朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

桜の季節

2009-03-31 | 京都の文化(春)
しだれ桜の内、いくつかの品種は満開となっています。
 3月30日は気温は低めでしたが風も無く、晴天の青空に桜の花が光っていました。



 嵯峨の広沢池では、まだ貸ボートが店開きしていません。池畔のソメイヨシノは2分咲きくらい。




 5分咲き位なのに、もう相当に落花している木があります。
 普通、桜は花びらが一枚づつばらばらになって散っていくはずですが、この写真のように、花が丸ごと、まるで椿の花の散り方みたいに、落ちていました。
 


 苔の上に散っている桜花がほとんど、丸ごとの花でした。
 品種によるのか、鳥がつついて噛み切ったか、あるいは異常な季節の寒暖サイクルで疲弊したのか気になります。(嵐山の中ノ島公園にて)


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京都のソメイヨシノ、満開遅し

2009-03-30 | 京都の文化(春)
3月19日に、京都気象台は桜の開花を宣言しました。
 あれから10日経つのですが、ソメイヨシノはまだ1~3分咲きです。
 数日前までは、28-29日の週末が見ごろと報道していたのですが、最近では、次の週末(4/4-5)が見ごろと修正しています。
 今年は相当に変ですね。このところ、三寒四温どころか、十寒ゼロ温ですから。





 この桜は、哲学の路の桜。
 雪柳、レンギョウ、みつまたがきれいに咲いていました。(3月28日)




 これは、北白川の疎水分線です。哲学の路の疎水の「下流」です。もっと北にありますが、この疎水はこの辺りでは、北の方向に流れます。京都の地図に慣れている方には、すこし変な感じがします。普通、南のほうが常に高度が低いので、
 鴨川は北から南に流れています。


 
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那覇 国際通と中央市場

2009-03-29 | 国内各地の風物
那覇の国際通は、「奇跡の1マイル」と呼ばれ戦後驚異的な速度で復興したメインストリートです。1950-53年の朝鮮動乱(戦争)の時に、米国軍は沖縄を基地にして朝鮮半島に進撃しました。太平洋戦争の終戦1945年からそれほど年数が経過していませんが、当時の米国対ソ連の冷戦を背景として、ソ連と中国に支援された北朝鮮が韓国に侵攻したためでした。那覇は沖縄の中心都市として、軍需景気に沸騰したわけです。
 いまは、すっかり観光客の買い物街となっています。
 といっても、シンガポールのオーチャードとかとは、全く違っていて、浅草の仲見世のようなカジュアルショッピングでしょうか。



 国際通の近くに、中央市場があります。
 肉屋、魚屋、八百屋、菓子屋など、食料品を中心にびっしりと店が並んでいました。



 見たことも無い色鮮やかな魚が並んでいました。青緑ネオンカラーに光る魚など、少し不気味ですね。美味しいのでしょうか。
 イセエビも種類が多く、色どりも様々。驚くようなカラーのも並んでいました。
 旅行者だから買って帰れないと言うと、「ここで買って、2階の食堂にて料理してくれる」とのことです。持ち込み料500円。







 この写真が、2階の食堂です。数軒あり、わいわいと楽しい食堂でした。



 これは、塩の専門店。

 地元の新聞記事によれば、外国からの観光客をさらに誘致したい、そのための方法を検討しているそうです。アジアからのお客さんを狙っているようですが、南アジアのほうが、もっときれいな海と海岸があり価格も安い。
 差別化するとすれば、「文化」「歴史」「若者向けのポップカルチャ」「日本料理」、他には?


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首里城

2009-03-28 | 国内各地の風物
那覇の首里城を見学しました。
 戦争で全部焼けてしまったので、再建された宮殿と、修理された城壁などです。
 25年くらい前に仕事で出張した際、多分見学したとは思うのですが、全く記憶に残っていません。
 1980年代から建物の再建が始まり、2000年の世界経済サミット(森首相の時代)に合わせて主要部がほぼ完成しました。以前、訪問した時は石垣くらいしかなかったのでしょう。



 正殿はともかくも、この写真にある書院の庭も明治時代の記録写真を元に、同じイメージの白珊瑚の石灰岩、蘇鉄、琉球松を、沖縄じゅう探して移植したそうです。
 
 

 正殿の前にある広場には、紅白縞の模様が敷き詰められています。
 なぜかな。展示してあったお祭の写真を見ると、この紅白ラインに沿って人々が整列していました。そのような実用性もあるのですね。



 2000円札に印刷された「守礼門」。いまやこのお札はほとんど流通していません。
 2の付くお金、20ドル札や2ユーロ硬貨、25セント硬貨(クォータ)など、便利ですが、なぜ日本では流通しないのでしょうか。



 玉陵(たまうどぅん)。ここは、見学者がぐっと少ないですが、圧巻でした。
 歴代の琉球王の墓所です。この石室には入れませんが、公園入り口脇にある展示館にて、説明図、写真、遺物をみることができます。
 火葬の習慣が無かったこともあり、王の遺体はこの石室に数年間安置され、その後、「洗骨」の処置がされて納骨されるとありました。
 ミイラにはしませんが、まさに「ピラミッド」です。

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星の砂 ...

2009-03-27 | 国内各地の風物
竹富島には、星砂の海岸がありました。
 港からは一番遠い海岸です。
 海岸の入り口にある屋台店の女の人が、星砂の由来とその取り方の説明をしていました。

 星砂は、有孔虫の殻だそうです。1~2mm程度と微小です。
 海から波によって流れてくるので、海岸の砂の表面にあるそうです。したがって、手のひらを砂の表面に強く押し当てて、手に付いた砂粒を良く見ると発見できます。
 そんな説明があり観光客はしゃがみこんで、せっせと手を押し当てて、しげしげその手を眺めていました。
 なかなか、実は、見つかりません。
 案内人の女性は、「大体、1回に1、2粒見つかります。慣れてくるとほぼ必ずあります」と言っていましたが。...
 それでも15分くらいかけて、30回くらい試して、やっと4粒ほど、極めて小さい星砂を獲得しました。
 


 上の写真は、自分で採取した星砂です。



 上の写真は、この後で島の喫茶店・土産店で、コーヒーを飲み多少の土産を買ったとき、サービスで頂いた星砂です。やや大きくて立派です。透明な小袋に入れて200粒くらいありました。



 これは、那覇の国際通で安売りしていたミニボトル。多分、どこか海外からの輸入でしょう。(非常に安価。色砂なしの星砂だけのビンも安価)
 西表島にも、星砂海岸があってそちらはもっと星砂が多いそうです。
 で、疑惑が生まれました。あのおねーさんは、朝、お客さんが集まる砂浜の狭い場所に、これらの輸入品をパラパラ撒いているのではないでしょうか。。。


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西表島(沖縄)から、水牛車で....

2009-03-26 | 国内各地の風物
由布島へ、水牛車で渡る。
 西表島の東側から、500メートルくらい浅瀬の海を渡ります。





1969年(昭和44年)の台風で、この島は壊滅的な被害を受けてほとんど全ての住民は、西表島に移住したのですが、ただ一組、西表正治さん夫婦が島に残り、亜熱帯植物や水牛を育成し続けました。
 この水牛を使って観光客を運ぶアイディアが成功して、今や、この島と西表島の必須観光イベントとなっています。
 環境保護、スローライフなど、70年代から40年近くがたち時代が変化して、地味な頑固さが支持されるようになりました。



 この小島(一周2km、海抜1.5m)唯一の食堂での昼食です。地元の食材ばかりで、健康的、美味しい料理でした。



 水牛は、初代第五郎と花子より何代か続いて増えています。この水牛の子はまだ生後半年でした。
 車を引く牛も、週休2日だそうで、池に浸かって休養していました。


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木蓮

2009-03-25 | 京都の文化(春)
京都御苑に咲く花です。
 中立御門の近くにある木蓮の白い花が見事でした。
 近衛邸跡には、赤い木蓮もきれいに咲いていました。(3月21日)




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只洲(ただす)

2009-03-24 | 京都の文化(春)
賀茂川と高野川の合流点に「糺の森」があります。
 奈良本辰也「京都百話」によると、この「ただす」は只洲あるいは蓼洲(たです)から生じたという。だが、「糺」と表記すると、この文字には問いただす、正しくさせるといった意味があるので、いつか糺の森は偽りを正す神のいます森として信仰を集めるようになったそうです。
 すっかり春めいて、気温の高くなった土曜日(3月21日)に、この河原には大人も子供も、川遊びと散歩を楽しんでいました。







 賀茂大橋と比叡山。この枝垂桜はまだ、ちらほら咲きでした。

 この辺りの地名が沢山でてくる、森見登美彦の小説、例えば『夜は短し歩けよ乙女』、『有頂天家族』など、すでに数冊を読破したのでその感想などは、後日に書きたいと思います。なお、『夜は短し...は、演劇として4月23日に京都春秋座にて公演されるので楽しみにしています。主演はモデルで活躍中の田中美保とゼクシィのCMで話題沸騰の渡部豪太。
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東山花灯路

2009-03-23 | 京都の文化(春)
清水寺から青蓮院までの東山山麓の小路に、灯篭を置いて夜の寺院と街並みを飾るイベントがいつごろからか、この時期に開催されています。
 桜の季節が始まる前のオフシーズン対策ですが、大変成功しています。
 100年に一度の「不景気」ですが、観光客の人々で、狭い路はいっぱいです。
 三脚を担いだカメラ小僧ならぬカメラおばさん・オジサンたちもいたるところに徘徊していました。



 「石塀小路」などという小道、いままで行ったこともない場所ですが、きれいに光のランタンで飾られていました。


 
 円山公園の大きな桜の木も、花はまだですが、ライトアップされていて夜空に立派な姿を見せていました。



 その広場の隣にある「長楽館」、歴史ある石造りの洋館のホテルですが、道路沿いにて「ホットワイン」を販売していました。(500円)(左上の写真)
 すこし身体が冷えてきたので、とても美味しく感じました。門内の広い車寄せを開放していたので、大木の周りに腰掛けて路行く人々を眺めながら楽しみました。





 上の写真は「祗園閣」なる奇妙な建物ですが、これもライトアップされていました。大倉財閥の先々代の方が、「金閣と銀閣があるのに、なんで『銅閣』がないんやろ」とアイディアが閃いて、創建したとのことです。以前、知恩院の山門に登った時、南西の方角にこれがあって気になっていました。完成した当時は、東山の雰囲気を壊すとして非難轟々であったとのことです。いまはそれなりに、溶け込んでいますから、「京都タワー」みたいなものですかね。
 
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桜の花

2009-03-22 | 京都の文化(春)
桜は、ソメイヨシノ品種が広く普及していて、開花宣言の基準木となっています。
 京都には、古いお寺や神社が多いので、新種であるソメイヨシノとは違った色々な品種の桜が各所にあります。
 御苑に、もう満開の桜があると聞いたので、出かけてきました。(3月21日)

 一つは、「出水の小川」の東側にあるしだれ。ピンクの小振りの花が見事でした。大きな傘の形の大木が、青空を背景にして大変立派に立っていました。(左上の写真です)

 もう一つは、近衛邸跡にある桜です。数本がそれぞれ、ほぼ満開でした。
 沢山のカメラマン、見物人、近くにある同志社大学の卒業式から流れてきた学生たち。皆さん、桜の花の下でとても楽しそうでした。


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