菅原道真公を御祭神とする天神社の総本社である。菅公は学識に優れ右大臣にまで出世するが、藤原氏の策謀で901年大宰府に左遷され、望郷の念により都の梅花を歌った。
貴族社会に次々と不幸が襲ったので鎮魂の社を創建した。現代では学問の神様として受験生の守り神となった。(ITUジャーナル Feb2025)
菅原道真公を御祭神とする天神社の総本社である。菅公は学識に優れ右大臣にまで出世するが、藤原氏の策謀で901年大宰府に左遷され、望郷の念により都の梅花を歌った。
貴族社会に次々と不幸が襲ったので鎮魂の社を創建した。現代では学問の神様として受験生の守り神となった。(ITUジャーナル Feb2025)
京都迎春の風物として一風変わった門松がある。
正月に歳徳神さまを迎えて五穀豊穣を願い、門松は神を家に招く目印の依り代である。雌花(赤松)と雄花(黒松)の松を根ごと引き紅白の水引で縛って門に飾る。新年最初の子(ね)の日上賀茂神社での若菜摘みと小松の根引きの神事がルーツだとか。(ITUジャーナル Jan.2025)
真如堂には四季折々美しい風景がある。晩秋には鮮やかな紅葉が一面に広がる。
本寺院は東三条院(一条天皇の生母:藤原詮子)の離宮に慈覚大師が彫った阿弥陀如来立像を遷座したのが始まり。大河ドラマ「光る君へ」で知られる一条天皇の勅願所となり多くの人々の帰依をえた。(ITUジャーナル Dec2014)
大覚寺は嵯峨天皇の離宮として平安時代初期に建立され1200年の歴史をもつ。境内、大沢池の菊ケ島に自生した野菊を永年にわたり改良した古典菊である。
多数の細い花弁が特徴で花数を七五三の三段に仕立て上げ、天・地・人を表す。大覚寺では毎年11月に嵯峨菊展が開かれる。(ITUジャーナル Nov.2024)
毎年春に「都をどり」が開催される建物で祇園花見小路にある。京都の五花街には芸舞妓の研修と発表の場として各々歌舞練場がある。
耐震化工事がなされ外観を保存して2023年春に完成した。隣接する弥生会館は同様に大改修が進行中で、2026年春には帝国ホテルとして開業する。(ITUジャーナル Oct2024)
八坂神社界隈の町屋が並ぶ地区に法観寺の塔がある。歴史ある寺院で聖徳太子が建立したと伝わる。
応仁の乱で寺の伽藍がほとんど焼け落ちたがこの塔だけが残った。かつては電柱と電線で雑然としていた街路だが、無電柱化により電線は地下に埋設され美しい街並みが再現された。(ITUジャーナル Sep.2024)
京都嵐山にある天龍寺を拝観して北門から出ると美しい竹林に出会う。
竹の垂直軸が圧倒する世界に逆らうように、黒い木の斜線がアクセントとなっている。トーマス・エジソンが白熱電球の寿命を長くするため世界中から材料を集めて実験したが、京都の竹を見つけて成功した。(ITUジャーナル Aug.2024)
京都御所から西北に見える高い山にあり火伏祈願の神社として知られる。
毎年7月31日夜には人々が登山する「千日詣」が行われ千回参詣のご利益がある日とされる。京都の厨房には「火廼要慎」(ひのようじん)札が貼ってある。明智光秀が本能寺を襲撃前夜に参詣したことでも知られる。(ITUジャーナル July2024)
叡山電車で出町柳から約十分の駅近かにある子供の守り神のお社。
境内の湧き水池畔には半夏生(はんげしょう)が茂っている。初夏には白い葉も出てきて、白ビーズを繋いだような花が咲く。夏至が過ぎると「半夏生」という七十二候の暦日が来るが、関西ではタコを食べる習慣がある。(ITU ジャーナル June 2024)