朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

さくらんぼ

2011-05-31 | 京都の文化(春)
近所に「疎水分線」があります。その土手の狭い土地に、いろんな植物や木が生えています。鳥が運んだ実生とか、近所の人が植えた木もあるようです。



これは、市販のさくらんぼのようです。最初は、誰かが食べたあとの種をまいたのでしょうか。



ソメイヨシノは、こんな感じ:



この白十字の木もこの季節には、きれいです。ヤマボウシでしょうか。山法師とか、山帽子と漢字では書くようです。



里山を歩くと、この季節、木々に白い花が遠望できるのは、たいていこの花(実は白い葉)です。ですから、白い「帽子」のほうが雰囲気がでると思っています。


さて、スーパーで買った外国産のさくらんぼは、こんな濃い赤。



輸入解禁には、国内産地の反対が強くて、たしか国内産の出荷時期は輸入しないとされていました。とすると、これは? 制限を外したのか、外国品種を栽培し始めたのか。

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急がば回れ

2011-05-30 | 国内各地の風物
このことわざが、滋賀県琵琶湖での故事を基にしていることを初めて知りました。



「危険な方法よりも、一見迂遠でも着実な方法をとったほうがよい」

京都に東から行くために、鉄道や自動車道路が無い時代は、この「瀬田の唐橋」を渡るか、少し近道となる「矢橋(やばせ)」の港から船で大津に行くかの方法があったのです。


(現在の「瀬田の唐橋」)

渡船のほうが早いのですが、比叡山から吹き降ろす風により沈没したり欠航したりしたことが多かった。つまり、多少、遠周りになっても橋をわたるほうがいいとされました。

「武士(もののふ)の やはせのふねは はやくとも いそかはまわれ せたのなかはし」と、室町時代の連歌師「宗長」が詠んで、その一部がことわざとして伝承されました。瀬田の「長橋」がその後「唐橋」となりました。



琵琶湖水位の観測は、近代から現代にかけても治水上大変重要でした。明治政府は外国から測定器を購入して、ここ唐橋の横に観測所を作りました。これも貴重な産業遺産です。
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豆乳ラーメン

2011-05-30 | 食べること、レストランなど
豆乳ラーメンとは、どんなものなのか?不思議な食感でした。



左京区下鴨東高木町という所在地は、観光名所も、駅や商店街もないまったくの住宅地区です。



しかも玄関に至る通路は、こんな雰囲気。この家だけに通じる路地です。

さて、注文した「豆乳ラーメン」ランチセットはこれです(奥のお椀は餡かけ胚芽米ご飯):



「ラーメン」というと、少々、疑問符がつくかもしれません。スープは豆乳ベースの和風味でしょうか。麺は極細めんで九州方面から特別に仕入れているようです。あっさりした中にも密かなコクが感じられました。

「ラーメン」と銘打ったほうが、若い人の注目を引くのでそうしたのかもしれません。実態は「にゅーめん」のような気がします。



昼間だけでなく、夜の営業もあるので、お酒を囲んで楽しく飲食できると聞きました。

カウンター席からは調理の様子がよくわかります。カウンター席に連続して和室が1つあって、和テーブル、カウチが並び、さらに奥には坪庭。和室は襖で仕切ることができます。

元々は、一乗寺の詩仙堂に向かう道、宮本武蔵の一乗寺下り松に近い湯豆腐屋「豆花」にて創作したとのこと。それを考案した人がここのご主人。湯豆腐屋の経営と調理はお兄さんが継承して、ご本人はこちらで独立されたとか。実は、その本店の目の前にある和菓子屋が多角経営に乗り出して、洋菓子販売(これはまだいい)から和風喫茶へ。さらに和風昼食提供に業容を拡大したため、周辺観光客の食事需要をほとんど持っていかれたと話してくれました。



和室のたたみ間を活用して、色々なイベントや、足ふみマッサージ、おしゃべり会など、特に平日の昼間は子供と若いママさんの楽しいスペースとなっているようでした。たたみ部屋のほうが、子づれには都合がよいし、赤ちゃんにも安心ですから。

そんなイベント強化型の食堂ビジネスですね。平日昼間のほうがママさんと子供たちで繁盛していて、夜もその常連さんの宴会が多いようです。

「純和風ファミレス」、家族経営。アルバイトも雇わないので人件費リスクがない。しかも2階が自宅で、職住一致。メニューも野菜料理限定少ない品数で、売れ残っても食材の廃棄損失も少ない。

これは、確かにグッドアイディアのビジネスモデルだと感心しました。
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琵琶

2011-05-29 | 伝統芸能
日本芸能史(前期第6回、2011-05-23)
講師は、上原まりさん

筑前琵琶の実演と、琵琶の由来のお話がありました。


(引用:上原まり公式ウェブサイト)

上原まりさんは、かつて宝塚の娘役トップスターで「ベルサイユのばら」のマリー・アントワネット役などで活躍し、退団後は筑前琵琶旭会の琵琶奏者となった方。もともと琵琶家元の生まれ。

2ヶ月前に大きな病気になり退院後初めての外での仕事だそうです。でも、とても1947年生まれには見えません。

演奏者はまりさんの体調回復が充分でないため、お仲間の大藪旭晶さんと村山旭勢さん。

最初は法服を着て般若心経を演奏。読経と琵琶の合奏でした。

琵琶は天台声明の伴奏として使用されたとのことです。天台の管長慈鎮和尚は「平家物語」を京都の盲僧如一検校に作曲させた。

琵琶は奈良時代に伝来し、イランを源流とする楽琵琶の系統と、インド系の盲僧琵琶の系統があり、この二つが融合したのが平家琵琶、後者に三味線を加味したのが筑前琵琶。それに、薩摩琵琶(イランとインドの両方を継承)が加わって、「筑前五弦琵琶」となった。イラン(ペルシャ)の伝統から、今の琵琶にも三日月が刻まれています。



お琴と同様、一面、二面と数えます。弦と柱の数は各種の琵琶によって異なります。上原さんのは筑前五弦琵琶です。

後半では、平家物語の一場面の演奏がありました。弾き語りになります。

来年のNHK大河ドラマは「平清盛」となったそうで、上原さんは平家物語そのものなので大変楽しみにしていますと話していました。


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京舞

2011-05-28 | 伝統芸能
日本芸能史(前期第4回、2011-05-09)
講師は、五世井上八千代さん

京舞の実演と井上流の歴史説明がありました。お嬢さんも和服で実演のお手伝いをしていましたが、田口章子先生によれば、昨年この造形大を卒業したばかりとの紹介がありました。女性が跡継ぎになる井上流も立派な後継者がいて結構なことです。

井上八千代造形大教授はトークも大変上手です。


(引用:京都造形芸術大学教員紹介web)

京舞は、祇園芸妓舞妓が踊る日本舞踊です。京都春の風物詩である「都をどり」は、明治5年に政治の中心が東京に移ってしまった京都に活力を取り戻す目的での内国博覧会を実施した時イベントとして、三世井上八千代によって創始されました。

祇園料亭できれいな帯と着物の舞妓さんの踊りではありますが、井上流京舞、実際は、能と同様にメリハリのきいた少し怖いとも感じる硬い踊りです。時には、どんと舞台の板を踏み大きな音を出すこともあります。表情はにこりともしません。

近衛家に奉公に上がった井上サトがそこで舞を学び仙洞御所や近衛家の舞指南となった。近衛家より、井菱の紋を拝領し「玉椿八千代にかけて・・」と井上八千代の名乗る。以来、椿は井上家に大切な模様となっています。錦小路の魚屋に嫁いだが、実家に戻って島原の舞師匠を勤めました。(初世)

四世八千代は明治38年生れ。とても厳しい練習をする師匠さんとして知られていたと説明がありました。

踊りの振りは、楽譜のような決まった形式の記録はないので、すべて師匠の振りを見て練習によって憶えるそうです。

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岡寺

2011-05-27 | 国内各地の風物
奈良県明日香村には、この岡寺もあります。



しゃくなげの花が名物ですが、訪問した時には時期を過ぎていました。



大きなつつじやさつきが咲き始めていました。


(引用:岡寺公式webサイト)

日本最大、最古の塑像観音像が安置されています。白い大きな仏像です。インド、中国、日本の三国の土をつかって弘法大師が造られたと説明書に書いてあります。



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飛鳥寺

2011-05-26 | 国内各地の風物
奈良県明日香村に、日本最古の飛鳥大仏のあるお寺があります。



596年に創建された日本最初の寺と説明されていました。



ともかく、このご本尊の大仏の銅像がとても存在感があります。そして、写真撮影も全くかまわない、むしろ世の中に広めるために広報してくださいとのことです。

やや細長い顔立ちにこの時代の特徴をはっきり見ることができます。



聖徳太子像(室町時代木像)



かつては広大な境内を有する大きな日本最初の本格寺院であったのですが、時代の変遷で荒廃したそうです。

大仏は元々の位置から動かされていないとのこと。当時、銅という金属も大変に貴重だったと思います。1400年を経て、その存在を強く主張しています。

現在小ぶりなお寺になってはいますが、むしろ静かで好ましいと感じました。

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壬生狂言

2011-05-25 | 伝統芸能
造形大の講座です。

壬生狂言が春秋座の舞台を会場にして、実演とその解説がありました。

700年前に京都で始まった無言劇。円覚上人が鎌倉時代に、仏教を大衆に広めるために、文章や説教ではなくて演劇で表現したと伝えられてきました。

現代では、壬生寺を拠点にして、この重要無形民族文化財を維持しているのは活動に賛同する数十人の人々です。



今回の演目は「土蜘蛛」
源頼光を蜘蛛の精が夜な夜な悩ませる。家来の渡辺綱ら命じて土蜘蛛の棲家を突き止めついにこれを退治する。

蜘蛛の糸が、ぱあーと舞台の上空に舞って、客席にまでそのいくつかは飛んできます。

蜘蛛の精の衣装や面も大変に派手です。



これが客席で拾った蜘蛛の糸。

すべてこの大念仏講の人たちの手作りだそうです。細い鉛の芯材に薄い和紙を巻きつけて、最後に包丁で輪切りにする。

鉛の芯が錘になって、かなり遠くまで飛んでいきます。1回の演技に、1,000粒くらいを蒔くそうで、100個くらいの包み(巻いたもの)を10個に切って作ると説明されました。

この蜘蛛の糸は縁起が良くて、財布に入れておくとお金がたまるといわれているそうです。

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桜鱗

2011-05-24 | もろもろの事
以前ここで記事にした「桜鱗」のことがもう少しわかりました。京都造形芸術大学のプロジェクトです。



アップにすると:



このオブジェの説明が掲示してありました。



製作者は、二条城ライトアッププロジェクトメンバー一同でした。この大学では、「プロジェクト」として希望者を募って、目的のはっきりした時限の行動計画を実施しています。その成果ですね。



9,000人ものメッセージが集められて、鯉の紅白うろこになりました。

Good Job!
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iPad2

2011-05-23 | もろもろの事
大震災で発売予定が延期されて、4月28日に日本では発売が開始されました。業務で使用するため法人契約で注文していたのですが、ようやく先週木曜日に納入されました。



技術的性能は報道やブログで理解していましたが、開封して実物に触れた印象では薄くなったこと、やや軽いと感じました。

以前、第1世代のiPadを使用してきていくつかのアプリを導入しています。母艦にしているPCに置いたiTunesのサイトから、Appleアカウントでログイン。元のiPadデバイスからアプリとデータを「同期」しました。その後、母艦PCに新しいiPad2を接続して、同期する。案外に簡単で、その時間も意外に早い。

新しいハード機能は、カメラ。フロントとバックに2個付いています。以下に、画像サンプルを載せます。


画素=960x720(クリックで拡大、拡大画像はオリジナルサイズ)

昼間、強い雨が降ってきたので公園の野球場風景を、カメラテスト。グラウンドはあっと言うまに水浸しとなり、プレー中の野球少年たちは雨宿り。



数時間後の雨上がり。比叡山の緑が一段と濃くなってきました。



これは、フロント側のカメラ画像。画素=640x480
このカメラで動画撮影ができ、”FaceTime”というテレビ電話にも使用できます。
コメント (3)
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