「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

心子によく似た花屋さん (4)

2011年10月23日 20時33分56秒 | 心子、もろもろ
 
 先日、 心子のお墓参りに行った日も、

 心子に似た花屋さんに 会うことができました。

 今は週に2日 お店に出ているそうですが、

 できるだけその曜日に合わせて 行くようにしてます。  (^^;)

 今月は、 心子の写真を持っていって、 花屋さんに見てもらいました。

 ご本人から見て 似ているかどうかと思って。  (^^;)

 心子の写真を見て 花屋さんは

 「あー、 分かる~!」

 と言ってくれました。

 「私を痩せさせたら似てる」

 と言っていましたが、 とんでもない、

 花屋さんは太ってないし、 心子も全然細くなかったし。  (^^;)

 「目鼻だちのはっきりした人なんですね」

 「可愛いですね」

 などとも。

 心子が 35~36才のときの写真でしたが、 「若く見える」 という話になって、

 花屋さんの年を聞いて びっくりしました。

 なんと 40を過ぎているというのです。

 てっきり 20代だと思っていたのに。 σ(・_・;)

 僕がそう言うと、 花屋さんは照れながら 花をおまけしてくれました。  (^^;)

 結婚もされているそうです。

 お母さんではないようでしたが。

 声もとても若いし、 ほんとに信じられないような 若さでした。

 でも 僕と並んで撮った 心子の写真を見て、

 「幸せそうですね」 と 言ってくれました。

 ご本人からも似ているという  “お墨付き” をもらった次第です。
 
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心子によく似た花屋さん (3)

2011年09月17日 20時11分09秒 | 心子、もろもろ
 
〔参照:http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61917300.html 〕

 毎月お店に行った時 この店員さんに会えるわけではありませんが、

 大体出勤する 曜日などを聞いていて、 それに合わせて お墓参りに行ってます。

 ( ^^;)

 今月も幸い 会うことができました。

 実は先月、  「境界に生きた心子」 を手渡しました。

 買ってもらえたら 一番ありがたいんですが、 心子に似ている花屋さんというのは、

 実に奇遇なご縁ですから、 できたらぜひ 目を通してもらい、

 心子のことも 知ってほしいと思って 差し上げました。

 でもまぁ 本を一冊通読するのは 大変なことなので、

 すぐ見てもらえるとは 期待していませんでしたが。

 けれども早速 心子の本を読んでくれたということで、

 とても嬉しく思いました。  (^o ^)

 今月は顔を合わせると、

 σ (^^;) のことを 名前 (苗字) で呼びかけてくれたのですが、

 本を見て 頭に入れておいてくれたんでしょうか。

(僕は店員さんの名前を まだ知りませんが。  (^^;))

 本の感想を聞くと、 僕が 色々な体験をして来たんだな、

 彼女は想われて 幸せだったと思う、 魅力的な女性だ などと言ってくれました。

 他のお客さんもいるので ゆっくり話すことはできませんでしたが、

 心子の話などもしました。

 また時間があるときに、 心子やボーダーの話なども できたらいいのですが。

 来月も会えることを 願ってます。  (^^)
 
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心子によく似た花屋さん (2)

2011年06月17日 21時31分57秒 | 心子、もろもろ
 
 心子の月命日に 最寄り駅の花屋さんに 寄りましたが、

 先月と同じ、 心子によく似た店員さんが 来ていました。

(参照:http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61830468.html )

 向こうも覚えていてくれて、 声をかけてくれました。

 お墓に供える 花の鉢なので、 水をやらなくても済む花を 選んでくれたり、

 鉢の扱い方などを 教えてくれました。

 今月は  「境界に生きた心子」 のチラシを持っていき、 渡すことができました。

 先月に続いて 出勤してくれていて ラッキーだと思いましたが、

 この店員さんは実は 週5くらいで出勤しているのだそうです。

 ここの花屋さんは 昨年の末に経営者が変わり、

 僕は1月から毎月 この店に来ていましたが、

 この店員さんに会ったのは 先月が初めてでした。

 今まで会わなかったほうが、 むしろ珍しかったのですね。

 店員さんは  「境界に生きた心子」 に関心を示して、 色々話してくれました。

 話し声は違うのですが、 目といい鼻といい、 本当に心子を彷彿とさせます。

 心子の本を読んで 感想でも聞かせてもらえると 嬉しいのですが。  (^^;)

 何か心子と 繋がっている気がします。

 心子に会いに行く時の 楽しみがひとつ増えました。
 
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心子によく似た 花屋さん

2011年05月17日 22時19分55秒 | 心子、もろもろ
 
 きのう、 心子の月命日の お墓参りに行ってきました。

 最寄り駅の花屋さんで 花を買うのですが、 この店は昨年末から 経営が変わり、

 数人の店員さんが シフト制でやっているので、 行くたびに 店員さんが変わります。

 きのうも 初めて見る店員さんでした。

 花の説明を 色々聞かせてもらいましたが、 この人が何と、

 心子によく似ているのです!

 言おうかどうか ちょっと迷いましたが、 つい言ってしまいました。

 「失礼なんですけれど……」 と 事情を説明すると、

 「ぜんぜん失礼じゃないですよ」 「今も花を供えてもらって幸せですね」

 などと言ってくれました。

 次のお客さんが来ていたので あまりお話しできませんでしたが、

 心子の本を書いたこと、 今度チラシを持ってくることなどを 話させてもらいました。

 心子に似た人を見るのは これが2度目ですかね。

 この花屋さんは、 心子に菅野美穂が 入っている感じでした。  (^^;)

 20代半ばか 後半くらいでしょうか。

 この店では、 ちょうど10年目の 祥月命日 (1月) に行ったとき、

 別の店員さんが ブーケを作ってくれて、 色々な話ができました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61516290.html?type=folderlist
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61518761.html?type=folderlist

 2月に行ったときも 偶然同じ店員さんで、

 またお話をしたり 拙著のチラシを渡したりしました。

 心子似の店員さんも、 月1回のタイミングが うまく合うかどうか分かりませんが、

 また会って 心子の話などができたらと思います。
 
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被災のなかで 想い出の花見

2011年04月07日 22時14分28秒 | 心子、もろもろ
 
 震災のことに気を取られているうち、 知らない間に 桜が満開を向かえていました。

 勤務先の隣の公園の桜が ちっとも咲かないので、

 今年は遅れているのだろうと 思っていたのです。

 でも 勤務先の近くの大きな公園では すっかり満開となり、

 先日は 利用者さんと一緒に 花見に行ってきました。

 とても天気もよく、 桜の下で弁当を広げ、 楽しんでもらえたと思います。

 「淡い色でいいわね」 「素晴らしい」 などと言われ、

 撮った写真も喜んでくれました。

 今日は 心子と楽しんだ桜並木にも 行ってきました。

 例年より 人出が少なめでしたが、いまだに自粛ムードなのでしょうか。

 自粛による経済停滞は 復興を妨げると言われて、 何日も経つというのに。

 岩手県の南部美人の蔵元が 動画サイトで、

 自粛によって 経済的な二次被害を受ける、

 花見をして お酒を飲んでもらう方がありがたい、 と訴えて 話題になっていますね。

 岩手県知事も、 被災地の復旧には 力強い日本経済が 不可欠だと言い、

 日本の元気が 復興に繋がると訴えています。

 さて、 桜はおおよそ満開でしたが、 つぼみもまだあり、

 何故か木によっては 五分咲きくらいのものもありました。

 来週も見頃かもしれません。

 心子とベンチに座った 公園がふたつ、 造成中で 新しく姿を変えてしまいます。

 彼女が 火事を発見した民家は、 その後取り壊されて 駐車場になっていましたが、

 今日見たら 芝生の公園になっていました。

 だんだん当時の面影が 変化していってしまいますが、 これも街の発展でしょうか。

 想い出は大切で そのままの形で 取っておきたいものですが、

 新しい姿を受け入れていくのも 必要なのかもしれません。

 東北の人たちも 失われた過去の上に、 新たな将来を 築き上げていくことでしょう。
 
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被災の中の月命日

2011年03月17日 21時29分28秒 | 心子、もろもろ
 
 今日は心子の月命日で、 いつものようにお墓参りに行ってきました。

 心子にも 被災者の方々のために祈り、 見守ってくれるよう伝えてきました。

(ちなみに 心子の祥月命日は、 阪神淡路大震災の 「1・17」 です。)

 しかし、 計画停電の影響で 電車が運行見合せになったり、 バスが大幅に遅れたり、

 節電のため 映画の上映時間が変更されたり。

 途中の駅ではコンコース内に 人が溢れ返っていましたが、

 駅員の誘導で 長蛇の列を作っていました。
 

 地震といえば、 心子とこんなことがあったのを 思い出しました。

 心子と一緒に寝ていた時、 グラグラと揺れが来たのです。

 当時は 家具の転倒防止など 地震対策を全くしておらず、

 テレビが落下してくる 可能性もありました。

 僕は日ごろ 犠牲的精神などというものは 持ち合わせていないのですが、

 ごく自然に 心子の上に覆い被さっていました。

 心子は眠っていましたが、 守りたいと思う場合には、

 何の抵抗もなく そういう行為ができるのですね。

 不思議なものです。
 

 一昨日の記事に、 自閉症 (発達障害) の子が

 震災でパニックを起こしたという 話を転載しました。

 BPDの人はどうでしょう? 

(転載記事を書いた人は、 震災がトラウマになっているといいます。)

 心子は、 もしかしたら災害の時 かえって冷静に、

 人を助けたりしていたかもしれません。

 心子と歩いていて たまたま火事に出くわした際、

 心子はとっさに その家まで走っていきました。

 走りながら 心子は頭の中で、

 火の中に飛び込み、 家人にオーバーをかけて 外に出し、

 人工呼吸や 火傷の応急措置をするなど、 できることを組み立てていたといいます。

 幸いこの時は、 火は家人によって 消化器で消され、 大事には至りませんでした。

 でも 人のために犠牲になることを、 少しも厭わない 心子なのでした。
 
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10年目の誕生日月

2011年02月16日 21時38分35秒 | 心子、もろもろ
 
 今月は 心子が年を取らなくなってから 10年目の誕生日月で、

 今日 お墓参りに行ってきました。

 誕生日は2月21日ですが、 その日は僕は勤務。

 月命日の明日17日は 雨が降るというので、 本日 行ってきた次第です。

 生きていれば 今月で心子は 47才になっていたはずです。

 相変わらず 大人になった心子を 想像できません。 (^^;)

 お墓の最寄り駅の 花屋さんへ行くと、 ちょうど 先月の店員さんがいました。

 心子へのブーケを作りながら、 10年目の命日の話を 聞いてくれた人です。

(参考記事 : http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61518761.html
         http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61516290.html )

 その人は 週1くらいでしか来ない人で、 今日は10日ぶりだと 言っていました。

 本当に偶然の幸運です。

 たまたま今日 お墓参りに行くことを、 心子が導いてくれたのでしょうか。

 先月渡せなかった、  「境界に生きた心子」 のチラシを 受け取ってもらいました。

 感想でも聞かせてもらえたら 嬉しいのですが。

 今日は花だけでなく、 誕生日プレゼントの代わりに ケーキも買っていきました。

 お墓に行くと、 チョコレートが供えてありました。

 恐らく、 同じお墓に眠っている 心子のお兄さんへ、

 バレンタインデーに手向けられたのでしょう。

(参考記事 : http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/22626120.html )

 チョコレートは、 昨日降った雪を かぶった形跡がありました。

 もしかすると、 お兄さんの内妻さんが 供えたのでしょうか? 

 心子のお義姉さん(?)は、 お兄さんが亡くなった後、

 心子のお母さんと 養子縁組をしました。

(参考記事 : http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/22846862.html )

 けれどもその後、 別居するようになってしまったそうです。

(養子を解消したかどうかは 聞き損ねました。)

 お義姉さんは 今はどうしているでしょう。

 今までバレンタインの後に 心子の墓前へ行ったとき、

 チョコレートが置いてあったことは ないのですが、

 お兄さんや心子と 心がまだ繋がっていると 嬉しいですね。

 さて、 心子の10年目の誕生日祝いは、 また2月21日に することにしましょう。
 
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心子、 10年目の祥月命日 (5)

2011年01月21日 21時51分32秒 | 心子、もろもろ
 
(前の記事からの続き)

 花屋さんにブーケを 作ってもらっている間に、 心子の話をしました。

 今日はちょうど 10年目の命日なのだと。

 自死で旅立ったことなどを 伝えると、 店員さんは 親身になって聞いてくれました。

 心子の本のチラシを 渡したかったのですが、 もう手持ちがありません。

 この店は 今回の経営でも、 店員さんは 日によって変わるそうです、

 また 店員さんと仲よくなることが できればいいのですが。

 そして 心子の霊園に着きましたが、 今日は各所を廻ったため、

 閉園間際の時間になってしまい、 辺りも薄暗くなってしまいました。

 でも 閉園時間を過ぎても ねばって居座り、

 いつもより沢山 心子とお話ししてきました。

 10年の想い出にも浸り ……。

 心子が今 生きていたら……。

 そんなことも思ってしまいます。

 当時より情報が増え、 BPDを取り巻く 環境も進み、

 心子ももう少し 生きやすい道があったかもしれません。

 それにしても、 心子の牧師先生夫妻も転移し、 ホテルまで改装されてしまい、

 心子を回顧する風物が 次第に変わっていってしまいます。

 世の中が移ろいゆくのは 仕方のない常のこととは言え、

 やはり寂しいものがあります。

 心子のお墓に 別れを告げてから、

 心子と何回か行った 某駅へ赴き、 界隈をそぞろ歩きました。

 そして最後に 回転寿司を食って 帰って来た次第です。

 心子を身近に感じ、 想い出の場所を 巡った一日でした。
 
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心子、 10年目の祥月命日 (4)

2011年01月20日 22時10分46秒 | 心子、もろもろ
 
(前の記事からの続き)

 心子の墓前へ 会いに行くときは、 最寄り駅の花屋さんで 花を求めます。

 今日は 少しいい花を買おうと 思っていましたが、

 いつもの花屋さんに 適当なものがなかったので、 もう一軒のお店に行きました。

 この店は 以前ずっと 行っていた所ですが、

 ある時期から今の店へ 行くようになったのでした。

 僕はいつも 切り花ではなく、 鉢に植えられたものを供えます。

 そのほうが 長持ちするので。

 店の前で 花を物色していると、 きれいなブーケがありましたが、

 それは鉢が付いていませんでした。

 すると 店員さんが出てきました。

 「お墓に供えるんですけど」

 「仏花ではなくて、 こういう かわいい感じのほうが いいですか?

 お作りすることもできますが」

 ということで、 初めてブーケを 作ってもらうことにしました。

 店の表を見てみると、 以前と店名が 変わっているようです。

 昨年、 経営者が変わったそうです。

 この店は 今までにも2回、 経営が変わっていました。

 前の経営者の時は、 行く時ごとに 店員さんが変わり、

 なかなか親しくなることも できなかったのですが、

 その前の時は いつも同じ店員さんで、 心子のことなども 話していました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/26409964.html
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/32656319.html

(次の記事に続く)
 
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心子、 10年目の祥月命日 (3)

2011年01月19日 20時24分45秒 | 心子、もろもろ
 
(前の記事からの続き)

 それから、 心子が 最後の晩餐を取った、

 ホテル12階の レストランへ向かいました。

 受付で、 10年前のことを ご存じの方はいらっしゃるかと 尋ねると、

 少々お待ちくださいと。

 店の中に入ると、 何と、 ここも改装されてしまっていたのです。

 ひとつだったレストランが ふたつの店に分かれ、

 心子が入った店は フロアの左半分だけに なってしまっていました。

 しかも 心子が舞った窓側とは 反対の方で、

 心子の最後の晩を 偲ぶこともできません。

 実はこの日は メモリアルとして、

 大奮発して このレストランで ランチをいただこうと思っていました。

 でもこれでは 心子を追憶することもできず、

 終の場所を 見ることもできないので、 やめてしまいました。

 10年前を知る人が やってきて、 レストランは7年前に 改装されたという話です。

 ただその人は 心子のことは知りませんでした。

 その時のことを 知っている人がいるというので、 呼んできてもらいました。

 その人は 自殺者があったことは 聞き及んでいましたが、

 従業員は それ以上のことは 知らされなかったそうです。

 ホテルの作りのことや、

 ホテルの前の建物の 住人 (心子の投身を 発見した人) に関する

 話などを聞きました。

(この人にも 拙著のチラシを渡しました。)

 心子の足跡を保つ モニュメントが、

 少しずつ消えていくような 気がしてしまいます。

 心子が宙に舞った辺りを 心ゆくまで見入り、

 その場をあとにして、 心子の墓前へと向かいました。

(次の記事に続く)
 
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心子、 10年目の祥月命日 (2)

2011年01月18日 20時06分12秒 | 心子、もろもろ
 
(前の記事からの続き)

 そして久しぶりに、 心子が旅立ったホテルを 訪れました。

 彼女が泊まった部屋へ 行ってみると、 ちょうど清掃中で、 ドアが開いていました。

 中を覗くと、 当時と作りが 変わってしまっています。

 部屋の中に入り、 清掃中のホテルの人に 聞いてみると、

 5年ほど前に 改装してまったそうです。

(ただ 4年半あまり前に、 僕はホテルの部屋に  “不法侵入” したことがあり、

 この時は改装前でした。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/35275980.html )

 部屋の中を 見せてもらいましたが、 当時と印象は 変わってしまっていました。

 心子の追憶が またひとつ少なくなり、 残念な心持ちです。

 ホテルの人に、 10年前の今日、 心子がこの部屋で 最後の夜を過ごし、

 翌未明、 飛び下りたことを話しました。

 その人はそういう話は 聞いていなかったということです。

 心子が舞ったベランダを 見せてくれないかと頼みましたが、

 それは遠慮してほしいとのこと。

 後追いを恐れたのでしょうか? 

 閉まった窓の内側から 外を見るのは構わないということで、

 心子が落下した辺りに 見入りました。

 ホテルの人は僕に、 お名前はと聞きかけましたが、

 すぐに余計なことだと思い返して 取り消しました。

 僕は  「境界に生きた心子」 のことを言い、 チラシを渡してきました。( ^^;)

 もし良かったら ご覧になってほしいと。

(次の記事に続く)
 
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心子、 10年目の祥月命日 (1)

2011年01月17日 21時19分04秒 | 心子、もろもろ
 
 本日1月17日は、 心子の ちょうど10回目の祥月命日です。

 10年 …… 本当に早いものです。

 当時の様々な出来事が、 きのうのことのように 思い出されます。

 BPDに関する情報が 非常に乏しかった 10年前に比べると、

 TVでも取り上げられるようになり、

 BPDを取り巻く環境は 随分進んできたと思います。

 BPDを知る人も増え、

 誰の身近にも BPDの人がいても おかしくない時代になってきました。

 とはいえ、 まだまだ一般には 知らない人も多いし、

 誤解や偏見はおびただしく、 当事者の人たちの 苦悩は深刻です。

 周りの理解があることによって、 当事者の人たちは生きやすくなります。

 多くの人が知るということは、 社会的に非常に 大きな力になるものです。

 早く正しい理解が 浸透してほしいと願い、

 その一端を 担うことができたらと切望します。

                   *

 さて、 今日は勤務日だったこともあり、 きのうの16日に、

 お墓参りと、 心子が 最期の晩を過ごした ホテルなどへ行ってきました。

 心子がホテルへ赴いたのは 16日なので、

 その日、 彼女が辿ったのではないかと思われる 足取りを追ってみました。

 まず、 心子が住んでいた マンションへ行き、 当時のことを回想しました。

 そして 心子の身になって、

 部屋からマンションの出口、 駅へ向かう道のりを 歩いてみたのです。

 これから 死に向かおうという 彼女は、 一体 どんな心持ちだったのでしょう? 

 その胸中は計り知れず、 のしかかるような重圧で 胸が痛みます。

 それから、 クリスチャンだった心子が 最後に立ち寄ったかもしれない、

 すぐ近くの教会へも 足を運びました。

 彼女が 父母と慕った牧師夫妻に、 教会の外から 別れを告げたかもしれません。

(牧師夫妻は昨年、 大阪に移り住み、 今はこの教会にはいません。)

 十字架に手を組む 心子の姿が思い浮かばれます。

(次の記事に続く)
 
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神宮外苑の銀杏並木について

2010年12月10日 20時50分50秒 | 心子、もろもろ
 
 神宮外苑の銀杏並木は、 世界でも有数の 美しい並木だと言われています。

 青山通りから絵画館へ向かう 約300メートルの道路の両側に、

 2列ずつ 計4列の銀杏が 146本植えられています。

 青山通り側から見ると、 中央に 遠景の絵画館を挟んで、

 両側に見事な 銀杏並木が整然と並んでいるのです。

 一本一本が 円錐形に刈り込まれ、 凛として並び立つ街路樹は、

 威風堂々とした格調を感じさせます。

 実は 絵画館側に植えられた銀杏のほうが 樹高がやや低く、

 青山通り側に向かって 次第に高くなり、 両端部では 3メートルの差があります。

 そうすると 景観に奥行きが生まれ、 絵画館が大きく見えるという、

 遠近法の視覚効果があるそうなのです。

 ここの銀杏は 今から100年以上前に、

 新宿御苑で採取された ギンナンから育てられ、 1923年に植樹されたといいます。

 以来 一本も欠落することなく、 今も 凛とした居住まいを誇っています。

 黄葉の見頃には  「いちょう祭り」 が開かれ、 今年で14回目だということです。

 心子と見た時は 3日間くらいでしたが、

 現在は 11月中旬から12月中旬までの 1ヶ月となり、

 会場の広さや 露店の数も 10倍くらいになっています。

 神宮外苑銀杏並木は 心子が一番好きな場所でしたが、

 今も多くの人が訪れ、 華やかな姿が愛でられています。

〔 参考文献 : 読売新聞 〕
 
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銀杏の黄葉の変化

2010年12月09日 21時07分30秒 | 心子、もろもろ
 
(前の記事からの続き)

 同じ並木の銀杏でも、 黄色い所と 緑が残る所があったりします。

 黄葉の時期は 個体差もありますが、 日当たりと剪定の 影響が大きいそうです。

 銀杏の葉は 日光を浴びて光合成をし、 その役割を終えると 葉緑素がなくなって、

 黄色い色素が残って 黄葉します。

 日照条件や剪定が良くないと、

 銀杏の葉は “逆境” の中で 懸命に生きようとするため、

 かえって緑が長く続き、 黄葉が遅れるのだといいます。

 最近は 全体的に黄葉の時期が 遅くなっているようです。

 温暖化の影響で 気温が下がらなかったり、

 都市部では夜も明るいことが 影響しているといわれます。

 ところで、 日本の街路樹で 一番多いのが銀杏だそうです。

 街路樹は 根元が踏み固められたり、 通気性や透水性が悪く、

 樹木にとっては 非常に良くない環境ですが、

 銀杏は それでも育つ強さを 持っているのだということです。

 夏は豊かな緑葉で 直射日光を遮ってくれ、

 冬は落葉して 暖かい日差しを取り入れてくれます。

 落ち葉の清掃が 非常に大変でも、

 落葉樹が 街路樹に選ばれる理由は、 そこにもあるでしょう。

 街路樹は 美しい景観で 人の目を楽しませてくれるだけでなく、

 ヒートアイライド現象を緩和したり、 防火の役割を担ったり、

 環境維持にも貢献しています。

 長寿で 生命力が強い銀杏は、 ご神木や街路樹、 秋の味覚のギンナンなど、

 色々な形で 人々に親しまれているのですね。

〔 参考文献 : 読売新聞 〕
 
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見頃を逸した 銀杏並木

2010年12月08日 19時40分43秒 | 心子、もろもろ
 
 毎年見に行く 神宮外苑ですが、 今年は銀杏の黄葉が 例年より遅れており、

 12月に入ってから 行く予定にしていました。

 しかし 立て込んでいたり、 急に予定が変わったりで、

 今日まで 行ける日がありませんでした。

 黄葉の状態を リアルタイムの知らせてくれる HPがあるのですが、

 そこの写真では まだどうにか 見頃を保っているようでした。

 僕の最寄り駅の 銀杏並木も、 まだ 黄葉を付けている木が 沢山あります。

 ところが、 今日 外苑へ行ってみると、 一番手前の 一本を残して、

 ほとんど全て 葉が落ちて 丸裸になってしまっていました。

 HPの写真に映っていたのは 一番手前の 一本だったのですね。(;_;)

 前夜の風と雨で、 最後の残り葉も 落ちてしまったのでしょう。

 おまけに 黄色い絨毯もびしょびしょで、 落ち葉拾いもできませんでした。

 今年は完全に タイミングを逸してしまい、

 心子との想い出に 浸ることもできませんでした。 (;_;)

 そんななかでも  「いちょう祭り」 が 開かれていましたが、

 客足はほとんど まばらでしたね。

 来年は 時を見計らって、 黄金色のルーフの下を 歩きたいと思います。
 

 それにしても、 年々 黄葉がおかしくなってきている気がします。

 黄色くなった木と まだ青い木の 差が大きく、

 全て落葉した木と まだほとんど緑色の木が 隣り合ったりしています。

 最寄り駅の銀杏では、 まだ全く青いうちに 落葉してしまった葉もありました。

 何かが変わってきているようですが、

 それに関係する記事が 読売新聞にあったので、 明日 掲載したいと思います。

(次の記事に続く)
 
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