ガレットdesロア(2008-01-20)の続きです。
gorillaさんから質問が投稿されたので、さっそく「西洋の歴史とトルコ国の博学博士」の友人に伺ってみました。なお小生は恥ずかしながら、下記に出てくるシェイクスピア「
十二夜」も知りませんでした。そこでWikipediaで即席勉強して無料画像も頂いてきました。
ついでに、英国、そして米国(特に
ニューオルリンズ)でも king cake といってもてはやされていることも知りました。
micさん、ありがとうございました。西洋にも(クリスマス休暇の)「松の内」のような習慣があるのですねぇ!?!
((以下は引用です))
さて、ご質問の件ですが、私はお菓子には詳しくないので、一般論をお話しましょう。
galette des roisは、英語でいう Twelfth Night(十二夜、1月5日)を祝うお菓子ということは先刻ご承知の通りだと思います。
昨年、小田島雄志氏の、Shakespere『十二夜』の講義をきき、蜷川幸雄演出・小田島雄志翻訳・尾上菊之助主演の、すばらしい翻案歌舞伎を見ました。クリスマスのお祝いの気分が残るうち、日本で言えば松の内が空ける日に、陰鬱な欧州の冬の気晴らしの劇を見たり、ケーキを食べたりして楽しんだのでしょう。
お菓子の写真を見ると、galette des roisの、南フランス風という感じのケーキですね。豆や人形を入れてあたった人にご褒美という慣習はアングロ・サクソンにもあって、ロンドンやアメリカでは金貨を入れますから、当たったら本当にラッキー。
さて、トルコ料理は、イスタンブールの宮廷料理、当時の世界の先進文化国オスマン朝の伝統を汲みます。イスラム教の異民族のトルコ人の食文化は、長期にわたる両文明間の衝突と融和によって、欧州に大きな影響を与えたことは容易に想像できます。特にルイ14世のころのフランスは、ハプスブルグ家との対抗上、フランス・オスマン同盟を形成しましたので、両国の交流は相当あったのです。
トルコのお菓子は、まず大変甘い、これはアラブ世界にも共通するのですが、トルコも同じ系統に属します。特にTurkish Delightと称される、ぎゅうひをベースにしたお菓子が有名です。(ナルニア国に出てきます)。私には、galett des roisとトルコの特定のお菓子との関係は分かりませんが、いずれにせよ、甘味料も果物も少なかった当時の欧州は、イスタンブールの豊穣な甘さには憧れがあったのではないかと思いますし、料理一般の文化も強い影響を受けたのだと思います。ハプスブルグのお姫様、マリー・アントワネットがフランス宮廷にもっていたものもありますし、ヴェネチア経由のものもあるようです。
オスマンの西方征服の夢は二度のウィーン攻防(1529,1683)の失敗によって潰えますがこの接触点からも、大量の文化が欧州側に流入したのです。最も影響の大きいのは、コーヒーの伝播です。17世紀後半には、ロンドンにコーヒーハウスが林立し、これがシティの原型となったのです。バッハは、コーヒーを若い娘が飲むのは良くないよという説教のざれ歌を作っています。
ウィーン包囲撃退を祝って、パン屋が、トルコ軍旗の三日月を模って焼いたのがクロワッサンで、これが今のフランスの重要なパンのひとつになったのは、マリー・アントワネットの大功績ではないでしょうか。トルコ軍親衛隊の軍楽は、トルコ軍に悩まされながらも、欧州は驚愕し、それを競って取り入れるようになりました。そしてMozartもBeetovenもトルコ行進曲を作ったのはそういう背景があります。
今、トルコのEU加盟に最も反対しているのは、サルコジ大統領であるのは皮肉です。
この背景はまたの機会に。
©micmatsuda