(前の記事からの続き)
僕は自分の姿を 取り戻しかけましたが、
それでもまだ、 揺れに揺れ続けました。
それまでの 極端な自分から抜け出し、
相手の立場になって、 異なった視野で 考えようとしていました。
しかし、 純粋な理想を 捨てきることもできませんでした。
( 「ジャン・クリストフ」 )
「 君たちは あまりに謙譲だ。
神経衰弱的疑惑こそ 大敵なんだ。
人は寛容で 人間的であり得るし あるべきである。
しかし、 善であり真であると 信じてる事柄を疑ってはいけない。
そして 信じてる事柄を 支持しなければいけない。
われわれの力が どれくらいのものであろうと、
われわれは 譲歩してはならない。 」
「 自分が生きてきた信念を、 どうして疑うことができようか?
それは 生を捨てるのと 同じである。
隣人に似寄るために、 もしくは 隣人を容赦するために、
本当の考えとは 違う考えを装っても、 それが なんの役に立つものか。
それは 自分を破壊するばかりで、 だれの利益にも なりはしない。
人の第一の義務は ありのままのものとなることである。 」
(12/26)
「 そうだ、 僕には今、 わかってきた。
潔癖さ、 切実さなどは、 多くの人にとっては どうでもいいことなのだ。
そんなことに こだわっているから、 人のことが理解できない。
清純と淫蕩は 極めて自然に 両立しうる。
それでも善良なのだ。
深刻に考えないほうが、 多くのものを フレキシブルに取り込みうる。
世界が豊かになる。
僕は偏屈すぎた。
深刻ぶらない人間にとっては、 全てがいいのだ。
僕は一皮むけたのか、 邪悪になったのか。
どちらにしても、 今までより広いものが 描けるかもしれない。
愚劣-- それは人間にとって、 いいことじゃないのか!?」
(続く)
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