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朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

インド:ベナレス2(ガンジス河 沐浴)

2011-09-27 | インド仏教研修2011
旅行開始から、第9日目。

今回の大きなハイライトの一つです。仏教ではなく、その前段となるヒンドゥー教の聖地、インダス河です。

日の出の儀式を見学するため、早朝にホテルを出発します。



どんな世界が広がるのか。


この人は、木の小枝を切りそろえて販売しています。誰が何のために買うのでしょうか?



実は、歯を磨くため。楊子と歯ブラシを兼ねた道具です。むー、なるほどですが。わざわざ買うものなんでしょうか。


途中の路上には、ごろごろと寝ている人々もいます。寝ている姿は想像できるでしょうから、写真は省略。




この土器やプラスチックボトルは、信者の人々が河の聖水(川の水そのもの)を故郷に持ち帰るための容器です。この水は、決して腐らないと信じられています。

キリスト教でも、フランス南部のルルド、聖母マリアが再臨した聖地のわき水は同様に腐らない聖水だと聞きました。



ガートと呼ばれる河岸の階段に着きました。



夜明け前ですが、もう、沐浴している人がいました。



このガートから小舟に乗ります。



このように真剣に祈る人を直接に見聞すると、自ずと敬虔な気持ちになります。



小舟に乗ると、花と葉に乗せたろうそくを売る女性がいました。祖先の霊を慰めるため河に流すのだとか。



10バーツ(20円)でいただいて、ご先祖への感謝の気持ちを込めて流しました。



出航します。



雨期の終わりなので上流からの流量が多く、流れもかなり速い。

河岸のアップ写真だけを見ていると、衛生的に不安な気持ちも抱きますが、実はこのあたりのガンジス河の川幅は何百メートルもあるので、桁違いに大量の水が流れあっという間に希釈されています。



河岸に並ぶ寺院のテラスでは、日の出に向かって祈祷する人の姿もみえました。

Varanasi 2011


Varanasi 2


実に不思議な空間でした。



東の空が明るくなってきました。



ご来光です。



元のガートに戻ってきました。
一緒にいった学生の一人は、勇気をだして沐浴を経験しました。

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インド:ベナレス 1

2011-09-26 | インド仏教研修2011
国道2号線は、アジアハイウエイと名付けられています。



確かに立派な道路に乗り入れました。



有料道路なので料金所がありました。

ところが、、



道路には、人も、駐車も、なんでもあり。側道がないので生活道路も兼ねているようです。

しばらく走ってベナレス(バナラシ)のホテルに到着し、ここで昼食でした。ここでは二日連泊なのでゆっくり。

余興として、午後には、絹織物の商店に。バスで20分くらいの町中ですが、外見からは奥まった大きな屋敷風。



絹織物の昔の織機と現在の手織り機のデモ、そして本物の絹糸と、バナナ繊維の区別の仕方の説明がありました。確かに、バナナ繊維も外見は艶もよくて本物以上。

識別方法は、ライターで繊維を燃やすことです。バナナはさあーと早く燃えるのですが、絹はじわじわと燃えて、動物臭がしました。





サリーの生地を選び、気に入れば、採寸してその日の夜か翌日にホテルに届けてくれます。



わざとピンぼけ写真です。本人の承諾を得ていませんので。

日本では、実際のところ、サリーを着ていく機会は少ないかもしれません。卒業式後の謝恩会とかには是非着てきてほしいものです。

高いのか安いのか見当がつきません。でも日本からの添乗員女性の方もスカーフなどを買っていたので、気に入ったデザインならば品質はよいのでしょう。

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インド:ブッダガヤ

2011-09-25 | インド仏教研修2011
ホテルを出発して、近くの竹林精舎へ(場所はラージギル)。



整備された池があり、この池の中から仏像が発見されたそうです。それをお祀りした小ぶりのお堂。



この仏像は掘り出されたので古いものだとの説明を聞きましたが、まあ真偽のほどは、、、美形の仏さまでした。

本当に古い仏像ならば、色を塗り直さずに汚れを落とす程度にてお祀りしたらもっと有り難みが増すと思うのですが、その感覚は日本人だからでしょうか。

インドでは、あるいはタイでも、博物館に納められた仏像は別ですが、お寺や聖堂に祀られた仏像は色鮮やかになっています。



学術的に価値ある古美術は盗難を避けるため博物館に収納されているそうですから。

その後、しばらくバスに乗りました。



生きたまま取引される鶏です。

それほど遠くない場所に、ブッダガヤがありました。

まず、宿泊するホテルにチェックインして、昼食です。インドの田舎町では外国人が団体で食事をとれる場所は、(高級)ホテルしかありません。



ずーと以前ですが、その昔、インドにはまった人の話を聞いたことがありました。
その人が「沈没」したのが、ブッダガヤ。

それで、とてもここに期待していたのです。



さすがに参詣する人の数は、これまでと段違いです。

釈尊が菩提樹下で禅定を修せられ成道された地。仏教における最も重要な聖地です。



小雨が降ってきました。



大菩提寺です。



雨のため、座ってではなく立礼でお勤めしました。

目の前にあるのが、歴史的な菩提樹。



聖堂の中の仏像です。

日本の仏像とは異なり、色鮮やかです。我らには、厳かさとありがたみが、あまり感じられないのですが、これも文化と既成概念の差異でしょう。

聖地なのですが、写真はOK。ただしカメラ持ち込み料金を入り口で支払います。まあ外人むけ税金ですね。



同じ敷地にある蓮池。・・この名前は個人的に、感慨無量です。



さて物売りの人々を無視して、でも、ぬれた歩道にあった菩提樹の葉を拾いました。

次にバスで向かったには、スジャータ。(コーヒー用ミルクではありません)



仏陀が修行で断食し餓死寸前の時に、牛乳がゆを与えてくれた村の娘の名前がスジャータでした。その村です。

その近くには、「生命の科学」の道場や日本の有志が経営する無料小学校がありました。



尼蓮禅河のほとりから、釈尊が苦行したと伝えられる前正覚山を遠望しました。

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インド:ラージギル、霊鷲山

2011-09-24 | インド仏教研修2011
五つの山に囲まれた盆地、釈尊が活動した当時マガタ国の首都ラージャグリハ(王舎城)を訪問しました。
ここには、竹林精舎のあともあります。

お釈迦様が説法した霊鷲山に登ります。



それなりに厳しい登山道が続くので、リフトも掛かっていました。隣接するより高い山に、日本の団体が建立した仏塔があってそちらに繋がっているようです。



物売りの諸君が麓からズーと、日本語で話しかけながらついてきます。



白い毛の猿が登山道に出現。多少乱暴でもあるようです。



頂上の礼拝所。
ここでも、皆でお勤めの読経しました。





周囲の山々、この日はあまり見晴らしはよくない。それぞれに名前があって説明を受けましたが、失念。





降りてくると、物売り勧誘がいっそう激しくなります。



物価の感覚が日本の1/10ですし、もともと安物が多いので、100円、200円を使ってあげるのも功徳かな。


関係ないですが、、



このコカコーラの看板が多く目立ちました。モデルさんの口元がなにかエロチックかと感じました。これも、インド顧客むけマーケティング。


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インド:ナーランダ

2011-09-22 | インド仏教研修2011
いつものように早起きして朝食後、バスで出発します。



インドでのコンクリート建築の足場には、木材や竹が使われていますが驚くほどに不揃いでそれらを器用にロープで縛って組み立ててありました。一応、鉄筋が見えるのでそれなりの強度はあるのでしょうが。水平、垂直は適当そう。

最近、さらに北東のシッキム州で大きな地震が発生して数十人の犠牲者がでたようです。インド北東部の山岳地帯は、紅茶で有名なアッサムがあり、ネーパル、チベット、中国とも接しているので国際政治的に緊迫している場所でしょうか。



しばらく田舎道を走って、休憩です。



インドのトラックは、前面に派手な化粧をしています。運転手がそれを競い合っているようです。



まともな喫茶店、食堂がありました。チャイを楽しみます。


車窓から外の村々を見ていると、こんなバスセンター?がありました。





車の屋根に乗るのは常識です。最近のエコ重視で車体を軽くした最新の日本車はこんな利用にはとても無理でしょう。
でも、トヨタのランクル、三菱のパジェロはもっと過激な軍事紛争地で人気があるようです。


この日午前中の目的地、ナーランダに到着。



釈尊の高弟シャーリプトラ(舎利弗)の生地で、5世紀から12世紀まで仏教の研究と教学の一大センター、つまり「大学」が設立されたいました。

7世紀に玄奘(三蔵法師)が滞在した頃は1万人もの学僧がいたと伝えられています。

645年(唐時代)に玄奘三蔵が657部に及ぶ経典を中国に持ち帰り、中国や日本仏教である「大乗仏教」の起源とされています。



これは、シャーリプトラを祀るストゥーパ。



12世紀にアイバク靡下の将軍が率いるトルコイスラム人の侵略によって大学は破壊され、この後の時代にインド仏教は衰退した。その時、図書館にあった書籍はすべて燃やされ一週間にわたり炎が絶えなかったと説明されました。

我らがインド人ガイド、ママニアさんは「イスラム教という宗教が悪いのではなくて、当時、強力な武力を持っていた外来勢力が来て、武力を持たない仏教徒を打ち破った歴史的な状況です」と、現代のイスラムに関する悪い印象を与えないよう中立的に説明をしていました。(本人はヒンドゥー教)



遺跡の門前には露天商がたくさん店を並べていて、遠足で来たらしいインド人生徒たちも品定めをしていました。



馬車が、観光用でなく普通の運搬用として走っていました。


~~
追記

平山郁夫画伯が、この遺跡をテーマに描いた絵があります。



奈良、薬師寺玄奘三蔵院に納められています。

引用:
東京国立博物館 特別展「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=709

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インド:パトナ

2011-09-21 | インド仏教研修2011
久しぶりの大都会パトナに夕刻到着し、ここで宿泊です。少し町を散策する時間がとれました。長時間、狭いバスの座席で揺られていたので散歩することにしました。と思っていたら強い雨が突然降り始め、しばらくしてぴたっと止みました。



これは宿泊したホテルの外観。多少設備は古いですが、十分に許容範囲です。どこのホテルも冷房が強すぎますが、ビル全体で共通の冷風ダクトからの空調なので微妙な温度調節は無理。取り込みのファンをオフにしてなんとかしのぎました。



州都の中心部でも交通信号はほとんど無く、ロータリーになっています。車はそれでまあよいとして、歩行者は大変。歩行者用信号などは全くありませんし、横断歩道もはっきりしません。横断する地元の人を見つけて、その人にくっついて、車の流れの川下側で渡りました。



路上での野菜販売。電灯をあかあかと照らしていました。





これは酒屋(リカーストア)、相対的に高額の現金と商品が取引されるので、鉄格子のなかに店員が居て、商品棚も外からは近づけません。



都会の夕陽。こんな写真をとるため、カメラを空に向けていたら、通行人が立ち止まり何を撮影しているのかと振り向いて空を見上げました。



ホテルでの夕食です。高級ホテルなので、ボーイさんの制服はきちんとしています。

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インド:ヴァイシャーリー

2011-09-20 | インド仏教研修2011
北インドの農村地帯をバスの車窓から眺めます。

新しくて派手な看板の多くは、携帯電話会社。数社が宣伝を競っています。こんな田舎の村にも。



村はずれや街道の周辺には、無線の鉄塔が目立ちます。



ケータイ電話の普及は急速で、売り上げが伸びるので宣伝や設備投資が成長している様子がうかがえました。

頭髪をすっぽり隠し、目だけをスリットで開けている二人の女性、イスラム教徒です。その割には衣装の柄が派手です。




さて、ヴァイシャーリーに到着です。

釈尊はしばしば商業の栄えたこの町を訪れて逗留されました。評判の高かった娼婦アムラパーリからマンゴ果樹園の寄進を受けたり、猿の群れが釈尊の鉢に密を与え供養したことなどの伝説があります。

古いストゥーパ、アショカ王石柱、猿が掘った池などが見られました。





かつてはマンゴ果樹園が広がっていたのでしょうが、現在その遺跡の周りにあった果樹はライチでした。

見学を終わりバスが出発してすぐに、集落の中の狭い道路で停車しました。運転手が向こうから来るバイクやトラックと話をしていましたが、突然Uターン。この先の道路で死亡交通事故があったため、村人たちが一斉に出てくるだろう、そのため何時間か道路が通れない。近くに大型車の通れる迂回路はないとのことで、幹線道路で大きく迂回することに。



車窓から村の人々の生活を見ていると、まったく見飽きませんでした。この写真は、路上の散髪屋。髭を剃ってもらうのが庶民の大いなる楽しみのようです。いろいろな場所で見かけました。


その後バスで何時間か走って、ガンジス河を渡ります。とても川幅が広い。



橋を渡りきるとビハール州の州都の大都会、パトナでした。ここに宿泊します。

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インド:クシーナガラ、涅槃堂、ラーマバル塚

2011-09-19 | インド仏教研修2011
ネパールから再度インドに戻り、進路を南東にとりました。

釈尊入滅の地クシーナガラを訪れました。四大聖地のひとつ。ワラナシ(ベナレス)の北150kmの地にあます。



白い涅槃堂の中には、横たわった涅槃仏があります。



我らが参詣する直前に、どこかの巡礼の家族が読経をして、このオレンジ色の布を仏像にかけていきました。





足の裏には、法輪が印されていました。



ここにも、スリランカからの巡礼団が参詣していました。



門前にいた少女たち。楽器を使って読経を披露しています。少しチップをあげました。



涅槃した後、お釈迦様を荼毘に付したラーマバル塚は近くにあります。



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ルンビニ2

2011-09-18 | インド仏教研修2011
いよいよ、ルンビニ聖地に参詣です。ホテルを朝早く出発したので、まだ見学者はほとんどいません。

暑いけれども、爽やかな朝でした。



左手の白い建物は、発掘された地下遺跡の覆堂。

この石の円柱が、実は、重要な遺跡でした。

この石柱には、かすかに、でもはっきり読める文字が彫り込まれています。私の写真は撮り方がへたで、文字がきれいには写っていませんが。



この石柱の碑文が発見され文章が解読されたことから、仏陀の実在が証明され、またこの場所が生誕地ルンビニであることがわかりました。

”碑文には、「アショーカ王は、即位二十年をへて、自らここに来たり、親しく参拝した。ここでブッダ=シャカムニが誕生せられたからである。それで石で馬像を造り、石柱を造立せしめた。ここで世尊が誕生せられたのを記念する為である」とある。”(引用:http://kawai51.cool.ne.jp/i-a'soka.html)

仏陀の死後、200年余を経た後、マウリア王朝第三代アショーカ王が仏教を崇拝し、その遺跡を巡礼し、仏教施設を整備しました。現代では、そのおかげで多くの遺跡が碑文という形で2300年以上を経て理解できます。

文字という情報記録手段の偉大さ、人類が文字を発明したことの重要性を再認識しました。実は、これまで情報科学の導入授業で、古代文字の文明的重要性をロゼッタストーンの例(発見とその解読)で説明していましたが、来年からはこのアショーカ王の円柱碑文も使うことにしましょう。

白い建物の中には、地下遺跡がそのまま展示されていました。撮影禁止のため写真記録はありません。



建物の外に出ると、池と、大きな菩提樹があります。

"釈迦は、母親の摩耶夫人(まやぶにん マーヤー)がお産のために実家へ里帰りする途中にルンビニ(藍毘尼) の花園で休んでいた時に夫人の脇の下より姿を現し誕生した。釈迦はこの世へ出てすぐに七歩歩いて右手で天空を指し左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と声を出したと言う。生後一週間で生母は亡くなり、母の妹、摩訶波闍波提(まかはじゃはだい、マハープラジャパティー )により釈迦は養育されたという"(引用:Wikipedia)

この池は、仏陀の産湯として使われたとされています。



仏陀はこの菩提樹の下で誕生したのでしょう。

ネパールの僧侶が信者さんに祈りを授けていました。



各国からの信者団体が、旗を持参して聖地の周りに張り巡らせています。

我らグループが、アショーカ王の円柱の前でお勤め(読経)をしているあいだに、参詣者が増えてきました。

聖地の菩提樹の落ち葉を拾って、押し葉にして頂いて帰りました。


~~

"アショカ王の石柱は、1896年にドイツ人の考古学者フューラーによって発見されました。紀元前249年にマウリヤ王朝のアショカ王がこの地を訪れたときには、ルンビニは大きな村だったと云われています。ここで見つかったアショカの石柱には「神々に愛でられしアショカ王が即位20年の年にこの地を訪れ石柱を立てた旨と、釈尊の生誕地であるこの村は免税され8分の1のみの納税で許される旨」が刻まれています。当時は4本の石柱が立てられ、その柱頭には馬像があったと云われていますがその馬像は見つかっていません。玄奘三蔵もこの地を訪れており、この柱に雷が落ち3つに折れたと記録しています。"
引用:http://nepaling.zening.info/lumbini/asyoka.htm
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ネパール:ルンビニ

2011-09-17 | インド仏教研修2011
ネパールと聞けば、エベレストやヒマラヤ山岳をイメージします。しかし、同じネパールでもインドに近い南の地域は、標高が200メートル程度です。高山からの地下水があり豊かな農地が広がっています。ここからのヒマラヤ眺望は、空気の澄んだ朝に時に遠望できるそうですが、この日は見えません。



国境の町から車で30分くらいの「ルンビニ」に泊まりました。日系ホテルが2軒あり、いずれも高級ホテルです。



その一つ、ルンビニ・カサイ・ホテルです。この時期はまだオフシーズンですが、10月以降の乾期で気温が下がるハイシーズンになると価格は跳ね上がるようです。



名物の「エベレスト・ビール」です。味は普通のラガーでしたが、ヒマラヤからの地下水で作られていると思うと感無量。




この国境の道路には、大型トラックが通関のため列をなしています。ガイドにその理由を聞くと、「ネパールは、自由貿易制度を取っていて関税などの物品税金がないので、セメントの価格が安い。インドは物品税や消費税が高いので、ネパールでセメントを買ってトラックでインドに運ぶと儲かる」とのこと。ネパールからインドに通関する時の税金はどうなのか、それを払っても安いのでしょう。間接的に、インドがネパールの産業を支援しているのかもしれません。

朝6時半に出発し、ホテルからバス10分でユネスコの世界遺産に登録された「ルンビニ公園」の入り口に到着。

ここで、強制的にリクシャに乗り換えねばなりません。最近導入されたローカルルールのようです。雇用確保。





幅の広い直線の土道を列をなして走ると爽快でした。
ドライバーくんが、サービスとして、競争して先行車を追い越したりします。シートベルトやつかまるハンドルもなく、ちょっと危険かも。



そのリクシャも遺跡の直前までは行ってくれなくて、最後の200メートルは強い日差しの中を歩いて行きます。

いよいよ、お釈迦様の生誕地。期待が高まります。



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