秋の大原です。
池の睡蓮も赤くなっていました。
殆どの観光客は三千院に吸い込まれていきますが、もう少し先にこの小さなお寺があります。
浄土と現世を表現している庭。
お菓子とお茶をいただきました。
天台声明の研修所でもあります。その音調を整える石の道具が飾ってあります。
柿が熟し始めていました。(10月24日)
秋の大原です。
池の睡蓮も赤くなっていました。
殆どの観光客は三千院に吸い込まれていきますが、もう少し先にこの小さなお寺があります。
浄土と現世を表現している庭。
お菓子とお茶をいただきました。
天台声明の研修所でもあります。その音調を整える石の道具が飾ってあります。
柿が熟し始めていました。(10月24日)
植物園を散歩しました。
バラ展を開催していたので、見学させて頂きました。
バラ栽培の愛好家の人たちが毎年、発表会を開催しています。
色とりどり、素晴らしい花を咲かせるための努力に敬服しました。
苗選びから始まり、肥料、水やり、日照調整、間引き、農薬などなど、日々の精進が欠かせないでしょう。
仲間がいて、褒めたり、けなされたり、比較したり、ヒントを教えてもらう。そんな楽しみもあるかと想像しました。
白バラもいい。
生花に。
花瓶、花鉢での装飾以外にも、フラスコに単品で花だけを展示することもしていました。
私にはとても無理ですが、楽しく鑑賞することができました。(10月21日)
前回の続きです、いろいろな季節の花を楽しむいことができました。
ここでも。ハロウウィンのディスプレイが色々と展示されていました。
琵琶湖の展望。
色とりどり。
秋明菊。
鮮やかな紫。
ダリア。 なぜか、小学校校庭の花壇をイメージします。
ゴッホの跳ね橋。 昔、現地に行った。
円筒形の大きな展望台の建物がありました。
そこから見える京都市内。霞んでいましたが、京都タワー、鴨川、吉田山などが判別できました。我が家も見えているはずですが・・・・右手の木立に遮られているあたりかな?
建物の1階が喫茶食堂。ここで一休み。
穏やかな散歩コースでした。
おまけ、 Trick or Treat
比叡山の頂上近くにこの庭園美術園があります。
陶板で作った印象派の絵画を屋外に展示し、あわせて四季折々の花々を育てています。
日本の陶器メーカーが開発した陶板美術複製の技術は素晴らしいものです。徳島県鳴門市にある「大塚国際美術館」や、京都地下鉄北山駅に隣接する「陶板名画の庭」にも同様な絵画があります。
モミジも部分的に色づいていました。(10月23日)
コスモスの変種。
チョコレート色。
ブルーベリーの木も紅葉しています。
フォックスフェイス。
薄曇りでしたが、琵琶湖と大津、対岸の草津市あたりが眺望できました。
モネの池。
睡蓮が咲く頃が見頃でしょう。
花のボール。
ニシキギ。
小菊の寄せ植えでした。
先日来、若冲が生まれ育った錦小路に、こんな垂れ幕やシャッター絵が出現しています。
若冲生誕300年を記念して、
「若冲とみずのき」 奇想の絵師×アール・ブリュット美術館
http://www.mizunoki-museum.org/exhibition/jyakuchu/
10月30日まで開催しています。
西側の入り口。この右手が生家跡だとか。
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早朝に見学しました。人通りが少ないのは良かったのですが、魚屋などはシャッターを開け始めていました。
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見たこともないかもしれない象を描いています。長崎に陸揚げされた象を江戸まで歩かせて移動したので、京都で天皇に見せました。その機会に若冲は見ているかもしれません。
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伝統的な画法で描いたもの。
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芭蕉
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大胆なデフォルメ。もはやデザイン画の世界です。
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有名な石燈籠図屏風ですが、右の2,3枚のシャッターは開けられていました。
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錦天満宮の石鳥居、横の両端が両脇の建物にめり込んでいます。 以前の「ブラタモリ」でも紹介されました。
週一回、通っている京都市郊外にある学校の通学路で、とても良い香りが漂っていました。
手前が金木犀の大木。
後ろには桜の木の葉が紅葉し始めていました。
こんな小さな花が密集して咲いています。
その近所ですが、黄花コスモスも花盛り。駅に近い、都会ならば一等地の空き地に咲き誇っていました。
秋ですね。
橿原考古学研究所に附属する博物館を見学しました。
特別展は「蘇我氏を掘る」
博物館を入るとすぐに巨大なジオラマがあり、奈良県大和盆地にある遺跡の位置を示すスイッチを押すと、地図上のランプが点灯します。
驚くほど多くの遺跡が存在していることが一目瞭然です。
蘇我氏特別展の展示物は撮影禁止だったので、写真はありません。
写真がないと、記憶がもはや曖昧でどんなものが展示され、何を訴えていたかなどはっきりとは思い出せません。
直前の研究所講演会で聞いた「藤ノ木古墳」、盗掘されずに発見された、から出土した鞍金具(国宝)が大きくて立派でした。
”・・当時の先進技術が蘇我氏の台頭の一助になったと考えられている。また、仏教が伝来した際にそれをいち早く取り入れたのも蘇我氏であったとされる。これは、朝廷の祭祀を任されていた連姓の物部氏、中臣氏を牽制する為の目的も有ったと推察される” (引用:Wikipedia )
さて、常設展示室は、殆どのものは撮影可能です。
石器時代から、縄文、弥生、飛鳥、平城京などと、予想以上に展示物が多く、とても丁寧に作られていました。説明もよく書かれていたのですが、閉館時間が迫っていたので、駆け足で見て歩きました。
石器。
二上山は奈良県と大阪府の府県境にある山ですが、良質の硬い石材が取れ多くの石器が出土しています。
工具や武器にもなり、調理ナイフとしても使用されています。
埴輪や大きな土器の展示物があります。儀式などに使用されたのでしょう。
こんな大きな土器を焼くには大きな窯と燃料が必要です。そのような技術は早くから進歩していったのです。
甕棺、埋設された人の骨です。
これも巨大な土器。
研究所の土器復元作業所にもありました。出土した欠片を使い、紛失した場所は現代の粘土で補填されています。
鉄の工具や武器。
金属技術が一段と進歩してきます。
鉄の刀。当時は最強の武器なのでこれを入手した部族が勢力をもったことでしょう。
防具、鎧も鉄が強い。
埴輪。
馬の造形、表現力がすばらしい。
銅鏡。
微細な細工がはっきりと現れています。
鉄の鎧。強いけれど重そうです。
飾りのついた靴。
復元されたレプリカが玄関ホールにありました。飾りは金ピカです。
復元された飾り物。
巫女さんなどの宗教的目的でしょうか。
木簡が多数展示してあります。
納品書のような記述もあって、時間がればゆっくり読んで当時を想像してみたいと思いました。
なんと七宝の技術が完成していました。
IEEEという国際的電気電子情報の学術グループ活動で、関西支部主催の見学会がありました。
場所は奈良県立橿原考古学研究所です。十数名の人たちが参加しました。
外観は相当に大きな建物です。
広い会議室で所員研究者による説明がありました。そもそも「考古学」とはなんぞや・・・英語ではアーケオロジー(archaeology)という学術領域で、明治時代の日本学者が考古学という用語を作りだしました。現代では中国でもこの漢字が使われているそうです。
つまり考古学は、遺跡,遺構,遺物から,それを残した人類の過去の文化を研究する学問です。
広報担当の研究者水野氏の概要説明があり、その後に遺物の保存方法の研究と実践を担当している研究者奥山氏の講演がありました。
例えば、盗掘がされていなかった藤ノ木古墳の事例が、フルカラーのスライドで紹介されました。一般に、土器、石器は発掘しても劣化が殆ど無いが、繊維、植物(木など)、金属、色彩素材などは地上では変化が激しい。水に浸かっている間は変化がなくても、取り出して乾くと変質しやすいとか、材質がもろくて取り上げて、研究室に持ち帰る方法が難しいなどを解決する工夫を拝聴。
銅鏡の模様を3次元測定機を導入して、数値データ集積の研究を進めています。その成果として、奈良県で発掘したとても小さな鏡の破片に残っていた一文字の漢字を発見し、それを過去に群馬県で発見された銅鏡の文字と照合した結果、同じ鋳型であることが判明しました。この時代の大和(やまと)の文字入り鏡として新発見だそうです。
空気中でも変化が殆ど無い土器、石器の破片を収蔵している倉庫です。遺物は、土器や瓦の破片も記録して、IDを付して全て保存しているそうです。この建物に保存しているものは、研究が未完で問い合わせも予想される遺物が中心です。その他のものは、過疎地の廃校となった学校などを借りて保管している、公共建物は構造がしっかりしているからだそうです。
建物の耐震性はあるそうですが、棚に積み上げたケースが落下することが東北地震であったため、急遽、ロープで固定していました。
さて、冒頭写真のピン、「LMAG」という意味は、終生会員の集まりです。実年齢とIEEE会員歴の合計が100を越えると、ライフメンバー(LM)となって年会費が無料になります。機関誌や論文誌も無料で入手できます。
遺物の整理と修復作業室の風景です。
土器、瓦の欠片にIDを印字する作業。
インクジェットプリンターだそうです。
土器の修復です。実物の破片と、中継ぎの材料とは意図的に色を変えて、将来の研究のために区分ができるようにしています。
土器の修復作業途中の模様です。ジグゾーパズルそのものですが、人工的パズルと違うのはパーツが紛失している場合があります。
報告書が大量に保管されている書庫も見学しました。
古代の遺物では、木簡、竹簡、紙に墨で書かれた情報は千年以上も残っているいるのに、現代の写真フィルムはもはや製造中止、デジタル記録メディアは100年も持たないだろうという議論がありました。検索機能はデジタルならではのイノベーションですが、保存性能は千年まえの技術に負けています。
こんな証明書をいただきました。