氷室神社からは舗装された車道を歩きます。路肩にはすみれが咲いています。
くねくねの登りになり峠を越えると、「氷室口」のT字交差点。左折して、京見峠の方に向かいました。その峠では、しかし、展望なし。車道の両側に木々が茂っています。昔は眺望が良かったらしい。
車道から右折して、山道にはいって数分歩くと、この景色がありました。
標識70番、山小屋がありますが、無人、閉鎖されていて用途不明です。
ヤマツツジが鮮やか。
ゆるやかな歩行の道です。
時々、こんな眺めが得られます。
お地蔵さんに、新鮮な花が供えられています。(驚
沢ノ池。
綺麗な縞模様の緑の石。庭石にいいと思いました。
このへんからは下り坂です。
坂を下ると、北山杉のきれいな産地になって気持ちのいい歩きとなります。
高雄のバス停まで、今回のトレキングはとりあえず終了。
なんと、26,500歩を記録しました。約16km。当初は、ルートの途中、京見峠から麓の鷹峯に降りる予定でしたが、天候も良く体調も問題なかったので、そのまま高雄まで歩いてしまいました。さすがに翌日は足が張りましたが。
この先、神護寺から清滝、保津川へ行く「西山コース」は、2011年12月に歩いていて、その記事はここです。
前回の続きです。先日トレイル歩きで終点とした「山幸橋」には、バス便がほとんど無いので、市バス「西賀茂車庫前」まで行って、そこから3キロ歩いてトレイルルートにアクセスします。
これは西加茂賀茂の住宅地を歩いている時の見かけた「生産農地」です。ブロッコリーの花。採取を放棄したため、花が咲いています。ねぎぼうずも咲いていました。後継者が不足していることは分かりますが、補助金や税金で保護された「農地」がこのような状態なのを見ると、納税者として矛盾を感じます。
バス路線があれば良いですね。
レンゲ畑。春ですね。
シャガ。
山幸橋の付近の標識56番です、ここから山道になりました。
ここを5分くらい登ると農地が現れました。ところが「耕作放棄地」です。「京野菜」として、野菜などのブランド化が進んでいますが、京都市街の近場でも農地が使われていません。農地の集約化や農業株式会社化がもっと必要だと感じます。
よく手入れされた杉の林の中を歩きます。
湧き水が流れています。
昔は、家庭の燃料として柴が使われたので、経済価値があったのですが、現代では手間賃にもなりません。
盗人谷という地名です。大昔には、京都の町を狙う盗人が住んでいたのでしょうか。
小さな峠を越えると、人家が現れました。
もうじき田植えをするために、田んぼに水が引き入れられています。
氷室の集落にある、神社。
製氷機や冷蔵庫が無い時代、冬に凍った氷を山の中で貯蔵して夏に宮中に届けたとか。
この村は小さな盆地になっていて、しっかりと山に囲まれています。ここまで、「西賀茂車庫前」から2時間歩きました。
これは西
バス路線があれば良いですね。
レンゲ畑。春ですね。
シャガ。
山幸橋の付近の標識56番です、ここから山道になりました。
ここを5分くらい登ると農地が現れました。ところが「耕作放棄地」です。「京野菜」として、野菜などのブランド化が進んでいますが、京都市街の近場でも農地が使われていません。農地の集約化や農業株式会社化がもっと必要だと感じます。
よく手入れされた杉の林の中を歩きます。
湧き水が流れています。
昔は、家庭の燃料として柴が使われたので、経済価値があったのですが、現代では手間賃にもなりません。
盗人谷という地名です。大昔には、京都の町を狙う盗人が住んでいたのでしょうか。
小さな峠を越えると、人家が現れました。
もうじき田植えをするために、田んぼに水が引き入れられています。
氷室の集落にある、神社。
製氷機や冷蔵庫が無い時代、冬に凍った氷を山の中で貯蔵して夏に宮中に届けたとか。
この村は小さな盆地になっていて、しっかりと山に囲まれています。ここまで、「西賀茂車庫前」から2時間歩きました。
国際会議最終日の前夜、会議で一緒だった友人が翌日は昼ごろ東下りするので、この夜は京大近くの小さい店に飲みに行きました。
イカが好きということで、それを入れた盛り合わせ、
イカ煮付けで、季節のフキも入った煮付け。
京都定番の、だし巻き。
酒は、奄美の黒糖焼酎を注文したら、その友人も奄美には特別の思い出があるとのこと。何年か前に仕事で離島での研究プロジェクトで滞在して、この黒糖焼酎を毎日飲んでとても気にいったとのこと。(写真、忘れたので、銘柄名不明)
たけのこの炊いたん。焼き筍には、その日に掘ったものが必要だとのこと。古いとエグみが出る。
京野菜のおひたし。
次は、えんどう豆の天ぷら。とても、あっさりと、でも味がある新鮮なお豆の味がしました。
このあと、締めで竈のご飯、桜えびを振りかけた、を少しだけ頂きました。友人は「うまい、うまい」とすべてを平らげました(笑 lol
お互いに若い時から知っている何十年来の友人は得がたいものです。
(店名:ぐろっと)
イカが好きということで、それを入れた盛り合わせ、
イカ煮付けで、季節のフキも入った煮付け。
京都定番の、だし巻き。
酒は、奄美の黒糖焼酎を注文したら、その友人も奄美には特別の思い出があるとのこと。何年か前に仕事で離島での研究プロジェクトで滞在して、この黒糖焼酎を毎日飲んでとても気にいったとのこと。(写真、忘れたので、銘柄名不明)
たけのこの炊いたん。焼き筍には、その日に掘ったものが必要だとのこと。古いとエグみが出る。
京野菜のおひたし。
次は、えんどう豆の天ぷら。とても、あっさりと、でも味がある新鮮なお豆の味がしました。
このあと、締めで竈のご飯、桜えびを振りかけた、を少しだけ頂きました。友人は「うまい、うまい」とすべてを平らげました(笑 lol
お互いに若い時から知っている何十年来の友人は得がたいものです。
(店名:ぐろっと)
ぐろっと (京料理 / 元田中駅)
夜総合点★★★☆☆ 3.8
岡崎の疏水周辺はすっかり葉桜になっていました。
西の夕日が反射していました。
ハナミズキの白い花がほぼ満開。
赤いハナミズキも、
老舗料亭の門。こんなところで本格的な料理をいただきたい。・・普段の食事も含め、
あと何回、夕食をいただけるのだろうか。
鮮やかすぎる赤。
鮮やかな白。
突き当りに見えるのはインクラインの坂ですが、その下に作られているのが、「ねじりマンボ」のトンネルです。
トンネル内面のレンガが、斜めに巻かれて積まれています。これも明治時代の土木技術の叡智です。
西の夕日が反射していました。
ハナミズキの白い花がほぼ満開。
赤いハナミズキも、
老舗料亭の門。こんなところで本格的な料理をいただきたい。・・普段の食事も含め、
あと何回、夕食をいただけるのだろうか。
鮮やかすぎる赤。
鮮やかな白。
突き当りに見えるのはインクラインの坂ですが、その下に作られているのが、「ねじりマンボ」のトンネルです。
トンネル内面のレンガが、斜めに巻かれて積まれています。これも明治時代の土木技術の叡智です。
会議を手伝ってくれた学生さんや事務局のひとたちと、南禅寺の前にあるこの店で湯豆腐をいただきました。
大きな門をくぐると、
また門があり、菖蒲の葉が飾られています。
疏水の水を引き込んだ庭園があります。
この建物の2階の部屋が会場でした。
床の間がある大きな部屋です。和室ですが、テーブルと椅子となっています。
土鍋と湯豆腐を楽しみ、
豆腐田楽。
主催者である国際機関の役職者を囲んで、学生さんが話を聞いています。左の男性は英国人、女性はイタリア人です。
会食が終わって外に出るとすっかり暗くなっていました。
大きな門をくぐると、
また門があり、菖蒲の葉が飾られています。
疏水の水を引き込んだ庭園があります。
この建物の2階の部屋が会場でした。
床の間がある大きな部屋です。和室ですが、テーブルと椅子となっています。
土鍋と湯豆腐を楽しみ、
豆腐田楽。
主催者である国際機関の役職者を囲んで、学生さんが話を聞いています。左の男性は英国人、女性はイタリア人です。
会食が終わって外に出るとすっかり暗くなっていました。
昨日は雨。国際会議のDay3でした。 ITU Kaleidoscope Conference 2013 Kyoto.
昼休み会議室の外にでると、京大キャンパスに来訪している女子高生の大集団がいました。大学博物館などを見学するのでしょうか。
大学の方に聞くと、最近は修学旅行のコースになることもあって、時計台1階にある売店でのグッズがよく売れて大学当局は喜んでいるそうです。総長カレー(レトルト)や、大学ビールも売っています。
ドイツ人女性研究者(北京駐在)の方が、中国と欧州との電気自動車規格についての最近の共同研究について報告しました。そこまで協力関係が進んでいることに、驚きです。そういえば、かなり前に中国を訪問した時、町には小型ドイツ製自動車のライセンス生産車(フォルクスワーゲン)が多数走っていたことを思い出しました。
あと数年したら電気自動車は、現在のPCの様に、規格と部品の標準化によって「モジュール化」生産が進み、中国製ばかりになるのかしらん。
テレビ会議で参加のオランダの大学教授が登壇して、討論セッションがありました。プロポジション(提議、命題)を司会者が投げかけて、その背景を登壇者が説明します。その提議には、あえて刺激的な内容が含まれています。例えば、「情報通信の新技術規格検討に消費者(組織)の参加を必須とすべき」という命題。
会場から賛成意見、反対、関連情報の発言が飛び交いました。が、英語での発言というハンディだけでなく、この種の「討論」には日本からの参加者の意見はほとんど見られませんでした。多分、抽象的で論理の勝負になるので入りにくいのです。
現代、もし世界中のインターネットが突然全面停止したらどうなるか?
ポディウムからの眺めです。
閉会式になって、優秀論文の発表がありました。
第3位は、欧州・中国共同電気自動車標準化活動を発表したドイツ研究者。
第2位は、生体認証(バイオメトリックス)セキュリティ管理の論文、米国人。
第1位は、東北大震災後の情報通信被害と復旧、今後の対策を実地の経験とデータによって取りまとめた慶応大学の学生さんの論文となりました。
この人達は若手研究者賞の受賞者たち。
事務局や裏方の皆さん、大変ご苦労さまでした。
・・サイドイベントが、あと1日続きます。
京都大学を会場にしてコンファレンスが開かれました.
開会式での総長松本先生の演説です。制限ある地球資源の制約の元にどのようにして持続的な発展が可能か、と。
会場ではPC持参の参加者たちが論文などを手元で参照しながら聴講しています。
ケニアの研究者の発表。
質問者。
実験システムの展示会もあり。
夜は、大学の大きな教室を片付けて、レセプション会場にしました。料理は大学生協にお願いし、国際機関幹部による鏡割りならぬ、タイの塩包み焼きを木槌で割りました。メデタイ。
京都なので、やはり、舞妓さんに大学まで出張していただいて、
祇園小唄の舞いを披露。歌詞の英訳が、教室の大型ディスプレイに表示されました。
この衣装と白塗りの化粧、髪型は、外国の方々にも大人気でした。
夜泣峠から、一周トレイルは東海自然歩道と別れて、尾根をさらに登って向山のピークに向かいます。
山ツツジがきれいに咲いていました。
このあたりが向山の頂上ですが、眺望はほとんどありません。擬木のベンチが整備されています。
木々の間からわずかに京都市内方面を眺めることができました。
ツツジの花が地面に散っていました。
素朴な美しさを感じます。
立派な「散策路」の看板。この山の中腹に京都市のゴミ焼却施設ができていて、びっくりするくらいに大きくて立派な建物ですが、それが建設された時に一緒にこの山道が改修されたのでしょうか。
休憩して昼食を食べた時、目の前に生えていた若木。若葉を散々に虫に食われていますが、懸命に成長を続けています。自然界も競争が激しい。人間の若者もこうあって欲しいと、シャッターを押しました。
急な登山道をジグザグに降りたところに、水力発電所がありました。賀茂川です。それほど大きな川ではありませんが、しっかり電気を作ってくれています。
この地点が山幸橋でこの日のトレッキングの終点としました。約6km、1万歩です。
この人達は「野生動物調査」の腕章をつけて、八木アンテナを持って地図を検討していました。これから山に向かうようです。すでに無線発信機をつけた野生動物の追跡調査でしょう。鹿かな?・・京都市にトキは飛んでこないし、コウノトリはもっと北の町だし・・
バス停(京都バス)はあるのですが、早朝と夜の1日2便だけなのでさらに町中に向かって川沿いに、「西賀茂車庫前」まで約2.5キロ歩きます。
賀茂川にも、このあたりにはアマゴが生息するようですね。放流もしているのかな。
広い道路に面して「台杉」の畑が見えました。これも京都北山杉の伝統的産物ですが、日本式庭園の衰退によって需要は少なくなっていると思います。
道ばたにスカンポがはえていました。子供のころにはとってかじったこともあります、酸っぱかった。イタドリ(虎杖)とも言います。
住宅地が現れるあたりに、こんな立派な砂防ダムがあって脇には魚道の水路も作ってあります。
野生化した菜の花か、からし菜の黄色い花が河原に群生しています。
住宅地の間に、農地もあってえんどう豆の花が咲いています。
住宅の庭には、もうハナミズキ(英語ではDogwood、犬の木だって!)が咲いています。
無事に西賀茂車庫前に着きました。合計14,000歩、約3時間のハイキングでした。
山ツツジがきれいに咲いていました。
このあたりが向山の頂上ですが、眺望はほとんどありません。擬木のベンチが整備されています。
木々の間からわずかに京都市内方面を眺めることができました。
ツツジの花が地面に散っていました。
素朴な美しさを感じます。
立派な「散策路」の看板。この山の中腹に京都市のゴミ焼却施設ができていて、びっくりするくらいに大きくて立派な建物ですが、それが建設された時に一緒にこの山道が改修されたのでしょうか。
休憩して昼食を食べた時、目の前に生えていた若木。若葉を散々に虫に食われていますが、懸命に成長を続けています。自然界も競争が激しい。人間の若者もこうあって欲しいと、シャッターを押しました。
急な登山道をジグザグに降りたところに、水力発電所がありました。賀茂川です。それほど大きな川ではありませんが、しっかり電気を作ってくれています。
この地点が山幸橋でこの日のトレッキングの終点としました。約6km、1万歩です。
この人達は「野生動物調査」の腕章をつけて、八木アンテナを持って地図を検討していました。これから山に向かうようです。すでに無線発信機をつけた野生動物の追跡調査でしょう。鹿かな?・・京都市にトキは飛んでこないし、コウノトリはもっと北の町だし・・
バス停(京都バス)はあるのですが、早朝と夜の1日2便だけなのでさらに町中に向かって川沿いに、「西賀茂車庫前」まで約2.5キロ歩きます。
賀茂川にも、このあたりにはアマゴが生息するようですね。放流もしているのかな。
広い道路に面して「台杉」の畑が見えました。これも京都北山杉の伝統的産物ですが、日本式庭園の衰退によって需要は少なくなっていると思います。
道ばたにスカンポがはえていました。子供のころにはとってかじったこともあります、酸っぱかった。イタドリ(虎杖)とも言います。
住宅地が現れるあたりに、こんな立派な砂防ダムがあって脇には魚道の水路も作ってあります。
野生化した菜の花か、からし菜の黄色い花が河原に群生しています。
住宅地の間に、農地もあってえんどう豆の花が咲いています。
住宅の庭には、もうハナミズキ(英語ではDogwood、犬の木だって!)が咲いています。
無事に西賀茂車庫前に着きました。合計14,000歩、約3時間のハイキングでした。
しばらく中断していた一周トレールの続きを歩きました。これまでに歩いたトレイルの記事は、このページの下の方です。
4月21日(日曜日)明け方までは小雨が降っていたのですが、朝の天気予報によれば曇り時々晴れ。
このところ運動不足であったので、思い切って出かけることにしました。まずは叡山電車の鞍馬行きに乗り終点の2つ手前の「二ノ瀬」駅下車。
まわりの風景はすっかり山中で、駅舎も山小屋風。
線路をわたって、並行する貴船川(小川状態、すぐ南で賀茂川に合流)の岸を100メートルくらい上流に歩きます。この写真の正面に見える山がとりあえずの目標となる夜泣峠です。
この区間の道は、「東海自然歩道」と重なっているのでこんな立派な看板が立っていました。
踏切を渡り、右手の神社に参拝してから、いよいよ山道になりました。
踏切警報音がするので下を見ると、先ほど乗ってきた電車が下っていきました。(時刻表的には「上り電車」というべきかな?)
砂防ダムの脇に階段があってそれを50mくらい登ります。
その先はきれいに植林された杉林。少しずつ高度を稼ぎます。
「ナラ枯れ」、広葉樹のナラの木などに寄生する虫が毒素を出して木を枯らす病気が蔓延していました。昨年ぐらいから対策が取られて大分減少しているようですが、すでに、こんな大きな木が枯れていました。あ、この木は枝先に若葉が出ていましたが、この木の周囲の大木に被害が多く見られました。
やぶ椿の群生が現れて、濃い赤の花を付けて森の中で虫達を惹きつけています。
この花は首からポトリと落下します。昔は、斬首を連想させたので好まれなかったそうです。
気持ち悪いほどたくさんのキノコ、サルノコシカケ?、がついたナラの木がありました。枯た木はこうしてキノコや虫、微生物の餌食となってその元素が循環して行きます。
案外に楽勝でした。二ノ瀬駅から約30分で、この峠に到着。
この看板の説明を読むと、そんな事情があったようすが伝説になっていますが、そもそも今以上に道路事情が良くない時代に、幼児の親王を連れてこんな峠を越えなければいけないことが本当にあったのでしょうか。内戦で追手から逃げる道中だったのかしら。
4月21日(日曜日)明け方までは小雨が降っていたのですが、朝の天気予報によれば曇り時々晴れ。
このところ運動不足であったので、思い切って出かけることにしました。まずは叡山電車の鞍馬行きに乗り終点の2つ手前の「二ノ瀬」駅下車。
まわりの風景はすっかり山中で、駅舎も山小屋風。
線路をわたって、並行する貴船川(小川状態、すぐ南で賀茂川に合流)の岸を100メートルくらい上流に歩きます。この写真の正面に見える山がとりあえずの目標となる夜泣峠です。
この区間の道は、「東海自然歩道」と重なっているのでこんな立派な看板が立っていました。
踏切を渡り、右手の神社に参拝してから、いよいよ山道になりました。
踏切警報音がするので下を見ると、先ほど乗ってきた電車が下っていきました。(時刻表的には「上り電車」というべきかな?)
砂防ダムの脇に階段があってそれを50mくらい登ります。
その先はきれいに植林された杉林。少しずつ高度を稼ぎます。
「ナラ枯れ」、広葉樹のナラの木などに寄生する虫が毒素を出して木を枯らす病気が蔓延していました。昨年ぐらいから対策が取られて大分減少しているようですが、すでに、こんな大きな木が枯れていました。あ、この木は枝先に若葉が出ていましたが、この木の周囲の大木に被害が多く見られました。
やぶ椿の群生が現れて、濃い赤の花を付けて森の中で虫達を惹きつけています。
この花は首からポトリと落下します。昔は、斬首を連想させたので好まれなかったそうです。
気持ち悪いほどたくさんのキノコ、サルノコシカケ?、がついたナラの木がありました。枯た木はこうしてキノコや虫、微生物の餌食となってその元素が循環して行きます。
案外に楽勝でした。二ノ瀬駅から約30分で、この峠に到着。
この看板の説明を読むと、そんな事情があったようすが伝説になっていますが、そもそも今以上に道路事情が良くない時代に、幼児の親王を連れてこんな峠を越えなければいけないことが本当にあったのでしょうか。内戦で追手から逃げる道中だったのかしら。