(前の記事からの続き)
原則3: 無意識の 「操作」 は、 本当は依存である。
「操作」 という言葉は、 BPDの人が狡猾で、 ひねくれており、
抜け目ない態度を 取っているかのように 思われてしまいます。
BPDの人は 実際は操作しようとしているのではなく、
彼らなりの方法で、 激しい感情的苦痛に 対処しようとしているだけなのです。
お腹がすいたときに、 泣いて知らせることを覚える 赤ん坊と同じです。
操作の目的は たいてい回避です。
子どもは 不快なことを避けようとし、
一方親は 子どもとの騒動を避けようとします。
小さい子どもは 否定的な感情を示せば、
親が思い通りにしてくれることに 気付きます。
苦痛を避けることができると、 再び それを試みるようになります。
子どもが 哀れな様子を見せると、
親は情け心から “助けて” しまいます。
それは子どもの自立を 阻むことになり、
非常に依存的な人間に してしまうでしょう。
愛情豊かな親が、 子どもの衝動性, 恐怖, 激しい感情から
我が子を守ってやりたいと思うのは、 ごく自然なことと言えます。
しかし皮肉にも、 それが子どもに 依存心や怒りを生じさせしまうのです。
BPDの人は 自分がどのように操作しているのか、
自分が何をしているのか、 自覚していないようです。
操作と言っても、 それは生きていくための 一手段に過ぎないのです。
そうする中で 操作は習慣的になり、 かなり無意識な行動になります。
ところが 大きくなるにつれて、
このような方法は 周りに通じなくなってしまいます。
でもBPDの人は 他に方法を知らないのです。
〔 「BPDをもつ子どもの 親へのアドバイス」
ランディ・クリーガー (星和書店) 〕 より
(続く)
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