早くも、再来年のNHKドラマが予告されました。
あの明智光秀が主役として物語が構成されます。http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=14251
明智光秀の居城は、山を越えて京都市の北西に隣接する亀岡にありました。
現在の亀岡市には保津川が真ん中を流れていて、嵐山からトロッコ列車に乗ってきて、帰りは保津川下りで船頭が操る船で下る観光コースでよく知られています。
光秀が本能寺に出陣するときに、京都への境にそびえる愛宕山の愛宕神社に参拝して必勝を祈願しました。
さて、今日のweb記事の本題。
2016年度卒業ゼミ生への論文テーマとして、「ICT(情報通信技術)を活用する故郷の町おこし」を出題しました。
K君は亀岡市出身で、O君は滋賀県甲良町の生まれでした。他のゼミ生たちも各自いろいろなアイディアをだして、あれこれ研究を進めました。
K君は亀岡の観光名所や有名人として、明智光秀が築城した丹波亀山城をゼミで紹介してくれました。O君は地元の名士、藤堂高虎を紹介しました。
紆余曲折があったのですが、卒論として完成したのは、K君は「亀岡ペディア」(インターネットで公開して自分で採点できる亀岡電子検定サイトの構築)、O君は、地元を有名にして観光客を誘致を目指して、藤堂高虎をNHK大河ドラマの主人公にするために、まずはあまり知名度が高くない歴史的人物「高虎」のドラマ・シラバス(12ヶ月分)の作成でした。
高虎は、築城の名人と評価されています。しかし何度も主君を変えていて、その任地も各地に広がっていました。O君の認識では「主君を変えるのは武士として不名誉だ。だから人気がない」でしたが、私は「良い条件を求めて転職を繰り返す。独自のスキル(築城術)を磨いてそれを武器にする。いずれもとても現代社会にアピールする要素だ」と助言しました。 ~ とはいえ、結局彼が作成したシナリオは幼少期(地元でのエピソード)と青年期までで、後半の転職人生は絵描きませんでした。
** 甲良町が作った「藤堂高虎公」のイラスト(とてもイケメンで勇ましい姿): http://www.kouratown.jp/photonews/1477644041578.html
今思うに、K君が明智光秀をテーマにNHK大河のシナリオ提案を書けば、ドンピシャで面白かったなあと。
ちなみに、光秀公は地元亀岡では大変評判の良い殿様であったようです。(吉良上野介の事例に似ています)
光秀の亀山城は、現在、新宗教「大本」が所有して維持しています。
NHK大河の影響で、町おこしの観光拠点として、亀岡市が恐らく公開を強く要望することになるでしょうね。