 どれだけ生きられるか 分からないけど、

 マーは誰かと 結婚するかもしれないけど、 私はマーのこと 本当に好き!

 どうして伝わらないの!?  どうしていつも独りなの!?

 マーの声 聞こえないけど、 でもいい。 あたしの気持ち言いたい。

 あたし、 独りでやる。

 神様は 私が愛したり愛されたりすること 許してくれないの。

 マーは私のこと 忘れるんだろうね。

 マーの一言で 体ボロボロになって、 心もボロボロになって……

 きのう発作起きて、 救急車呼ぼうと思って……

 腰が痛い、 足も痛い、 今まで マーがもんでくれたのに、

 もう誰も もんでくれない。

 マーのこと、 ちょっとだけ恨むよ…… ほんのちょっとだけ………。

 マーのこと、 大好きだよ……。

 さよなら言うのよそう……… おやすみ……」

 僕は泣けた。 本当に泣けた。

 こんなにも 僕のことを想い、 流血し。

 心子はいつでも 全霊を懸けているのだ。

 気まぐれなのではない。

 怒りも悲しみも、 底知れない力をもって 心子に襲いかかる。

 その激震に 心子の心は 引き裂かれるのだ。

--------------------------------------

 しかし、 あとになって思うと、 こちらの声が 聞こえないというのは、

 もしかしたら 心子のフィクションだったのではないかと。

 声が聞こえなくなるのは、 心子との電話のときだけだった という記憶があります。

 心子が 上記のシチュエーションを 前もって見通していたとは思いませんが、

 何か演技性を 披瀝していたのではないかという気がします。
 
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9回目の祥月命日 --- 浅野忠信? 

2010年01月17日 20時52分09秒 | 心子、もろもろ
 
 今日は心子の 9年目の祥月命日でした。

 昼に焼肉バイキングを食べて、

 墓参りに行き、 いつものように花と、

 甘い物好きな心子に あんころもちを供えました。

 「境界に生きた心子」 ドラマ企画のことや、

 最近のことなどを 話してきました。

 映画を観た帰り、 地下鉄に乗ると、 座席に 浅野忠信似の人が。

 確かめようかとも思いましたが、 よくある顔だし、

 その人が見えない位置に 座りました。

 浅野忠信と言えば、 様々な作品で 名演を見せ、

 特に チンギス・ハーンを演じた  「モンゴル」 は圧巻でした。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53523423.html

 その人のことも すっかり忘れて 地下鉄を降り、

 今日は心子と 一献かわそうと思って、

 スーパーで ワインとつまみを買って 勘定を済ませ、 品物を袋に入れる台へ。

 すると、 さっきの浅野忠信似の人が 目の前にいるではありませんか。 (・_・;)

 そっくりでもあり、 そら似のようでもあり。

 マイバッグに 布製の風呂敷のような 袋を使用し、 なんか芸能人ぽいなとも。

 その人の顔ばかり見ながら 品物を袋に入れていたら、

 ワインのビンを倒してしまい、 ゴトンッと大きな音が。

 そしたらその人が 僕の顔を見て、 微笑んだのです。 ( °○ °)

 その目は、 浅野忠信本人!?

 浅野忠信が出て行って、 あとを追いましたが、

 どの方向にも その姿を見ることは できませんでした。 (;_;)

(この近くに 住んでるのかなぁ。)

 何事もなく終わるかと思った 祥月命日でしたが、

 最後に心子が いいものを見せてくれました。  (^^;)
 
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今年も神宮外苑・ 銀杏並木

2009年11月30日 20時37分21秒 | 心子、もろもろ
 
 先日、 神宮外苑の銀杏並木に 行ってきました。

 木によって 黄葉の差があり、 まだ緑がかった 葉もありましたが、

 ちょうど良い 見頃だったと思います。

 中には 深緑の木もあって 驚きましたが、 緑の木は 奥の列だったので、

 表から見た並木は 見事な黄葉でした。

 丸いドーム屋根の絵画館を 向こう正面に臨み、

 並び立つ 黄金の銀杏並木に 見とれてきた次第です。

 平日にも拘らず かなりの人波でにぎわっていました。

 昼時だったので、 レストランの前は 長蛇の行列。

 この2~3年で 露店が倍加し、 今年は新しい敷地に 相当な数の出店がありました。

 外国料理の屋台も 増えましたね。

 こんなことも 人出を呼んでいるのでしょうか。

 携帯をかざして 写真を撮る人たちの姿も、 今は風物詩となりましたね。

 心子と 銀杏を見た頃には なかった風景です。

 彩りの良い落ち葉を 何枚か拾ってきて、

 遺影の前に供え、 あとは 本のしおりにします。

 これも恒例になりました。

 今年も 心子の想い出に 浸ったひとときでした。
 
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月命日のバス

2009年06月17日 23時35分24秒 | 心子、もろもろ
 
 今日の心子の月命日、 いつものように お墓参りに行きました。

 霊園へは 駅から循環バスで行くのですが、

 新聞を読んでいたら 停留所を乗り越してしまいました。 (・_・;)

 気付くのが遅くて、 結局1周して 駅まで戻ってきてしまいました。 (- -;)

 墓参りの時たまに、 電車を乗り越したり、

 戻ろうとしたら 違う電車に乗ってしまったり、

 1時間くらい無駄に 時間がかかってしまうことがあります。

 心子が 何か些細なことで へそを曲げ、

 意地悪をしているんではないか という気がします。  (^^;)

 駅で再び 次のバスに乗って 席に着いたら、

 中学生らしき男子が乗ろうとして 運転手と話しています。

 運転手はマイクを付けたまま しゃべっているので、

 バスの中に 大きな声で丸聞こえです。

 中学生は S停留所まで行きたいそうなのですが、 このバスは違う系統です。

 でも 途中のY停留所で S行きのバスに 乗り換えることができるので、

 中学生は それでもいいのではないかと 言っています。

 運転手は、 それだと遠回りになるし 時間が余計かかってしまう,

 S行きの直通バスが 15分後に来るから それに乗ってくださいと、

 何度も説明しています。

 料金も 2倍かかることになるし。

 ところが 何故か中学生は Yで乗り換えることに拘り、

 運転手も次第に 無理を言えなくなって、

 お客さんがそれでもいいなら いいですよと。

 すると、 たまりかねた乗客が 声を上げ、

「 S行きのバスが もう次に来てるよ!

 それに乗れなくなっちゃうよ! 」

 他の乗客も 後押しします。

 運転手は、 そう言ってるんですけどね、 などと

 また少しやり取りをして、 ようやく中学生は 引き下がりました。

 車内に笑いが漏れ、 乗客一同が 微笑ましい一体感に 包まれた瞬間でした。

 心子がいたずらをしたあと、 ちょっと座興を 見せてくれたのかな。  (^^;)
 
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今年も花見 -- 誰のしわざ?

2009年04月07日 20時43分12秒 | 心子、もろもろ
 
 きのう、 ジョギングをかねて 近くの桜並木を見てきました。

 秋の 神宮外苑・銀杏並木と共に、

 心子との 想い出の道をたどる 年中行事です。  (^^;)

 今年は 家の近辺は 満開が特に遅かったのですが、

 先週末 一気に花盛りとなりました。

 一面の花桜の下を、 愛でながら ゆく~り走るのは 気持ちがいいものです。

 ゆっくりゆっくり走れば、 いつもより長距離も 苦しくなく走れました。

 後半は余力があったので、 ペースアップも。

 心子と ビールに焼き鳥を 味わった露店が、 店をたたんでしまっていました。

 年々 想い出の場所が 姿を変えて行ってしまいます。 (;_;)


 ところで今年、 開花して間もないころ、

 つぼみが沢山あるのに もう葉が出ていたり、

 茎から落ちている花を 見つけたりしました。

 ふつう桜は 花びらが1枚ずつ散りますが、

 5枚の花の形のまま 根元から散っているのです。

 桜が異常になってきたのだろうかと 訝っていたら、

 ちょうどこのことを TVでやっていました。

 花ごと落ちるのは  “誰のしわざ?” と題して。

 誰だと思いますか? 

 実はこれは スズメがやっているのだというのです。

 枝に留まって 桜の蜜を吸うとき、 スズメは くちばしが短いので、

 下向きに咲いている 桜の蜜腺に届かず、

 茎ごとちぎって 蜜を吸うのだそうです。

( それ以上詳しい説明は していませんでしたが。 )

 謎が解けて ひとつ賢くなりました。 (^^;)
 
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心子の 旅立ちの理由

2009年03月30日 19時06分41秒 | 心子、もろもろ
 
 ランディ・クリーガーさんの本によると、 ボーダーの原因は

 今アメリカの 最先端の研究では、

 生育歴の影響よりも 先天的な要素のほうが 多くを占めると言われています。

 生まれついての 生物学的な要因は、 誰のせいでもありません。

 また心子は、 出産時に 足に障害を受け、

 親が抱くことを 医者から禁じられたため、

 親のスキンシップ (=赤ん坊にとっての 根源的な愛情) を

 得られなかったことが、

 その後の ボーダーの起因になったのだろうと思います。

 子どもは 親から無条件に抱かれ 愛されることによって、

 自分は この世に存在していいんだ,

 自分は大切な 存在なんだということを、 無意識のうちに育んでいきます。

 生後1年間の 赤ん坊にとって 最も不可欠な時期に、

 適切な愛情が 与えられなかったというのは、

 致命的な 欠損だったのではないでしょうか。

 以上のように、 心子の 心の障害の原因は 誰の責任でもありません。

 そして、 心子が旅立っていった理由。

 まず、 亡くなる3~4ヶ月前から 心身の症状が悪くなり、

 働くこともままならず、 希望をなくしかけていました。

 それから、 心子は主治医の先生に

 陽性転移 (治療者に恋愛感情を抱く) を起こし、

 当然やむを得ないことながら、 それを 先生に受け入れられられず、

 大きな苦しみになりました。

 旅立ちの前日には、 バイトを辞めたいと 支店長に電話し、

 支店長から 長時間にわたって “叱咤激励” されました。

 あるいは、 それが一番直接の 引き金になったかもしれません。

 そして今回 あらたに分かった新事実は、

 数日前に 心子は清志に求婚し、 清志に辞退されていたということです。

( 求婚自体は突発的なことで、

 恐らく 強い決意によるものではなかったでしょう。

 清志は 心子から逃げたのだと 言っていましたが。 )

 それらは確かに、 全て旅立ちの  「きっかけ」 にはなったでしょう。

 でも本当の 「原因」 は、 彼女の 心の中の障害です。

 誰も 自分を責める 必要はないのです。

 清志が この先もずっと 重荷を背負っていくことを、

 心子も決して 望んではいないでしょう。

 心子は 我々が平安に生きていくことを 願っているはずです。

 僕はそれを 清志に伝えたかったのでした。
 
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清志からメール (2)

2009年03月29日 20時32分08秒 | 心子、もろもろ
 
(前の記事からの続き)

 清志のメールは、 最近 「境界に生きた心子」 の存在を知り、

 かなり動揺している という書き出しでした。

 そして、 心子が自殺した 大きな一因は自分にあると、

 したためられていたのです。

 心子のお母さんも 自分をずっと憎んでいるだろうと。

 また、 心子は旅立つ数日前、 清志に電話で 求婚をしたそうです。

 初めて知った 新事実でしたが、

 その時々の想いで 刹那的な言動をする心子ですから、

 そのこと自体は 僕は驚きませんでした。

 清志は 心子の申し出を 受けられなかったそうで、

 それも心子を死に追いやったと 自責していました。

 僕は彼に どうしても伝えたいと思いました。

 心子の死は 全く清志のせいではないということ,

 彼女のお母さんは 彼を全然 恨んでなどいないということ,

 また拙著のことを知らせず 申し訳なかったということを。

 清志が長い責め苦から 抜け出してほしく、

 どうか 自分を責めないでと、 僕はメールのやり取りで 伝えました。

 境界性パーソナリティ障害という心の病が 悲運の原因であり、

 それは 誰のせいでもないのです。

 けれども彼は、 BPDの知識で 心子の内面を 説明するのを嫌い、

 自分の想いを 変えることはありませんでした。

 とても残念なことでしたが、 彼の心を癒す 助けにはなりませんでした。

 心子も 悲しんでいるのではないかと……。

 しかしこれも 致し方のないことでしょう。

 物事に対する 向き合い方が、 人によって異なるのは やむを得ません。

 でも、 二度と 袖振り合うこともないだろうと 思っていた清志と、

 言葉を交わす 機会を得たことは、 とても良かったと 思っています。

 ネットを通して 心子が贈ってくれたのかな とも思います。
 
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清志からメール! (1)

2009年03月28日 21時16分24秒 | 心子、もろもろ
 
 非常に驚いたことがありました。

 知り合いのYさんから 久方ぶりにメールがあったのですが、

 そこに ある人物からの 転送メールがコピーされていました。

 転送メールの 書き主の名前を見て、 僕はびっくりしました。

 「境界に生きた心子」 に出てくる、 心子のもう一人の “恋人”、

 清志でした。

( 本名はもちろん違います。 )

 清志が Yさんのブログを見て、Yさんが僕と 交流があることを知り、

 僕へメールを送ってほしいと 頼んだのです。

 全く奇遇です。

 ネットでは しばしばこういうことがあるのですね。

( 今までも、 長らく離れていた人と 再会したことが何回かあります。 )

 清志とは、 心子の葬儀のときに 会っただけでした。

 その後は 連絡する機会もなく、

 これからも接することは ないだろうと思っていました。

 思いも寄らぬ遭遇です。

 生前の心子から 聞いていた清志は、 非常に優秀な能力があり、

 カミソリのように 鋭くて薄い 神経の持ち主でした。

 ところが 葬儀のときの清志は、 イメージとかなり 隔たりがあって、

 うらぶれた感じでした。

 その後、 心子が話していたことは 彼女の心的事実に占められており、

 必ずしも客観的事実ではなかった ということが分かったのです。

 転送されてきた 清志のメールを読むと、

 彼に対するイメージが さらに変わりました。

 彼は低姿勢で、 自己肯定感が低い 印象でした。

 心を患っていた清志が、 心子が旅立ったあと、

 どうしているか 僕は非常に心配していました。

 でも意外にも 元気にしていることが分かり、 とても安心しました。

 心子が清志に託した モンチ (猿のぬいぐるみ) も元気だそうです。

(次の記事に続く)
 
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心子と境界設定

2009年01月20日 20時19分36秒 | 心子、もろもろ
 
(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57474122.html  からの続き)

 「BPD家族の会」 の話を受けて、 心子のことについてです。

 心子の場合は 社会の規則を守れなかったり、

 お金の問題を 起こしたりすることなどは 全くなく、

 そういう点は むしろ人並み以上に 厳格でした。

 しかし、 延々と続く 僕への非難の電話など、

 愛情を求める故の行為は 無制限でした。

 当時は 境界設定などの 情報がまだなく、

 僕は 「受容」 の姿勢を 旨としていました。

 僕は ホスピスの勉強をしていて、

 死に直面した人の 苦しみをそのまま受け止め、

 ただひたすら 耳を傾ける 「傾聴」 が

 最も大切なことと 考えていたのです。

 ただし 主治医の先生の、

「 要求されても、 できないことはできないと 言うしかない 」

 という助言は 理解していました。

 また僕は 受容のキャパシティーが 人より少し大きかったかもしれず、

 自分の限界を超えることは しなかったと思います。

 でも 「限界設定」 ということが、 当時の僕に 足りなかった情報でした。

 それを知っていたら、 また別の対応が できたでしょうし、

 心子も違う生き方が できたかもしれないというのが、 一番残念なことです。

 例えば、 電話は 30分や1時間までなどという 境界設定をしておいたら、

 最初は 心子は荒れ狂うでしょうが、

 無際限の愛情というものは 現実には存在しない ということを理解し、

 自分で 折り合いを付けていくように できたかも知れません。

 もちろん 「かもしれない」 に過ぎませんが。

 心子は 洗礼を受けて 神様の子になりたいと 言っていました。

 人間の愛情には 限界があるけど、

 神様の愛情には 限界がないから と言って。

 一方で、 100%でない愛情に いい意味で諦めを付けたり、

 99の黒の中の ひとつの白に、 目を向けることが できたこともありました。

 そんな兆候を 見せた矢先に 旅立って行ってしまったのでした。

 当時もっと 境界設定などの情報があり、

 そして 家族会のようなネットワークがあったら、

 何かの可能性が あったかもしれません。

 だから、 ボーダーに関する 情報が増え、

 人々の理解が広まってほしいと 望んでやまないのです。
 
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8回目の祥月命日

2009年01月17日 22時08分39秒 | 心子、もろもろ
 
 本日は 心子の8年目の祥月命日です。

 今日は用事があったので、 お墓参りは きのう行ってきました。

 もうすぐ心子の本が 再び生まれ出ることも 話してきました。

 彼女も 楽しみにしているでしょう。 (^^)

 来月は心子の前に、

 星和書店の 「境界に生きた心子」 を 見せることができます。

 それにしても 本当に早いものです。

 あっと言う間の 8年でした。

 心子が旅立って以来、 毎月 墓参りに行っていますから、

 もう100回近く お参りをしていることになるんですね。

( 途中で お墓の場所が変わりましたが。 )

 いまさらながら、 心子が生きたいたら と思います。

 心子のお墓の前で、 しばし 感慨にひたってきました。
 
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心子の牧師先生が 新聞に

2009年01月11日 19時09分29秒 | 心子、もろもろ
 
 今日の読売新聞 一面トップに、

 「裁判員 悩む宗教界」 という 記事が載っていました。

 「人を裁くことは、 犯罪者も含めた 人々の 『心の救済』 を目指す

 宗教の立場と 両立するか」 というテーマです。

 その中で、 心子が通っていた 教会の牧師先生が

 インタビューに答えていました。

 神召 (しんしょう) キリスト教会の

 山城 (やまき) 晴夫牧師です。 (プロテスタント)

 心子は 奥さんの牧師先生を 実の母親と慕っていましたが、

 そのご主人です。

 神召教会は 心子のマンションの すぐ近くにある、 ごく小さな教会ですが、

 牧師先生は こんな偉い人だったのでしょうか。  (^^;)

 裁判員制度と キリスト教の関係について、

 読売新聞で山城先生は こう答えています。

「 様々な考え方が あり得るが、 非常に重い問題で、 すぐに答が出ない 」

 山城先生は、 「境界に生きた心子」 の 再出版に当たって、

 「クリスチャン」 と 「求道者」 についても 教えてくださいました。

(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56431624.html )

 また、心子が旅立っていったとき、 葬式は遺族の意向で 仏式になりましが、

 教会での葬儀を望んでいた 心子の願いを叶えるため、

 教会で葬送の義を 執り行なっていただきました。

 キリスト教では 自死は認められないと言いますが、

 先生は それには一言も触れず、 心子を送ってくださったのです。

 牧師先生は今も 心子のために祈ってくださっているでしょう。


 引き続き、 裁判員制度と宗教の記事について 書きたいと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57437800.html 

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少し遅めの 神宮外苑

2008年12月05日 23時44分56秒 | 心子、もろもろ
 
 今年も 心子との想い出の神宮外苑・ 銀杏並木を見てきました。

 見頃を紹介している HPがあって、 その写真を見ると、

 12月1日時点で まだ緑がかっていました。

 僕の家の近くの銀杏並木も まだ緑が残っているし、

 今年は黄葉が 遅いのだろうと思っていました。

 ところが 神宮外苑に行ってみると、

 並木の 一番手前の木だけが 緑がかっていて、 あとは 葉が散り始め、

 中には すっかり葉が落ちて 裸になってしまっている 銀杏もありました。

 写真に写っている木だけが 緑っぽかったんですね。 (- -;)

 前は 一斉に黄葉していたのに、

 だんだん 木による色づきの時期が ずれてきています。

 家の近くの銀杏は まだ青々としているのまであるし。

 今日は 風が強かったせいもあって、 大分 葉が散っていました。

 風邪に舞う銀杏も いいものです。

 そして、 道路一面を埋めつくした 銀杏の葉の、

 見事な “イエロー・カーペット” が 美観でした。

 ふわりとした踏み応えを 感じてきました。

 毎年 外苑に行くのだから、 色々な時期に行くのも いいと思いましたね。

 今年は 銀杏の黄色が きれいだったように感じます。

 葉っぱが小さくなったと 思った年もありましたが、

 今年は形も 整っていたのではないかと思います。

 数枚 見つくろって拾ってきました。

 しゃれた しおりになります。

 心子の写真にも 飾ってあげました。
 
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